社しゃ裡うら,是ぜ新北しんきた市し貢みつぎ寮りょう區く的てき一いち個こ地名ちめい,位い於該區く東部とうぶ、雙そう溪けい下した游ゆう北岸ほくがん地區ちく,範圍はんい大だい致為龍りゅう門もん里さと不ふ含北部ぶ中央ちゅうおう地帶ちたい。
台灣たいわん清治きよじ末期まっき,社しゃ裡うら地區ちく為ため一いち街がい庄しょう,稱しょう為ため「社しゃ裡うら庄しょう」,隸屬れいぞく於三さん貂てん堡。該庄東ひがし邊べ臨海りんかい,南みなみ隔へだた雙そう溪けい與あずか田た藔洋庄しょう為ため鄰,西にし邊べ為ため下した雙そう溪けい庄しょう,北邊ほくへん為ため丹に裡うら庄しょう[1]。
1901年ねん(日にち治ち明治めいじ三さん十じゅう四よん年ねん)11月,該庄隸屬れいぞく於基もと隆たかし廳ちょう,編入へんにゅう第だい十じゅう二に區く。1905年ねん(明治めいじ三さん十じゅう八はち年ねん)7月がつ,第だい十じゅう二に區く改名かいめい為ため「澳底區く」。1920年ねん(大正たいしょう九きゅう年ねん),該庄改あらため制せい為ため「社しゃ裡うら」大字だいじ,隸屬れいぞく於臺北たいぺい州しゅう基もと隆たかし郡ぐん貢みつぎ寮りょう庄しょう,大字だいじ下か有ゆう「舊きゅう社しゃ」、「水みず返かえし港こう」小字こあざ名めい[2]。
戰後せんご貢みつぎ寮りょう庄しょう改あらため制せい為ため貢みつぎ寮りょう鄉きょう,隸屬れいぞく於臺北たいぺい縣けん,大字だいじ亦また改あらため制せい為村ためむら。2010年ねん(民みん國こく99年ねん)12月,臺北たいぺい縣けん升ます格かく為ため新北しんきた市し,貢みつぎ寮りょう鄉きょう改あらため制せい為ため貢みつぎ寮りょう區く,村むら改あらため制せい為ため里さと。
省しょう道どう台だい2線せん又また稱たたえ「北部ほくぶ濱はま海かい公おおやけ路ろ」,大だい致以南北なんぼく向こう經過けいか社しゃ裡うら地區ちく中部ちゅうぶ偏へん東ひがし一帶いったい,由ゆかり此往南みなみ可か前ぜん往宜蘭あららぎ縣けん的てき頭あたま城じょう、蘇そ澳等地ち,往北可か前ぜん往澳底そこ、基もと隆たかし、金山かなやま、淡水たんすい等地とうち。