維基大典たいてん:卷首かんしゅ

ぶん維基大典たいてん
たくちょ
琉球國旗
琉球りゅうきゅう國旗こっき

琉球りゅうきゅうこくざい東海とうかいうえよりどころやま而立じりつこくとう海道かいどう要衝ようしょう商賈しょうこ輻輳ふくそうごうまん國津くにつはり」。はつ不通ふつう中國ちゅうごく天孫てんそんためこくくんはじめ,其裔ためおうすんで而交ゆずるれきまんななせんはちひゃくゆうねんためいさみしょ篡。浦添うらぞえ按司しゅんてん以兵平之ひらのだいおう琉球りゅうきゅうつてさんせいえい受禪じゅぜんときもとだいもとかん招諭不能ふのうたち元成もとなりむねへいらいおさむまた不能ふのうかつあきらひろしたけはつえい裔孫せいほろとくおとろえ,按司蜂起ほうきしょうゆう國分こくぶ為三ためぞう:曰山きた、曰中さん、曰山みなみねん明太めんたい使つかいつげ其國。ちゅう山王さんのう察度おとうとたい朝貢ちょうこう琉球りゅうきゅうはじめどおり中國ちゅうごくときさんおうそうゆうそうやすしふとし乃命內史かんすすむはりみんたまものみことのりれいやめへいいきみん,三王並奉命。

どきちゅう山王さんのうたけやすし,壞覆先君せんくんこれてんけい國人くにびと敢怨而不敢言。南山なんざん佐敷さしき太守たいしゅなおともえこころざし甚得民心みんしんとげきた中山なかやまだつ其國,たてちちおもえためおう臣民しんみんみなえつ中山なかやまえききょうきた南平なべらいたりなおともえこころざし一統いっとうさんこくくびさとさらごう琉球りゅうきゅう」,とげひらけしょうもと。其後篡弒頻仍。及泰久やすひさだて琉球りゅうきゅうはじめやす琉球りゅうきゅう商賈しょうこ輻輳ふくそうだい致昇たいら王命おうめい輔臣まん國津くにつはりきょがねようあきら其功。泰久やすひさ薨,とくだて殘害ざんがいえき甚。群臣ぐんしん弒尚とくたて其臣えんまんれきあいだ日本にっぽんこく關白かんぱくほし朝鮮ちょうせん使つかい往招琉球りゅうきゅうしたがえのち薩州勁兵さんせんにゅうさかいさんがつはつやぶくびさとざんやぶ其都,だい肆焚かすめ,擄其おう。旋釋にちじんへいかん其內せいけん日本にっぽん薩州。こうみことのりあらため沖繩おきなわけん琉球りゅうきゅうおうやすし使つかいきよしつき訴其ごときよまた交涉こうしょう於日,日本にっぽんほう。及清ごとはい績,にちじんとげよりどころ琉球りゅうきゅう
せいてん
奧維德像
おく維德ぞう
おく維德ものれつひしげひのとさん詩聖しせい」,うま文士ぶんし也。みんえつ其歌しか西元にしもとはちねんみことのり遷於たくわたるじょうぶた黑海こっかいこれはま也,とげおわり於焉。ゆうまぼろししょく》《豔歌しゅう》《風月ふうげつどう》《斷腸だんちょうしゅうぞくぎょう英人ひでと莎士ゆき俱祖
新知しんち
  • ぼくあずかひとせき泰山たいざん而論守道もち
  • からしうしよんがつなにみんしおきょうよこしま
  • 國際こくさい」而うまかつおもえ嘗入しゃなに也?
  • いむてい乃有此兒!」孰為此兒
  • はつしたがえ曹操そうそうしたがえりょぬの曹操そうそうよくそん而不おわり其戮しゃ也?(
鑒賞


もとぜにせん山居さんきょ
世事せじ
こんかぶとたつねんさんがつじゅうよんごう西曆せいれきよんねんよんがつじゅうにちしんこれ