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济北郡 - 维基百科,自由的百科全书

济北ぐん

はたちょう设置てきぐん

すみ北郡ほくそぎ中國ちゅうごくはたちょう时设おけてきぐんざいいまやま东省河北かほくしょうさかい

やま东历系列けいれつ条目じょうもく
ふみぜん時代じだい

さんすめらぎみかど
きゅう石器せっき时代
沂源じん しんたいじん
しん石器せっき时代
きさき きたからし だい汶口 龙山 たけせき
ふとひろし しょうひろし 蚩尤
なつ 羌人 きゅうえびす东夷
ゆう穷氏 ゆう鬲氏 しょう部落ぶらく
しょう 羌人 しょうかた つげ みにく 纪国 しょう うすしゅうと ひとかた つくりかた
しゅう 春秋しゅんじゅう 莱国 莒国 滕国 齐国 鲁国 やまえびす ちく
戰國せんごく はたこく
はた 临淄ぐん 琅邪ぐん 济北ぐん 胶东ぐん 薛郡
かん 临菑ぐん ひろし阳郡 济北ぐん 胶东ぐん 胶西ぐん 琅邪ぐん 城陽じょうようぐん
曹魏
すすむ 西にしすすむ
东晋 ぜんはた ぜん きさき ぜん きさき ぜんはた 西燕にしつばめ
北朝ほくちょう きたたかし 东魏 きた
ずい 河南かなんどう
とう 河南かなんどう
だい きさきはり きさきとう きさきすすむ こうかん きさきしゅう
そう きょう东东 きょう东西
きむ やま东东 やま东西
もと ちゅう书省やま东东西道さいどうせん慰司
あきら やま东承宣布せんぷせい使
きよし 山東さんとうしょう (清朝せいちょう)
中華民國ちゅうかみんこく やま东省 青島ちんたお特別とくべつ
中華ちゅうか人民じんみん
共和きょうわこく
やま东省
济南历史 あお岛历
やま东主题专页

沿革えんかく

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はたかん

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はたはじめすめらぎどきふん臨菑ぐんおけすみ北郡ほくそぎはくいまやま东省たいやす东南)。辖境济水りょうきし相当そうとう今山いまやま东省とくしゅう茌平以东,东平たいやす莱芜以北いほく邹平しん以西いせい河北かほくしょう沧州うみ以南いなん

ぜん206ねんひとし宗室そうしつ田安たやすおさむ佔濟きたすうじょう項羽こううたてためずみきたおうみやこひろしひとしこくとげぶんためさんひとし同年どうねんひとしおうさかえころせ田安たやすおうさんひとしかんよんねんぜん203ねん),かんしん平定へいていさんひとしたてためひとしおうねんぜん202ねん),徙韓しんためすわえおう[1]ふくおけすみ北郡ほくそぎ,仍治はくろくねんぜん201ねん),たて皇子おうじりゅうこえためひとしおうすみ北郡ほくそぎぞくひとしこくふんはくとうけんおけひろしぐんとげうつりいま山東さんとうしょうすみ南市みなみいちちょうきよし西南せいなん)。

漢文かんぶんみかどねんぜん178ねん),だてひとし悼惠おう之子ゆきこひがし牟侯りゅうきょうきょためずみきたおうふんひとしこくずみきたぐんおけすみ北國きたぐにさんねんぜん177ねん),すみきたおう謀反ぼうほんくにじょためすみ北郡ほくそぎじゅうろくねんぜん164ねん),だてひとし悼惠おうこれ子安こやすこうりゅうこころざしためずみきたおうふくおけすみ北國きたぐにかんけいみかどよんねんぜん153ねん),徙濟きたおうため菑川おうぶんずみ北國きたぐにおけ平原ひらばらぐん,徙衡山王さんのうりゅうためずみきたおうかんたけみかどもとついたちさんねんぜん126ねん),推恩おけかげやすさかえせきしゅうのぞむ、陪、まえ安陽あんようよりどころとみひらめはねえびすじゅういちこうこくべつぞくひがしぐん平原ひらばらぐん泰山たいざんぐんとう鄰郡[2]もとかり元年がんねんぜん122ねん),すみきたおうけんじ泰山たいざん及其周圍しゅういてきけん邑於天子てんしとげぶんすみみなみぐん南部なんぶあずかすみ北國きたぐにけんじおけ泰山たいざんぐん,另以けんつぐなえずみきたおうもとふうねんぜん106ねん),おけじゅうさん刺史ししすみ北國きたぐにぞく兗州刺史ししこうねんぜん87ねん),すみきたおうりゅうひろし謀反むほんくにじょりょうけん併入泰山たいざんぐん[3]

漢和かんわみかどえいはじめねん(90ねん),たてすめらぎおとうとりゅうひさしためずみきたおうふん泰山たいざんぐんへびおかなりごうよんけんふくおけすみ北國きたぐにこうひがしぐん茌平けんえきずみ北國きたぐにいたり此,すみ北國きたぐにりょうけんへびおかなり、茌平、つよし[4]かん桓帝たてかず元年がんねん(147ねん),ぞうふうずみきたおうせんこう土宇つちうひがしぐん臨邑けんある於此えきずみ北國きたぐにこうぶんけんふくおけこえぐすくけんまたはい[5]

かんけんじみかどたてやすしじゅういちねん(206ねん),くにじょためすみ北郡ほくそぎけんやすじゅうななねん(212ねん),たて皇子おうじりゅうためずみきたおうふくおけすみ北國きたぐに[6]

すすむじゅうろくこく

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ぶんみかどはつ元年がんねん(220ねん),くだかんずみきたおうため列侯れっこうくにじょためすみ北郡ほくそぎあかりみかどふとしななねん(233ねん),そうひねおう曹植於其きゅう封地ほうちひがしおもね[7]とげ徙封其嗣子しし曹志ためずみきたおうふくおけすみ北國きたぐに[8]

曹魏前後ぜんご,茌平けんあらためぞく平原へいげんこくつよしけんなるけん併入)あらためぞく東平とうへいこくひがしぐんひがしおもねこくじょうけんあらためぞくずみ北國きたぐにいたり此,すみ北國きたぐにりょうけんへびおか、臨邑、ひがしおもねこくじょう[9]うつりけんじょういま山東さんとうしょうひらかげけん西にし[10]いたり南朝なんちょう初年しょねん不變ふへん[11]

すすむたけみかどやすしはじめ元年がんねん(265ねん),以濟北國きたぐにてんふう荀勖[12]えい嘉之よしゆきらんくにじょためすみ北郡ほくそぎ

じゅうろくこく時期じきすみ北郡ほくそぎ先後せんごためこうちょう(325ねん-351ねん)、あずますすむ(351ねん-355ねん)、ぜんつばめ(355ねん-370ねん)、ぜんはた(370ねん-384ねん)、あずますすむ(384ねん-387ねん)、こうつばめ(387ねん-398ねん)、あずますすむ(398ねん-399ねん)、みなみつばめ(399ねん-410ねん所有しょゆうこうつばめけんきょうななねん(392ねん),兗州併入あおしゅうすみ北郡ほくそぎあらためぞくあおしゅうすすむやすみかどりゅうやすしねん(398ねんおさむふくずみ北郡ほくそぎかえぞく兗州,ねん入南にゅうなんつばめまたあらためぞく并州ろくねん(410ねん),あずますすむさいつぎおさむふくずみきたぐんかえぞく兗州。[10]

南北なんぼくあさ

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そうしょうみかどえいはじめさんねん(422ねん),すみ北郡ほくそぎずみみず以北いほくてき臨邑、ひがしおもねけんためきたたかしところおさむ[10],僅餘ずみみず以南いなんてきへびおかこくじょうさんけんいん避敵而移けんこえじょういま山東さんとうしょうこえ城市じょうし[13]こうざいすみすい以南いなん僑置臨邑、ひがしおもねけんそうたかしたけみかどこうけん元年がんねん(454ねん),ふとしはらぐんやま茌縣あらためぞくずみ北郡ほくそぎ[14]大明だいめい元年がんねん(457ねん),しょう臨邑、ひがしおもねけんいたり此,すみ北郡ほくそぎりょうよんけんへびおかこくじょうやま[11]

きたたかし明元あけもとみかどたいつねはちねん(423ねん),以上いじょうねんおさむ佔的ずみきたぐん東平とうへいぐんてき部分ぶぶん區域くいきおけ濟州さいしゅう碻磝じょうざいいま山東さんとうしょう茌平けん西南せいなん);ぶん臨邑けん僑置けん碻磝じょう)。いたり此,すみ北郡ほくそぎりょうさんけん、臨邑、ひがしおもねおさむけん碻磝じょうきたたかしけんじぶんみかどすめらぎきょう元年がんねん(467ねん),またおさむりゅうそう兗州すみ北郡ほくそぎ殘存ざんそんすめらぎきょうねん(468ねん),以宋兗州おけひがし兗州ふんそうけんおけこえぐすくけんやまけんあらためぞくふとしはらぐんこえじょうへびおかこくじょうさんけん併入濟州さいしゅうすみきたぐんいたり此,すみ北郡ほくそぎりょうろくけん、臨邑、ひがしおもねこえじょうへびおかこくじょう[10]

きたたかし孝明たかあきみかど孝昌たかまささんねん(527ねん),ふんずみ北郡ほくそぎこえじょうへびおかこくじょうさんけんおけひがしずみ北郡ほくそぎ[5]きたひとし文宣ふみのぶみかど天保てんぽうななねん(556ねん),臨邑けん併入けんはいひがしずみ北郡ほくそぎ,其所りょうこくぐすくけん併入こえぐすくけんこえじょうへびおか二縣改屬濟北郡;はい東平とうへいぐん,其所りょう范縣併入ことぶきちょうけんあらためぞくずみきたぐんいたり此,すみ北郡ほくそぎりょうけんひがしおもねこえじょうへびおかことぶきちょう[10]

しゅうたけしみかど建德けんとくななねん(578ねん),ことぶきちょうけんあらためぞく魯州高平たかひらぐんふんこえじょうへびおかけんおけこえぐすくぐんいたり此,すみ北郡ほくそぎりょうけんひがしおもね[10]

ずいとう

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ずいぶんみかどひらきすめらぎさんねん(583ねん),はいずみきたぐんりょうけん直屬ちょくぞく濟州さいしゅう

ずい煬帝大業おおわざさんねん(607ねん),あらため濟州さいしゅうためすみ北郡ほくそぎ,仍治けん碻磝じょうりょうきゅうけん、范、こくひがしおもねひらかげちょうきよしすみきたことぶきちょうこえじょう[15]

たかしながひらた元年がんねん(617ねん),あらためずみ北郡ほくそぎため濟州さいしゅうもと天壽てんじゅ元年がんねん(618ねん),ふくあらためためすみ北郡ほくそぎから高祖こうそ武德ぶとくねん(619ねん),ふくあらためため濟州さいしゅうすみきたぐんめいさい作為さくい行政ぎょうせい區劃くかく名稱めいしょうからげんむね天寶てんぽう元年がんねん(742ねん),あらため濟州さいしゅうため济阳ぐん[16]

人口じんこう

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長官ちょうかん

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すみきたしょう(90ねん-206ねん

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すみきた太守たいしゅ(206ねん-212ねん

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すみきたしょう(212ねん-220ねん

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すみきた太守たいしゅ(220ねん-233ねん

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すみきたしょう(233ねん-310年代ねんだい

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すみきた太守たいしゅ(310年代ねんだい-359ねん

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すみきた內史(359ねん-370ねん

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すみきた太守たいしゅ(370ねん-577ねん

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すみ北郡ほくそぎもり(577ねん-583ねん

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  • 公孫こうそんけいしげるもと蔚,河間こうま阜城じんしゅうたけしみかど建德けんとくろくねん(577ねんだしにん以母しょく[38]

すみ北郡ほくそぎ太守たいしゅ(607ねん-619ねん

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  • 楊雄ひろのうはなかげじんずい煬帝大業おおわざはちねん(612ねん追贈ついぞう[39]

國主こくしゅ

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  • すみきたおうりゅうきょうきょぜん178ねんまえ177ねん在位ざいい
  • すみきたおうりゅうこころざしぜん164ねんまえ153ねん在位ざいい
  • すみきたさだおうりゅうぜん153ねんまえ152ねん在位ざいい
    • すみきたなりおう刘胡ぜん151ねんまえ98ねん在位ざいい
  • すみ北惠きたけいおうりゅうひさし,90ねん-120ねん在位ざいい
    • すみきたぶしおうりゅうのぼる,121ねん-135ねん在位ざいい
      • すみきたあいおうりゅう,136ねん-138ねん在位ざいい
    • すみきた釐王りゅう安國やすくに,139ねん-145ねん在位ざいい
      • すみきたこうおうりゅう,146ねん-162ねん在位ざいい
        • すみきたおうりゅう,163ねん-?在位ざいい
          • すみきたおうりゅうまさし在位ざいい時間じかん不詳ふしょうこくぜっ於206ねんこくじょ[40]
  • すみきたおうりゅう,212ねん-220ねん在位ざいい[6]
  • すみきたおう曹志,233ねん-265ねん在位ざいい
  • すみきたなりこう荀勖,265ねん-289ねん在位ざいい
    • すみきた簡侯荀輯
      • すみきたれつこう荀畯
        • すみきたこう荀識れつこう弟子でし)。
          • すみきたこう荀軌しょうつぎなりこう),377ねん-?在位ざいい[41]
  • すみきたおう慕容泓,359ねん-370ねん在位ざいい[22]

まいり

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註釋ちゅうしゃく及徵引文獻ぶんけん

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  1. ^ 漢書かんしょ·まきじゅうさん·異姓いせい諸侯しょこうおうひょうだいいち
  2. ^ 漢書かんしょ·まきじゅうじょう·王子おうじこうひょうだいさんじょう
  3. ^ しゅうづる西にしかんせい地理ちり
  4. ^ あきらすぐるひがしかんせい地理ちり
  5. ^ 5.0 5.1 5.2 しょ·まきいちひゃくろくちゅう·地形ちけいこころざしちゅうだいろく
  6. ^ 6.0 6.1 こう漢書かんしょ·まききゅう·こうけんじみかどだいきゅう
  7. ^ 卢善焕.·曹植砖铭释读あさ议[J].·文物ぶんぶつ,·1996(10):93-93.
  8. ^ 三國志さんごくし·まきじゅうきゅう·しょじゅうきゅう·にんじょうひねしょうおうでんだいじゅうきゅう
  9. ^ 9.0 9.1 すすむしょ·まきじゅうよん·こころざしだいよん·地理ちりじょう
  10. ^ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·じゅうろくこく北朝ほくちょうまき
  11. ^ 11.0 11.1 11.2 そうしょ·まきさんじゅう·こころざしだいじゅう
  12. ^ すすむしょ·まきさんじゅうきゅう·列傳れつでんだいきゅう
  13. ^ そうしょしゅうぐんしむら彙釋》
  14. ^ そうしょ·まきさんじゅうろく·こころざしだいじゅうろく
  15. ^ 15.0 15.1 ずいしょ·まきさんじゅう·こころざしだいじゅう
  16. ^ 中國ちゅうごく行政ぎょうせい區劃くかく通史つうし·とうだいまき
  17. ^ ぞく漢書かんしょ·こころざしだいじゅういち·ぐんこくさん
  18. ^ こう漢書かんしょ·まきじゅう·ちぇ駰列でんだいよんじゅう
  19. ^ こう漢書かんしょ·まきななじゅうはち·宦者列傳れつでんだいろくじゅうはち
  20. ^ こう漢書かんしょ·まきじゅうろく·はりおう种陳列傳れつでんだいよんじゅうろくあきらふところ註引しゃうけたまわしょ
  21. ^ こう漢書かんしょ·まきななじゅうよんじょう·袁紹りゅうおもて列傳れつでんだいろくじゅうよんじょう
  22. ^ 22.0 22.1 どおり鑒·まきいちひゃく·すすむじゅう
  23. ^ どおり鑒·まきいちさん·すすむじゅう
  24. ^ すすむしょ·まきななじゅうきゅう·列傳れつでんだいよんじゅうきゅう
  25. ^ すすむしょ·まききゅう·みかどだいきゅう
  26. ^ かん南北なんぼくあさ墓誌ぼし彙編》そう員外いんがいさむらいろうあきらくん墓誌ぼしめい
  27. ^ そうしょ·まきじゅう·列傳れつでんだいじゅう
  28. ^ そうしょ·まきはちじゅうろく·列傳れつでんだいよんじゅうろく
  29. ^ しょ·まきさんじゅうさん·列傳れつでんだいじゅういち
  30. ^ しょ·まきさんじゅうなな·列傳れつでんだいじゅう
  31. ^ しょ·まきななじゅう·列傳れつでんだいろくじゅう
  32. ^ しょ·まきろくじゅういち·列傳れつでんだいよんじゅうきゅう
  33. ^ かん南北なんぼくあさ墓誌ぼし彙編》邵州使くん寇公つま薛誌
  34. ^ しょ·まきさんじゅうきゅう·列傳れつでんだいじゅうなな
  35. ^ しゅうしょ·まきさんじゅうよん·列傳れつでんだいじゅうろく
  36. ^ かん南北なんぼくあさ墓誌ぼし彙編》□ひろ墓誌ぼし
  37. ^ きたひとししょ·まきよんじゅうろく·列傳れつでんだいさんじゅうはち
  38. ^ ずいしょ·まきななじゅうさん·列傳れつでんだいさんじゅうはち
  39. ^ ずいしょ·まきよんじゅうさん·列傳れつでんだいはち
  40. ^ こう漢書かんしょ·まきじゅう·しょうみかどはちおうでんだいよんじゅう
  41. ^ きゅうすすむ书九辑本》