愛あい德とく華はな·赫里歐おう (法語ほうご Édouard Herriot)者もの,法ほう蘭らん西國さいこく特とく魯瓦人じん。生なま於西元にしもと一いち八はち七なな二に年ねん七なな月がつ五ご日にち。一いち九きゅう二に四よん年ねん,赫氏以激進しん社會黨しゃかいとう主席しゅせき受命じゅめい組閣そかく,尋ひろ罷やめ。後こう復ふく二に入相いりあい,皆みな以黨爭そう而辭,不ふ逾年。一いち九きゅう三さん六ろく年ねん六ろく月がつ,授眾議院ぎいん議長ぎちょう,任にん至いたり大戰たいせん起おこり,達いたる拉ひしげ第だい內閣定じょう策さく主戰しゅせん,赫氏以議長ぎちょう頗與之の。法ほう兵へい既すんで潰つぶせ,貝かい當とう元帥げんすい柄がら政せい,赫氏坐すわ開ひらき釁罪下獄げごく。及終戰せん,赫氏起おこり復ふく仍授眾議院いん議長ぎちょう,兼けん領りょう里さと昂のぼる市長しちょう如故。一いち九きゅう五ご七なな年ねん三さん月がつ廿にじゅう六ろく日にち,赫氏大だい慚,俄にわか而卒於里昂のぼる,年ねん八はち十じゅう有ゆう四よん。