吴玉搢(?—?),字じ籍せき五ご,号ごう山やま夫おっと,清きよし山やま阳县河下かわしも人じん。
幼時ようじ喜き辨べん识古字じ,早年そうねん“究きわむ心しん六ろく书,博はく通どおり群ぐん籍せき,学まなぶ有本ありもと原げん”,常つね至人しじん跡あと罕至處しょ,“搜さがせ其碑刻こく而还”[1]。官かん至いたり凤阳府ふ训导。秦はた味あじ经稱しょう:“吾われ于海内ない见二に奇士きし,其一谓山夫也”[2]。著ちょ有ゆう《说文引经考こう》、《金石かねいし存そん》、《别雅》、《六ろく书述部ぶ叙じょ考こう》、《正字せいじ通どおり正ただし》等とう書しょ。