壽ことぶき張ちょう縣けん,中國ちゅうごく東ひがし漢かん到いた1964年ねん在ざい今いま山東さんとう省しょう、河南かなん省しょう設立せつりつ的てき一いち個こ縣けん。
東ひがし漢かん改あらため壽ことぶき良りょう縣けん置おけ,東ひがし漢かん光武みつたけ帝みかど劉りゅう秀しげる叔父おじ名めい良りょう,爲ため避其諱いみな,故こ改あらため縣けん名めい爲ため壽ことぶき張はり。在ざい今こん山東さんとう省しょう東平とうへい縣けん西南せいなん,屬ぞく東平とうへい國こく。初はつ平たいら三さん年ねん(192年ねん),曹操そうそう擊げき黃き巾はば於壽張ちょう東ひがし,即そく此。南朝なんちょう宋そう改名かいめい壽ことぶき昌あきら,北きた魏たかし復ふく名めい壽ことぶき張はり。隋ずい朝あさ時とき,屬ぞく濟すみ北郡ほくそぎ。
唐から朝あさ初年しょねん,移うつり治ち今いま梁りょう山縣やまがた西北せいほく,屬ぞく鄆州。金かね朝あさ大だい定じょう七なな年ねん(1167年ねん),河水こうすい壞城,遷於今こん陽ひ穀こく縣けん西南せいなん竹口たけぐち,十じゅう九きゅう年ねん復ふく還かえ舊きゅう治ち,屬ぞく東平とうへい府ふ。元もと屬ぞく東平とうへい路ろ。
明朝みょうちょう洪ひろし武たけ十じゅう四よん年ねん(1381年ねん)再さい移うつり治ち王おう陵りょう店てん,即今そっこん陽ひ穀こく縣けん東南とうなん壽ことぶき張ちょう鎮,屬ぞく兗州府ふ,清朝せいちょう沿襲不ふ改あらため。雍正八はち年ねん(1730年ねん)到いた十じゅう三さん年ねん(1735年ねん)一いち度ど屬ぞく東平とうへい州しゅう。
1912年ねん—1937年ねん屬ぞく山東さんとう省しょう東ひがし臨道;1937年ねん—1945年ねん,屬ぞく山東さんとう省しょう第だい六行政督察專員公署;1945年ねん,中共ちゅうきょう將はた壽ことぶき張ちょう劃屬冀魯豫よ邊べ區く第だい八はち專せん署しょ。1949年ねん9月がつ改あらため屬ぞく平原へいげん省しょう聊城專せん區く;1952年ねん屬ぞく山東さんとう省しょう聊城專せん區く。
1958年ねん12月,陽ひ穀こく縣けん併入壽ことぶき張ちょう縣けん;1961年ねん7月がつ,從したがえ壽ことぶき張ちょう縣けん中ちゅう析出せきしゅつ原はら陽よう穀こく縣けん境域きょういき恢復かいふく陽ひ穀こく縣けん建けん制せい。1964年ねん11月がつ壽ことぶき張ちょう縣けん建けん制せい撤銷,金きむ堤つつみ以南いなん地區ちく劃歸河南かなん省しょう(現在げんざい的てき台たい前ぜん縣けん),金きむ堤つつみ以北いほく地ち區劃くかく歸山きさん東ひがし省しょう陽ひ穀こく縣けん(現在げんざい的てき壽ことぶき張ちょう鎮)。