夫おっと維基者しゃ,知ち以公天下でんか,以為天下でんか利り。
下した筆ひつ之の先さき,宜むべ閱凡例はんれい、章あきら法ほう,以通文理ぶんり,萬まん望もち矜察。
又また,詳しょう共ども平ひら議ぎ,請至會館かいかん;欲よく覽らん新治しんじ,惠めぐみ訪おとずれ監修かんしゅう。
拗こじれ九きゅう節せつ值夏なつ曆れき正月しょうがつ廿にじゅう九きゅう,晦日みそか也。福ふく州しゅう百姓ひゃくしょう每ごと逮是日び,烹糜曰拗九きゅう粥かゆ者しゃ,以之祭さい祖そ,又また饋親友しんゆう,餉來客きゃく。婦ふ亦また歸き安やす,奉たてまつ糜於父母ちちはは,藉表孝こう思おもえ。
拗こじれ九きゅう節せつ始はじめ有ゆう日び,可か考こう至いたり明あきら清きよし。至いたり於其源げん,眾說紛まがえ紜。一說いっせつ,目もく蓮はちす供きょう母はは以是日び,遂とげ始はじめ此節。惟おもんみ此實後人こうじん所しょ附會ふかい。或ある言げん其源於榕俗ぞく之の。其節別名べつめい亦また眾。始はじめ名めい「下九しもぎゅう」。然しか榕よう方言ほうげん中なか,「下した」「後ご」「窈」「拗こじれ」「孝こう」五ご字音じおん相似そうじ,遂とげ淆然雜用ざつよう。今こん多た以「拗こじれ九きゅう」稱しょう。拗こじれ九きゅう初はつ名下みょうげ九きゅう。閩俗ぞく,初はつ九きゅう爲ため上じょう九きゅう,十じゅう九きゅう爲ため中ちゅう九きゅう,廿にじゅう九きゅう爲ため下九しもぎゅう。而正月しょうがつ廿にじゅう九きゅう者しゃ,全ぜん年とし「廿にじゅう九きゅう」之これ首しゅ。是ぜ故こ名めい曰「下した九きゅう節せつ」。又また以是日び爲ため正月しょうがつ末すえ「九きゅう」,名めい之の曰「後ご九きゅう節せつ」。又また有ゆう榕よう俗ぞく,「九きゅう」字じ爲ため數すう之の終おわり,凶きょう數也かずや,可か致人窮きゅう。年とし事ごと及九,恐おそれ遭不測ふそく。九きゅう有ゆう明暗めいあん之の辨べん。明あかり九きゅう,謂いい其齡有ゆう數字すうじ九きゅう。如十じゅう九きゅう、二に十じゅう九きゅう。暗くら九きゅう者しゃ,年ねん數すう倍ばい九きゅう也。如十じゅう八はち、二に十じゅう七なな。須「拗こじれ」過か乃九,方ぽう爲ため吉祥きっしょう。是ぜ故こ烹拗九きゅう粥かゆ,以驅凶きょう於舍外がい。或ある謂いい之の源みなもと於「除じょ貧ひん」之の俗ぞく。而附會ふかい目め蓮はちす之の說せつ,亦また有ゆう之の。
斜陽しゃよう照あきら墟落,窮きゅう巷ちまた牛うし羊ひつじ歸き。 野老ところ念ねん牧童ぼくどう,倚杖候こう荊扉。 雉雊麥むぎ苗なえ秀しゅう,蠶かいこ眠ねむり桑くわ葉ば稀まれ。 田夫でんぷ荷に鋤すき至いたり,相そう見み語ご依よ依よ。 即そく此羨閑逸,悵然ちょうぜん吟ぎん式微しきび。
摩ま詰つめ多た隱逸いんいつ之の作さく,各かく有ゆう殊こと味あじ。此作異い乎他者しゃ,以有樸しらき拙つたな類るい陶すえ也。其辭也,皆みな以一闊一狹せま,一興いっきょう一いち衰おとろえ相對そうたい,而以作さく起おこり衰おとろえ終おわり,有ゆう「日にち之の夕ゆう矣」之これ感かん。牛うし羊ひつじ亦また歸き,何なに況きょう人じん乎。
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