(Translated by https://www.hiragana.jp/)
居庸關雲台 - 維基百科,自由的百科全書

きょいさおせきくもだい

文物ぶんぶつ单位

きょいさおせきくもだい中華人民共和國ちゅうかじんみんきょうわこく北京ぺきん昌平しょうへい南口みなみぐちきょいさおせき內,一座過街塔的塔基遺址。該雲だいけん於元まついたりせい年間ねんかん建造けんぞうはつ其上ゆうさんぞうしき佛塔ぶっとう。此後佛塔ぶっとう毀,明代あきよどきくもだいじょういちあらためけんため佛殿ぶつでん清朝せいちょうかん熙年あいだ佛殿ぶつでん毀於火災かさい,此後くもだいじょうさい建築けんちくなみ保留ほりゅういたりいま。該雲だい上小かみこ下大しもおお南北なんぼく兩側りょうがわひらきゆうけんもんけんもん內外雕刻ゆう大量たいりょう浮雕銘文めいぶん。1961ねんきょいさおせきくもだいれつため全國ぜんこく重點じゅうてん文物ぶんぶつ保護ほご單位たんい

きょいさおせきくもだい
全國ぜんこく重點じゅうてん文物ぶんぶつ保護ほご單位たんい
中華人民共和國ちゅうかじんみんきょうわこく國務こくむいんおおやけ
 中國ちゅうごく北京ぺきん昌平しょうへい
分類ぶんるい建築けんちく及歷史紀ふみのりねん建築けんちくぶつ
時代じだいもと
へんごう1-98
認定にんてい時間じかん1961ねん
 
はら北京ぺきん法海のりかいてらくもだいじょうてきしろとう近似きんじ於居いさおせきはらまちさんとう

きょいさおせきくも台原だいのはらためまちとうてきとう於居いさおせき關城せきじょう[1]:20けんもといたりせいねん(1342ねん),もとじゅんみかどため指定してい四名藏族人作為雲台的設計和工程指揮。たてしげる於至せいねん(1345ねん[2]:243。該雲だい上方かみがたはら有三ゆうぞう白色はくしょくぞうしき佛塔ぶっとう[a]あかりはつ三座塔先後被毀。此後くもだい上方かみがたあらためけんためめん闊五あいだてき佛殿ぶつでん[3]あきら正統せいとうはちねん(1443ねん)該佛殿どのとく以重けんなみ正統せいとうじゅうさんねん(1448ねんじゅうけん完成かんせい殿しんがり供奉ぐぶゆう盧遮那るしゃな文殊もんじゅ菩薩ぼさつ普賢菩薩ふげんぼさつとう佛像ぶつぞう[4]:845[b]弘治こうじ年間ねんかん,該雲だいじょうかえ曾修たてゆう一座いちざせいだいくもかく[5]きよしかん熙四じゅういちねん(1702ねんがつくもだい上方かみがたてき所有しょゆう建築けんちく全部ぜんぶ毀於火災かさい[4]:845しんだいこれきょいさおせき關城せきじょう內其建築けんちく先後せんご毀棄きき,僅餘一座いちざくもだい[6]:31くもだいじょう此後さい其他建築けんちく[3]。1961ねんきょいさおせきくもだいれつため全國ぜんこく重點じゅうてん文物ぶんぶつ保護ほご單位たんい[7]。1993ねん北京ぺきんじゅう三陵特區辦事處投資1.2億元人民幣對居庸關進行整體修繕,なみ於1998ねん3がつ28にちたい社會しゃかい開放かいほうきょいさおせきくもだい也在修復しゅうふく開放かいほうてき範圍はんい[8]:35-36

結構けっこう

編輯へんしゅう

きょいさおせきくもだいまたたたえくもだいせきかく」,一座下大上小的漢白玉石台座,だかやく10めーとる底部ていぶ東西とうざいちょう26.84めーとる南北なんぼくひろし17.57まいいただき東西とうざいちょう24.04めーとる南北なんぼくひろし14.73まいくもだい南北なんぼく兩面りょうめんせい中開なかびらきゆうしょうれんどおりてきはんはち角形かくがたけんもんこう7.27めーとるひろし6.32まいけんもん內外てき浮雕裝飾そうしょくひとしためぞうしき風格ふうかくけんもん內壁てきいただき雕刻ゆう5曼陀羅まんだら圖案ずあんはすいただき雕刻ゆうじゅうぽうふつ圖案ずあん曼陀羅まんだら十方佛之間雕刻有千佛。兩側りょうがわ垂直すいちょくてき內壁雕刻ゆうよんだい天王てんのうみやつこぞう東西とうざいりょうかべかくゆうりょうみことざい四大天王造像之間的兩面均有石刻文字,其中いちがわためぞうぶん梵文ぼんぶん漢文かんぶんはちおもえともえぶん、維吾なんじぶん[c]西にしなつぶん拼寫てき陀羅尼だらにけい咒》;另一がわためぞうぶん漢文かんぶんはちおもえともえぶん、維吾しか文和ふみかず西にしなつぶん記載きさいてきみやつことう功德くどく》。南北なんぼくけん門外もんがいがわてき兩邊りょうへん雕刻ゆう四個圓形交杆浮雕,其正ちゅうため大鵬たいほうきん翅鳥。左右さゆう對稱たいしょう雕刻ゆうくじらぎょ龍子りゅうこわらわおとこ怪獸かいじゅうぞうとうろく拏具」圖案ずあんくもだいいただきてき四個方向均有挑出的兩層石平盤,じょうゆう如意にょいくもししめんえいからまたれたまてき浮雕。石平いしだいら盤上ばんじょうかたあんそうゆう一圈石質護欄,まもるらんもちばしら下方かほう和台わだいいただきてき四角位置均有排水用的石雕螭首。[2]:243[4]:845

まいり

編輯へんしゅう

註釋ちゅうしゃく

編輯へんしゅう
  1. ^ よりどころ文獻ぶんけん考證こうしょうだいじょうてき三座佛塔應為由西向東直線排列,且該くもだい建造けんぞう周圍しゅういそん有名ゆうめいためうけたまわ明寺あけてらてき佛寺ぶつじくもだいあるため佛寺ぶつじてき附屬ふぞく建築けんちく[3]
  2. ^ 其時くもだい附近ふきんそん有名ゆうめいためたい安寺あてらてき佛寺ぶつじ,其上佛殿ぶつでんあるため該寺建築けんちくただしたい安寺あてらうけたまわ明寺あけてらてき關係かんけいこう[3]
  3. ^ 此維われなんじぶんためかい鶻體ぶんしもどう[2]:243

參考さんこう

編輯へんしゅう
  1. ^ ちょう明義あきよし王立おうりつぎょうだんじんぬしへんそう惕冰(まきおもへん北京ぺきん地方ちほうこころざし編纂へんさん委員いいんかいへん. 北京ぺきんこころざし·文物ぶんぶつまき·文物ぶんぶつこころざし. 北京ぺきん: 北京ぺきん出版しゅっぱんしゃ. 2006-03-01: 784. ISBN 7-200-05631-6. 
  2. ^ 2.0 2.1 2.2 北京ぺきん地方ちほうこころざし編纂へんさん委員いいんかいへん. 北京ぺきんこころざし· 民族みんぞく·宗教しゅうきょうまき ·宗教しゅうきょうこころざし. 北京ぺきん: 北京ぺきん出版しゅっぱんしゃ. 2007-05-01: 615. ISBN 978-7-200-06614-2. 
  3. ^ 3.0 3.1 3.2 3.3 宿やどしろ. きょいさお关过がいとうこう稿こう. 文物ぶんぶつ. 1964-04: 13–29. 
  4. ^ 4.0 4.1 4.2 昌平しょうへいけん編纂へんさん委員いいんかいへん. 北京ぺきん昌平しょうへい县志. 北京ぺきん: 北京ぺきん出版しゅっぱんしゃ. 2007-06-01: 1027. ISBN 978-7-200-06612-8. 
  5. ^ 京山きょうやま. きょいさお关云だい. 北京ぺきん檔案. 1987-02: 33–34. 
  6. ^ ちょう明義あきよしとうおもへん北京ぺきん地方ちほうこころざし編纂へんさん委員いいんかいへんつばめあきまきぬしへん. 北京ぺきんこころざし·けん筑卷·けん筑志. 北京ぺきん: 北京ぺきん出版しゅっぱんしゃ. 2003-09-01: 1014. ISBN 7-200-04939-5. 
  7. ^ くに务院关于公布こうふだい一批全国重点文物保护单位名单的通知. 中華人民共和國ちゅうかじんみんきょうわこく國家こっか文物ぶんぶつきょく. 2006-11-20 [2015-02-09]. (原始げんし內容そん檔於2014-10-08) ちゅうぶん中國ちゅうごく大陸たいりく)). 
  8. ^ だんがらじんぬしへん北京ぺきん地方ちほうこころざし編纂へんさん委員いいんかいへん;於長こうまきおもへん. 北京ぺきんこころざし·たびゆうまき·たびゆうこころざし. 北京ぺきん: 北京ぺきん出版しゅっぱんしゃ. 2006-11-01: 1014. ISBN 7-200-06349-5.