韩终(?—?),秦はた朝ちょう时方かた士し,秦はた始はじめ皇すめらぎ派は韩终、侯ほう公こう、石生いしゅう求もとめ仙人せんにん不死ふし之の药[1],后きさき来らい逃走とうそう,一いち说徐じょ福ぶく到いた了りょう日本にっぽん,韩终到了りょう朝あさ鲜半岛。
韩终服用ふくよう菖蒲しょうぶ十じゅう三さん年ねん,身上しんじょう生せい毛げ[2]。后きさき来き小しょう说家加か以附会かい,遂とげ与あずか出自しゅつじ《楚すわえ辞じ·远游》的てき韩众合あい二に为一[3],解かい释为古代こだい传说中ちゅう的てき仙人せんにん。洪ひろし兴祖补注引《列れつ仙せん传》:“齐人韩终,为王采さい药,王おう不ふ肯服,终自服ふく之の,遂とげ得え仙せん也。”郭かく宪《洞ほら冥めい记》记载,琳国有ゆう玉だま叶かのう李り,色いろ如碧玉だま,数すう十じゅう年ねん一いち熟じゅく,因いん韩终曾食之の,因いん名めい韩终李り。