王おう隆たかし(?—?),字じ文ぶん山やま。中国ちゅうごく东汉文学ぶんがく家か。左ひだり冯翊云うん阳县(今いま陕西省しょう咸阳市し淳じゅん化か县)人にん。
王おう莽时,王おう隆たかし以父任にん在ざい宫廷为郎。后きさき避难河西かさい(今いま河西かさい走はし廊ろう与あずか湟水流域りゅういき一いち带),为窦融左ひだり护军。东汉建立こんりゅう,汉光武みつたけ帝みかど建たて武たけし年ねん间,为新汲县(今いま河南かなん省しょう扶沟县西南せいなん)令れい。王おう隆たかし通どおり诗赋,能のう文章ぶんしょう,所しょ著ちょ诗、赋、铭、书共二に十じゅう六ろく篇へん,今こん佚。著しる有ゆう启蒙书《小学しょうがく汉官篇へん》,记述汉代公卿くぎょう内外ないがい官制かんせい。
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