袁于令れい(1599年ねん—1674年ねん),一いち名めい晋すすむ,又また名な韫玉,字じ令れい昭あきら、研けん昭あきら,号ごう凫公、箨庵、幔亭、幔亭仙せん史し、幔亭歌か峰ほう者しゃ、白しろ宾、吉よし衣ころも主人しゅじん,江こう苏吴县人ひと,小しょう说《隋ずい史し遗文》的てき作者さくしゃ。
据すえ《吴县志こころざし》,袁于令れい生せい于明万まん历二に十じゅう七なな年ねん(1599),卒そつ于清康かん熙十じゅう三さん年ねん(1674),为“吴下旧家きゅうか子こ”,明あきら末まつ生なま员,入にゅう清きよし以后始はじめ入にゅう仕つかまつ,历官水すい部ぶ郎ろう、山やま东东昌府ふ临清关监督、荆州府ふ知ち府ふ等とう。顺治十じゅう年ねん(1654)三さん月がつ,袁于令れい等とう十じゅう五人被湖广抚臣弹劾侵盗钱粮,罢官后きさき退すさ隐苏州。