路みち璜(1812年ねん—1888年ねん),字じ漁りょう賓まろうど,一いち字じ小竹こだけ,贵州畢節人ひと,清朝せいちょう官かん员,進士しんし出身しゅっしん。
道みち光こう二に十じゅう五ご年ねん(1845年ねん)太ふとし后きさき七旬乙巳恩科進士,二に甲かぶと二に十じゅう九きゅう名めい,后きさき官かん河南かなん知ち縣けん。曾任咸丰丁ひのと亥い、同どう治ち丁ちょう卯しげる、光ひかり绪乙亥い和わ丙へい子こ科か河南かなん乡试同どう考こう官かん,候こう选河南道みなみどう。有ゆう《黔灵山やま樵きこり集しゅう》。