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二十等爵 - 维基百科,自由的百科全书

じゅうとう

重定しげさだこうひだり庶长

じゅうとう中國ちゅうごく古代こだいてきいちしゅ重要じゅうよう爵位しゃくい制度せいど起源きげん戰國せんごく時期じきてきはたこく西にしかんどきちゅう下層かそう爵位しゃくいてき性質せいしつよし軍功ぐんこう爵轉ため普通ふつうてき吏民爵,きたそう以後いご徹底てってい消失しょうしつ

爵制沿革えんかく

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はた

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一般いっぱんみとめため十等爵起設自はたこくてきしょう鞅变ほう,以賞軍功ぐんこうきょうしつらえじゅう级,まいいちきゅうみやこゆう相應そうおうてき經濟けいざい待遇たいぐう。临战,斩敌くびいち级,のりしょういちきゅう益田ますだ一頃ひところえきたくきゅううね[1]はたはじめすめらぎときあらためてっこうため列侯れっこう內侯ためりんこう[2]西にしかんあらためかい舊稱きゅうしょうよりどころ高敏たかとし,《はたかん論集ろんしゅうちゅうはたてきたまもの制度せいどためしさがせ》,「ちゅうさら」(さらおとろう」)[3]、「みぎさら出現しゅつげん於商鞅死,「關内せきうちこう出現しゅつげん統一とういつまえ,「大上おおかみづくりのり出現しゅつげんざい統一とういつ爵者そくしょうため」,十等爵以賞軍功為主,ただし也有やゆう例外れいがい,如《史記しき·はたはじめすめらぎ本紀ほんぎ:遷北かわ榆中さんまんいえはい爵一きゅう

かん

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西にしかんとき可能かのう为了保持ほじ社会しゃかいてき稳定,继承りょうしんてき爵位しゃくい十等爵分為三個階層,高層こうそうためてっこうじゅうきゅう)、せき內侯じゅうきゅうきゅう),中層ちゅうそうためきょうじゅうはちきゅうじゅうきゅう),低層ていそうため大夫たいふきゅうきゅう以下いか[4]十等爵之上設有諸侯しょこうおうかんたけみかどときいん避諱改稱かいしょうてっこうためつうこう”,またたたえ列侯れっこう[5]したがえ西にしかん開始かいし皇帝こうてい經常けいじょうたい百姓ひゃくしょう進行しんこうたまもの爵,ただし爵不とく超過ちょうかこうじょう[6]。汉初朝廷ちょうてい赏赐爵位しゃくいてきどう时根すえ爵位しゃくいとう级授不同ふどう大小だいしょうてき田和たわたく[7]

ひがしかんとき列侯れっこうはじめぶんためけんこうさとこうちんこうさんとうかんけんじみかどたてやすしじゅうねん(215ねん),曹操そうそうたい十等爵制進行了改革,しょうばららいてきじゅう八級到十五級爵位分別改為名號みょうごうこうせきちゅうこうせきそとこう大夫たいふ,以賞軍功ぐんこう[8]

すすむ南朝なんちょう

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すすむ南朝なんちょううけたまわかさねじゅうとう爵制,皇帝こうてい經常けいじょうたい百姓ひゃくしょう進行しんこうたまもの爵。もとみかど咸熙元年がんねん(264ねん),設置せっち五等爵ごとうしゃく於王爵之じゅうとう爵之じょう[9]

北朝ほくちょういたそう

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きたたかし孝文たかふみみかど推行孝文たかふみかん改革かいかくざい華北かほく恢復かいふくりょうたい百姓ひゃくしょうてきたまもの制度せいど[10]きたたかし以後いごたまもの制度せいどややおとろえからあさときやめしょうため爵”[11][12]きたそう以後いご徹底てってい消失しょうしつ

じゅうとう爵表

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爵級 はた爵名 かん爵名[13] かんはつ受田[14] かんはつ受宅基地きち[15] かんまつすすむ南朝なんちょう爵名[8] 北朝ほくちょうずいからそう爵名[10][16]
いちきゅう おおやけ おおやけ 1.5ころ 1.5たく おおやけ おおやけ
きゅう うえづくり うえづくり 2ころ 2たく うえづくり うえづくり
さんきゅう かんざし かんざし 3ころ 3たく かんざし まちこう
よんきゅう さら さら 4ころ 4たく さら まちこう
きゅう 大夫たいふ 大夫たいふ 5ころ 5たく 大夫たいふ まちこう
ろくきゅう かん大夫たいふ かん大夫たいふ 7ころ 7たく かん大夫たいふ まちこう
ななきゅう おおやけ大夫たいふなな大夫たいふ おおやけ大夫たいふ 9ころ 9たく おおやけ大夫たいふ まちこう
はちきゅう おおやけじょう おおやけじょう 20ころ 20たく おおやけじょう まちこう
きゅうきゅう 大夫たいふ 大夫たいふ 25ころ 25たく まちこう まちこう
じゅうきゅう ひだり庶長 ひだり庶長 74ころ 74たく まちこう まちこう
じゅういちきゅう みぎ庶長 みぎ庶長 76ころ 76たく まちこう まちこう
じゅうきゅう ひだりさら ひだりさら 78ころ 78たく まちこう まちこう
じゅうさんきゅう ちゅうさら ちゅうさら 80ころ 80たく まちこう まちこう
じゅうよんきゅう みぎさら みぎさら 82ころ 82たく まちこう まちこう
じゅうきゅう しょううえづくり しょううえづくり 84ころ 84たく 大夫たいふ
じゅうろくきゅう だい良造りょうぞう 大上おおがみづくり 86ころ 86たく せきそとこう
じゅうななきゅう しゃ庶長 しゃ庶長 88ころ 88たく せきちゅうこう
じゅうはちきゅう だい庶長 だい庶長 90ころ 90たく 名號みょうごうこう
じゅうきゅうきゅう 內侯りんこう[2] せき內侯 95ころ 95たく せき內侯
じゅうきゅう てっこうつうこう)→列侯れっこう[2] つうこう列侯れっこう[5] 105たく 列侯れっこう

繼承けいしょうほう

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ちょう家山いえやまかんねん律令りつりょう·おけりつ中有ちゅううたい十等爵繼承法的詳細規定。[4]

てっこうじゅうきゅう)、せき內侯じゅうきゅうきゅうひとし原級げんきゅう世襲せしゅうてっこうてきだい一到第三順位繼承人分別為嫡子、孺子じゅし良人りょうじんせき內侯てきだい一到第三順位繼承人分別為嫡子、しも妻子さいしへん妻子さいし

若死わかじにしゃぞく於正つね死亡しぼうきょうじゅうはちきゅうじゅうきゅうてきひとしくだかさねためおおやけじょう大夫たいふきゅうきゅういたかんざし裊(さんきゅうひとしくだりょうきゅう世襲せしゅううえづくりきゅうあずかおおやけ一級いっきゅう不可ふか世襲せしゅうだい一到第三順位繼承人分別為嫡子、しも妻子さいしへん妻子さいし若死わかじにしゃいん公事こうじ而亡,其爵そく一律原級承襲,爵者てき繼承けいしょうしゃためおおやけだい一到第十順位繼承人分別為子、おんなちちはは兄弟きょうだい、姊妹、つま祖父そふ祖母そぼ戶中とちゅう同居どうきょしゃ

印綬いんじゅかんむりふく

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かん

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爵級[8][17] 爵名 しるし かんむり
じゅうきゅう 列侯れっこう きむしるしかめぼたん 紫綬しじゅ すすむけんさんはりかんむり
じゅうきゅうきゅう せき內侯 きむしるしかめぼたん 紫綬しじゅ すすむけんはりかんむり
じゅうはちきゅう 名號みょうごうこう きむしるしかめぼたん 紫綬しじゅ すすむけんはりかんむり
じゅうななきゅう せきちゅうこう きむしるしかめぼたん 紫綬しじゅ すすむけんはりかんむり
じゅうろくきゅう せきそとこう どうしるしかめぼたん ぼく すすむけんはりかんむり
じゅうきゅう 大夫たいふ どうしるしたまきぼたん ぼく すすむけんはりかんむり

南朝なんちょう

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爵級[18][19] 爵名 しるし かんむり ふく
じゅうきゅう 列侯れっこう きむしるしかめぼたん 紫綬しじゅ すすむけんさんはりかんむりすすむけんはりかんむり ちょうふく
じゅうきゅうきゅう せき內侯 きむしるしかめぼたん 紫綬しじゅ すすむけんはりかんむり ちょうふく
じゅうはちきゅう 名號みょうごうこう きむしるしかめぼたん 紫綬しじゅ すすむけんはりかんむり ちょうふく
じゅうななきゅう せきちゅうこう きむしるしかめぼたん 紫綬しじゅ すすむけんはりかんむり ちょうふく
じゅうろくきゅう せきそとこう ぎんしるし珪鈕 あお すすむけんはりかんむり ちょうふく

たまもの事件じけんれつひょう

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はたちょう

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在位ざいい皇帝こうていおう たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
はた王政おうせい よんねんぜん243ねん 天下てんか疫。百姓ひゃくしょう內粟せんせきはい爵一きゅう[20]
きゅうねんぜん238ねん せん咸陽,斬首ざんしゅすうひゃくみなはい爵,及宦しゃみなざい戰中せんちゅうまたはい爵一きゅう[20]
及奪爵遷しょくよんせんいえ家房かぼうりょう[20]
じゅうねんぜん235ねん 文信ふみのぶこう韋死,竊葬。其舍じん臨者,すすむじん也逐しんじんろくひゃくせき以上いじょうだつ爵,遷;ひゃくせき以下いか臨,遷,勿奪爵。[20]
はたはじめすめらぎ じゅうななねんぜん220ねん これさいたまもの爵一きゅう[20]
さんじゅうねんぜん212ねん いんさんまんいえうらら邑,まんいえくもみなふくことじゅうさい[20]
えき发谪徙边。[20]〈【しゅうかいじょひろ曰:「おもてうん徙於北河きたがわ、榆中,たいさんしょはい爵一きゅう。」〉[21]
さんじゅうろくねんぜん211ねん 遷北かわ榆中さんまんいえはい爵一きゅう[20]

西にしかん

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
かんだかみかど ねんがつにちぜん205ねん3がつ4にち ほどこせおんとくたまものみん[22]
ねんがつぜん202ねん ぐん吏卒かい赦,其亡ざい而亡爵及不滿ふまん大夫たいふしゃみなたまもの爵為大夫たいふ大夫たいふ以上いじょうたまもの爵各いちきゅう,其なな大夫たいふ以上いじょうみなれいしょく邑,なな大夫たいふ以下いかみなふく其身及戶,勿事[23]
じゅうねんがつぜん195ねん つばめ吏民有罪ゆうざい也,たまもの其吏ろくひゃくせき以上いじょう爵各いちきゅうあずかたがね去來きょらいしゃ,赦之,爵亦いちきゅう[23]
かんめぐみみかど じゅうねんがつじゅうななにちぜん195ねん6がつ23にち たまものみん爵一きゅうちゅうろうろうちゅう滿まんろくさいさんきゅうよんさいきゅう外郎ういろう滿まんろくさいきゅうちゅうろう不滿ふまんいちさいいちきゅう[24]
元年がんねんじゅうがつぜん194ねん たまものみん爵,いちきゅう[24]
ねんきゅうがつぜん189ねん たまものみん爵,いちきゅう[24]
かんぜんしょうみかど 元年がんねんがつぜん187ねん たまものみん爵,いちきゅう[25]
かんしょうみかど はちねんはるぜん180ねん しょちゅうかん、宦者れいすすむみなたまもの爵關內侯,しょく[25]
漢文かんぶんみかど はちねんうるうきゅうがつじゅうきゅうにちぜん180ねん11月14にち 赦天たまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ,酺にち[26]
元年がんねん正月しょうがつぜん179ねん たまもの天下でんかみん當為とういちち後者こうしゃいちきゅう[26]
かんけいみかど 元年がんねんよんがつぜん156ねん 赦天たまものみんいちきゅう[27]
さんねんろくがつぜん154ねん たまものみんいちきゅう[27]
よんねんろくがつぜん153ねん たまものみんいちきゅう[27]
ななねんよんがつじゅうきゅうにちぜん150ねん6がつ18にち たてにかわひがしおうとおるため皇太子こうたいしたまものみんためちち後者こうしゃいちきゅう[27]
中元ちゅうげんねんよんがつぜん149ねん 赦天たまものみんいちきゅう[27]
ちゅうねんろくがつぜん145ねん 赦天たまものみんいちきゅう[27]
こう元年がんねんさんがつぜん143ねん 赦天たまものみんいちきゅうちゅう千石諸侯相爵右庶長[27]
こうさんねん正月しょうがつぜん141ねん 皇太子こうたいしかんむりたまものみんためちち後者こうしゃいちきゅう[27]
かんたけみかど たてはじめ元年がんねんがつぜん140ねん 赦天たまものみんいちきゅう[28]
もとひかり元年がんねんよんがつぜん134ねん 赦天たまものみんちょう子爵ししゃくいちきゅう[28]
もとかり元年がんねんよんがつじゅういちにちぜん122ねん6がつ1にち たて皇太子こうたいしたまものちゅうせんせき爵右庶長,みんためちち後者こうしゃいちきゅう[28]
もとかなえよんねんじゅうがつぜん114ねん たまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ[28]
もとふう元年がんねんよんがつななにちぜん110ねん5がつ5にち たまもの天下でんかみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ[28]
かんあきらみかど はじめもとねんろくがつぜん82ねん たまものちゅう千石以下至吏民爵各有差[29]
もとおおとりよんねん正月しょうがつにちぜん77ねん2がつ25にち たまものちゅう千石以下及天下民爵[29]
かんせんみかど もとはじめ元年がんねんがつぜん73ねん たまものせんせき諸侯しょこうしょうしもいたりちゅうかん、宦吏、ろくひゃくせき爵,かくゆうひだりさらいたり大夫たいふたまもの天下でんか人爵じんしゃくかくいちきゅうこうしゃきゅう女子じょしひゃくうししゅ[30]
もとはじめねんがつぜん73ねん たまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ[30]
ぶしさんねんよんがつじゅうにちぜん67ねん5がつ24にち たて皇太子こうたいし大赦たいしゃ天下でんかたまもの大夫たいふ爵關內侯,ちゅうせんせき爵右庶長,天下てんか當為とういちち後者こうしゃいちきゅう[30]
元康もとやす元年がんねんさんがつぜん65ねん 其赦天下でんかたまものつとむごと吏中千石以下至六百石爵,ちゅうろう吏至大夫たいふ以上いじょうきゅうみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅたまもの鰥寡孤獨こどくさんろう孝弟こうていちから[30]
元康もとやすねんさんがつぜん64ねん 以鳳すめらぎ甘露かんろくだあつまりたまもの天下でんか吏爵きゅうみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ,鰥寡孤獨こどくだかねん[30]
元康もとやすさんねんはるぜん63ねん たまもの天下でんか吏爵きゅうみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ,鰥寡孤獨こどくだかねん[30]
元康もとやすよんねんさんがつぜん62ねん たまもの天下でんか吏爵きゅうみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅたまものさんろう孝弟こうていりょく帛,にんひき,鰥寡孤獨こどくかくいちひき[30]
かみ元年がんねんさんがつぜん61ねん たまもの天下でんかつとむごと吏爵きゅうみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ,鰥寡孤獨こどくだかねん[30]
かみよんねんがつぜん58ねん 其赦天下でんかたまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ,鰥寡孤獨こどくだかねん[30]
かみよんねんよんがつぜん58ねん 潁川太守たいしゅ霸以ぎょうゆう秩中せんせきたまもの爵關內侯,黃金おうごんひゃくきん;及潁かわ民有みんゆう行義ゆきよししゃ爵,にんきゅうちからいちきゅう貞婦ていふじゅんおんな[30]
おおとり元年がんねん正月しょうがつぜん57ねん たまもの列侯れっこう嗣子しし爵五大夫たいふ男子だんしためちち後者こうしゃいちきゅう[30]
おおとりさんねんさんがつぜん55ねん たまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅだいにちたまもの鰥寡孤獨こどくだかねん[30]
甘露かんろねん正月しょうがつぜん52ねん たまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ,鰥寡孤獨こどくだかねん[30]
甘露かんろさんねんがつぜん51ねん たまものみんきゅう[30]
かんもとみかど はつもとねん正月しょうがつぜん47ねん たまものくもみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ[31]
はつもとねんよんがつじゅうはちにちぜん47ねん6がつ17にち たて皇太子こうたいしたまもの大夫たいふ爵關內侯,ちゅうせんせきみぎ庶長,天下てんか當為とういちち後者こうしゃいちきゅう列侯れっこうぜにかくじゅうまん大夫たいふじゅうまん[31]
はつもとよんねんさんがつぜん45ねん たまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ,鰥寡だかねん[31]
永光ながみつ元年がんねん正月しょうがつぜん43ねん たまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ高年こうねん[31]
永光ながみつ元年がんねんさんがつぜん43ねん たまものろくひゃくせき以上いじょう爵五大夫たいふつとむごときゅうためちち後者こうしゃみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ,鰥寡孤獨こどくだかねん[31]
永光ながみつねんがつぜん42ねん 大赦たいしゃ天下でんかたまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ,鰥寡孤獨こどくだかねんさんろう孝弟こうていりょく帛,吏ろくひゃくせき以上いじょう爵五大夫たいふ[31]
たてあきらねんさんがつぜん34ねん 其赦天下でんかたまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅさんろう孝弟こうていりょく[31]
竟寧元年がんねん正月しょうがつぜん33ねん 皇太子こうたいしかんむりたまもの列侯れっこう嗣子しし爵五大夫たいふ天下てんかためちち後者こうしゃいちきゅう[31]
かんなりみかど たてはじめさんねんさんがつぜん30ねん たまもの孝弟こうていりょくきゅう[32]
かわひらた元年がんねんさんがつぜん28ねん たまもの天下でんか吏民爵,かくゆう[32]
かわひらたよんねん正月しょうがつぜん25ねん 赦天たまもの孝弟こうていりょくきゅう[32]
おおとりよしみ元年がんねんがつぜん20ねん たまもの天下でんかみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅたまもの鰥寡孤獨こどくだかねん[32]
えいはじめよんねん正月しょうがつぜん13ねん たまものくも吏民爵,女子じょしひゃくうししゅ,鰥寡孤獨こどくだかねん[32]
綏和元年がんねんがつきゅうにちぜん8ねん3がつ20日はつか たまもの諸侯しょこうおう列侯れっこうきん天下てんか當為とういちち後者こうしゃ爵,さんろう孝弟こうていりょく帛,かくゆう[32]
かんあいみかど 綏和ねんよんがつはちにちぜん7ねん5がつ7にち たまもの宗室そうしつ王子おうじゆうぞくしゃかくいち,吏民爵,ひゃくうししゅさんろう孝弟こうていりょく、鰥寡孤獨こどく[33]
けんひらたよんねんがつぜん3ねん たまものちゅう千石至六百石及天下男子爵[33]
かんたいらみかど 元始げんし元年がんねん正月しょうがつ(1ねん たまもの天下でんかみんいちきゅう[34]
元始げんしよんねんがつななにち(4ねん3がつ14にち たまものきゅうきょうやめいたりろくひゃくせき宗室そうしつゆうぞくせきしゃ爵,五大夫以上各有差;たまもの天下でんかみんいちきゅう,鰥寡孤獨こどくだかねん[34]

しんあさ

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
おう はじめ建國けんこく元年がんねん正月しょうがついちにち(9ねん1がつ15にち たまもの吏爵じんきゅうみん爵人いちきゅう女子じょしひゃくひつじしゅ蠻夷ばんい幣帛へいはくかくゆう[35]

ひがしかん

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
かん光武みつたけみかど たてたけしさんねんうるう正月しょうがつじゅうにち(27ねん3がつ16にち たまもの天下でんか長子ちょうし當為とういちち後者こうしゃ爵,にんいちきゅう[36]
たてたけしじゅうきゅうねんがつよんにち(53ねん3がつ10日とおか たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにん[37]
たてたけしさんじゅういちねんがつじゅうにち(55ねん7がつ6にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにんろく[37]
かんあかりみかど たてたけし中元ちゅうげんねんよんがつじゅうよんにち(57ねん6がつ13にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅうさんろう孝悌こうていちから田人たびとさんきゅう;爵過こうじょうとくうつりあずかわかどうさんどうさん;及流じん名數めいすうほしうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇あわにんじゅう[6]
ながひらたさんねんがつじゅうきゅうにち(60ねん4がつ6にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅうさんろう孝悌こうていちから田人たびとさんきゅう流人るにん無名むめいすうよくうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにん[6]
ながひらたじゅうさんねんがつじゅうにち(70ねん6がつ5にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅうさんろう孝悌こうていちから田人たびとさんきゅう流民りゅうみん無名むめいすうよくうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、ひんいえぞく不能ふのう自存じそんしゃあわにんさん[6]
ながひらたじゅうねんよんがつにち(72ねん5がつ9にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんさんきゅうれい天下でんかだいにち[6]
ながひらたじゅうななねんがつにち(74ねん6がつ16にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅうさんろう孝悌こうていちから田人たびとさんきゅう流人るにん無名むめいすうよくうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにんさん[6]
ながひらたじゅうはちねんよんがつじゅういちにち(75ねん5がつ13にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅう,及流民りゅうみん無名むめいすうよくうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇,まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにんさん[6]
かんあきらみかど ながひらたじゅうはちねんじゅうがつにち(75ねん10がつ28にち たまものみん爵,にんきゅうためちち孝悌こうていちから田人たびとさんきゅうだつ無名むめいすう及流じんよくうらないしゃじんいちきゅう,爵過こうじょううつあずかわかどうさん;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにんさん[38]
たてはじめさんねんさんがつにち(78ねん4がつ1にち たまもの爵,にんきゅうさんろう孝悌こうていちから田人たびとさんきゅうみん無名むめいすう流民りゅうみんよくうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにん[38]
たてはじめよんねんよんがつよんにち(79ねん5がつ21にち たまもの爵,にんきゅうさんろう孝悌こうていちから田人たびとさんきゅうみん無名むめいすう及流じんほしうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにん[38]
元和がんわねんがつさんじゅうにち(85ねん7がつ8にち たまもの天下でんか吏爵,にんさんきゅうだかねん、鰥、寡、どく帛,にんいちひき[38]
元和がんわねんきゅうがつじゅうろくにち(85ねん10がつ20日はつか たまものおとこ子爵ししゃくにんきゅう[38]
漢和かんわみかど えいはじめさんねん正月しょうがつじゅうきゅうにち(91ねん2がつ23にち たまものみん爵及あわ帛各ゆうだいにち[39]
えいはじめはちねんがつじゅうきゅうにち(96ねん3がつ29にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅうさんろう孝悌こうていちからさんきゅうみん無名むめいすう流民りゅうみんよくうらないしゃいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにん[39]
えいはじめじゅうねんさんがつじゅうよんにち(100ねん4がつ9にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅうさんろう孝悌こうていちからさんきゅうみん無名むめいすう流民りゅうみんよくうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにんさん[39]
もときょう元年がんねんじゅうがつじゅうにち(106ねん2がつ12にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんきゅうさんろう孝悌こうていちから田人たびとさんきゅうみん無名むめいすう流民りゅうみんよくうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにんさん[39]
かんやすみかど えいはじめさんねん正月しょうがつきゅうにち(109ねん2がつ25にち たまもの男子だんしためちち及三おい孝悌こうていちから爵,にんきゅう流民りゅうみんよくうらないしゃじんいちきゅう[40]
えいはじめろくねんがつじゅうにち(112ねん7がつ5にち ちゅうせん石下いしげいたる黃綬おうじゅ,一切復秩還贖,たまもの爵各ゆう[40]
えいはじめななねんはちがつにち(113ねん8がつ29にち たまものみん[40]
もとはつ元年がんねん正月しょうがつにち(114ねん2がつ23にち たまものみん爵,にんきゅう孝悌こうていちから田人たびとさんきゅう,爵過こうじょうとくうつりあずかわかどうさんどうさんみんだつ無名むめいすう流民りゅうみんよくうらないしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃこくにんさん斛;貞婦ていふ帛,にんいちひき[40]
えい元年がんねんよんがつじゅういちにち(120ねん5がつ24にち たまものみん爵及ぬのあわかくゆう[40]
のべこう元年がんねんさんがつにち(122ねん4がつ24にち たまものみん爵及さんろう孝悌こうていちからにんきゅうたまもの鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにんさん斛;貞婦ていふ帛,にんひき[40]
のべこうさんねんがつじゅうにち(124ねん3がつ26にち たまものおとこ子爵ししゃくにんきゅう[40]
かんじゅんみかど えいけん元年がんねん正月しょうがつにち(126ねん2がつ10日とおか たまものおとこ子爵ししゃくにんきゅうためちちさんろう孝悌こうていちから田人たびとさんきゅう流民りゅうみんほしうらないしゃいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにん斛;貞婦ていふ帛,にんさんひき[41]
えいけんよんねん正月しょうがつじゅういちにち(129ねん2がつ16にち たまもの男子だんし爵及流民りゅうみんよくうらないしゃじんいちきゅうためちちさんろう孝悌こうていちから田人たびときゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそん帛,にんいちひき[41]
よしみ元年がんねん正月しょうがつじゅうはちにち(132ねん3がつ1にち たまもの爵,にんきゅうさんろう孝悌こうていちからさんきゅう,爵過こうじょうとくうつりあずかわかどうさんどうさんみん無名むめいすう流民りゅうみんよくうらない著者ちょしゃじんいちきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにん[41]
永和えいわよんねんよんがつじゅうさんにち(139ねん6がつ6にち たまものみん爵及あわ帛各ゆう[41]
たてやすし元年がんねんよんがつじゅうにち(144ねん6がつ2にち たまもの人爵じんしゃくかくゆう[41]
かんしつみかど えいよしみ元年がんねんがつじゅうよんにち(145ねん4がつ2にち たまもの人爵じんしゃく及粟帛各ゆう[41]
本初ほんしょ元年がんねんろくがつさんにち(146ねん6がつ28にち たまものみん爵及あわ帛各ゆう[41]
かん桓帝 たてかず元年がんねん正月しょうがつはちにち(147ねん2がつ24にち たまもの吏更ろういちさいおとこ子爵ししゃくにんきゅうためちち及三おい孝悌こうていちから田人たびとさんきゅう;鰥、寡、どくあつし𤸇、まずし不能ふのう自存じそんしゃあわにん斛;貞婦ていふ帛,にんさんひき[42]
かんれいみかど けん元年がんねんがつじゅうさんにち(168ねん3がつ18にち たまものみん爵及帛各ゆう[43]
かんけんじみかど たてやすしじゅうねん正月しょうがつじゅうはちにち(215ねん3がつ6にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくにんいちきゅう孝悌こうていちからきゅう[44]

曹魏

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
ぶんみかど はつ元年がんねんじゅういちがついちにち(220ねん12月13にち たまものおとこ子爵ししゃくじんいちきゅうためちち孝悌こうていりょく田人たびときゅう[45]
はつさんねんきゅうがつきゅうにち(222ねん10がつ31にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくじんきゅう;鰥寡あつし癃及まずし不能ふのう自存じそんしゃたまものこく[45]
あかりみかど ふとし元年がんねんじゅういちがつ(227ねん たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくじんきゅう,鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃたまものこく[46]
あおりゅう元年がんねんがつろくにち(233ねん3がつ4にち たまものおとこ子爵ししゃくじんきゅう,鰥寡孤獨こどく今年ことし租賦[46]
けいはつねん十二月じゅうにがつじゅうにち(239ねん2がつ15にち たて皇后こうごうたまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくじんきゅう,鰥寡孤獨こどくこく[46]
もとみかど 景元かげもと元年がんねんろくがつにち(260ねん6がつ27にち たまもの天下でんかおとこ子爵ししゃくじんきゅう,鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃたまものこく[47]

すすむあさ

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
すすむたけみかど やすしはじめ元年がんねんじゅうがつじゅうななにち(266ねん2がつ8にち たまもの天下でんか爵,にんきゅう[48]
すすむやすみかど 元年がんねん正月しょうがつじゅうろくにち(405ねん3がつ3にち たまもの百姓ひゃくしょうきゅう,鰥寡孤獨こどくこくじん斛,だいにち[49]

南朝なんちょうそう

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
そうたけしみかど えいはじめ元年がんねんろくがつじゅうよんにち(420ねん7がつ11にち たまものみんきゅう,鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃにんこく[50]
そうぶんみかど げんよしみじゅうななねんじゅうがつさんにち(440ねん11月14にち 大赦たいしゃ天下でんか文武ぶんぶたまものいちきゅう[51]
そうたかしたけみかど げんよしみさんじゅうねんよんがつじゅうななにち(453ねん5がつ21にち 大赦たいしゃ天下でんか文武ぶんぶたまもの一等いっとう從軍じゅうぐんしゃとう[52]
こうけん元年がんねん正月しょうがつじゅうはちにち(454ねん3がつ14にち たまもの天下でんかためちち後者こうしゃいちきゅう孝子こうしじゅんまご義夫よしお節婦せっぷあわ帛各ゆう[52]
こうけん元年がんねんなながつじゅういちにち(454ねん8がつ31にち 大赦たいしゃ天下でんか文武ぶんぶたまものいちきゅう[52]
大明だいめいねん正月しょうがつじゅうななにち(458ねん2がつ17にち 吏身たまものいちきゅうぐんめんため平民へいみん[52]
大明だいめいよんねん正月しょうがつじゅうにち(460ねん2がつ20日はつか 孝悌こうていじゅんたまもの爵一きゅうろうひんやましにんこくじゅう[52]
大明だいめいろくねん正月しょうがつじゅうにち(462ねん2がつ25にち 大赦たいしゃ天下でんか孝子こうしじゅんまご義夫よしお、悌弟,たまもの爵一きゅう慈姑くわい節婦せっぷ及孤おいろくやましたまものひきこくじゅう[52]
大明だいめいななねんがつじゅうななにち(463ねん3がつ23にち たまものみんいちきゅう女子じょしひゃくうししゅ[52]
そうぜん廢帝はいてい けい元年がんねんじゅういちがつじゅうはちにち(465ねん12月22にち たまものためちち後者こうしゃいちきゅう[53]
そうあきらみかど やすしはじめ元年がんねんじゅうがつななにち(466ねん1がつ10日とおか たまものみん爵二きゅう;鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃにんこく[54]
やすしはじめねんきゅうがつきゅうにち(466ねん10がつ4にち 大赦たいしゃ天下でんかたまものみんいちきゅう[54]
やすしはじめねん正月しょうがつじゅうにち(469ねん2がつ20日はつか 大赦たいしゃ天下でんかたまものりょくいちきゅう[54]
そう廢帝はいてい もとねんじゅういちがつじゅうきゅうにち(474ねん12月14にち たまもの民男たみお子爵ししゃくいちきゅうためちち及三老孝悌力田者爵二級[55]
もとよんねん正月しょうがつきゅうにち(476ねん2がつ20日はつか たまものりょく爵一きゅうかし貧民ひんみんかてしゅ[55]

南朝なんちょうひとし

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
ひとしこうみかど たてはじめ元年がんねんよんがつじゅうさんにち(479ねん5がつ30にち たまものみんきゅう文武ぶんぶしんとう,鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃこくじん[56]
ひとしたけみかど えいあきらよんねんうるう正月しょうがつじゅうにち(486ねん3がつ7にち 孝悌こうていりょくしょう授爵じゅしゃくろう貧窮ひんきゅうたまものこくじゅうせき[57]
えいあきらじゅういちねんよんがつじゅうよんにち(493ねん5がつ16にち たまもの天下でんかためちち後者こうしゃいちきゅう孝子こうしじゅんまご義夫よしお節婦せっぷあわ帛各ゆう[57]
ひとしあきらみかど たてたけし元年がんねんじゅういちがつじゅうはちにち(494ねん12月31にち たまもの天下でんかためちち後者こうしゃ爵一きゅう孝子こうししたがえまご義夫よしお節婦せっぷひろし甄賜あかりあげ[58]
たてたけしさんねんうるうじゅうがつじゅうにち(497ねん2がつ8にち たまもの王公おうこう以下いか帛各ゆうためちち後者こうしゃたまものいちきゅう[58]
ひとしひがし昏侯 えいはじめ元年がんねんよんがつじゅうよんにち(499ねん5がつ20日はつか たて皇太子こうたいし誦,大赦たいしゃたまものみんためちちいちきゅう[59]

南朝なんちょうはり

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
りょうたけしみかど てんかん元年がんねんよんがつはちにち(502ねん5がつ2にち たまものみん爵二きゅう文武ぶんぶとう;鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃにんこく[60]
てんかんじゅうさんねんがつはちにち(514ねん3がつ21にち 赦天孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[60]
てんかんじゅうよんねん正月しょうがついちにち(515ねん2がつ2にち 皇太子こうたいしかんむり,赦天たまものためちち後者こうしゃいちきゅう王公おうこう以下いかはん賚各ゆうとま遠近えんきんじょうけいれい[60]
てんかんじゅうはちねん正月しょうがつじゅういちにち(519ねん2がつ27にち 輿こしおやほこら南郊なんこう孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[60]
普通ふつう元年がんねん正月しょうがついちにち(520ねん2がつ6にち 大赦たいしゃ天下でんかたまもの文武ぶんぶろう孝悌こうていりょくいちきゅうゆうひんいえ,勿收つね調しらべ,鰥寡孤獨こどくなみ贍卹[61]
普通ふつうよんねんがつじゅうはちにち(523ねん3がつ22にち 孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[61]
大通だいつう元年がんねん正月しょうがついちにち(527ねん2がつ19にち 孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[61]
中大ちゅうだいどおり元年がんねん正月しょうがつきゅうにち(529ねん2がつ4にち 輿こしおやほこら南郊なんこう大赦たいしゃ天下でんか孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[61]
中大ちゅうだいどおりさんねん正月しょうがつじゅうにち(531ねん2がつ14にち 輿こしおやほこら南郊なんこう大赦たいしゃ天下でんか孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[61]
中大ちゅうだいどおりさんねんなながつななにち(531ねん8がつ7にち たてすすむ安王やすおうつなため皇太子こうたいし大赦たいしゃ天下でんかたまものためちち後者こうしゃ出處しゅっしょ忠孝ちゅうこう文武ぶんぶせいつとむなみたまものいちきゅう[61]
中大ちゅうだいどおりねん正月しょうがつにち(533ねん2がつ13にち 輿こしおやほこら南郊なんこう大赦たいしゃ天下でんか孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[61]
中大ちゅうだいどおりろくねんがつじゅうにち(534ねん3がつ12にち 輿こしおやこうせき大赦たいしゃ天下でんか孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[61]
大同だいどうさんねん正月しょうがつにち(537ねん2がつ2にち 輿こしおやほこら南郊なんこう大赦たいしゃ天下でんか孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[61]
大同だいどうねん正月しょうがつじゅうななにち(539ねん2がつ22にち 輿こしおやほこら南郊なんこうみことのり孝悌こうていりょく及州閭鄉とうしょうため善人ぜんにんしゃかくたまものいちきゅうなみ勒屬所以ゆえんあがじょう[61]
ちゅう大同だいどう元年がんねんよんがつじゅうよんにち(546ねん5がつ31にち 孝悌こうていりょくためちち後者こうしゃたまものいちきゅう,賚宿衛しゅくえい文武ぶんぶかくゆう[61]
ちゅう大同だいどうねん正月しょうがつじゅうさんにち(547ねん3がつ2にち 孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[61]
ふときよし元年がんねんよんがつじゅういちにち(547ねん5がつ27にち 孝悌こうていりょくためちち後者こうしゃたまものいちきゅう在朝ざいちょう群臣ぐんしん宿衛しゅくえいぶん武並たけなみ頒賚[61]
りょうもとみかど うけたまわきよし元年がんねんじゅういちがつじゅうにち(552ねん12月15にち 孝子たかこよしまご悉賜爵[62]
りょうたかしみかど 太平たいへい元年がんねんきゅうがつじゅうにち(555ねん10がつ27にち 大赦たいしゃ孝悌こうていりょくたまものいちきゅうことざいくだり所在しょざい奏聞そうもんひだるなんりゅううつり勒歸本土ほんど[63]

南朝なんちょうひね

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
ちんたけしみかど えいじょう元年がんねんじゅうがつじゅうにち(557ねん11月18にち たまものみんきゅう文武ぶんぶとう,鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃじんこく斛;逋租宿やどさいみな勿復おさむ[64]
ちんぶんみかど えいじょうさんねんろくがつじゅういちにち(559ねん8がつ11にち 文武ぶんぶ內外,りょう爵敘;孝悌こうていりょくためちち後者こうしゃたまものいちきゅう[65]
てんよしみ元年がんねん正月しょうがついちにち(560ねん2がつ14にち 鰥寡孤獨こどく不能ふのう存立そんりつしゃたまものこくじん斛;孝悌こうていりょくことぎょうこととういちきゅう[65]
てんよしみ元年がんねん正月しょうがつきゅうにち(560ねん2がつ22にち たまものみんいちきゅう[65]
てんよしみさんねん正月しょうがつじゅうにち(562ねん2がつ1にち ひろしたまものみん爵一きゅう;其孝悌こうていりょくべつ一等いっとう[65]
てんよしみさんねんなながつじゅういちにち(562ねん9がつ7にち 皇太子こうたいしおさめおう在位ざいい文武ぶんぶたまもの帛各ゆう孝悌こうていりょくためちち後者こうしゃたまものきゅう[65]
てんよしみろくねん正月しょうがつじゅういちにち(565ねん2がつ28にち 皇太子こうたいし元服げんぷく王公おうこう以下いかたまもの帛各ゆう孝悌こうていりょくためちち後者こうしゃたまものいちきゅう,鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃこくじん[65]
てんやすし元年がんねんよんがつきゅうにち(566ねん5がつ15にち 皇孫こうそんいたりさわせい在位ざいい文武ぶんぶたまものきぬ帛各ゆうためちち後者こうしゃたまものいちきゅう[65]
ちん廢帝はいてい ひかりだい元年がんねん正月しょうがつさんにち(567ねん1がつ30にち 孝悌こうていりょくたまものいちきゅう[66]
ひかりだい元年がんねんなながつじゅうにち(567ねん8がつ31にち たて皇子おうじいたりさわため皇太子こうたいしたまもの天下でんかためちち後者こうしゃいちきゅうおう公卿くぎょうやめ賚帛かくゆう[66]
ひねせんみかど ふとしけん元年がんねん正月しょうがつよんにち(569ねん2がつ7にち 大赦たいしゃ天下でんか在位ざいい文武ぶんぶたまものいちかい孝悌こうていりょく及為ちち後者こうしゃたまもの爵一きゅうこととうことざいなみさくじょ;鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃにんたまものこく[67]
ふとしけんねんさんがつじゅうさんにち(573ねん5がつ12にち 皇孫こうそんたねせい,內外文武ぶんぶたまもの帛各ゆうためちち後者こうしゃいちきゅう[67]
ふとしけんじゅうねんよんがつじゅうさんにち(578ねん5がつ7にち おうざいぐんしゃなみたまものきゅう,并加賚卹,づけせんそく便びんりょうしょ[67]
ひねぬし ふとしけんじゅうよんねん正月しょうがつじゅうさんにち(582ねん2がつ22にち 在位ざいい文武ぶんぶ孝悌こうていりょくためちち後者こうしゃなみたまもの爵一きゅうろう鰥寡不能ふのう自存じそんしゃたまものこくじん斛、帛ひき[68]
ふとしけんじゅうよんねんよんがつじゅうさんにち(582ねん6がつ1にち たて皇子おうじえいやすしおおやけたねため皇太子こうたいしたまもの天下でんかためちち後者こうしゃいちきゅう王公おうこうやめ賚帛かくゆう[68]
至德しとくねんなながつじゅうにち(584ねん9がつ4にち 太子たいし元服げんぷく在位ざいい文武ぶんぶたまもの帛各ゆう孝悌こうていりょくためちち後者こうしゃかくたまものいちきゅう,鰥寡癃老不能ふのう自存じそんしゃじんこく[68]

ぜんちょう

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
りゅう ひかりはつねん(322ねん 大赦たいしゃ天下でんかことやめたまものみんきゅうろうひんびょう不能ふのう自存じそんしゃ帛各ゆう[69]

こうちょう

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
ちょうあきらみかど ろくねん(324ねん のうくわさいおさむしゃたまもの爵五大夫たいふ[70]
ちょうたけしみかど たてたけしねん(336ねん たまもの百姓ひゃくしょういちきゅう[71]

ぜんはた

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
はた宣昭のりあきみかど 永興りょうごねん(358ねん たまものためちち後者こうしゃいちきゅう,鰥寡だかねんこく帛有,丐所田租でんそはん[72]
たてはじめじゅうねん(376ねん ためちち後者こうしゃたまものいちきゅう孝悌こうていりょくきゅう寡高ねんこく帛有女子じょしひゃくうししゅだいさんにち[72]

こうはた

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
はたぶん桓帝 ひろしはじめよんねん(402ねん たて皇子おうじ泓為皇太子こうたいし大赦たいしゃ天下でんかたまもの男子だんしためちち後者こうしゃいちきゅう[73]

みなみつばめ

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
つばめけんじたけみかど けんひらたろくねん(405ねん たてちょうため皇太子こうたいし大赦たいしゃ天下でんかためちち後者こうしゃ人爵じんしゃくきゅう[74]

きたたかし

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
孝文たかふみみかど ふとしじゅうななねんなながつにち(493ねん8がつ3にち 以皇太子たいしりつみことのりたまものみんため人後じんごしゃいちきゅうためおおやけ;曾為吏屬しゃきゅうためじょうみやつこ;鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃにんあわ[10]
ふとしじゅうななねんはちがつじゅうよんにち(493ねん9がつ21にち くるまいたり肆州,みんねんななじゅう已上いじょうたまものいちきゅう[10]
ふとしじゅうななねんきゅうがつじゅうにち(493ねん10がつ17にち らくなつけ、并、肆所よんしゅうみんひゃくねん以上いじょうかり縣令けんれい,九十以上賜爵三級,八十以上賜爵二級,なな十以上賜爵一級;鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃあわじん斛,帛ひき孝悌こうていれんよし文武ぶんぶおうもとめしゃみな名聞みょうもん[10]
ふとしじゅうななねんじゅうがつじゅうはちにち(493ねん11月13にち 京師けいし及諸しゅうしたがええびすしゃたまものいちきゅう應募おうぼしゃきゅう主將しゅしょうさんきゅう[10]
ふとしじゅうはちねん正月しょうがつじゅうななにち(494ねん2がつ9にち そう、兗、さんしゅうひゃくねん以上いじょうかり縣令けんれい,九十以上賜爵二級,なな十以上賜爵一級;ろう鰥寡不能ふのう自存じそんしゃたまものあわせき、帛ひき孝悌こうていれんよし文武ぶんぶおうもとめしゃみな名聞みょうもん[10]
ふとしじゅうはちねんじゅういちがついちにち(494ねん12月14にち 冀、てい州民しゅうみん:百年以上假以縣令,九十以上賜爵三級,八十以上賜爵二級,なな十以上賜爵一級;鰥寡孤獨こどく不能ふのう自存じそんしゃたまもの以穀帛;孝義たかよしれんさだ文武ぶんぶおうもとめしゃ名聞みょうもん[10]
ふとしじゅうはちねん十二月じゅうにがつじゅうななにち(495ねん2がつ8にち 郢豫しゅうみん:百齡以上假縣令,九十以上賜爵三級,八十以上賜爵二級,なな十以上賜爵一級;寡鰥ろう不能ふのう自存じそんしゃたまもの以穀帛;えんみんふく田租でんそいちさい孝悌こうていれんよし文武ぶんぶおうもとめ名聞みょうもん[10]
ふとしじゅうきゅうねんよんがつじゅうさんにち(495ねん5がつ23にち みことのりたまものひゃくさい以上いじょうかり縣令けんれい,九十以上賜爵三級,八十以上賜爵二級,なな十以上賜爵一級;寡老やまし不能ふのう自存じそんしゃたまもの以穀帛;とくちょおかえんしゃ名聞みょうもん[10]
ふとしじゅうきゅうねんよんがつじゅうさんにち(495ねん6がつ2にち たまもの州民しゅうみん爵及あわ帛如じょしゅう[10]
ふとしじゅうきゅうねんろくがつじゅうにち(495ねん7がつ23にち 濟州さいしゅうひがしぐん、滎陽及河みなみしょけんしゃしょけいしゃひゃくねん以上いじょうたまものかり縣令けんれい,九十以上賜爵三級,八十以上賜爵二級,なな十以上賜爵一級;ろう鰥寡不能ふのう自存じそんたまもの以穀帛;孝悌こうていれんよし文武ぶんぶおうもとめしゃ名聞みょうもん[10]
ふとしじゅうきゅうねんじゅうがつきゅうにち(495ねん11月12にち みんひゃくねん以上いじょうかりぐんもりきゅうじゅう以上いじょうかり縣令けんれい,八十以上賜爵三級,なな十以上賜爵二級;ろう痼疾こしつ不能ふのう自存じそんしゃたまもの以穀帛[10]
ふとしじゅういちねん正月しょうがつはちにち(497ねん2がつ26にち たて皇子おうじつとむため皇太子こうたいしたまもの天下でんかためちち後者こうしゃいちきゅう[10]
ふとしじゅういちねんさんがつじゅうななにち(497ねん5がつ15にち 州民しゅうみんひゃくねん以上いじょうかり縣令けんれい,九十以上賜爵三級,八十以上賜爵二級,ななじゅう以上いじょうたまものいちきゅう[10]
ふとしじゅういちねんがつよんにち(497ねん6がつ20日はつか 雍州庶老以年かくげん一等いっとうなな十以上賜爵三級;其營せんおっとたまもの爵一きゅう寡鰥ひんきゅう痾廢やましかくたまものひきこく斛;其孝とも德義とくぎ文學ぶんがく才幹さいかん,悉仰みつぎ[10]
せんみかど のべあきら元年がんねんじゅういちがつじゅうにち(512ねん12月5にち たまもの天下でんかためちち後者こうしゃいちきゅう孝子こうしじゅんまごれんおっと節婦せっぷ旌表もん閭,りょうきゅうあわ[75]

きたひとし

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
ひとし文宣ふみのぶみかど 天保てんぽう元年がんねんがつじゅうにち(550ねん6がつ11にち 百官ひゃっかんしんかい男子だんしたまもの爵,鰥寡六疾義夫節婦旌賞各有差[76]
ひとし孝昭たかあきみかど すめらぎけん元年がんねんじゅういちがつよんにち(560ねん12月8にち たまもの天下でんかためちち後者こうしゃいちきゅう[77]
ひとしたけしげるみかど ふとしねん正月しょうがつじゅうろくにち(562ねん3がつ8にち 大赦たいしゃ,內外百官普加汎級,しょためちち後者こうしゃたまものいちきゅう[78]

ずいあさ

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
ずいきょうみかど よしやすし元年がんねんじゅういちがつじゅうにち(617ねん12月21にち 复天勿出今年ことし租赋,赐民孙承後者こうしゃ爵一级[79]

からあさ

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
から高祖こうそ 武德ぶとく元年がんねんがつじゅうにち(618ねん6がつ21にち かんじん百姓ひゃくしょうたまものいちきゅう[80]
とうだかむね いぬいふう元年がんねん正月しょうがつじゅうにち(666ねん2がつ22にち 天下てんか百姓ひゃくしょうねんじゅういち已上いじょうはちじゅう以下いか,赐古爵一级[11]
からちゅうむね かみ元年がんねんきゅうがつにち(705ねん10がつ1にち 天下てんか百姓ひゃくしょう为父後者こうしゃかく赐古爵一级[11]
からげんむね 天寶てんぽうはち载闰ろくがつにち(749ねん7がつ27にち 天下てんか百姓ひゃくしょう丈夫じょうぶ户头しゃむべかく赐爵いち级;天下でんかさむらいおい,并量赐爵いち[81]
からとくむね だいこよみ元年がんねんろくがついちにち(779ねん7がつ22にち 百姓ひゃくしょうためしゃたまものいちきゅう[12]

きたそう

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在位ざいい皇帝こうてい たまもの爵時あいだ たまもの爵內よう
そうふとしむね はし元年がんねん正月しょうがつじゅうななにち(988ねん2がつ12にち みんねんななじゅう以上いじょうたまものいちきゅう[16]
はし元年がんねんうるうがつじゅうにち(988ねん7がつ1にち たまものしょしゅうだかねん爵公[16]
じゅんねん正月しょうがつじゅういちにち(994ねん3がつ11にち しょしゅうのうあわかしひだるみんしゃたまもの[16]
そう真宗しんしゅう 咸平ねん十二月じゅうにがつじゅういちにち(1003ねん2がつ1にち たまものきょうじょう百歲老人祝道嵓爵一級[82]
大中おおなかさちさんねんうるうがつじゅうはちにち(1010ねん4がつ11にち あかけん父老ふろうほんえん犒,ねんきゅうじゅうしゃ授攝かんたまものあわ終身しゅうしんはちじゅうしゃいちきゅう[83]

相關そうかん條目じょうもく

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研究けんきゅう書目しょもく

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參考さんこう文獻ぶんけん

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  1. ^ しょうくんしょ さかい內第じゅうきゅう》:“のうとくかぶとくびいちしゃしょういちきゅう益田ますだ一頃ひところえきたくきゅううね。”
  2. ^ 2.0 2.1 2.2 さと耶秦简8-455ごう木方きほう:“うちこう为伦こう,彻侯为列こう。”
  3. ^ ていきこりつうこころざし·氏族しぞくりゃく》:「さらおんろうはた大夫たいふ爵也。」
  4. ^ 4.0 4.1 ねん律令りつりょう·おけりつ》:“やましおけ後者こうしゃてっこうためてっこう,其毋てき,以孺良人りょうじんせき內侯ためせき內侯,きょうためこうじょう,五大夫後子為公大夫,おおやけじょうためかん大夫たいふおおやけ大夫たいふため大夫たいふかん大夫たいふためさら大夫たいふためかんざし裊,さらためうえづくり,かんざし裊後ためおおやけ。其毋てき以下いか妻子さいしへん妻子さいし……ためけんかん有為ゆうい也,以其わかきずしゅんちゅうみなためことしゃ令子れいこおとこかさね其爵。毋爵しゃ,其後ためおおやけ。毋子おとこ以女,毋女以父,毋父以母,毋母以男どうさん,毋男どうさん以女どうさん,毋女どうさん以妻。しょごととうおけ,毋父母ちちはは妻子さいしどうさんしゃ以大ちち,毋大ちち以大ははあずか同居どうきょすうしゃ。”
  5. ^ 5.0 5.1 漢書かんしょ まきじゅうきゅうじょう 百官ひゃっかん公卿くぎょうひょうだいななじょう》:“てっこうきんしるし紫綬しじゅ,避武みかどいみな,曰通こうある曰列こうあらためしょしょくこくれいちょうめいしょうまた有家ありやすすむもん大夫たいふ庶子しょし。”
  6. ^ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 こう漢書かんしょ まき 顯宗けんそう孝明たかあきみかどだい
  7. ^ ねん律令りつりょう·户律》:关内こう(きゅうじゅう顷,だい庶长きゅうじゅう顷,驷车庶长はちじゅうはち顷,大上おおがみみやつこはちじゅうろく顷,しょううえづくりはちじゅうよん顷,みぎさらはちじゅう顷,ちゅうさらはちじゅう顷,ひだりさらななじゅうはち顷,みぎ庶长ななじゅうろく顷,ひだり庶长ななじゅうよん顷,大夫たいふ廿にじゅう顷,おおやけじょう廿にじゅう顷,おおやけ大夫たいふきゅう顷,かん大夫たいふなな顷,大夫たいふ顷,さらよん顷,かんざしさん顷,うえづくり顷,おおやけいち顷半顷,おおやけそつ)、庶人かくいち顷,つかさ寇、隐官かくじゅう不幸ふこう死者ししゃれい其后さき择田,乃行其余。它子おとこよく为户,以为其□。其已ぜん为户而毋たくたくみつるとく以盈。たくとく。   たく大方おおかた卅步,彻侯受ひゃくたく,关内こうきゅうじゅうたくだい庶长きゅうじゅうたく,驷车庶长はちじゅうはちたく大上おおがみみやつこはちじゅうろくたくしょううえづくりはちじゅうよんたくみぎさらはちじゅうたくちゅうさらはちじゅうたくひだりさらななじゅうはちたくみぎ庶长ななじゅうろくたくひだり庶长ななじゅうよんたく大夫たいふ廿にじゅうたくおおやけじょう廿にじゅうたくおおやけ大夫たいふきゅうたくかん大夫たいふななたく大夫たいふたくさらよんたくかんざしさんたくうえづくりたくおおやけいちたくはんたくおおやけそつ)、庶人いちたくつかさ寇隐かんはんたく
  8. ^ 8.0 8.1 8.2 三國志さんごくし 卷一けんいち しょいち みかどだいいち》:“ふゆじゅうがつはじめおけ名號みょうごうこういたり大夫たいふあずかきゅう列侯れっこうせき內侯凡ろくとう,以賞軍功ぐんこう。”裴註:“しょ曰:おけ名號みょうごう侯爵こうしゃくじゅうはちきゅうせきちゅう侯爵こうしゃくじゅうななきゅうみなきんしるし紫綬しじゅまたおけせきがいこうじゅうろくきゅうどうしるしかめひもすみ綬;大夫たいふじゅうきゅうどうしるしたまきひもまたすみ綬,みなしょく租,あずかきゅう列侯れっこうせき內侯凡ろくとう。”
  9. ^ すすむしょ まきじゅうよん こころざしだいよん 地理ちりじょう》:“すすむぶんみかどためすすむおういのち裴秀とう建立こんりゅうとうこれせいおもんみ安平あびらぐんおおやけまことまん制度せいど如魏諸王しょおう。其餘けんこう邑千はちひゃく地方ちほうななじゅう……”
  10. ^ 10.00 10.01 10.02 10.03 10.04 10.05 10.06 10.07 10.08 10.09 10.10 10.11 10.12 10.13 10.14 10.15 しょ まきなな 高祖こうそおさむだいなな
  11. ^ 11.0 11.1 11.2 さつもとまきはちじゅうよん 帝王ていおう 赦宥だいさん
  12. ^ 12.0 12.1 きゅうとうしょ まきじゅう 本紀ほんぎだいじゅう
  13. ^ 漢書かんしょ まきじゅうきゅうじょう 百官ひゃっかん公卿くぎょうひょうだいななじょう》:“いちきゅう曰公二上ふたかみみやつこさんかんざし裊,よんさら大夫たいふろくかん大夫たいふななおおやけ大夫たいふはちおおやけじょうきゅう大夫たいふじゅうひだり庶長,じゅういちみぎ庶長,じゅうひだりさらじゅうさんちゅうさらじゅうよんみぎさらじゅうしょううえづくりじゅうろく大上おおかみづくりじゅうななしゃ庶長,じゅうはちだい庶長,じゅうきゅうせき內侯,じゅうてっこうみなしんせい,以賞功勞こうろう。”
  14. ^ ねん律令りつりょう·りつ》:“せき內侯きゅうじゅうごろだい庶長はちじゅうごろしゃ庶長はちじゅうはちごろ大良だいらづくりはちじゅうろくごろしょううえづくりはちじゅうよんごろみぎさらはちじゅうごろちゅうさらはちじゅうごろひだりさらななじゅうはちごろみぎ庶長ななじゅうろくごろひだり庶長ななじゅうよんごろ大夫たいふ廿にじゅうごろおおやけじょう廿にじゅうごろおおやけ大夫たいふきゅうごろかん大夫たいふななごろ大夫たいふごろさらよんごろかんざしさんごろうえづくりごろおおやけいちごろはん。”
  15. ^ ねん律令りつりょう·りつ》:“たくだいぽう卅步。いちてっこうひゃくたくせき內侯きゅうじゅうたくだい庶長きゅうじゅうたくしゃ庶長はちじゅうはちたく大良だいらづくりはちじゅうろくたくしょううえづくりはちじゅうよんたくみぎさらはちじゅうたくちゅうさらはちじゅうたくひだりさらななじゅうはちたくみぎ庶長ななじゅうろくたくひだり庶長ななじゅうよんたく大夫たいふ廿にじゅうたくおおやけじょう廿にじゅうたくおおやけ大夫たいふきゅうたくかん大夫たいふななたく大夫たいふたくさらよんたくかんざしさんたくうえづくりたくおおやけいちたくはんおおやけそつ、庶人いちたくつかさ寇、かくれかんはんたくほしためしゃもと。”
  16. ^ 16.0 16.1 16.2 16.3 そう まき 本紀ほんぎだい ふとし宗二そうじ
  17. ^ すすむしょ まきじゅう こころざしだいじゅう》:“けんこうさとていこうのりかんむりさんはりきょう大夫たいふはち尚書しょうしょせきちゅう內侯、せんせきせんせき以上いじょうのりかんむりりょうはり。”
  18. ^ そうしょ まきじゅうはち こころざしだいはち》:“けんさとちんこうきむしるし紫綬しじゅちょうふくしんけんさんはりかんむり……せき內、せきちゅう名號みょうごうこうきむしるし紫綬しじゅちょうふくしんけんりょうはりかんむり……せきそとこうぎんしるしあお綬。ちょうふくしんけんりょうはりかんむり。”
  19. ^ ずいしょ まきじゅういち こころざしだいろくはりひねこれせい:“けんさとちんせき內、せきちゅう及名ごうこうきむしるしかめぼたん紫綬しじゅちょうふくしんけんはりかんむりししあたま鞶,こしつるぎせき內、せきちゅう及名ごうこうそく珪鈕。せきそとこうぎんしるし珪鈕,あお綬,ちょうふくしんけんはりかんむりししあたま鞶,こしつるぎ。”
  20. ^ 20.0 20.1 20.2 20.3 20.4 20.5 20.6 20.7 史記しき·はたはじめすめらぎ本紀ほんぎ
  21. ^ 史記しきさんいえ註·まきろく
  22. ^ 漢書かんしょ まきいちうえ だかみかどだいいちじょう
  23. ^ 23.0 23.1 漢書かんしょ まきいちした だかみかどだいいち
  24. ^ 24.0 24.1 24.2 漢書かんしょ まき めぐみみかどだい
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  26. ^ 26.0 26.1 漢書かんしょ まきよん ぶんみかどだいよん
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  28. ^ 28.0 28.1 28.2 28.3 28.4 漢書かんしょ まきろく みかどだいろく
  29. ^ 29.0 29.1 漢書かんしょ まきなな あきらみかどだいなな
  30. ^ 30.00 30.01 30.02 30.03 30.04 30.05 30.06 30.07 30.08 30.09 30.10 30.11 30.12 30.13 漢書かんしょ まきはち せんみかどだいはち
  31. ^ 31.0 31.1 31.2 31.3 31.4 31.5 31.6 31.7 漢書かんしょ まききゅう げんみかどだいきゅう
  32. ^ 32.0 32.1 32.2 32.3 32.4 32.5 漢書かんしょ まきじゅう なりみかどだいじゅう
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  34. ^ 34.0 34.1 漢書かんしょ まきじゅう ひらみかどだいじゅう
  35. ^ 漢書かんしょ まききゅうじゅうきゅうちゅう おう莽傳だいろくじゅうきゅうちゅう
  36. ^ こう漢書かんしょ まきいちじょう 光武みつたけみかどだいいちじょう
  37. ^ 37.0 37.1 こう漢書かんしょ まきいち 光武みつたけみかどだいいち
  38. ^ 38.0 38.1 38.2 38.3 38.4 こう漢書かんしょ まきさん 肅宗孝章たかあきみかどだいさん
  39. ^ 39.0 39.1 39.2 39.3 こう漢書かんしょ まきよん こう和孝かずたか殤帝だいよん
  40. ^ 40.0 40.1 40.2 40.3 40.4 40.5 40.6 こう漢書かんしょ まき 孝安たかやすみかどだい
  41. ^ 41.0 41.1 41.2 41.3 41.4 41.5 41.6 こう漢書かんしょ まきろく こうじゅんこうおきこうしつみかどだいろく
  42. ^ こう漢書かんしょ まきなな こう桓帝だいなな
  43. ^ こう漢書かんしょ まきはち こうれいみかどだいはち
  44. ^ こう漢書かんしょ まききゅう こうけんじみかどだいきゅう
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  60. ^ 60.0 60.1 60.2 60.3 はりしょ まき 本紀ほんぎだい
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  81. ^ さつもとまきはちじゅうろく 帝王ていおう 赦宥だい
  82. ^ そう まきろく 本紀ほんぎだいろく 真宗しんしゅういち
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