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國語こくご (しょ)

中國ちゅうごく古代こだい典籍てんせき

國語こくごこれ中國ちゅうごくくにべつこれざいよん全書ぜんしょこれちゅうためざつるい記錄きろくしゅうちょう王室おうしつ魯國ひとしこくすすむこくていこくすわえこくこくえつこくひとし諸侯しょこうこくこれ歷史れきし上起かみおこしきよしおうただしいぬえびすやくまえ947ねん),しもいたりさんいえほろびさとしぜん453ねん)。

國語こくご
ぜん國語こくご
作者さくしゃたくめいひだりおかあきら
类型くにべつ
语言文言もんごんぶん
文字もじ汉语
なり书年だい戰國せんごく初期しょき
连载じょう卷數かんすうじゅういちかん
出版しゅっぱん地點ちてん中国ちゅうごく

だいかい

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せき於《國語こくご作者さくしゃ問題もんだい歷代れきだい存在そんざいそう议,いたりいまなお定論ていろん司馬しば最早もはやひっさげいた國語こくごてき作者さくしゃひだりおかあきら[1],其後はんあや[2]はんかた[3]りゅうともいく[4]とうみとめためひだりおかあきらしょちょかえ國語こくごしょうため春秋しゅんじゅう外傳がいでん》。[5]ただしざいすすむあさ以後いご許多きょた學者がくしゃでんげんりゅう懷疑かいぎ國語こくごひだりおかあきらしょちょからあさ啖助りくあつしみな以為あずかひだり文體ぶんたいるい[6]。一般認為是集體創作,“てい一人ひとりしょ为”[7]清朝せいちょうちょうつばさ提出ていしゅつ國語こくごためひだり簡料而存せん也”[8]ちょくいた現在げんざい學界がっかい仍然爭論そうろん不休ふきゅう,一般都否認左丘明是國語的作者,ただしかけしょうかく鑿的證據しょうこ普遍ふへんほう國語こくご戰國せんごく初期しょき一些熟悉各國歷史的人,根據こんきょ當時とうじしゅうちょう王室おうしつかく諸侯しょこうこくてき史料しりょう經過けいか整理せいり加工かこう彙編而成。ひだりおかあきら可能かのう參與さんよりょう其中てき工作こうさく

國語こくごゆう註文ちゅうもんひがしかんてきてい賈逵注解ちゅうかい國語こくご》,さん國時くにときてきおうてきおそれこぼしとうかた韋昭すすむてきあなあきらとう也有やゆう註文ちゅうもんただし散佚さんいつただゆう韋昭《國語こくごかいどくそん

からだれい

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國語こくご全書ぜんしょども21かん,按照一定いってい順序じゅんじょぶんこく排列はいれつざい內容じょう偏重へんちょう記述きじゅつ歷史れきし人物じんぶつてき言論げんろん。這是國語こくごたいれいじょう最大さいだいてきとくてん

  • しゅう〉3かん
  • 〈魯語〉2かん
  • ひとし〉1かん
  • すすむ〉9かん
  • てい〉1かん
  • すわえ〉2かん
  • くれ〉1かん
  • えつ〉2かん

敘事とくてん

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國語こくご》敘事“しげるかぶらづる衍”[9]つね集中しゅうちゅういくけん事件じけん以渲しみぞう添細ぶし如《ひだりでんてき文字もじ簡潔かんけつあらい[10]。如〈すすむしょ驪姬みだれすすむぶんこうてき流亡りゅうぼう甚為ほそ曲折きょくせつ[11]さきしん典籍てんせきちゅう,《國語こくご》受到てき批評ひひょう甚多[12]

國語こくござい內容じょうゆう很強てき倫理りんり傾向けいこうひろあげとくてき精神せいしん尊崇そんすうれいてき規範きはんみとめためれい治國ちこくほん。而且非常ひじょう突出とっしゅつ忠君ちゅうくん思想しそう。一般以為是當時贵族教育中的教材[13]。《國語こくごてき政治せいじかん比較ひかく進步しんぽ反對はんたい專制せんせい腐敗ふはい,《鲁语じょう魯太さとかわ认为暴君ぼうくん逐被杀是ざいゆう应得,具有ぐゆうおもてきみんほん思想しそうただしいん國語こくごちょじゅう记实,思想しそうひょう现也随所ずいしょ记之じんところ记之ごと不同ふどう而各异,较顯驳杂[14]。《くに语·すすむ语》ざいぜんじゅういちへんちゅう独占どくせんきゅうへんとく别侧じゅう于记じゅつすすむぶんこうてきこと迹,しか《吴语》僅记おっとこしかずこく灭亡、《えつ语》仅记勾践灭吴,いん而有人称にんしょうくに语》ためすすむ

國語こくご記事きじあずかひだりでんあいどうしゃゆう60餘事よじ。《國語こくご記錄きろくりょう春秋しゅんじゅう時期じきてき經濟けいざい財政ざいせい軍事ぐんじ兵法ひょうほう外交がいこう教育きょういく法律ほうりつ婚姻こんいん,其他かえ包括ほうかつあさ聘、飨宴、讽谏とう重要じゅうよう事蹟じせき

注釋ちゅうしゃく

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  1. ^ 司馬しば遷在《史記しきじゅう諸侯しょこう年表ねんぴょうじょせつ:“魯君子くんしひだり邱明懼弟子でし人人ひとびと異端いたんかくやす其意,しつ其真,いん孔子こうし史記しきろん其語,なりひだり春秋しゅんじゅう》”,またざい同書どうしょふとしおおやけ自序じじょげん:“ひだりおか失明しつめい,厥有《國語こくご》”。
  2. ^ はんあやきさき汉书·はんあや传》指出さしで:“ていあい间,鲁君子くんしひだりおかあきら论集其文,さくひだり传》さんじゅうへん;またせん异同ごうくに语》,じゅういちへん”。
  3. ^ はんかたざい《汉书·马迁传》ちゅう说:“孔子こうしいん《鲁史记》而作《春秋しゅんじゅう》,而左おかあきら论辑其本ごと以为传,また纂异どう为《くに语》。”《汉书·艺文こころざししょうくに语》ちょ录为“ひだりおかあきらせん”。
  4. ^ りゅうともいくどおり·ろくいえ》曰:“ひだりおかあきらすんで为《春秋しゅんじゅうない传》,また稽其逸文いつぶん,纂其别说,……れつ为《春秋しゅんじゅうがい传国语》,ごうじゅういちへん,其文以方ない传,ある重出じゅうしゅつ而小异。”
  5. ^ 《汉书りつ历志》引《くに语楚语下》“しょうひろしおとろえ”及《しゅう语下》“颛顼ところけんとう语称《春秋しゅんじゅうがい传》,《论衡あん书》またうん:“《くに语》,《ひだりこれがい传也。”。
  6. ^ 姚際つね古今ここん偽書ぎしょこう
  7. ^ あきら公武こうぶぐん斋读书志》引陆淳春秋しゅんじゅうほえ赵集传纂れい卷一けんいち《赵氏损益义第てき话说,《くに语》“あずかひだり传》文体ぶんたい伦,てい一人ひとりしょ为”。也说,《くに语》“其辞えだかのうわかうち传》简单たかしけん,甚者驳杂类,如出”。ちぇじゅつ《洙泗こうしんあまり录》说:“且《くに语》しゅう、鲁(《しゅう语》かず《鲁语》)多平たへい衍,すすむすわえとんが颖,吴、こしほしいままそくくに语》また一人ひとりこれしょ为也。”
  8. ^ 《陔余くさむらこう
  9. ^ やなぎはじめもとくに语跋》:“吴越こと无他焉,举一こくあし以尽,而反ぶんへん,务以相乘そうじょう,凡其しげる芜蔓衍者甚重,背理はいりみち,以务とみ其语。”
  10. ^ ちぇじゅつ《洙泗こうしんあまり录》说:“《ひだり传》ぶん年月としつき井井せいせいこと实录。而《くに语》荒唐こうとう诬妄,あい矛盾むじゅんしゃ甚多。《ひだり传》纪事简洁,措词またからだよう;而《くに语》ぶん词支づる,冗弱无骨,だん不出ふしゅつ于一人之手明甚。”
  11. ^ 顧頡つよし:《なみこうむら隨筆ずいひつ》,「すすむぶんおかせ曹伐まもるゆえじょうぺーじ152。
  12. ^ やなぎはじめもとくに语》うん:“其说诬淫,がい于圣。”しゅ熹《朱子しゅし语类》まきはちさん:“《くに语》使つかいじん厌看。”ちぇじゅつ《洙泗こうしん录余录》しょう荒唐こうとう诬妄,あい矛盾むじゅん”、“ぶん词支づる,冗弱无骨”。
  13. ^ くに语·すわえ语》载楚大夫たいふさる叔时これ:“教之のりゆき春秋しゅんじゅう》,而为耸善而抑恶焉,以戒劝其しん……教之のりゆき《语》,使つかいあかり其德,而知先王せんおう务,よう明德めいとく于民也。”
  14. ^ 韦昭说《くに语》“つつみ罗天さがせ测祸ぶく,发起かそけほろしょうひょうぜん恶者,あきらしか甚明,实与经义并陈,とく诸子论也。”

參考さんこう書目しょもく

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  • 顧頡つよし:《なみこうむら隨筆ずいひつ》(瀋陽しんよう遼寧りょうねい教育きょういく出版しゅっぱんしゃ,1998),「すすむぶんおかせ曹伐まもるゆえじょうぺーじ151-152。
  • 薛安つとむおうれんせい國語こくご譯注やくちゅう》,吉林きつりんぶん出版しゅっぱんしゃ,1991ねん ISBN 780626138
  • ただしたてあきら國語こくご譯注やくちゅうべん析》,暨南大學だいがく出版しゅっぱんしゃ,1993ねん
  • 中国ちゅうごく传媒大学だいがくしん闻传播学ぶんよう览》,中国ちゅうごく传媒大学だいがく出版しゅっぱんしゃ,2006ねん

延伸えんしん阅读

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  ざい维基ぶん阅读ほん作品さくひん原文げんぶん  ざい维基どもとおる资源阅览影像えいぞう
 國語こくご (よん全書ぜんしょほん)
 國語こくご (よんくさむら刊本かんぽん)
 欽定きんてい古今ここん圖書としょ集成しゅうせい·理學りがく彙編·經籍けいせきてん·こく語部かたりべ》,出自しゅつじ陈梦かみなり古今ここん圖書としょ集成しゅうせい

外部がいぶ链接

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