三さん少すくな,又また称たたえ三さん孤こ,古代こだい对少师、少しょう傅でん、少しょう保ほ的てき合ごう称しょう。
西にし周あまね置おけ少しょう师、少しょう傅でん、少しょう保たもて,为三公みつきみ(太ふとし师、太ふとし傅でん、太ふとし保ほ)的てき辅官,后きさき逐渐成なり为虚衔,用よう于加封ふう重臣じゅうしん。
秦はた汉不设,而且以太ふとし尉じょう、丞相じょうしょう(司つかさ徒と)、御ご史し大夫たいふ(司つかさ空そら)为三公こう。北きた周あまね置おけ六ろく官かん制度せいど,少しょう师、少しょう傅でん、少しょう保たもて,为大臣だいじん加か官かん,位い尊みこと无职,正せい八はち命いのち。
隋ずい唐とう五代至宋前期不设,宋そう徽宗政和せいわ二に年ねん(1112年ねん),以太师、太ふとし傅でん、太ふとし保ほ为三さん公おおやけ,三さん孤こ作さく为辅相しょう。宣せん和わ元年がんねん(1119年ねん)之の后きさき,作さく为勋臣しん加か官かん,正せい一品いっぴん。南みなみ宋そう沿置,辽朝为南面なんめん官かん,金かね朝あさ、元朝がんちょう不ふ置おけ,明朝みょうちょう初年しょねん为皇帝こうてい辅弼,建けん文ぶん帝みかど废除,明仁あきひと宗むね重じゅう新しん设置,作さく为勋戚大臣だいじん的てき加か官かん、赠官,从一いち品ひん官かん。清朝せいちょう延のべ续明朝あさ制度せいど,三さん孤こ为从一いち品ひん。
东宫有ゆう太子たいし少しょう师、太子たいし少しょう傅でん、太子たいし少しょう保たもて,被ひ称しょう为东宫三さん少しょう。