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魏武悼天王 - 維基大典 とべいたり內容

たけ悼天おう

ぶん維基大典たいてん

冉閔えい小字こあざとげやついしりゅうこれやしなえまご也。ちち瞻,弘武ひろたけ本姓ほんせい冉,めいりょうぐん內黃じん也。其先かんはじむとくるいきばもん。勒破ひねうま瞻,ねんじゅういのち龍子りゅうここれ。驍猛りょくおさむせんまえれきひだりせきしゃ將軍しょうぐん西にしはなこう。閔幼而果するどりゅうなで如孫。及長,身長しんちょうはちしゃくぜんはかりごとさくいさむつとむぜっじんはいけんぶし將軍しょうぐん,徙封修成しゅうせいこうれき北中きたじゅうろうはたゆうげき將軍しょうぐんりゅうはい于昌はじむ,閔軍どくぜんゆかり此功めいだいあらわ。及敗はり犢之ごえわたるえびすなつ宿將しゅくしょう莫不はばかこれ

すすむ永和えいわろくねんころせせき鑒,其司さるがねつかさそらろう闓等よんじゅうはちにんじょう尊號そんごう于閔,閔固ゆずるみのりのう以死かた請,於是僭即皇帝こうてい南郊なんこう大赦たいしゃ改元かいげん曰永きょう國號こくごうだい復姓ふくせい冉氏。ついみこと其祖たかしもと皇帝こうていこう瞻烈だか皇帝こうていみことははおうため皇太后こうたいごうたてつまただしため皇后こうごうさとしため皇太子こうたいし。以李のうため太宰だざいりょうふとしじょうろく尚書しょうしょごとふうひとしおうのう諸子しょしみなふうためけんこうふう其子たねあきらひろしみなためおう文武ぶんぶしんさんとうふう爵有使者ししゃぶし赦諸たむろゆいみなしたがえ

いし祗聞鑒死,僭稱せんしょう尊號そんごう于襄こくしょ六夷據州郡擁兵者皆應之。閔遣使臨江つげすすむ曰:「えびすぎゃくらん中原なかはらいまやめ誅之。わかのうども討者,ぐんらい也。」朝廷ちょうていこたえ。閔誅みのり及其さんなみ尚書しょうしょれいおう謨、さむらいちゅうおう衍、ちゅうつねさむらいいむしんちょうますとうすすむこう太守たいしゅ袁真おさむ其合こえ南蠻なんばんこうじょうくわひろし,遷其百姓ひゃくしょう而還。

いし祗遣其相國石くんぜ琨率眾じゅう萬伐鄴,しんよりどころ邯鄲かんたん。祗鎮みなみりゅうこくしげるかい琨。閔大敗たいはい琨于邯鄲かんたん死者ししゃまんあまりりゅうこくかえたむろしげる。苻健枋頭いれせきちょうだんつとむあずかりゅうこく、靳豚かい於昌じょうはたおさむ鄴。閔遣尚書しょうしょひだりぼくしゃりゅうぐんためゆきうてなとく使つかい其將おうやすしちぇとおるしゅうしげるとうそちじゅうまん於黃じょう,閔躬すべせいそつはちまんつぎせん於蒼ていとう大敗たいはい死者ししゃまんはちせんおい勒豚于陰やすきょうつき俘其眾,たび而歸。えびすそつさんじゅうあまりまん旌旗せいき鐘鼓しょうこ綿めんわたひゃくあまりさと,雖石もり以過。閔至あおていぎょういんいたりれいきよしていきゅうりゅうじゅんざい授任,儒學じゅがくもんこうむあらわしん,于時翕然きゅうぜんぽうためすすむこれはつ

閔率じゅう萬攻石祗于襄國,しょ其子ふとげんおうたねためだいたん于、驃騎大將軍だいしょうぐん以降いこうえびすいちせんはいため麾下きかひかり祿ろく大夫たいふ韋謏けい諫甚きり,閔覽だいいか,誅謏及其子孫しそん。閔攻じょうこくひゃくにちため土山つちやま地道じみちちくしつはんこう。祗大懼,皇帝こうていこれごうたたえちょうおう使つかいまい慕容しゅん、姚弋なか以乞かいせき琨自冀州援祗,弋仲ふく其子じょうりつさんまんはちせんいたり滆頭,しゅん將軍しょうぐんえつたがねりつかぶとそつさんまんりゅうじょう,三方勁卒合十餘萬。閔遣しゃえびすむつみ距襄下場げばちょうあし將軍しょうぐんまごこう琨于おかみなためてきしょはい士卒しそつりゃくつきあつし單騎たんき而還。琨等ぐん且至,閔將出擊しゅつげきまもる將軍しょうぐんおうやすし諫曰:「きゅう寇固迷,希望きぼうがい援。いまきょうすくい雲集うんしゅうよくわれせん腹背ふくはいげきむべかたるい勿出,かんぜい而動,以挫其謀。こん陛下へいかおやえびす,如失萬全ばんぜん大事だいじ矣。請慎しん請率しょしょうため陛下へいかめつ。」閔將したがえこれ道士どうしほうにょうすすむ曰:「太白たいはくけいすばるとうころせえびすおういちせんひゃくかつ不可ふかしつ也。」閔攘たもと大言たいげん曰:「われせんけつ矣,敢諫しゃ!」於是つき眾出せん

姚襄、えつたがねいし琨等さんめんおさむ,祗沖其後,閔師大敗たいはい。閔潛于襄こく行宮あんぐうあずかじゅう奔鄴。くだえびすぐりとくかんひとし冉胤及左ぼくしゃりゅう琦等おく於祗,つきころせこれつかさそらせき璞、尚書しょうしょれいじょくるまえびすむつみさむらいちゅう琳、中書ちゅうしょかん諶、しょうおういく尚書しょうしょりゅう欽、りゅうきゅうとうしょ將士しょうし死者ししゃじゅうあまりまんにん,於是人物じんぶつ殲矣。ぞくぬすめ蜂起ほうきつかさ、冀大ひだる人相にんそうしょくりゅうまつねん而閔つき倉庫そうこ以樹わたしおんあずか羌胡しょうおさむ無月むげつ不戰ふせんあお、雍、かそけ、荊州徙戶及諸氐、羌、えびす、蠻數ひゃくあまりまんかくかえ本土ほんど道路どうろ交錯こうさく,互相殺そうさいかすめ,且饑疫死亡しぼう,其能達者たっしゃじゅうゆうさんしょなつ紛亂ふんらんふくのうしゃ。閔悔,誅法にょう父子ふしささえかいおく韋謏だいつかさ

いし祗使りゅうあらわそちななまんおさむ鄴。とき閔潛かえ,莫有知者ちしゃ,內外きょうきょうみないい閔已ぼつ矣。ごえこうじょうちょうあいすすむ閔親郊,以安眾心,閔從なまりげん乃止。りゅうあらわ於明こうみやじゅうさん,閔懼,召衛將軍しょうぐんおうやすしたい恚其はかりごとしたがえ以瘡甚。閔親臨しんりんといかたしょうやましあつ。閔怒,かえみや,顧謂左右さゆう曰:「ともえやつ,乃公あにかりなんじためいのちよこしまようしょうさきめつぐんえびす,卻斬おうやすし。」於是つき眾而せん大敗たいはいあらわぐんつい奔及于陽ひらめ斬首ざんしゅさんまんあまりきゅうあらわ懼,密使みっし請降,もとめころせ祗為こう,閔振たび而歸。かいゆうつげおうやすし招集しょうしゅうしんじんはた奔關ちゅう,閔怒,誅泰,えびす其三ぞくりゅうあらわはてころせ祗及其太宰だざいちょう鹿しかとうじゅう餘人よにんつてくび於鄴,おくしつ請命。驃騎せき甯奔于柏じん。閔命焚祗くび於通衢。

閔徐しゅう刺史ししりゅうあきら以鄄じょう歸順きじゅんりゅうあらわふくりつ眾伐鄴,閔擊はいかえ稱號しょうごう于襄こく。閔徐しゅう刺史しししゅうしげる、兗州刺史ししみつるしゅうまぎ冉遇、荊州刺史ししらくひろみな以城歸順きじゅんひらみなみだかたかしせいとりこりょまもるらくしゅう刺史ししていけい,以さんかわ歸順きじゅん。慕容あやおさむおちい中山なかやまころせ閔甯きたしろどうかそけしゅう刺史ししりゅうじゅんくだ于慕ようしゅんときゆうくも赤色あかいろおこり東北とうほくちょうひゃくあまりたけ,一白鳥從雲間西南去,うらないしゃあく

りゅうあらわりつ眾伐常山つねやま太守たいしゅつげなん於閔。閔留其大將軍だいしょうぐん蔣幹とう輔其太子たいしさとしもり鄴,おやりつはちせんすくいあらわしょしょだい司馬しば清河きよかわおう甯以なつめつよしくだ于閔,おさむ其餘眾,げきあらわはいつい奔及于襄こくあらわ大將たいしょう曹伏こま開門かいもんためおうとげにゅうじょうこく,誅顯及其公卿くぎょうやめひゃく餘人よにん,焚襄こく宮室きゅうしつ,遷其百姓ひゃくしょう于鄴。あらわりょうぐん范路りつ眾千あまりせき奔於枋頭。

どき慕容しゅんやめかつかそけあざみりゃくいたり於冀しゅう。閔帥距之,あずか慕容つとむあいぐう于魏あきらじょう。閔大將軍しょうぐんただしうるうくるまちょうあつしげん于閔曰:「鮮卑じょう勝氣かちき勁,不可ふかとう也,請避以溢其氣,しかこうすみ以擊以捷也。」閔怒曰:「われなり以出,はたひらたかそけしゅう慕容雋。こんぐうつとむ而避にんはたあなどわが矣。」乃與つとむぐうじゅうせんみなはいつとむ乃以鐵鎖てっされん,簡善しゃ鮮卑いさむ而無ごうしゃせん方陣ほうじん而前。閔所じょうあか曰硃りゅうにちぎょう千里せんりひだりつえそうほこみぎかぎ戟,順風じゅんぷうげき鮮卑さんひゃくあまりきゅうにわか而燕だいいたりかこえすうしゅう。閔眾寡不てきおどうまつぶせかこえひがしはしぎょうじゅうあまりさとうま而死,ためつとむしょとりこ,及董うるうちょうあつしとうおくこれ於薊。しゅんたて閔而とい曰:「なんじ奴僕どぼくざいなに妄稱天子てんし?」閔曰:「天下てんか大亂たいらんしか夷狄いてき人面獸心じんめんじゅうしんなおよく篡逆。わが一時いちじ英雄えいゆうなにため不可ふかさく帝王ていおうよこしま!」しゅんいかむちさんひゃくおく于龍じょうつげ廆、皝廟。

慕容ひょうりつ眾圍鄴。りゅう甯及おとうとたかしそちえびすさんせん奔于すすむ棄常やま奔於新興しんこう。鄴中ひだる人相にんそうしょくりゅう宮人みやびとしょくりゃくつき。冉智なおよう,蔣幹さむらいちゅう繆嵩、詹事りゅう猗奉ひょう歸順きじゅん,且乞于晉。濮陽太守たいしゅ戴施倉垣くらかき於棘とめ猗,聽進,せめ其傳國璽こくじ。猗使かさかえ復命ふくめいみき沈吟ちんぎん未決みけつほどこせ乃率壯士そうしひゃく餘人よにんにゅう鄴,じょもりさんだい,譎之曰:「且出璽付こんきょう寇在がい道路どうろ不通ふつう敢送也。須得璽,とうはせしろ天子てんしみみ天子てんし聞璽やめざいわれしょしんきょう至誠しせい,必遣ぐんかて厚相こうしょうすくい餉。」みき以為しか,乃出璽付ほどこせ宣言せんげん使とくまもるなにとおるむかいかてかげれいふところ璽送于京ちょうみずこうじょうねがいりゅう驤田開門かいもんくだひょうほどこせとおる、蔣幹かかすが而下,奔於倉垣くらかきひょうおく閔妻ただし太子たいしさとしふとしじょうさるがねつかさそらじょう攸、中書ちゅうしょかん聶熊,つかさ隸校じょうせきひぐま中書ちゅうしょれいかき及諸おう公卿くぎょう于薊。尚書しょうしょれいおう簡、ひだりぼくしゃちょういぬいみぎぼくしゃろう自殺じさつ

しゅんおく閔既いたりりゅうじょう於遏陘山。やま左右さゆうななさと草木くさき悉枯,蝗蟲ばった大起だいき五月ごがつあめいたりじゅうがつしゅん使者ししゃまつこれおくりなたけ悼天おう,其日大雪おおゆきとし永和えいわはちねん也。