李り虫むし娘むすめ(?—?),唐から朝あさ公主こうしゅ,是ぜ中国ちゅうごく唐から朝あさ第だい六ろく代だい皇帝こうてい唐から玄げん宗むね李り隆たかし基もと之これ女おんな。母はは亲曹野の那な姬ひめ。
曹野那な姬ひめ出自しゅつじ昭武あきたけ九きゅう姓せい,可能かのう是ぜ西域せいいき曹国进献的てき胡えびす旋女,怀孕九きゅう月がつ生せい下か李り虫むし娘むすめ。
玄げん宗むね没ぼつ有ゆう册さつ封ふう她为公主こうしゅ封ふう号ごう,命いのち她穿道士どうし的てき衣服いふく,主持しゅうもち宫中道どう观,称呼しょうこ她为师娘。玄げん宗むね退位たいい为太ふとし上皇じょうこう,广平王おう李り豫よ拜はい见祖父ちち,玄げん宗むね指ゆび着ぎ李り虫むし娘むすめ说:“虫むし娘むすめ是ぜ阿おもね瞒(玄げん宗むね自称じしょう)之の女おんな,你以后きさき应给她一个名号ごう。”李り豫よ即位そくい为唐とう代だい宗むね,封ふう姑しゅうと姑しゅうと李り虫むし娘むすめ为寿安やす公主こうしゅ,把わ她许配はい给苏发。