郳(ní)國くに,又また名な小しょう邾婁國こく、小しょう邾國,中國ちゅうごく歷史れきし上うえ春秋しゅんじゅう戰國せんごく時代じだい的てき一いち個こ諸侯しょこう國こく。戰國せんごく初年しょねん滅亡めつぼう。
在ざい殷いん商しょう之これ前まえ,黄き帝みかど后きさき裔就建立こんりゅう了りょう邾娄部落ぶらく。周しゅう武たけし王おう灭商后きさき,邾娄被ひ封ふう为诸侯こう国こく,称しょう为邾,其古都こと在ざい峄山(今いま邹城市し内うち)之の阳。周しゅう公こう旦だん摄政时期,为了削そぎ弱じゃく诸侯国こく的てき势力采さい取と分ぶん而治之の的てき办法,借か邾国邾武公こう夷えびす父ちち顏がお有功ゆうこう于周室しつ,封ふう其次子じし友とも郳地,故こ叫さけべ郳国。因よし从邾国分ぶん出で,故こ名な小しょう邾国。
郳國(小しょう邾国),位い于山やま东省枣庄市し山やま亭てい区く东江遗址,是ぜ西にし周あまね晚期ばんき至いたり战国时期地ち处齐、鲁、宋そう、楚すわえ等とう大国たいこく之の间的一いち个诸侯こう国こく,小しょう邾(倪)国こく鼎かなえ盛もり时期的てき疆域大体だいたい范围为山やま亭てい区く全部ぜんぶ,东达苍山县西部せいぶ,北きた达平ひら邑县、费县南みなみ缘,西にし达滕州中部ちゅうぶ,南みなみ达峄城区く,南北なんぼく长约55公里くり,东西宽约45公里くり,总面积约2475平方ひらかた公里くり。
明代あきよ万まん历二に十じゅう四よん年ねん《兖州府ふ志こころざし》载有地ち图、文字もじ,即そく当とう今山いまやま东省枣庄市山いちやま亭ちん区く东江村むら东江遗址。
楚すわえ宣せん王おう在位ざいい时(公おおやけ元もと前まえ369——前まえ340年ねん)灭邾、小しょう邾,掠かすめ走はし了りょう“二に邾”的てき遗民南みなみ迁邾城じょう。