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般若经 - 维基百科,自由的百科全书

般若はんにゃ

宗教しゅうきょう经典

わかけい(Prajñāpāramitā sūtra)[1]ため大乘だいじょうそらむね主要しゅようもたれてきいち系列けいれつ经典,其中部分ぶぶん经典大乘だいじょう佛教ぶっきょうさい早出そうしゅつ现的经书れつ般若はんにゃざい梵语智慧ちえてき意思いしあずか世俗せぞくてき智慧ちえ不同ふどう,它专ゆび佛陀ぶっだ开始てきゆび引人超越ちょうえつ世俗せぞくいた彼岸ひがんてき智慧ちえ

般若はんにゃ经核こころ思想しそうそらせいあずか慈悲じひそらせいざい于体验到「一切いっさいみなそら不可ふかとく」,慈悲じひざい于强调ちょう有情うじょう众生てき利他りた精神せいしん种种方便ほうべん。这二しゃ般若はんにゃ乃至ないし大乘だいじょう佛教ぶっきょう体系たいけいてき两根支柱しちゅうかけしょう对空性的せいてきたいさとるあるものかけすくなひろしわたり众生てき心願しんがんあずか实行,みやこただし不能ふのう成佛じょうぶつてき

般若はんにゃ经的历史

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般若はんにゃ经的结集从公もとまえいちせい纪开はじめ,一直延续到公元十世纪。学者がくしゃあいとくはな·あな般若はんにゃ经的发展ぶんなりよん个阶だん[2]

  1. 原始げんし阶段,最早もはやてき般若はんにゃ经《はちせん般若はんにゃくびさき诞生。这个阶段だい致在こうもといちせい纪中かのうざい印度いんど处于やす达罗王朝おうちょう时期。佛学ぶつがく也认为它最早もはやてき大乘だいじょう经之いちよし为,般若はんにゃ经典其他大乘だいじょう经相さらあかり具有ぐゆうともえとし经典しょさい取的とりてき对话方式ほうしき。这种方式ほうしき通常つうじょう早期そうきふつ经特せいてき。而且般若はんにゃ经中てき佛陀ぶっだ通常つうじょうあずか祂的弟子でし,如须菩提ぼだい、满慈舍利しゃりどる对论佛法ぶっぽうざい其他大乘だいじょう经中,あずかふつ对话てきさらてき菩萨。
  2. 发展阶段,ざい这个阶段般若はんにゃ经的へんはば不断ふだん扩充,从八千颂扩展到一万八千颂,まん五千颂乃至十万颂。ざい二到三世纪的龙树时代,就已经有りょうだいしな般若はんにゃ经和小品しょうひん般若はんにゃ经的流行りゅうこうだいしな般若はんにゃゆびてきまんせん颂的版本はんぽん小品しょうひん般若はんにゃゆびてきはちせん颂的版本はんぽん,二者篇幅详略不同,ただし内容ないよう相近すけちか
  3. 浓缩阶段,ゆう两种浓缩方式ほうしき,一种是把长篇的般若经用散文的方式压缩,形成けいせいりょうきむ刚经》、《こころ》这样てき作品さくひん;另外一种方式是用诗颂总结经文的奥义,《现观しょう严论》就是这样创作出来できてき
  4. 密教みっきょう阶段,这期间密きょう思想しそうざい印度いんどとくいたりょう大大的だいだいてき发展,いん具有ぐゆうしんとくてんてき般若はんにゃ经也ずい应运而生。这样てき经典以《おもむき般若はんにゃ》为代表だいひょう。这些经典以中观瑜伽ゆがぎょうてき思想しそうさく为其论基础,而实践上则采ようかく咒术かず仪轨。

般若はんにゃ经列ひょう

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じゅういち世紀せいきらんさつぶん梵語ぼんごはちせん頌般わかけい》(Aṣṭasāhasrikā Prajñāpāramitā Sūtra)かい

仅存于汉语大藏おおくら经中てき单行经典

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朝代あさよ 译者 经名 简称
きさきしん 鸠摩罗什 ふつ说仁おう般若はんにゃ罗蜜经 仁王におう
とう 不空ふくう 仁王におう护国般若はんにゃ罗蜜
般若はんにゃ 大乘だいじょうおもむき六波罗蜜多经
そう ほどこせ ふつ说了义般若はんにゃ罗蜜
てんいき ふつ说观そうふつはは般若はんにゃ罗蜜菩萨经

仅存于藏语大藏おおくら经中てき单行经典

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经名 地位ちい
一切如来母般若波罗蜜多一字母经 般若はんにゃ
般若はんにゃ罗蜜じゅう五门大乘经
般若はんにゃ罗蜜にちぞう大乘だいじょう
圣月ぞう般若はんにゃ罗蜜大乘だいじょう
般若はんにゃ罗蜜大乘だいじょう
般若はんにゃ罗蜜かね刚手大乘だいじょう
般若はんにゃ罗蜜かね刚幢大乘だいじょう

こころ

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汉译年代ねんだい 汉译译者 汉译经名 广本あるりゃくほん ぞう译经めい ざいぞう语般わか经典ちゅう地位ちい
きさきしん 鸠摩罗什 般若はんにゃ罗蜜大明だいめい咒经 りゃくほん 般若はんにゃ罗蜜しん 不入ふにゅう历代くら文藏ぶぞう经,近代きんだい发现于敦煌とんこう
とう げん 般若はんにゃ罗蜜しん
般若はんにゃどもげん 广本 うすとぎ梵母般若はんにゃ罗蜜しん经、ふつはは般若はんにゃ罗蜜しん经、ほんきょうばん《一切法远离戏论和形象大平等性意义总集唯一明点经》[3] とくかく大藏おおくら经》ぶん类,这两种译もとひとしぞく广本,《うすとぎ梵母般若はんにゃ罗蜜しん经》ざい般若はんにゃぞく般若はんにゃ;《ふつはは般若はんにゃ罗蜜しん经》ざい续部
智慧ちえ
ほうなり
ほうがつ 普遍ふへんさとしぞう般若はんにゃ罗蜜しん
そう ほどこせ ふつ说圣ふつはは般若はんにゃ罗蜜
西にしなつ とくとし ふつ说圣ふつはは般若はんにゃ罗蜜しん[4]

汉藏两地大藏おおくら共有きょうゆうてき其他单行经典

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汉译年代ねんだい 汉译译者 汉译经名 对应ぞう译经めい ざいぞう语般わか经典ちゅう地位ちい
そう ほう ふつ说佛ははたから德藏とくぞう般若はんにゃ罗蜜经 般若はんにゃ罗蜜撮要さつようある圣胜としいた彼岸ひがん功德くどくたからしゅう はは般若はんにゃ
おもんみ净等じん ふつ说开觉自せい般若はんにゃ罗蜜 般若はんにゃ罗蜜ひゃく 般若はんにゃ
ほどこせ ふつ说五十颂圣般若波罗蜜经 圣薄とぎ般若はんにゃ罗蜜じゅう
ふつ说帝释般若はんにゃ罗蜜しん 圣帝释般若はんにゃ罗蜜おお
てんいき ふつ说圣ふつはは小字こあざ般若はんにゃ波多はた罗蜜经 般若はんにゃ罗蜜多少たしょう大乘だいじょう
ほどこせ 圣八千颂般若波罗蜜多一百八名陀罗尼经 般若はんにゃ罗密いちひゃくはちめい

げん奘译《だい般若はんにゃ经》ちゅう诸会あずか梵藏对应经典

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汉译经典简称 單行たんこうほん译出年代ねんだい 译师 经名 だい般若はんにゃちゅう诸会 梵文ぼんぶんあるぞうぶん对应经典 ざいぞう佛教ぶっきょうちゅうてき地位ちい
初会しょかい(1~400かん 般若はんにゃ罗蜜じゅうまんゆう梵文ぼんぶんほんじゅうまん般若はんにゃ はは般若はんにゃ
だいしな般若はんにゃ 西にしすすむ 无罗また ひかり般若はんにゃけい だいかい(401~478かん 般若はんにゃ罗蜜まんせんゆう梵文ぼんぶんほんまんせん般若はんにゃ
西にしすすむ 竺法护 ひかりたたえけい
きさきしん 鸠摩罗什 訶般わか波羅蜜はらみつけい
ほぼどうだいかい だいさんかい (479~537かん 般若はんにゃ罗蜜一万八千颂大乘经
般若はんにゃ罗蜜一万颂大乘经
小品しょうひん般若はんにゃ 东汉 ささえ娄迦谶 道行みちゆき般若はんにゃけい だいよんかい(538~555かん 般若はんにゃ罗蜜はちせん,ゆう梵文ぼんぶんばんはちせん般若はんにゃ
ささえ だい明度めいどけい
ぜんはた 昙摩蜱、竺佛ねん 訶般わか鈔經
きさきしん 鸠摩罗什 小品しょうひん般若はんにゃ波羅蜜はらみつけい
そう ほどこせ ふつ说佛はは出生しゅっしょう三法藏般若波罗蜜多经
ほぼどうだいよんかい だいかい (556~565かん
胜天おう般若はんにゃ つきばばくび かち天王てんのう般若はんにゃ波羅蜜はらみつけい だいろくかい(566~573かん
文殊もんじゅ般若はんにゃ りょう 曼陀罗仙 文殊もんじゅ利所ききどころせつ訶般わか波羅蜜はらみつけい だいななかい(574~575かん 曼殊まんしゅしつぶん 般若はんにゃ罗蜜なな百頌大乘经ゆう梵文ぼんぶんほんななひゃく般若はんにゃ 般若はんにゃ
そうとぎばば 文殊もんじゅ利所ききどころせつ般若はんにゃ波羅蜜はらみつけい
濡首般若はんにゃ 刘宋 しょうおおやけ 濡首菩薩ぼさつ無上むじょう清淨せいじょうぶんまもるけい だいはちかい (576かん とぎしつぶん
きむ般若はんにゃ きさきしん 鸠摩罗什 きむつよし般若はんにゃ波羅蜜はらみつけい だいきゅうかい (577かん のう断金だんきん刚分) 般若はんにゃ罗蜜金剛こんごうのうだん大乘だいじょうけい(《さんひゃく般若はんにゃ》),ゆう梵文ぼんぶんほんきむ般若はんにゃ 般若はんにゃ
げんたかし 菩提ぼだいりゅうささえ
ずい きゅうおお きむつよしのうだん般若はんにゃ波羅蜜はらみつけい
とう 义净 ふつ说能断金だんきん般若はんにゃ罗蜜
おもむき般若はんにゃ とう 菩提ぼだいりゅうこころざし 实相般若はんにゃ罗蜜经 だいじゅうかい (578かん 般若はんにゃおもむきぶん 般若はんにゃ罗蜜おもむきひゃくじゅう
きむ刚智 きむ刚顶瑜伽ゆがおもむき般若はんにゃ
不空ふくう だいらく金剛こんごう不空ふくう真言しんごんさん摩耶まやけい
そう ほどこせ 遍照へんじょう般若はんにゃ罗蜜经
ほう 最上もがみ根本ねもとだい乐金刚不そら三昧大教王经
ろくふん般若はんにゃ だいじゅういちかい(579かん~583かん 布施ふせなみ罗蜜多分たぶん 圣说五波罗蜜多大乘经( 《いちせんはちひゃく般若はんにゃ》) 不在ふざいとくかく大藏おおくら经》般若はんにゃ部内ぶない
だいじゅうかい(584かん~588かん 净戒波羅蜜はらみつ多分たぶん
だいじゅうさんかい(589かん やすにん罗蜜多分たぶん
だいじゅうよんかい(590かん せい进波罗蜜多分たぶん
だいじゅうかい(591~592かん せい虑波罗蜜多分たぶん
だいじゅうろくかい(593~600かん 般若はんにゃ罗蜜多分たぶん ぜん勇猛ゆうもう般若はんにゃけいにちぜん勇猛ゆうもう般若はんにゃけい》(《千五百颂般若波罗蜜多经》) 般若はんにゃ

しゃくろん

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詳細しょうさい解釋かいしゃく般若はんにゃけいてきろんざいかんゆうりゅういつき菩薩ぼさつ所作しょさてき大智たいちろん》,ぞうのりゆうでんため彌勒みろく菩薩ぼさつ所作しょさてきげんかん莊嚴しょうごんろん》。

參考さんこう文獻ぶんけん

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  1. ^ かん字典じてん》:「また正字せいじどおりおと缽。梵言般若はんにゃはなげん智慧ちえわかおと惹。」
  2. ^ おうしゅう学者がくしゃゆたかとくあま兹(M. Winternitz)ざい印度いんど文献ぶんけんちゅう这样评论般若はんにゃてき扩充:“ゆう关这些的描述,并不たんたんてき几句话,而是无限てき一再いっさいてき详述。ざいともえとし经典しょいたてきさい三重复的特质,ざいへんはばさら长的《般若はんにゃ经》ちゅうさらつよし调。换句话说,仅仅依もたれ记忆而能产生《じゅうまん般若はんにゃ》这样てききょちょよし于相どうてき文章ぶんしょうあずかおもて现手ほう一再重复的缘故。れい如在じょ说中,ふつ全身ぜんしん放出ほうしゅつ光明こうみょう,其光辉遍照へんじょうぜん世界せかいまた其足ゆび、两踝……とう身体しんたいかく部分ぶぶんみな放出ほうしゅつ光明こうみょうまた说无げん光明こうみょう遍照へんじょう东方世界せかい西方せいほう世界せかい……とうとう。对世かいてき所有しょゆう方位ほうい以相どうてき措词,厌其烦的复述……ゆう相当そうとうてきじん认为这样てき叙述じょじゅつ毫无义,どう时也ゆうしょうひと认为它深义(佛教徒ぶっきょうと除外じょがい),こと实上,它们すんでぞく前者ぜんしゃ,也不きさきしゃ。它们ただ一些经常被取入哲学史中的见解……使つかい这些经典なり为神圣的原因げんいんざい于人们想よう理解りかい这些经典ちゅうしょ说的些难以测知的ちてき教理きょうりひと们总崇拜すうはい不可ふか知的ちてき。”
  3. ^ 此经ほんきょう改造かいぞう广本こころ经而なりたくめい佛祖ぶっそ东巴からし饶宣讲。
  4. ^ 此经けい西にしなつひとしそういのち兰山觉行こく师沙门德としすえ梵文ぼんぶん经本おもしんこぼし译的。1909ねん和大かずひろ批西なつ文献ぶんけん一起出土于内蒙古额济纳旗的黑水城遗址,こんぞうにわか罗斯科学かがくいん东方研究所けんきゅうじょ圣彼とく堡分しょ

外部がいぶ連結れんけつ

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