無む餘よ(?—?),夏なつ朝あさ君主くんしゅ少しょう康やすし的てき庶子しょし。大だい禹周しゅう游ゆう天下でんか,在ざい越地こえち登とう茅かや山さん,四方しほう群臣ぐんしん朝あさ见他。大だい禹分封ぶんぽう有功ゆうこう之の臣しん,赐爵有德うとく之これ人にん,之これ后きさき,大だい禹驾崩くずし,葬そう在ざい越地こえち。夏なつ后きさき帝みかど少しょう康やすし恐おそれ怕禹迹宗そう庙祭祀さいし断だん绝,把わ其庶子しょし封ふうじ到いた越地こえち(今いま會かい稽),守護しゅご祖そ墳ふん,号ごう称しょう「無む餘あまり」。[1]賀が循《會かい稽記》云うん:“少しょう康やすし,其少子しょうし号ごう曰於越えつ,越えつ國こく之これ称たたえ始はじめ此。”無む餘よ的てき都城みやこのじょう,是ぜ會かい稽山南みなみ的てき故こ越えつ城じょう[2]。無む餘あまり奉たてまつ守もり禹的祭祀さいし,与あずか当地とうち土ど著ちょ融合ゆうごう,断だん发文身いれずみ,披草莱居住きょじゅう。