楚すわえ姓せい是ぜ當今とうこん中國ちゅうごく姓氏せいし排はい行ぎょう第だい二に百ひゃく七なな十じゅう六ろく位い的てき姓氏せいし。
據よりどころ《姓せい苑えん》、《通つう志こころざし·氏族しぞく略りゃく》所載しょさい,周しゅう成しげる王おう封ふう顓頊帝みかど高だか陽よう氏し之の裔鬻熊之これ曾孫そうそん熊くま繹於丹陽ひ,國號こくごう荊,後ご遷都せんと於郢城じょう,始はじめ改あらため國號こくごう楚すわえ。戰國せんごく時とき,楚すわえ國こく為ため「戰國せんごく七なな雄ゆう」之の一いち。公おおやけ元もと前まえ223年ねん,楚すわえ國こく被ひ秦はた國こく所ところ滅めつ。楚すわえ國こく的てき公おおやけ族ぞく後代こうだい就以國名こくめい為ため姓せい。楚すわえ姓せい與あずか熊くま姓せい、荊姓、羋姓、莊そう姓せい、嚴いむ姓せい、屈こごめ姓せい等とう姓氏せいし可か以說是ぜ同どう源みなもと。
此外據よりどころ《通つう志こころざし·氏族しぞく略りゃく》、《萬まん姓せい統すべ譜ふ》所載しょさい,周平しゅうへい王おう庶子しょし林はやし開ひらく之の裔,魯大夫たいふ林はやし楚すわえ之これ後ご,以祖名めい為氏ためうじ,稱しょう楚すわえ姓せい。
[編へん]