令れい支ささえ國こく,於殷いん商しょう時代じだい建立こんりゅう的てき部落ぶらく國家こっか,位い於在今こん中華人民共和國ちゅうかじんみんきょうわこく河北かほく省しょう滦州市し和わ迁安市し之これ间。《史ふみ记》作さく离枝,亦また作つく冷ひや支ささえ、离支、不ふ令れい支ささえ、令れい疵きず。屬ぞく於東おひがし北きた夷之えびすの一いち,在ざい春秋しゅんじゅう時代じだい被ひ列れつ為ため山やま戎えびす。令れい支ささえ國是こくぜ成なり湯ゆ的てき後裔こうえい,後來こうらい與あずか孤こ竹ちく國くに混同こんどう[1][2]。
为孤こ竹ちく之これ邻國,也是殷いん商しょう的てき近きん亲部落ぶらく和わ封ふう国こく之の一いち[3]。商しょう亡ほろび之の后きさき,归附周しゅう朝ちょう,曾向周しゅう成しげる王おう進貢しんこう[4]。
春秋しゅんじゅう时期,附ふ从南下なんか的てき山やま戎えびす,成なり为山戎之えびすの属国ぞっこく。[5]前ぜん664年ねん(周しゅう惠めぐみ王おう十じゅう三さん年ねん、齐桓公こう二に十じゅう二に年ねん)为齐桓公かんこう所ところ灭,被ひ併入燕つばめ國こく。秦はた朝ちょう置おけ为令れい支ささえ县。