寻阳县或ある浔阳县,中国ちゅうごく古ふる县名な。
西にし汉汉文帝みかど十じゅう六ろく年ねん(前ぜん164年ねん)在ざい长江以北いほく的てき今こん天てん湖北こほく省しょう黄梅おうばい县设立寻阳县(或ある浔阳县),隶属庐江郡ぐん。其名称めいしょう来き自じ当地とうち的てき一いち条じょう河かわ流りゅう浔水。西にし晋すすむ永えい兴元年がんねん(304年ねん)江北こうほく的てき浔阳和江わえ南みなみ的てき柴しば桑くわ县合ごう并为寻阳郡ぐん,郡こおり治おさむ柴しば桑くわ,隶属江え州しゅう。东晋义熙八はち年ねん(412年ねん),寻阳县省入にゅう柴しば桑くわ县。
之これ后きさき浔阳逐渐被ひ指ゆび為ため江南えな的てき今こん天てん的てき江西えにし省しょう九きゅう江え市し,而不是ぜ早はや先さき的てき江北こうほく。唐から朝あさ武德ぶとく四よん年ねん(621年ねん)改あらため湓城县置おけ浔阳县,治ち所しょ在ざい今江いまえ西にし省しょう九きゅう江え市し。今こん天てん的てき九きゅう江え市し简称“浔”,有ゆう浔阳区く。