滕孝侯こう(?—?),姬ひめ姓せい,名めい郑,為ため春秋しゅんじゅう諸侯しょこう國こく滕国君主くんしゅ之の一いち,是ぜ滕國第だい19任にん君主くんしゅ。滕宣公こう后きさき有ゆう滕孝侯こう鄭てい。[1][2]
《左ひだり傳でん》僖公二に十じゅう二に年ねん(前ぜん638年ねん)記載きさい滕子與あずか諸侯しょこう討伐とうばつ鄭てい國こく,[3] 張ちょう志こころざし鵬おおとり認みとめ為ため此滕子こ即そく滕孝公こう。[4]