巴ともえ黎はじむ條約じょうやく(Treaty of Paris)是これ英えい格かく蘭らん國王こくおう亨とおる利り三さん世せい和わ法ほう國こく國王こくおう路みち易えき九きゅう世せい於1259年ねん12月4日にち簽署的てき條約じょうやく。亨とおる利り三さん世せい同意どうい放棄ほうき諾だく曼第(除じょ了りょう海峽かいきょう群島ぐんとう)、曼恩省しょう、安やす茹省和かず普ひろし瓦かわら圖ず。他た可か以繼續けいぞく佔有法ほう國こく的てき加か斯科尼あま和かず部分ぶぶん阿おもね基もと坦ひろし,但ただし只ただ作為さくい路ろ易えき九世的諸侯身份保有。作為さくい交換こうかん,路みち易えき九世不再支持反英叛亂[1] 。這個條約じょうやく間接かんせつ導しるべ致了英えい法ほう百ひゃく年ねん戰爭せんそう。