劉りゅう祗(2世紀せいき—200年ねん),為ため中國ちゅうごく東ひがし汉時期じき的てき一いち位い藩はん王おう,封ふう于東海とうかい國こく,諡號しごう東海とうかい懿王,於永寿ながとし二に年ねん(156年ねん)—建たて安やすし五ご年ねん(200年ねん)在位ざいい,共きょう45年ねん。(《後こう漢書かんしょ》本ほん傳つて誤あやま作さく即位そくい時間じかん157年ねん—200年ねん,在位ざいい44年ねん。)其父是ぜ东海孝こう王おう刘臻。
初はつ平たいら四よん年ねん(193年ねん),汉献帝みかど刘协封ふう劉りゅう祗的儿子劉りゅう琬为汶阳侯,拜はい为平原へいげん相しょう。
建けん安やす五ご年ねん(200年ねん)十じゅう月がつ,劉りゅう祗薨,其子劉りゅう羨とも嗣东海王かいおう位い。