沮渠菩提ぼだい(?—?),临松(今いま甘あま肃省张掖南みなみ)卢水胡えびす人じん。十じゅう六ろく国こく北きた凉将はた领。沮渠蒙こうむ逊子こ。
承うけたまわ玄げん二に年ねん(429年ねん),沮渠蒙こうむ逊的世子せいし沮渠兴国被ひ西にし秦しん俘虏,乞伏暮くれ末まつ拒こばめ绝放回かい。沮渠蒙こうむ逊于是ぜ立りつ沮渠兴国的てき胞弟沮渠菩提ぼだい为世子せいし。义和三さん年ねん(433年ねん),沮渠蒙こうむ逊病重じゅう,国内こくない贵族大臣だいじん们共议,因いん世子せいし沮渠菩提ぼだい年ねん幼よう,决定立ていりつ沮渠菩提ぼだい之の兄あに敦煌とんこう太守たいしゅ沮渠牧まき犍为世子せいし,加か授沮渠みぞ牧まき犍为中外ちゅうがい都と督とく、大将たいしょう军、录尚书事。沮渠蒙こうむ逊去世よ,谥号武たけ宣せん王おう,庙号太ふとし祖そ。沮渠牧まき犍继位い,改あらため年号ねんごう承うけたまわ和わ。