小しょう姬ひめ(1585年ねん?—1591年ねん8月がつ27日にち),德川とくがわ秀忠ひでただ的てき正室せいしつ。織田おだ信雄のぶお(北畠きたばたけ信しん意い)的てき長女ちょうじょ、豊臣とよとみ秀吉ひでよし(羽柴はしば秀吉ひでよし)的てき養女ようじょ[1]。生母せいぼ是ぜ北畠きたばたけ具ぐ教きょう的てき女おんな儿。
据すえ推測すいそく,天正てんしょう12年ねん(1584年ねん),小牧こまき、長久手ながくて之これ戰せん后きさき,成なり为秀吉きち养女。天正てんしょう18年ねん(1590年ねん)1月がつ11日にち(一いち说21日にち),与あずか德川とくがわ秀忠ひでただ结婚[2]。一説いっせつ秀忠ひでただ12岁、小しょう姬ひめ6岁。父ちち信雄のぶお与あずか秀吉ひでよし不和ふわ,最さい后きさき離はなれ缘。天正てんしょう19年ねん(1591年ねん)七なな月がつ初はつ九きゅう去さ世よ,享年きょうねん不ふ詳しょう(一説いっせつ7岁)。