夫おっと維基者しゃ,知ち以公天下でんか,以為天下でんか利り。
下した筆ひつ之の先さき,宜むべ閱凡例はんれい、章あきら法ほう,以通文理ぶんり,萬まん望もち矜察。
又また,詳しょう共ども平ひら議ぎ,請至會館かいかん;欲よく覽らん新治しんじ,惠めぐみ訪おとずれ監修かんしゅう。
許もと浚,字じ淸せい源はじめ,號ごう龜岩かめいわ,朝鮮ちょうせん陽ひ川かわ人ひと,中ちゅう宗むね三さん十じゅう二に年ねん生なま,一說いっせつ三さん十じゅう四よん年ねん生せい。
宣せん祖そ二に年ねん,為ため柳やなぎ希のぞみ春はる所ところ薦こも,入いれ內醫院いん。四よん年ねん,任にん從したがえ四品內醫院僉正。六ろく年ねん,任にん正せい三さん品ひん內醫院いん正せい。八はち年ねん,與あずか安光やすみつ翼つばさ入にゅう診み上じょう脈みゃく。十じゅう四よん年ねん,受命じゅめい監かん校こう《纂圖方かた論ろん脈みゃく訣集成しゅうせい》,並なみ題跋だいばつ。二に十じゅう年ねん,上體じょうたい平復へいふく,受賜鹿しか皮がわ。二に十じゅう三さん年ねん,救療きゅうりょう王子おうじ,受命じゅめい加か資し,賜たまもの以爵秩,任にん正せい三さん品ひん通どおり政せい大夫たいふ,堂上どうじょう官かん。兩りょう司つかさ以王子おうじ有ゆう疾やまし,用よう藥やく治療ちりょう,醫い官職かんしょく分ぶん內事故じこ,連れん啟けい罷やめ改あらため、還かえ收おさむ,上うえ不ふ允まこと。
二に十じゅう五ご年ねん,倭やまと兵へい入寇にゅうこう,扈從こしょう宣せん祖そ,始終しじゅう不離ふり。二に十じゅう八はち年ねん,上うえ御ご別殿べつでん便びん房ぼう,受針灸やいと。二に十じゅう九きゅう年ねん,治ち東宮とうぐう,加か資し,任にん正せい二に品ひん正憲まさのり大夫たいふ。司つかさ諫院復ふく以東いとう宮みや有ゆう疾やまし,御ご醫い議ぎ藥やく,屬ぞく職分しょくぶん內事故じこ,啟けい請改正かいせい,上うえ不ふ從したがえ。
舊きゅう苑えん荒あら臺だい楊柳ようりゅう新しん,菱ひし歌か清きよし唱不勝春かつはる。 只今ただいま惟おもんみ有ゆう西にし江月えつき,曾照吳くれ王宮おうきゅう裏うら人じん。
西にし江月えつき,詞し牌ぱい也。每まい聞之,覺さとし意い境さかい清きよ幽かそけ異常いじょう,而無淒冷之の意い。乃聞有ゆう「只今ただいま惟おもんみ有ゆう西にし江月えつき,曾照吳くれ王宮おうきゅう裏うら人じん。」句く,益えき覺さと有ゆう妙みょう致。今こん太白たいはく此作,雖非奇き者しゃ,亦また有ゆう工こう處しょ。荒あら臺たい既すんで舊きゅう,楊柳ようりゅう則そく新しん;荒あら臺だい不ふ舊きゅう,楊柳ようりゅう不ふ新しん,唯ただ舊きゅう事こと之の去さ方かた有ゆう今こん事こと之の興きょう,而今事ごと不作ふさく則そく舊きゅう事こと無む足あし懷ふところ也。又また楊柳ようりゅう出で乎土石せき之これ臺だい,知春ちはる意い之の金剛こんごう勝かつ力也りきや,菱ひし歌か之の清きよし唱若感かん而不禁きん然しか。草木くさき者しゃ,壞舊宮みや宅たく之の石いし,舊きゅう衣冠いかん之の土ど,方ぽう得とく其新;唯ただ天てん中ちゅう冷ひや月がつ,靜觀せいかん萬物ばんぶつ,依よ舊きゅう照あきら人じん。
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