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益州 - 维基百科,自由的百科全书

えきしゅう

えきしゅう中國ちゅうごくひがしかんすえいたりきたそうどきてきしゅう前身ぜんしんため監察かんさつえきしゅう刺史しし,其范围包括ほうかつこんてんてき四川しせん盆地ぼんち汉中盆地ぼんちいち带。

えきしゅう
ひがしかんいたりきたそうてきしゅう
188ねん-607ねん

618ねん-742ねん

981ねん-988ねん

994ねん-1059ねん
人口じんこう 
• 282ねん
149300
• 464ねん
53141,248293くち
• 639ねん
117889,743102くち
歷史れきし
歷史れきし 
• 成立せいりつ
188ねん
• 废除
1059ねん
前身ぜんしん
继承
えきしゅう刺史しし
しょくぐん
成都せいと
成都せいと
しょくぐん
しょくぐん
成都せいと
成都せいと
こんぞく 中国ちゅうごく四川しせんしょう重慶たーちん雲南うんなんしょうしゅうしょう

沿革えんかく

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かんちょう

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西にしかんもとふうねんぜん106ねん),設立せつりつじゅうさん刺史しし。其中,えきしゅう刺史しししょいま四川しせんじゅう贵州うんみなみとうしょう大部おおべ湖北こほくしょう西北せいほく陝西せんせいしょうあま肃省しょう部分ぶぶん地区ちくただし此时てきえきしゅう刺史ししただ監察かんさつ真正しんせい意義いぎじょうてき行政ぎょうせい

ひがしかん中平なかひらねん(188ねんしゅうなるため正式せいしきてきいちきゅう行政ぎょうせい區域くいきえきしゅうこうかんぐん綿めんたけけんいま四川しせんしょう德陽とくようきた),りょうじゅうぐんさん屬國ぞっこくかんちゅうぐんともえぐんこうかんぐんしょくぐん汶山ぐん犍為ぐん牂牁ぐんえつ巂郡えきしゅうぐん永昌えいしょうぐんこうかん屬國ぞっこくしょくぐん屬國ぞっこく犍為屬國ぞっこく

かんまつちょう割據かっきょかんちゅうぐんあらためためかんやすしぐんきょうひらた元年がんねん(194ねん),しゅう遷至しょくぐん成都せいとけんいま四川しせんしょうなり都市とし)。きょうひらめねん(195ねん),ふんともえぐんおけえいやすしぐんかたりょうぐんたてやすしろくねん(201ねん),あらためともえぐんためともえ西郡にしごおりえいやすしぐんためともえぐんかたりょうぐんためともえひがしぐんふんともえひがしぐんおけともえひがし屬國ぞっこくけんやすじゅうはちねん(213ねん),ふん犍為ぐんおけ江陽こうようぐんけんやすじゅうきゅうねん(214ねん),あらため犍為屬國ぞっこくためしゅつつみぐんけんやすじゅうねん(215ねん),曹操そうそうひらたちょうふくかんやすしぐんためかんちゅうぐんふんかんちゅうぐんおけ西城にししろぐんうえいさおぐんあらためこうかん屬國ぞっこくため陰平かげひらぐんけんやすじゅういちねん(216ねん),りゅうあらためともえひがしぐんためかたりょうぐんともえひがし屬國ぞっこくため涪陵ぐんけんやすじゅうねん(217ねん),ふんこうかんぐんおけあずさ潼郡けんやすじゅうさんねん(218ねん),ふんともえ西郡にしごおりおけ宕渠ぐんひさそくしょうけんやすじゅうよんねん(219ねん),りゅう佔領かんちゅうぐんいたり此,りゅう備所よりどころえきしゅうりょうじゅうろくぐんいち屬國ぞっこくしょくぐん汶山ぐんかんちゅうぐんともえぐんともえ西郡にしごおりかたりょうぐん涪陵ぐんこうかんぐんあずさ潼郡犍為ぐん江陽こうようぐんしゅつつみぐん牂牁ぐんえつ巂郡えきしゅうぐん永昌えいしょうぐんしょくぐん屬國ぞっこく[1]

さんこく

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さんこく時期じき刘备よりどころえきしゅう建立こんりゅうしょくあきらたけ元年がんねん(221ねん),あらためかたりょうぐんためともえひがしぐんしょくぐん屬國ぞっこくためかんよしみぐんけんきょうさんねん(225ねん),あらためえきしゅうぐんためたてやすしぐんふんたてやすし永昌えいしょうぐんおけ雲南うんなんぐんふんたてやすし、牂牁ぐんおけきょう古郡ふるこおりけんきょうななねん(229ねん),佔領曹魏雍州これたけみやこぐん陰平かげひらぐんぞくえきしゅうのべなか(238ねん-257ねん),ふんこうかんぐんおけひがしこうかんぐんふん犍為ぐんおけみなみひろぐんこうしょうみなみひろぐんいたりしょくかんまつえきしゅうりょうじゅうぐんしょくぐん汶山ぐんかんよしみぐんかんちゅうぐんたけみやこぐん陰平かげひらぐんともえぐんともえ西郡にしごおりともえひがしぐん涪陵ぐんこうかんぐんひがしこうかんぐんあずさ潼郡犍為ぐん江陽こうようぐんしゅつつみぐん牂牁ぐんえつ巂郡たてやすしぐん永昌えいしょうぐん雲南うんなんぐんきょう古郡ふるこおり

曹魏景元かげもとよんねん(263ねん),めつしょくかん,佔領えきしゅうふんえきしゅうかんちゅう陰平かげひらあずさ潼、こうかんあずまひろかん(併入こうかん)、涪陵、ともえともえ西にしともえひがしきゅうぐんおけやなしゅうたけみやこぐんあらためぞく雍州いたり此,えきしゅうりょうじゅうぐんしょくぐん汶山ぐんかんよしみぐん犍為ぐん江陽こうようぐんしゅつつみぐん牂牁ぐんえつ巂郡たてやすしぐん永昌えいしょうぐん雲南うんなんぐんきょう古郡ふるこおり[2]

两晉じゅうろくこく

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西にしすすむやすしはじめななねん(271ねん),ふんえきしゅうたてやすしきょういにしえ雲南うんなん永昌えいしょうよんぐんおけやすししゅうふとやすしさんねん(282ねん),やすししゅう併入えきしゅうふとしかんじゅうねん(289ねん),あらためしょくぐんため成都せいとこくえいやすし元年がんねん(300ねん),えきしゅうみだれあらため成都せいとこくためしょくぐん

ふとしやすねん(303ねん),しょく、汶山、かんよしみ、犍為(部分ぶぶんよんぐんおちいつよしぶんえきしゅうたてやすしきょういにしえ雲南うんなん永昌えいしょうしゅひっさげ、牂牁ぐんえつ巂七郡復置寧州,すすむえきしゅう僅餘江陽こうよう、犍為(部分ぶぶんぐんしゅう遷至江陽こうようぐん江陽こうようけんいま四川しせんしょう瀘州)。永興りょうご元年がんねん(304ねん),やなしゅう涪陵、ともえともえ東三ひがしさんぐんあらためぞくえきしゅうえいよしみねん(311ねん),江陽こうよう、犍為ぐんおちいなりしゅう遷至ともえひがしぐんさかなふくけんいま重慶たーちんたてまつふしけん)。えいよしみろくねん(312ねん),ともえぐんおちいなりけんきょうねん(314ねん),涪陵ぐんおちいなりえきしゅう僅餘ともえひがしぐん[2]

なり晏平元年がんねん(306ねん),ふんしょくぐんおけかんはらぐんふんかんよしみぐんおけ沈黎ぐんえきしゅうりょうしょくかんばら、汶山、かんよしみ、沈黎、犍為ろくぐんこうあらためえきしゅうため隸。たま元年がんねん(311ねん),以晉えきしゅう江陽こうようぐんおけ荊州こう以巴ぐん、涪陵ぐんぞく荊州。[3]

あずますすむ咸康はちねん(342ねん),やすしゅうえつ巂郡あらためぞくえきしゅう永和えいわさんねん(347ねん),めつかん,以其しょくかんばら、汶山、沈黎、犍為五郡還屬益州,あらためかんはらぐんすすむはらぐんひさしょくぐんおちい范賁ともえひがしぐんかえぞく荊州永和えいわねん(349ねん),ひら范賁,おさむふくしょくぐんえきしゅうかえ治成はるしげ永和えいわはちねん(352ねん),いん安置あんちさんしょく流民りゅうみんふんしょくぐんおけやすししょくぐんこう僑置江陽こうようぐんいたり此,えきしゅうりょうはちぐんしょくぐん汶山ぐん犍為ぐんすすむはらぐん沈黎ぐんえつ巂郡やすししょくぐん江陽こうようぐん

やすしやすし元年がんねん(373ねん),えきしゅうおちいぜんはたふともとじゅうねん(385ねん),おさむふくえきしゅう元年がんねん(405ねん),えきしゅうおちい譙蜀きゅうねん(413ねん),おさむふくえきしゅうこう以關隴流民りゅうみんおけはじめやすしぐん,以秦しゅう流民りゅうみんおけすすむ熙郡,以江陽こうようぐんきゅうおけひがし江陽こうようぐん[2]

南北なんぼくあさ

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南朝なんちょうそうはつやなしゅうこうかんぐんとげやすしぐんともえぐんともえ西郡にしごおりみなみ陰平かげひらぐんあらためぞくえきしゅうこうぶんこうかんぐんおけ新城しんじょうぐんげんよしみじゅうねん(433ねん),僑置そうやすしぐんそうおきぐんげんよしみじゅうねん(435ねん),僑置南新みなみしんともえぐんみなみすすむことぶきぐんげんよしみじゅうろくねん(439ねん),やなしゅうあずさ潼郡みなみ宕渠ぐんみなみかんちゅうぐんふところやすしぐんみなみしんしゅうやすかたぐんあらためぞくえきしゅうげんよしみじゅうろくねん(449ねん),しんしゅうきた陰平かげひらぐんたけみやこぐんあらためぞくえきしゅうこう僑置天水てんすいぐんしょうみなみ宕渠ぐん

いたりそうまつえきしゅうりょうじゅうじつぐんしょくぐん汶山ぐん犍為ぐんひがし江陽こうようぐんすすむはらぐん沈黎ぐんえつ巂郡あずさ潼郡こうかんぐんとげやすしぐんともえぐん新城しんじょうぐんじゅうろく僑郡:みなみ陰平かげひらぐんゆうみのるけん)、やすししょくぐんゆうみのるけん)、江陽こうようぐんはじめやすしぐんすすむ熙郡ともえ西郡にしごおりそうやすしぐんそうおきぐん南新みなみしんともえぐんみなみすすむことぶきぐんみなみかんちゅうぐんふところやすしぐんやすかたぐんきた陰平かげひらぐんたけみやこぐん天水てんすいぐん

南朝なんちょうひとしときあらためそうやすしぐんためえいやすしぐんそうおきぐんためやすおきぐんぶんとげやすしぐんためひがしとげやすし西にしとげやすしぐん;析置ひとしらくひとしもとぐんしょうすすむ熙、みなみかんちゅうたけさん僑郡;僑置西にし宕渠、扶風、みなみやすよんぐんあらためえつ嶲、沈黎ぐんため獠郡;おけひがし宕渠、あままつはじめひらさん獠郡;おけ北部ほくぶじょうたてはじめねん(480ねん),ともえぐんあらためぞくともえしゅうえいあきら元年がんねん(483ねん),しょうともえしゅうともえぐんかえぞくえきしゅうたてたけしさんねん(496ねん),おけひとしひらけひとしどおりひだりぐん

いたりひとしすええきしゅうりょうじゅうじつぐんしょくぐん汶山ぐん犍為ぐんひがし江陽こうようぐんすすむはらぐんあずさ潼郡こうかんぐん西にしとげやすしぐんひがしとげやすしぐんともえぐん新城しんじょうぐんひとしらくぐんひとしもとぐんひがし宕渠獠郡えつ嶲獠ぐん沈黎獠郡あままつ獠郡はじめひら獠郡ひとしひらきひだりぐんひとしどおりひだりぐんじゅうろく僑郡:みなみ陰平かげひらぐんゆうみのるけん)、やすししょくぐんゆうみのるけん)、江陽こうようぐんはじめやすしぐんともえ西郡にしごおりえいやすしぐんやすおきぐん南新みなみしんともえぐんみなみすすむことぶきぐんふところやすしぐんやすかたぐんきた陰平かげひらぐん天水てんすいぐん西にし宕渠ぐん扶風ぐんみなみやすぐん

南朝なんちょうはりとき荊州ともえひがしたて平二へいじぐんあらためぞくえきしゅう,以實はにぐんあずさ潼郡、僑郡ともえ西郡にしごおりおけ雙頭そうとうぐんともえ西にしあずさぐんあらためすすむはらぐんため江原えばらぐん,析置東陽とうようぐんふところじんぐんせきぐんひろし慈郡はじめやすしぐん普通ふつうさんねん(522ねん),北部ほくぶぐん前身ぜんしんため北部ほくぶじょうあらためぞくなわしゅう普通ふつうよんねん(523ねん),ふんえきしゅうともえひがしたて平二へいじぐんおけ信州しんしゅうこうぶんえきしゅうこし嶲郡おけ嶲州ひがし江陽こうようぐんあらためぞく瀘州ふときよしねん(548ねん),ふんえきしゅうひとしどおりひだりぐんおけあおしゅうふときよよんねん(550ねん),ふんえきしゅうともえぐんおけすわえしゅう天正てんしょう元年がんねん(552ねん),たけりょうおうしょうよりどころしょくしょうみかどふんえきしゅう西にしとげやすしひがしとげやすし新城しんじょうはじめひらめひろし慈、西にし宕渠とうぐんおけしんしゅう,以巴西にしあずさぐんみなみ陰平かげひらぐんあらためぞく西にしえきしゅう天正てんしょうねん(553ねん),えきしゅうおちい西にしたかし[2]

西にしたかしときはいはじめやすしぐん,析置きむふかしぐんたけやすしぐん,以ふところじんぐんおけりょうしゅうきたあまねときはいひがしえきしゅうためきゅう隴郡ぞくえきしゅうはい江原えばらぐんひとしもとぐんやすししょくぐんいたりしゅうまつえきしゅうりょうななぐんしょくぐん犍為ぐんきゅう隴郡こうかんぐんすすむ熙郡きむふかしぐんたけやすしぐん[3]

ずいあさ

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ずいあさひらきすめらぎさんねん(583ねんはいぐんえきしゅうななぐんりょうけん直屬ちょくぞく於州,しんしゅう玄武げんぶけんあらためぞくえきしゅういたり此,えきしゅうりょうじゅうけん成都せいと、郫、ひろ新津にいつ、僰道、すすむはら清城せいしろきゅう隴、新都しんと、雒、いずみきむふかしやすばばうるう玄武げんぶ

ひらきすめらぎじゅうはちねん(598ねん),あらため雒縣ため綿めんたけけん新都しんとけんためきょうらくけんいずみけんためこうすいけんばばうるうけんため平泉ひらいずみけんじんことぶき元年がんねん(601ねん),あらためこう都縣とけんためそうりゅうけんじんことぶきさんねん(603ねん),ふん郫縣おけまんはるけんふんえきしゅうきゅう隴、郫、こうすいさんけんおけ濛州ふんえきしゅうやす平泉ひらいずみけんおけ簡州ふんえきしゅう玄武げんぶ綿めんちくきむふかしさんけんおけ凱州大業おおわざねん(606ねん),はい濛、簡、凱さんしゅうりょうけんかえぞくえきしゅうはい僰道、まんはるけんあらため綿めんたけけんため雒縣,こうすいけんため綿めんたけけんいたり此,えきしゅうりょうじゅうよんけん成都せいと、郫、そうりゅう新津にいつすすむはら清城せいしろきゅう隴、きょうらく、雒、綿めんちくきむふかしやす平泉ひらいずみ玄武げんぶ

大業おおわざさんねん(605ねん),あらためえきしゅうためしょくぐん,併興らくけんいれ成都せいとけん[4]

からあさ

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からあさ武德ぶとく元年がんねん(618ねん),あらためしょくぐんためえきしゅうきむふかしけんためきむみずけんぶん新津あらつけんおけからたかしけんふん郫縣おけばんりゅうけんあらためばんりゅうけんため灌寧けん武德ぶとくねん(619ねん),ふん成都せいとけんおけ新都しんとけんふん雒縣おけ什邡けんあらため灌寧けんためしるべけん武德ぶとくさんねん(620ねん),ふん新都しんとけんおけしんしげるけんふん郫縣おけまんはるけんふん雒縣おけ德陽とくようけんぶんえきしゅうきゅう隴、しるべこう綿めんちくさんけんおけ濛州ふんえきしゅうやす平泉ひらいずみきむみずさんけんおけ簡州玄武げんぶけんあらためぞくあずさしゅうさだかんねん(628ねん),濛州併入えきしゅうあらためまんはるけんため溫江あつえけんさだかんじゅうななねん(643ねん),ふん成都せいとけんおけしょくけんいたり此,えきしゅうりょうじゅうななけん成都せいとしょく新都しんとあたらししげる、郫、溫江あつえそうりゅう新津にいつしるべこうきゅう隴、からたかしすすむはら清城せいしろ、雒、什邡、德陽とくよう綿めんちく

りゅうさくさんねん(663ねん),ふんそうりゅうけんおけこう都縣とけん咸亨ねん(671ねん),析置金堂こんどうけんおおとりねん(677ねん),析置からあきらけん濛陽けんたれねん(686ねん),ふんえきしゅう新津あらつからたかしすすむはら清城せいしろよんけんおけしょくしゅうふんえきしゅうしるべこうきゅう隴、からあきら、濛陽よんけんおけ彭州ふんえきしゅう雒、什邡、德陽とくよう綿めんちく金堂こんどうけんおけかんしゅうふん成都せいとけんおけさいうらけんいたり此,えきしゅうりょうきゅうけん成都せいとしょく新都しんとあたらししげるさいうら、郫、溫江あつえそうりゅうひろ

たけあまねひさ元年がんねん(700ねん),ふんしょくひろけんおけ東陽とうようけんいたり此,えきしゅうりょうじゅうけん成都せいとしょく東陽とうよう新都しんとあたらししげるさいうら、郫、溫江あつえそうりゅうひろ

からあさ天寶てんぽう元年がんねん(742ねん),あらためえきしゅうためしょくぐん東陽とうようけんためれいいけけん至德しとく(757ねん),ますしょくぐんため成都せいと[5]

きたそう

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きたそう太平たいへい興國こうこくろくねん(981ねん),くだ成都せいとためえきしゅうため西川にしかわしょえきしゅう仍治成都せいとりょうじゅうけん成都せいと華陽かよう新都しんと、郫、さいうらそうりゅう温江あつえあたらししげるひろれいはし元年がんねん(988ねん),ますえきしゅうため成都せいと

じゅんねん(994ねん),平定へいていしょくおう小波さざなみこれみだれふくくだ成都せいとためえきしゅう咸平よんねん(1001ねん),ふん西川にしかわおけえきしゅう,仍治えきしゅうてんきよしよんねん(1026ねん),あらためれいいけけんため靈泉れいせんけんよしみゆうよんねん(1059ねん),ふくますえきしゅうため成都せいとえきしゅうさい作為さくい行政ぎょうせい區劃くかく名稱めいしょう[6]

長官ちょうかん

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ひがしかんえきしゅうまぎ(188ねん-221ねん
しょくかんえきしゅうまぎ(224ねん-234ねん
しょくかんえきしゅう刺史しし(235ねん-263ねん
曹魏えきしゅう刺史しし(263ねん-265ねん
すすむちょうえきしゅう刺史しし(265ねん-420ねん
なりかんえきしゅう刺史しし
ぜんしんえきしゅうまぎ
ぜんしんえきしゅう刺史しし
  • おうひろ(?-385ねん
  • 丕(385ねん[21]
譙蜀えきしゅう刺史しし(405ねん-413ねん
りゅうそうえきしゅう刺史しし(420ねん-479ねん
みなみひとしえきしゅう刺史しし(479ねん-502ねん
みなみはりえきしゅう刺史しし(502ねん-553ねん
西にしたかしえきしゅう刺史しし(553ねん-557ねん
きたしゅうえきしゅう刺史しし(557ねん-581ねん
ずいあさえきしゅう刺史しし(581ねん-607ねん
  • 楊秀えきしゅうそうかん兼任けんにん,581ねん-602ねん[59]
からあさえきしゅう刺史しし(618ねん-627ねん
  • だんえきしゅうそうかん兼任けんにん,618ねん
  • 竇璡えきしゅうそうかん兼任けんにん,619ねん
  • ちょうたかえきしゅうそうかん兼任けんにん,619ねん-620ねん
  • 郑诠武德ぶとく初年しょねん
  • あつしとくえきしゅう长史兼任けんにん武德ぶとく初期しょき
  • みんえきしゅうあるきだいなお书令兼任けんにん,620ねん
  • 竇軌えきしゅうだいとく兼任けんにん,620ねん-627ねん
  • かく行方ゆくええきしゅう道行みちゆきだい尚書しょうしょ兼任けんにん,626ねんにん
からあさえきしゅう刺史ししえきしゅうだいとく兼任けんにんはるかりょう,628ねん-742ねん
からあさえきしゅうだいとく长史(628ねん-742ねん
きたそうともえきしゅうぐんしゅうごと(981ねん-988ねん,994ねん-1059ねん

參考さんこう文獻ぶんけん

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  1. ^ 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·はたかんまき
  2. ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·三國兩晉南朝卷》
  3. ^ 3.0 3.1 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·じゅうろくこく北朝ほくちょうまき
  4. ^ 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·ずいだいまき
  5. ^ 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·とうだいまき
  6. ^ 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·そう西にしなつまき
  7. ^ 三國志さんごくし·まきさんじゅういち·しょくしょいち·りゅうまきでんだいいち
  8. ^ 三國志さんごくし·まきさんじゅう·しょくしょ·さきおもでんだい
  9. ^ 三國志さんごくし·まきさんじゅう·しょくしょ·しょかずらあきらでんだい
  10. ^ 三國志さんごくし·まきよんじゅうよん·しょくしょじゅうよん·蔣琬禕姜維傳だいじゅうよん
  11. ^ 三國志さんごくし·まきじゅうはち·しょじゅうはち·おう毌丘しょかずら鄧鍾でんだいじゅうはち
  12. ^ 12.0 12.1 12.2 華陽かようこくこころざし·まきはち·だい同志どうし
  13. ^ 三國志さんごくし·まきよんじゅう·しょくしょじゅう·もりしゅうもりもとはじめらいいん譙郤でんだいじゅう》裴註引《えき耆舊でん
  14. ^ すすむしょ·まきじゅう·列傳れつでんだいじゅう
  15. ^ すすむしょ·まききゅうじゅう·列傳れつでんだいろくじゅう
  16. ^ どおりかん·まききゅうじゅういち·すすむじゅうさん
  17. ^ 華陽かようこくこころざし·まきよん·南中なんちゅうこころざし
  18. ^ 18.0 18.1 すすむしょ·まきはちじゅういち·列傳れつでんだいじゅういち
  19. ^ すすむしょ·まきじゅうはち·列傳れつでんだいじゅうはち
  20. ^ 20.0 20.1 どおりかん·まきいちひゃくさん·すすむじゅう
  21. ^ 21.0 21.1 どおりかん·まきいちひゃくろく·すすむじゅうはち
  22. ^ 22.0 22.1 そうしょ·まきじゅう·こころざしだいじゅう
  23. ^ 23.0 23.1 どおりかん·まきいちいちよん·すすむさんじゅうろく
  24. ^ 24.0 24.1 24.2 そうしょ·まきよんじゅうはち·列傳れつでんだいはち
  25. ^ そうしょ·まき·本紀ほんぎだい
  26. ^ そうしょ·まきろくじゅうさん·列傳れつでんだいじゅうさん
  27. ^ 華陽かようこくこころざし·まききゅう·とくゆうことぶきぜいこころざし
  28. ^ どおりかん·まきいちひゃくよん·すすむじゅうろく
  29. ^ そうしょ·まきよんじゅうよん·列傳れつでんだいよん
  30. ^ そうしょ·まきじゅうさん·列傳れつでんだいじゅうさん
  31. ^ そうしょ·まきはちじゅうよん·列傳れつでんだいよんじゅうよん
  32. ^ そうしょ·まきじゅうはち·こころざしだいじゅうはち
  33. ^ そうしょ·まき·本紀ほんぎだい
  34. ^ そうしょ·まきろく·本紀ほんぎだいろく
  35. ^ そうしょ·まきなな·本紀ほんぎだいなな
  36. ^ そうしょ·まきはち·本紀ほんぎだいはち
  37. ^ そうしょ·まききゅう·本紀ほんぎだいきゅう
  38. ^ そうしょ·まきじゅう·本紀ほんぎだいじゅう
  39. ^ みなみひとししょ·まき·本紀ほんぎだい
  40. ^ みなみひとししょ·まきさん·本紀ほんぎだいさん
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  43. ^ みなみひとししょ·まきなな·本紀ほんぎだいなな
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  47. ^ 47.0 47.1 47.2 みなみ·まきじゅう·列傳れつでんだいよんじゅう
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  49. ^ しょ·まききゅう·肅宗だいきゅう
  50. ^ はりしょ·まきじゅう·列傳れつでんだいじゅうろく
  51. ^ はりしょ·まき·本紀ほんぎだい
  52. ^ みなみ·まきじゅう·列傳れつでんだいよんじゅう
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  56. ^ しゅうしょ·まきさんじゅうさん·列傳れつでんだいじゅう
  57. ^ しゅうしょ·まきじゅう·列傳れつでんだいよん
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  71. ^ 71.0 71.1 そう·まきひゃくはちじゅうろく·列傳れつでんだいよんじゅう
  72. ^ 72.0 72.1 72.2 そう·まきひゃくはちじゅうはち·列傳れつでんだいよんじゅうなな
  73. ^ 73.0 73.1 そう·まきさんひゃくいち·列傳れつでんだいろくじゅう
  74. ^ そう·まきいちひゃくはちじゅうさん·こころざしだいいちひゃくさんじゅうろく·しょく貨下
  75. ^ そう·まきよんひゃくじゅうろく·列傳れつでんだいいちひゃくはちじゅう·循吏》
  76. ^ そう·まきさんひゃくいちじゅう·列傳れつでんだいななじゅうよん
  77. ^ そう·まきひゃくきゅうじゅういち·列傳れつでんだいじゅう
  78. ^ そう·まきひゃくきゅうじゅうはち·列傳れつでんだいじゅうなな
  79. ^ そう·まきさんひゃくいちじゅうさん·列傳れつでんだいななじゅう
  80. ^ そう·まきひゃくきゅうじゅう·列傳れつでんだいじゅうよん
  81. ^ そうほんつてあやまさく知成ともなりみやこ”,ちょうのぞみべん昭德あきのり先生せんせいぐんとき讀書どくしょこころざしさくえきしゅうぐんしゅうごと”。
  82. ^ そう·まきひゃくきゅうじゅう·列傳れつでんだいじゅういち
  83. ^ そう·まきひゃくはちじゅうよん·列傳れつでんだいよんじゅうさん
  84. ^ そう·まきさんひゃくいちじゅうはち·列傳れつでんだいななじゅうなな