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江州 (西晉) - 维基百科,自由的百科全书

しゅう (西にしすすむ)

しゅう中國ちゅうごく西にしすすむどきいたり元朝がんちょうどきてきしゅう早期そうきはば员广袤,包括ほうかつこんてん江西えにししょう福建ふっけんしょうてき大部おおぶかず浙江せっこうしょうてきいち部分ぶぶん南朝なんちょう後期こうき轄境縮小しゅくしょうずいあさ以後いご轄境僅限於今てん江西えにししょうきゅう一帶いったい

しゅう
西にしすすむいたり元朝がんちょうてきしゅう
291ねん-607ねん

617ねん-742ねん

758ねん-1277ねん
人口じんこう 
• 464ねん
52033,377147くち[1]
• 639ねん
6360,25599くち[2]
• 1102ねん
84569,138590くち[3]
歷史れきし
歷史れきし 
• 成立せいりつ
291ねん
• 废除
1277ねん
继承
きゅうぐん
潯陽ぐん
こうしゅう
こんぞく 中国ちゅうごく江西えにししょう浙江せっこうしょう福建ふっけんしょう

沿革えんかく

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すすむあさ

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西にしすすむ元康もとやす元年がんねん(291ねん),以荊、あげ二州疆土廣遠,みつるゆうなんふんあげしゅうななぐんあきらこく鄱阳ぐん庐陵ぐん临川ぐんみなみやすしぐんたてやすしぐんすすむやすぐんあずか荆州さんぐんたけあきらぐんかつら阳郡安成やすなりぐんごうじゅうぐんおけしゅうあきらこくみなみあきらけんいま江西えにししょうみなみあきら)。しゅうがかりいんすいめい而來。永興りょうご元年がんねん(304ねん),ふんあげしゅういおりぐんしゅうたけあきらぐんおけひろぐんぞくしゅうえいよしみ元年がんねん(307ねん),かつらようぐんあらためぞく湘州

あずますすむときしゅうなる为军ごとじゅう镇,僑置しん蔡郡咸康ろくねん(340ねん),しゅう遷至ひろぐんしばくわけんいま江西えにししょうきゅう西南せいなん)。永和えいわ元年がんねん(345ねん),しゅう遷回みなみあきらひさまた遷至しばくわ[4]

南朝なんちょう

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南朝なんちょうそうこうけん元年がんねん(454ねん),たけあきらぐんあらためぞく郢州いたり此,しゅうりょうじゅうぐんひろぐんあきらぐん鄱阳ぐん庐陵ぐん临川ぐんみなみやすしぐんたてやすしぐんすすむやすぐん安成やすなりぐん南新みなみしん蔡郡

南朝なんちょうはりてんかんなか(502ねん-519ねん),ふんすすむやすぐんおけみなみやすぐん普通ふつうねん(524ねん),たてやすしぐんあらためぞくひがしあげしゅう大通だいつうねん(528ねん),ふんあきら、庐陵、临川さんぐんおけともえさんぐんこうぶんひろぐん僑置ふとしはらぐんうけたまわきよし元年がんねん(552ねん),临川ぐんあらためぞくやすししゅううけたまわせいねん(553ねん),鄱陽ぐんあらためぞくくれしゅう太平たいへい元年がんねん(556ねん前後ぜんこうふんあきらぐんおけやすしぐん安成やすなりともえさんやすしさんぐんあらためぞく高州たかすあきらぐんしんくれけん等地とうちあらためぞく南江なみえしゅう太平たいへいねん(557ねん),ひろふとしはらひとしぐんあらためぞく西にししゅうしゅう徙治みなみあきら同年どうねん南江なみえしゅう西にししゅう入江いりえしゅういたり此,しゅうりょうななぐんひろぐんあきらぐん庐陵ぐんみなみやすしぐんすすむやすぐんみなみやすぐんふとしはらぐん

南朝なんちょうひねはつしゅう徙治ひろぐんしばくわけん湓口じょういま江西えにししょうきゅう潯陽)。てんよしみよんねん(563ねん),はい高州たかす,其所りょう臨川りんせん安成やすなり安樂あんらくともえさんこうゆたかやすし六郡改屬江州。ひかりだいねん(568ねん),すすむやすみなみやすぐんあらためぞくゆたかしゅうはいくれしゅう,其所りょう鄱阳ぐんかえぞくしゅうふとしけんねん(573ねん),きたとくひとしあきらぐんしん蔡郡こうとうぐんすすむ熙郡ぞくしゅうふとしけんはちねん(576ねん),ふんしゅうすすむ熙、しん蔡、こうとうさんぐんおけすすむしゅうふとしけんじゅういちねん(581ねん),ひとしあきらぐん失陷しっかんいたり此,しゅうりょうじゅうぐんひろぐんあきらぐん庐陵ぐんみなみやすしぐん鄱阳ぐん临川ぐん安成やすなりぐん安樂あんらくぐんともえさんぐんこうゆたかぐんやすしぐんふとしはらぐん[4]

ずいあさ

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ずいだい行政ぎょうせい划变遷
ひらきすめらぎ元年がんねん 大業おおわざ3ねん
しゅう しゅう ぐん 鄱陽ぐん
ぐん 鄱陽ぐん 鄱陽县 弋陽县
鄱陽县 广晋县 ぎんじょう
あんひとし うえにょう
かずら

ずいあさひらきすめらぎきゅうねん(589ねんめつひねはいぐんふんしゅうおけひろししゅうゆえあきらぐん部分ぶぶんやすしぐんこうゆたかぐんともえさんぐん部分ぶぶん)、よししゅうゆえ庐陵ぐん安樂あんらくぐん安成やすなりぐん部分ぶぶん)、袁州ゆえ安成やすなりぐん部分ぶぶんあきらぐん部分ぶぶん)、けんしゅうゆえみなみやすしぐん)、なでしゅうゆえ临川ぐんともえさんぐん部分ぶぶん)、にょうしゅうゆえ鄱阳ぐん);はいひろぐんためひろけんふとしはらぐんためりゅうぐすくけんけん直屬ちょくぞくしゅうしゅう辖境縮小しゅくしょういたこんてん江西えにししょうきゅうとくやす彭泽县みずうみこうみやこあきら等地とうち

ひらきすめらぎじゅうはちねん(598ねん),あらためひろけんため彭蠡けんりゅうぐすくけんため彭澤けん大業おおわざさんねん(605ねん),あらためしゅうためきゅうぐん彭蠡けんため湓城けん[5]

すわえ太平たいへい元年がんねん(617ねん),あらためきゅうぐんためしゅう同年どうねんこうはりしゅうしも辖湓じょう、彭澤县。

からあさ

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からあさ武德ぶとくよんねん(621ねん),佔領しゅうふん湓城けんおけ潯陽けんしゅう仍為潯陽けん湓口じょういま江西えにししょうきゅう潯陽)。武德ぶとくねん(622ねん),ふん湓城けんおけすわえぐすくけんいま江西えにししょうきゅう庐山赛阳镇荆林がい),ふん彭澤けんいま江西えにししょう彭澤けん瀼溪镇かず团村)おけらくぐすくけんいま江西えにししょう彭澤けん岭乡きゅう县街)、みやこあきらけんいま江西えにししょうみやこあきらけん蔡岭镇ほら门口むら),彭澤、らくじょうみやこ昌三しょうぞうけんあらためぞくひろししゅう武德ぶとくはちねん(625ねん),はいひろししゅう,彭澤(らくじょう併入)、みやこあきら二縣還屬江州;湓城けん併入潯陽けんさだかんはちねん(634ねん),すわえぐすくけん併入潯陽けんいたり此,しゅうりょうさんけん:潯陽、彭澤、みやこあきら

天寶てんぽう元年がんねん(742ねん),あらためしゅうため潯陽ぐん至德しとく(757ねん),ふん彭澤けん鄱陽ぐん鄱陽けんせんじょうぐんあきうらけんおけ至德しとくけんいま江西えにししょう东至县尧渡镇うめじょう),ぞく潯陽ぐんいぬいはじめ元年がんねん(758ねん),ふく潯陽ぐんためしゅう至德しとくけんあらためぞくにょうしゅう[6]

みなみくれじゅんよしななねん(927ねん),ふん潯陽けんおけとくやすけんみなみとうのぼりはじめ元年がんねん(937ねん),あらため潯陽けんため德化とっかけんのぼりもとさんねん(939ねん),ふん德化とっかけんおけみずあきらけんだいななねん(949ねん前後ぜんこうふん德化とっかけんおけみずうみこうけんだいじゅういちねん(953ねん),ふん彭澤けんおけひがしりゅうけんいたり此,しゅうりょうななけん德化とっかとくやすみずあきらみずうみこう、彭澤、みやこあきらひがしりゅう[7]

そうはじめ

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きたそうひらきたからはちねん(975ねん),ひらた江南こうなん年取としとりしゅうぞく江南こうなん太平たいへい興國こうこくさんねん(978ねん),ふんみやこあきらけんおけ星子ほしこけんひがしりゅうけんあらためぞく池州いけす太平たいへい興國こうこくななねん(982ねん),みやこあきら星子ほしこけんあらためぞくみなみやすしぐん咸平さんねん(1000ねん),析置こうやすしかんいたり此,しゅうりょうけんいちかん德化とっかとくやすみずあきらみずうみこう、彭澤、こうやすしかん

てんよんねん(1020ねん),ふん江南こうなんためりょうみちしゅうぞく江南こうなん東路あずまじみなみそうけんえんよんねん(1130ねん),ごうりょうみちため一路いちろしゅうぞく江南こうなん紹興しょうこう元年がんねん(1131ねん),ふん江南こうなんためりょうみちしゅうぞくこう南西なんせい[8]

元朝がんちょういたりもとじゅうねん(1275ねん),佔領しゅういたりもとじゅうよんねん(1277ねん),ますしゅうためこうしゅう[9]

長官ちょうかん

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すすむ朝江あさえしゅう刺史しし(291ねん-420ねん
りゅうそうしゅう刺史しし(420ねん-479ねん
みなみひとししゅう刺史しし(479ねん-502ねん
みなみはりしゅう刺史しし(502ねん-557ねん
ちん朝江あさえしゅう刺史しし(557ねん-589ねん
ずい朝江あさえしゅう刺史しし(589ねん-607ねん
から朝江あさえしゅう刺史しし(621ねん-742ねん,758ねん-907ねん
宋朝そうちょう知江ともえしゅうぐんしゅうごと(975ねん-1275ねん
元朝がんちょう知江ともえしゅうごと(1275ねん-1277ねん

まいり

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參考さんこう文獻ぶんけん

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1、嵩山すせ ぬしへん 廣東かんとん教育きょういく出版しゅっぱんしゃ中國ちゅうごく歷史れきし地名ちめいだい辭典じてん』(1995ねん5がつだいいちはん) 2、あまりちょ 北京ぺきん大学だいがく出版しゅっぱんしゃ 《东晋门阀政治せいじ》(2012ねん5がつだいはん

  1. ^ そうしゅうぐんこころざし
  2. ^ きゅうから地理ちりこころざし
  3. ^ そうふみ地理ちりこころざし
  4. ^ 4.0 4.1 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·三國兩晉南朝卷》
  5. ^ 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·ずいだいまき
  6. ^ 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·とうだいまき
  7. ^ 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·だいじゅうこくまき
  8. ^ 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·そう西にしなつまき
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  11. ^ すすむしょ·まきよん·みかどだいよん
  12. ^ せつ新語しんご·儉嗇だい⼆⼗きゅうりゅうたかし標注ひょうちゅう引《えいよしみりゅう⼈名》
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  14. ^ 三國志さんごくし·まきじゅうはち·しょじゅうはち·二李臧文呂許典二龐閻傳第十八》裴註引王かくれすすむしょ
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  17. ^ 17.0 17.1 すすむしょ·まきなな·みかどだいなな
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  19. ^ すすむしょ·まきろくじゅうろく·列傳れつでんだいさんじゅうろく
  20. ^ すすむしょ·まきななじゅうさん·列傳れつでんだいよんじゅうさん
  21. ^ 21.0 21.1 すすむしょ·まきはちじゅう·列傳れつでんだいじゅう
  22. ^ すすむしょ·まきななじゅうろく·列傳れつでんだいよんじゅうろく
  23. ^ すすむしょ·まききゅうじゅうさん·列傳れつでんだいろくじゅうさん
  24. ^ すすむしょ·まきななじゅうきゅう·列傳れつでんだいよんじゅうきゅう
  25. ^ すすむしょ·まきはち·みかどだいはち
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  28. ^ すすむしょ·まきはちじゅうよん·列傳れつでんだいじゅうよん
  29. ^ 29.0 29.1 29.2 すすむしょ·まききゅうじゅうきゅう·列傳れつでんだいろくじゅうきゅう
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  31. ^ 31.0 31.1 そうしょ·まきよんじゅうなな·列傳れつでんだいなな
  32. ^ そうしょ·まきじゅう·列傳れつでんだいじゅう
  33. ^ すすむしょ·まきじゅう·みかどだいじゅう
  34. ^ そうしょ·まきよんじゅう·列傳れつでんだい
  35. ^ そうしょ·まきよんじゅう·列傳れつでんだい
  36. ^ そうしょ·まき·本紀ほんぎだい
  37. ^ そうしょ·まきろく·本紀ほんぎだいろく
  38. ^ そうしょ·まきなな·本紀ほんぎだいなな
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  49. ^ はりしょ·まき·本紀ほんぎだい
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  75. ^ そう·まきじゅうろく·本紀ほんぎだいじゅうろく·だかむねさん
  76. ^ そう·まきじゅうなな·本紀ほんぎだいじゅうなな·だかむねよん
  77. ^ そう·まきよんひゃくよんじゅう·列傳れつでんだいひゃくよん·文苑ぶんえんなな
  78. ^ そう·まきよんひゃくじゅう·列傳れつでんだいひゃくいちじゅういち·忠義ちゅうぎなな
  79. ^ そう·まきさんひゃくななじゅうなな·列傳れつでんだいいちひゃくさんじゅうろく
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  91. ^ そう·まきよんひゃく·列傳れつでんだいいちひゃくろくじゅうよん
  92. ^ そう·まきよんじゅう·本紀ほんぎだいよんじゅう·むね
  93. ^ そう·まきよんひゃくいちじゅうよん·列傳れつでんだいいちひゃくななじゅうさん
  94. ^ そう·まきよんひゃくじゅう·列傳れつでんだいいちひゃくはちじゅうよん
  95. ^ そう·まきよんじゅうよん·本紀ほんぎだいよんじゅうよん·むねよん
  96. ^ そう·まきよんじゅう·本紀ほんぎだいよんじゅう·むね
  97. ^ もと·まきはち·本紀ほんぎだいはち
  98. ^ もと·まききゅう·本紀ほんぎだいきゅう