忽ゆるがせ都と答こたえ儿(?—?),蒙こうむ古こ族ぞく八はち剌忽䚟氏,唵木海うみ的てき孙子,忒木台だい儿之子こ。元朝がんちょう将はた领。
至いたり元もと十じゅう三さん年ねん(1276年ねん),元もと世よ祖そ命いのち忽ゆるがせ都と答こたえ兒じ袭砲手しゅ总管。至いたり元もと十じゅう四よん年ねん(1277年ねん),忒木台だい儿、忽ゆるがせ都と答こたえ儿父子ふし镇守平江ひらえ府ふ常つね熟じゅく。当とう时常熟じゅく地区ちく的てき农民起おこり义,拥众自号ごう太ふとし尉じょう,行くだり省しょう会かい诸军讨伐镇压,与あずか忽ゆるがせ都と答こたえ兒じ父子ふし自じ为一军,斩杀戴太尉じょう,擒とりこ朱しゅ太ふとし尉じょう,元もと世よ祖そ嘉よしみ赏他们父子ふし的てき功こう劳。忽ゆるがせ都と答こたえ兒じ后きさき升ます砲手ほうしゅ万まん户,改あらため授达鲁花はな赤あか,之これ后きさき病びょう卒そつ。