陈仕保ほ(19世せい纪—1854年ねん),太平たいへい天国てんごく将はた领,清しん代だい广西省しょう人ひと,亦また作つく陈世保ほ。
陈仕保ほ参加さんか金田かねだ起おこり义,1853年ねん,擢封为太平たいへい军指ゆび挥。5月,太平たいへい军出师北きた伐き,陈仕保ほ同どう曾立昌あきら代替だいたい林はやし凤祥等とう镇守扬州,因いん功こう升ます为夏官かん副ふく丞相じょうしょう。1854年ねん2月がつ,陈仕保ほ随ずい曾立昌あきら率りつ部ぶ救援きゅうえん北きた伐き军,从安徽あんき安やす庆出で发,经过舒城、正せい阳关、颍上,攻おさむ克かつ蒙こうむ城しろ,经过亳州进入河南かなん永えい城しろ、夏なつ邑、转至砀山。3月到いた达山やま东临清,他た反はん对曾立りつ昌あきら北上ほくじょう主ぬし张,之これ后きさき兵へい败於清きよし军南退すさ。4月到いた达安徽あんき凤台县展てん沟集,陈仕保ほ战死。