黃き汝なんじ亭てい(1558年ねん—1626年ねん),明朝みょうちょう書法しょほう家か。
與あずか米べい萬まん鍾等とう友好ゆうこう。曾遊そうゆう歷れき黃き山やま,云うん:“我輩わがはい看み名山めいざん,如看美人びじん,顰ひそみ笑わらい不ふ同情どうじょう,修おさむ約やく不ふ同體どうたい,坐臥ざが徒と倚不同どう境さかい,其狀千せん變へん。山色さんしょく之の落眼光こう亦また爾しか,其至者しゃ不ふ容よう言げん也。”散ち花はな塢之名めい即そく出自しゅつじ汝なんじ亭てい。又また曾詩詠えい千せん佛ふつ刻こく像ぞう,“千佛番番風滿座”。
萬まん曆れき四よん十じゅう六ろく年ねん戊つちのえ午うま(1618年ねん)撰せん成なり《珍ちん善ぜん齋とき印譜いんぷ》。