匠たくみ戶ど,是ぜ元朝がんちょう諸色しょしき戶と計けい(戶籍こせき制度せいど)的てき一いち種しゅ。明朝みんちょう保留ほりゅう了りょう下か来らい。
元朝がんちょう政府せいふ強迫きょうはく人民じんみん必須ひっす世襲せしゅう其職業ぎょう,匠たくみ戶ど由よし於有特殊とくしゅ技能ぎのう,尤ゆう其受到重視じゅうし。匠たくみ戶ど在ざい戶籍こせき上じょう自じ成なり一類いちるい,必須ひっす在官ざいかん府ふ的てき手工業しゅこうぎょう局きょく、院いん中ちゅう服務ふくむ,接受せつじゅ官かん府ふ管理かんり,不ふ許もと任意にんい改變かいへん戶籍こせき。有ゆう些富裕ふゆう工匠こうしょう成なり為ため匠たくみ官かん。
由よし於所分配ぶんぱい到いた的てき工作こうさく與あずか個人こじん專せん長ちょう未必みひつ相しょう符ふ,又また不能ふのう改變かいへん,許多きょた匠たくみ戶ど常つね被ひ迫さこ自じ行くだり出錢でせん雇やとい別人べつじん代だい工こう,沉重的てき負擔ふたん往往おうおう使つかい匠たくみ戶と家か破やぶ人ひと亡ほろび:如明太めんたい祖そ朱しゅ元もと璋あきら的てき父ちち、祖そ本ほん為ため「淘よなげ金戶かねと」,但ただし因よし家鄉かきょう已やめ無む金かね可か淘よなげ,被ひ迫さこ種田たねた購買こうばい黃金おうごん交差こうさ,不ふ久ひさ即そく破產はさん,全ぜん家いえ逃亡とうぼう。