李り本ほん,北平きたひら寧やすし晉すすむ縣けん人ひと,明朝みんちょう政治せいじ人物じんぶつ、同どう進士しんし出身しゅっしん。
洪ひろし武ぶ二に十じゅう四よん年ねん(1391年ねん),登とう辛からし未み科か殿どの試ためし三甲さんこう第だい十じゅう二に名めい,後事こうじ無む考こう[1]。