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三國志/卷12 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

三國志さんごくし/まき12

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 しょ·袁張凉國おう邴管でん 三國志さんごくし
しょ·ちぇもうじょなに邢鮑司馬しばつたえ
しょ·钟繇はな歆王ろうでん 

ちぇ[编辑]

ちぇ琰字珪,清河きよかわ東武とうぶじょうじん也。しょうしらき訥,こう擊劍げっけんなお武事ぶじとしじゅうさんさとうつりためただしはじめ感激かんげき,讀《論語ろんご》、《かん》。いたりねんじゅうきゅう,乃结公孫こうそんかたとう就鄭げん受學。がくひつじじょしゅうはばぞくおさむやぶ北海ほっかいげんあずか門人もんじんいた其山避難ひなんときこく糴縣とぼしげんやめしゃしょせい。琰既受遣,而寇ぬすめたかし斥,西道さいどう不通ふつう。於是周旋しゅうせんあおじょ、兗、郊,東下ひがししもことぶきはるみなみのぞむこうみずうみいえよんねん乃歸,以琴しょ娛。

大將軍だいしょうぐん袁紹聞而辟之。とき士卒しそつ横暴おうぼうはつおか隴,琰諫曰:『むかしまごきょうゆうごと:「もときょうかぶとへい不利ふり,雖湯不能ふのう戰勝せんしょう。」こん道路どうろ暴骨,みん未見みけんとくむべ敕郡けん掩骼うめ胔,しめせ憯怛あいついぶんおうじん。』紹以ためじょうこう紹治へいはじむ于延,琰復諫曰:『天子てんしざいもと民望みんぼうすけじゅん如守さかいじゅつしょく,以寧宇。』紹不聽,とげはい于官わたり。及紹そつ二子ふたご交爭,そう欲得よくとく琰。琰稱やまし固辭こじゆかりざいかそけ囹圄れいごよりゆきかげ夔、ちん琳营すくいとくめん

ふとしやぶ袁氏,りょう冀州まき,辟琰ため别駕從事じゅうじいい琰曰:『さくあん户籍,とくさんじゅうまん眾,ため大州おおず也。』琰對曰:『こん天下てんかぶんくずれ九州きゅうしゅうはばきれ,二袁兄弟親尋干戈,冀方ふけ庶暴こつ原野げんや未聞みもん王師おうしじんごえさきそんとい風俗ふうぞくすくい其塗ずみ,而校けいかぶとへいただ此爲さき,斯豈ひなしゅうおんな所望しょもう於明こう哉!』ふとしあらためようしゃ。于時賓客ひんきゃくみなふくしつしょく

ふとしせいなみしゅうとめ琰傅ぶんみかど於鄴。世子せいし出田いずたりょうへんえきふくじょうこころざしざい驅逐くちく。琰書諫曰:

ぶた聞盤于遊しょこれしょ戒,魯隱かんぎょ春秋しゅんじゅうそしこれ,此周、あな格言かくげんけい明義あきよしいん鑒夏きさきたたえとおらくれい以爲,此又ちかしゃ得失とくしつ不可ふかふか察也。袁族富强ふきょう公子こうしひろしばんゆうしげる侈,ごえ聞,哲人てつじん君子くんしにわか有色ゆうしょく斯之こころざしくまひぐま壯士そうし,堕於吞噬もちいかた所以ゆえんようひゃくまんまたが有河あるがついたちところひろしあし也。いま邦國ほうこく殄瘁,めぐみかんひろしおんなくわだてかかと所思しょししゃとく。况公親御おやごえびす上下じょうげろうむご世子せいしむべ遵大まき以行ただしおもえ經國けいこくこうりゃくない鑒近戒,そとあげとおぶしふかおもんみもうかふく,以身ためたから。而猥かさねおそれたび賤服,ゆるがせはせ騖而りょうけんこころざし雉兔しょう娛,忘社稷しゃしょく爲重ためしげ,斯誠有識ゆうしき所以ゆえん惻心也。ただ世子せいし燔翳捐褶,以塞眾望,れい老臣ろうしんざい於天。


世子せいしほう曰:『さくたてまつよしみいのちめぐみしめせみやびすうよく使燔翳捐褶,かげやめ壞矣,褶亦焉。こうゆう此比,こうむふく誨諸。』

ふとしため丞相じょうしょう,琰復ため東西とうざい曹掾ぞくちょうごとはつ授東曹時,きょう曰:『きみゆうはく夷之えびすのふうぎょじきむさぼおっと慕名而清,壯士そうしなおたたえ而厲,斯可以率しゃやめ授東曹,往踐厥職。』こくはつけんはい尚書しょうしょとき立太子りったいし,臨菑こううえゆうざい而愛。ふとし狐疑こぎ,以函れいみつおとずれ於外。ただ琰露ばんこたえ曰:『ぶた春秋しゅんじゅうよし立子たつこ以長,五官ごかんはた仁孝にんこう聰明さとあきむべうけたまわ正統せいとう。琰以死守ししゅ。』うえ,琰之けい女婿じょせい也。ふとし其公あきら,喟然歎息たんそく》曰:うえつまころも繡,ふとしとうだいこれ,以違せいいのちかえいえたまもの中尉ちゅうい

琰聲姿すがただかとおる眉目びもく疏朗,ひげちょうよんしゃく,甚有じゅうちょう瞻望,而太またけいはばか焉。先賢せんけん行狀ぎょうじょう曰:琰清ちゅうだかあきらまさ識經とお,推方直道なおみちせいいろ於朝。たかしはつゆだね銓衡せんこうそう齊清なりきよじゅう有餘ゆうよねん文武ぶんぶ羣才,ところあきら拔。朝廷ちょうていだか天下てんかしょうじん琰嘗こも鉅鹿楊訓,雖才こう不足ふそく,而清さだ守道もちふとしそくれい辟之。こうふとしためおうくん發表はっぴょう稱贊しょうさんこう,襃述盛德せいとく時人じじんあるわらいくん希世きせい浮僞,いい琰爲しつしょ舉。琰從くんおもてくさあずかくんしょ曰:『しょうひょうことけいみみとき乎時乎,かいとうゆうへん。』琰本意ほんいそし論者ろんしゃこう谴呵而不ひろ情理じょうり也。ゆうしろ琰此しょ傲世怨謗しゃふとしいか曰:『谚言「なまおんなみみ」,「みみけい。「かいとうゆうへん」,ゆび不遜ふそん。』於是ばつ琰爲隸,使つかいじん辭色じしょく不撓ふとうふとしれい曰:『琰雖けい,而通賓客ひんきゃくもん若市わかいちじんたい賓客ひんきゃく虬鬚直視ちょくしわかゆうしょ瞋。』とげたまもの琰死。りゃく》曰:ひととく琰書,以裹幘籠,もち其籠ぎょう都道とどうちゅうときゆうあずか琰宿不平ふへいしゃはるか琰名ちょ幘籠,したがえ而視とげしろふとし以爲琰腹そしこころそし,乃收づけごく,髡刑輸徒。まえしょしろ琰者またふくしろうん:『琰爲,虬鬚直視ちょくしこころ不平ふへい。』ふとしまた以爲しかとげよくころせこれ。乃使せいこうだい吏往けい营琰,敕吏曰:『三日みっか消息しょうそく。』琰不さとるこう數日すうじつ,吏故しろ琰平やすおおやけ忿然曰:『ちぇ琰必ほっ使ぎょうがたなのこ乎!』吏以きょうつげ琰,琰謝吏曰:『わがことよろし不知ふちこういたり此也!』とげ自殺じさつ

はじめ琰與司馬しばあきらぜんすすむせんおうほうたけし,琰謂ろう曰:『おとうとさとし哲明てつあきまことつよしだんえい跱,殆非これしょ及也。』しんまつあん:『跱』あるさくとく』,竊謂『えいとくため是也これやろう以爲しか,而琰ごと秉此ろん。琰從弟じゅうていりんしょう名望めいぼう,雖姻ぞくなおけい,而琰つね曰:『此所謂いわゆる大器晚成たいきばんせいしゃ也,おわり必遠いたり。』涿郡まごれい毓始いれぐん,琰又めい曰:『まご疏亮亢烈,つよし簡能だんきよし警明ひゃく鍊不きえみなこうざい也。』りんれい、毓咸いたりかなえ輔。及琰友人ゆうじん公孫こうそんそだてそうかいはやそつ,琰撫其遺おんわかおのれ。其鑒識篤よしるいみな如此。りゃく》曰:あきらみかどちぇりん嘗與そらひね羣共ろん冀州人士じんししょう琰爲くび。羣以『さとしそん』貶之。はやし曰:『大丈夫だいじょうぶためゆう邂逅かいこうみみそく如卿諸人もろびとりょうあし乎!』

あなとおる[编辑]

はつふとしせいゆうしょ不堪ふかんしゃ,魯國あなとおるとおるぶん舉。《ぞく漢書かんしょ》曰:とおる孔子こうしじゅうせいまご也。高祖父こうそふなお,鉅鹿太守たいしゅちちちゅう太山たいざんじょうとおるようゆう異才いさいどき河南かなんいん膺有じゅうめい,敕門簡通賓客ひんきゃく當世とうせいえいけん及通子孫しそんどる也。とおるねんじゅうさいよくかん其爲じんとげづくり膺門,もんしゃ曰:『わがくんどおり子孫しそん也。』膺見とおるとい曰:『高明こうめい父祖ふそ,嘗與ぼく周旋しゅうせん乎?』とおる曰:『しか先君せんくん孔子こうしあずかきみ先人せんじんろうきみどうとく而相師友しゆうのりとおるあずかきみるいどおり也。』眾坐,僉曰:『童子どうじ也。』ふとなか大夫たいふひね煒後いたりどうすわ以告煒,煒曰:『ひとしょうりょうりょうしゃ大亦おおまた未必みひつ也。』とおるこたえ曰:『そく如所ごときみ幼時ようじあにじつとし乎!』膺大わらい,顧謂曰:『高明こうめい長大ちょうだい,必爲えら。』山陽さんようちょう儉,以中せいためちゅうつねさむらいこうらんしょ忿疾,らんためかんあきらげのしゅうぐん儉。儉與とおるけい褒有きゅうほろびとう褒。ぐう褒出,とおるねんじゅうろく,儉以其少つげ也。とおる儉長しゃゆう窘迫しょくいい曰:『われどく不能ふのうため君主くんしゅよこしま!』いんとめしゃぞう後事こうじ泄,くにしょう以下いかみつ就掩捕,儉得脱走だっそうとうおさむとおる及褒送ごくとおる曰:『おさめぞうしゃしゃとおる也,とおるとうすわこれ。』褒曰:『かれらいもとめわがつみゆかりおとうとわがとうすわこれ。』兄弟きょうだいそうこおりけんうたぐ不能ふのう决,乃上讞,詔書しょうしょれい褒坐焉。とおるよしめいふるえ遠近えんきん與平よへいはらとうおかひろしちんとめゆずるなみ俊秀しゅんしゅうため进冠ぶたとおる持論じろん經理けいり及讓とう,而逸ざいひろしはくこれつかさ大將軍だいしょうぐん辟舉だかだいるい遷北ぐんちゅうこうとら賁中ろうはた北海ほっかいしょうねんじゅうはちうけたまわはばざんやぶこれ修復しゅうふくじょう邑,たかし學校がっこうしつらえ庠序,舉賢才けんさいあらわ儒士。以彭璆爲方正ほうせい,邴原ため有道ありみちおうおさむためこうかどつげ高密こうみつけんためていげん特立とくりついちさとめいためてい公鄉くごうまた國人くにびときさき,及四方しほう遊士ゆうしゆう死亡しぼうしゃみなためかん而殯そうぐんじん甄子しか孝行こうこう知名ちめいはやそつとおる恨不及之,乃令はいしょくけんしゃ。其禮けん如此。ざいぐんろくねんりゅう備表とおるりょうあおしゅう刺史ししけんやす元年がんねんちょうかえためはたつくだいたくみ,遷少每朝まいあさかいおとずれたい,輒爲ぬししょきょう大夫たいふよせめい而已。司馬しばぴょう九州きゅうしゅう春秋しゅんじゅう》曰:とおるざい北海ほっかい智能ちのうゆう贍,溢才いのち當時とうじごうしゅんみな不能ふのう及。またもと大志たいし,且欲舉軍曜甲,あずか羣賢ようこう於海岱结ふえ根本こんぽん肯碌ろく平居ひらいぐんもりことかたはく、赴期かい而已。しか其所任用にんよう好奇こうきみなけいひょうげこれさいいたり稽古けいこ,謬爲恭敬きょうけいれい雖備,與論よろん國事こくじ也。高密こうみつていげんしょうていこう子孫しそんれい。及高談こうだんきょうれいみつる溢官曹,温雅おんが玩而誦。ろんごとこうなん悉行。ただしのうちょうはりつけ網羅もうら,其自甚疏。租賦しょう稽,一朝いっちょうころせとく郵。奸民污吏,猾亂朝市あさいちまた不能ふのうかそけしゅうしらげ兵亂へいらんいたりじょしゅうそついた城下じょうか,舉國みなこわとおるちょく说之,れいこころざしとげあずか别校はかりごとよるくつがえかそけしゅうかそけしゅうぐんはい,悉有其眾。几時,かえふく叛亡。はばはたいたりとおるだいいんあつししゅ,躬自上馬かみうまこれ淶水うえ。寇令上部じょうぶあずかとおるしょうこばめ,两翼みちわたるすいちょくいたところじょうしろ溃,とおるとくいれ,转至みなみけん左右さゆうやや叛。连年倾覆,ことしょずみとげ不能ふのう鄣四さかい,棄郡而去。きさき徙徐しゅう以北いほくうみしょうかえりょうあおしゅう刺史ししぐんきた陲。よくつけ山東さんとう外接がいせつ辽東,とくえびすけん根本こんぽん孤立こりつ一隅いちぐうあずかきょう也。于時曹、袁、公孫こうそんどもしょう首尾しゅび戰士せんし不滿ふまんすうひゃくたにいたり萬斛ばんこく王子おうじほうりゅうあな慈凶辩小才こさいしんため腹心ふくしんひだりすすむりゅうよしへりくだきよし隽之,備在すわせき而已,げん民望みんぼう不可ふかしつ也。すすむ劝融讬强こくとおる聽而ころせこれへりくだ棄去。とげため袁谭しょおさむはるいたりなつじょうしょう寇眾,流矢ながれやしゅうしかとおるもたれ安坐あんざ讀書どくしょ論議ろんぎ自若じじゃくしろ壞眾ほろび奔山ひがししつため谭所虏。ちょう璠《かん》曰:とおるざいぐんはちねん,仅以めんみかどはつもととおる以爲よろしほぼ舊制きゅうせいていおう畿,正司しょうじ隸所ため千里せんりふうじ,乃引公卿くぎょう上書うわがきごと其義。天下てんかくさ创,曹、袁之权未ぶんとおるしょたてあきら識時务。また天性てんせい爽,頗推平生へいぜい,狎侮ふとしふとしせいしゅきん,而融しょ啁之曰:『てんゆうしゅはたほしれつしゅいずみぐんにんゆうむねしゅとく尧不いんせん锺,以成其聖。且桀紂以しょく亡國ぼうこくいまれいきん婚姻こんいん也。』ふとしがい寬容かんよう,而内能平のっぺい大夫たいふ郗虑むね,以法めんとおるかんとしあまりはいふとなか大夫たいふ。雖居しつぜい,而賓きゃく滿まん其門,あいざいらくしゅつね歎曰:『すわ上客じょうきゃくつね滿まんたるちゅうさけ不空ふくうわれ忧矣。』とら賁士ゆう貌似蔡邕しゃとおるまいさけたけなわ,輒引あずかどうすわ,曰:『雖無老成ろうせいじんなおゆうてんけい。』其好如此。《ぞく漢書かんしょ》曰:ふとしじょう楊彪あずか袁术婚姻こんいん,术僭ごうふとしあずかぴょうゆうすきいんあやはたころせ焉。とおる聞之,及朝ふく,往見ふとし曰:『楊公るい清德せいとくよんかのう重光しげみつしゅうしょ父子ふし兄弟きょうだいつみあい及」,况以袁氏つみ乎?えきしょう「积善餘慶よけい」,ただし欺人みみ。』ふとし曰:『國家こっか也。』とおる曰:『かり使つかいなりおうよくころせ召公,すなわちしゅうこうとくげん不知ふちよこしまこん天下てんか缨緌搢绅所以ゆえん瞻仰あかりおおやけしゃ,以明こう聰明そうめいじんさとし,輔相かんあさ,舉直措枉,致之雍熙みみこんよこころせ無辜むこのり海内かいだいかん聽,谁不解体かいたいあなとおる魯國男子だんし明日あした便びんとう褰衣而去,ふくあさ矣。』ふとしかいとげあや。《たかし春秋しゅんじゅう》曰:袁紹はい也,とおる與太よたしょ曰:『たけおう紂,以妲おのれたまものしゅうこう。』ふとし以融がくはくいいしょでんしょきさきもんたい曰:『以今そう當然とうぜんみみ!』じゅうさんねんとおるたいまごけん使ゆう讪謗げんすわ棄市。二子ふたごねんはちさいかた弈棋,とおるおさむ端坐たんざおこり左右さゆう曰:『而父おこりなん也?』曰:『あんゆう毁而たまご不破ふわしゃ乎!』とげ俱見ころせとおる有高ありだかめいきよしざいせいあいふとし遠近えんきん也,乃令曰:『ふとしちゅう大夫たいふあなとおるすんでふく其罪矣,しか世人せじんさい其虚めいしょう於核とおる浮艳,こうさく變異へんいまぶし其诳诈,ふく察其らんぞく也。此州じん平原へいげん祢衡受傳とおるろん,以爲父母ちちははあずかひとおやたとえわか鲊器,よせもり其中,またげんわか遭饥馑,而父不肖ふしょうやすし贍活餘人よにんとおるたがえてんはんみちはいりんらん,雖肆あさなお恨其ばんさら以此ごとれつじょうせんしめせしょぐん將校しょうこうじょうぞくみな使聞見。』《》曰:融二ゆうじみな龆龀。とおるおさむ,顧謂曰:『なに以不?』俱曰:『ちちなお如此,ふくなんしょ!』以爲必俱也。しんまつ以爲《うん融二ゆうじ必俱なおやす。如孫もりげんまことしょたとえはちさい小兒しょうにのうげんりょう祸福,聰明そうめいとく达,卓然たくぜんすんでとおのり其忧らくじょうむべ其有成人せいじんあんゆうちちおさむ而曾變容へんよう,弈釭おこりわかざいひましゃ乎?むかしさるせい就命,げん忘父,以己しょう而废ねんちちじょう也。ちちやすなおなおわか兹,而况於颠沛哉?もり以此ため美談びだん乃賊夫人ふじん之子ゆきこあずかぶたよし好奇こうきじょう,而不知ふちごときず
南陽なんようもと攸、りゃく》曰:攸字とおしょうあずか袁紹及太ぜんはつ平中たいらなかずい紹在冀州,嘗在すわせきげんかんわたりやく,諫紹勿與太よたしょうおさむかたりざい紹傳》。紹自以强もり,必欲极其へいぜい。攸知不可ふかためはかりごと,乃亡诣太。紹破はし,及后とく冀州,攸有功ゆうこう焉。攸自恃じじ勛勞,與太よたしょう戏,まい在席ざいせききりひとしいたりよびふとし小字こあざ,曰:『ぼうかぶときょうとくわがとく冀州也。』ふとしわらい曰:『なんじごと是也これや。』しかうちいや。其后したがえくだり鄴東もん,顧謂左右さゆう曰:『此家とくわがのりとく出入でいり此門也。』ひとゆうしろしゃとげおさむこれ娄圭,みな以恃きゅうけん誅。りゃく》曰:娄圭はくしょう與太よたゆうきゅうはつ平中たいらなかざい荆州きたかいごう眾,きさき诣太ふとし以爲大將たいしょう使つかいてんへいつねざいすわせきげん。及河きた平定へいていずいざい冀州。其后ふとししたがえ諸子しょしゆうはくまた随從ずいじゅうはく顧謂左右さゆう曰:『此家父子ふし,如今ためらく也。』ひとゆうしろしゃふとし以爲ゆうはらそしとげおさむ治之はるゆき。《吴書》曰:はくしょうゆう猛志たけし,嘗歎息たんそく曰:『男兒だんじきょかいとうとくすう萬兵千匹騎著后耳!』儕輩さいはいわらいきさきすわぞう亡命ぼうめいけいとうとく逾獄しゃおいきゅうはく乃變衣服いふく如助しゃ,吏不能ふのう觉,とげ以得めんかい天下でんか義兵ぎへいおこりはくまたごう眾與りゅうひょうしょうきさき曹公,とげ爲所しどころよう軍國ぐんこく大計たいけいつねあずか焉。りゅうひょうほろび,曹公こう荆州。ひょう琮降,以節むかえ曹公,しょしょうみなうたぐ诈,曹公以問はくはく曰:『天下てんか扰攘,かくむさぼ王命おうめい自重じちょうこん以節らい必至ひっしまこと。』曹公曰:『大善だいぜん。』とげ进兵。ちょう秩子はくいえるい千金せんきん,曰:『娄子はくとみらく于孤,ただしいきおい如孤みみ!』したがえやぶうまちょうとうはくこうため。曹公つね歎曰:『はくけい及也。』きさきあずかみなみぐん习授どう曹公,授曰:『父子ふし如此,なに其快耶!』はく曰:『きょ世間せけんとう爲之ためゆき,而但かん他人たにん乎!』授乃しろとげ誅。さかな豢曰:古人こじんゆうごと曰:「とくとりしゃ一目いちもく也,しかちょう一目いちもくおわりとくとり矣。とりのうどお飞,とお飞者,ろく翮之力也りきやしか眾毛じょのり飞不どお矣。」以此推之,だいこれさく,雖有功臣こうしんまた未必みひつ兹輩胥附由也よしや而琰さいためしょ痛惜つうせきいたりこん冤之。》曰:琰兄まごりょうぶん,以簡素かんそたたえつかまつすすむため尚書しょうしょだい鸿胪。荀绰《冀州记》うんりょうそく琰之まご也。

もう[编辑]

もう玠字こうさきちんとめ平丘ひらおかじん也。しょうためけん吏,以清公稱こうしょうはた避亂荆州,いたり,聞劉ひょう政令せいれい不明ふめいとげ往魯ふとし臨兗しゅう,辟爲ちゅう從事じゅうじ。玠語ふとし曰:『こん天下てんかぶんくずれ國主こくしゅ遷移せんいなまみん废業,饥馑流亡りゅうぼう公家くげけい歲之としゆきもうか,百姓無安固之志,なん持久じきゅうこん袁紹、りゅうひょう,雖士民しみん眾强,みなけいとおこれ虑,ゆう树基けんほんしゃ也。おっとへいしゃしょうもり以财,むべ奉天ほうてん以令しんおさむこううえ,畜軍资,如此そく霸王これぎょうなり也。』ふとしけいおさめ其言,转幕府ばくふこう曹。

ふとしためそら丞相じょうしょう,玠嘗ためひがし曹掾,あずかちぇ琰並てん选舉。其所舉用,みなせい正之まさゆき,雖於ゆう盛名せいめい而行よしほんしゃおわり莫得进。务以儉率じんゆかり天下でんか莫不以廉ぶし励,雖貴ちょうしん,舆服敢過ふとし歎曰:『用人ようにん如此,使つかい天下でんかじん自治じちわれふくなんため哉!』ぶんみかどため五官ごかんはたおや诣玠,ぞくしょおや眷。玠答曰:『老臣ろうしん以能もりしょくこうとくまぬかれもどいましょ说人遷次,以不敢奉いのち。』大軍たいぐんかえ鄴,しょなみしょう。玠请谒不ぎょう時人じじんはばかこれ,咸欲しょうひがし曹。乃共しろ曰:『きゅう西にし曹爲じょうひがし曹爲むべしょうひがし曹。』ふとし其情,れい曰:『日出にっしゅつ於東おひがしがつもり於東おひがし凡人ぼんじんげんかたまたふくさきひがしなに以省ひがし曹?』とげしょう西にし曹。

はつふとし平柳ひらやなぎじょうはんしょ器物きぶつとく以素屏風びょうぶもと冯几たまもの玠,曰:『きみゆう古人こじんふうたまものくん古人こじんふく。』玠居あらわつね布衣ふい蔬食,撫育ぶいく兄子せこ甚篤,赏賜以振ほどこせ贫族,いえしょあまり。遷右軍師ぐんしこくはつけんため尚書しょうしょぼくしゃふくてん选舉。先賢せんけん行狀ぎょうじょう》曰:玠雅あきら公正こうせい在官ざいかんせいつとむ。其典选舉,拔貞,斥華にせ,进遜ぎょうそもそもおもねとうしょおさむかんみんこう绩不ちょ而私财丰あししゃみなめん黜停废,ひさし选用。于時四海しかい翕然きゅうぜん,莫不励行れいこういたり乃長吏還しゃあかめん羸衣,つねじょうしば车。ぐん入府にゅうふちょうふくかちゆきひと拟壶飧之絜,いえぞう濯缨みさおたかしゃ秽欲るい,賤者绝姦货之もとめ,吏絜于上,ぞくうつり乎下,みんいた于今しょうどき太子たいし未定みてい,而臨菑侯うえゆうちょう,玠密諫曰:『こんしゃ袁紹以嫡庶不ぶんくつがえそう灭國。废立大事だいじしょむべ聞。』きさき羣僚かい,玠起更衣ころもがえふとし目指もくし曰:『此古所謂いわゆる國之くにゆき司直しちょくしゅう昌也まさや。』

ちぇ琰既,玠内えつきさきゆうしろ玠者:『黥面はんしゃ,其妻子さいしぼつためかん奴婢ぬひ,玠言曰「使つかいてんあめしゃぶた此也」。』ふとしだいいかおさむ玠付ごくだい锺繇つめ玠曰:

聖帝せいてい明王みょうおうつみ及妻しょうん:「ひだりきょうひだりみぎきょうみぎそく孥戮おんな。」つかさ寇之しょく男子だんしにゅう于罪隸,女子じょしにゅう于舂稿こうかんりつ罪人ざいにん妻子さいしぼつため奴婢ぬひ,黥面。かんほう所行しょぎょう黥墨けいそん古典こてんこん奴婢ぬひ祖先そせん有罪ゆうざい,雖历ひゃくせいなおゆう黥面きょうかん,一以寬良民之命,二以宥並罪之辜。此何以负於神明しんめい,而當致旱?あんてんはかりごときゅうつねさむわか,舒恆おきわかひろしのり亢陽,所以ゆえんためひでり。玠之吐言,以爲ひろしよこしま,以爲きゅう也?きゅうとうかげ霖,なに以反ひでりなるせいなまくさしゅうせんれいぬし旱魃かんばつためしいたげ。亢旱以來いらい,积さんじゅうねんかえりとがめ黥面,爲相ためすけ值不?卫人邢,兴而つみ恶無ちょうなに以应てん?玠譏そしこれげんりゅう於下おしたみんえつこえ上聞じょうぶんせい聽。玠之吐言,いきおい獨語どくご黥面,凡爲几人?黥面奴婢ぬひしょ識知よこしまなに缘得たい歎言?とき以語谁?こたえうんなに?以何日月じつげつ?於何处所?ことやめ发露,とくかくれ欺,以狀たい

玠曰:

しん聞萧せい缢死,こま於石あらわ;贾子そと,谗在绛、灌;しろおこりたまものけん於杜郵;あきら错致誅於東おひがし员绝いのち於吴:斯數しゃある妒其まえあるがい其后。しんたれ龆執簡,るいつとむかんしょくざいつくえちか人事じんじしょ窜。ぞくしん以私,無勢ぶぜい绝,しん以冤,细不人情にんじょういんためほうしょきんほうきん于利,いきおいのうがいあお蝇横せいためしんさくそしそししんこれにんいきおい不在ふざいむかしおう叔、ちんなまそうせいおう廷,宣子のぶこひらいのち舉其ちぎり是非ぜひゆうよろし曲直きょくちょくゆうしょ春秋しゅんじゅうよしみ焉,以書しん不言ふげん此,ゆうひと。说臣此言,必有ちょうよう。乞蒙宣子のぶこわきまえ,而求おう叔之たいわかしん以曲聞,そくけいぽうやす驷之赠;たまものけんじゅう赏之めぐみ。谨以じょうたい


どき桓階、かずひろし进言すくい玠。玠遂めん黜,そつ于家。まごもり曰:たけ於是失政しっせいけい矣。《えきしょうあきらおり庶獄』,《つてゆう『舉直措枉』,庶獄明則あきのりこく怨民,枉直とうのりみん不服ふふくゆうちょうあお蝇之浮聲,しんじびた润之谮诉,以允釐四海しかいおもんみきよし缉熙しゃ也。むかししゃかんだかごく萧何,ふくしょう,玠之いち责,永見ながみ摈放,しゅ度量どりょうあにこと哉!ふとしたまものかん钱帛,はいつくえろうちゅう

じょ[编辑]

じょ奕字ざいひがしふといじん也。避難ひなん江東こうとうまごさくれいいのち。奕改姓名せいめいほろふくかえほんぐんふとしためそら,辟爲じょうぞくしたがえ西にしせいちょうちょうやぶぐんかえとき关中しんふく甚安,とめ奕爲丞相じょうしょうちょう,镇撫西京にしぎょう西京にしぎょうしょう威信いしん。转爲雍州刺史ししふくかえためひがし曹属。ちょうただしとうちょう於時,なみがい,而奕おわり不爲ふため动。しょ》曰:あるいい奕曰:『おっと以史ぎょじき,孰與蘧伯だまさとしちょうただしかた貴重きちょうむべおもえしょ以下いか。』奕曰:『以公明こうめいきよしあにとくぎょう其僞乎!且奸以事くんしゃわれしょのう也,やすし以他ぶんまわし。』《でん》曰:たけ皇帝こうていいたり明也あきやちぇ琰、じょ奕,一時いちじせいけんみな忠信ちゅうしんあらわ於魏あさちょうただしあいだじょ奕失而崔琰被誅。ためぐん太守たいしゅふとしせいまご权,徙爲とめちょういい奕曰:『きみちゅうあきら古人こじん也,しかほろふとし严。むかし西門にしもんひょう佩韦以自缓,おっとのう以柔じゃくせいつよし强者きょうしゃもち於君也。こん使つかいくんすべとめごとふくかえ顧之忧也。』こくすんでけんため尚書しょうしょふくてん选舉,遷尚しょれい

ふとしせいかんちゅう讽等謀反ぼうほん中尉ちゅうい楊俊左遷させんふとし歎曰:『讽所以敢せい亂心らんしん,以吾爪牙そうがしん遏奸ぼうはかりごとしゃ也。やすとく如諸かずら丰者,使つかいだいしゅん乎!』桓階曰:『じょ奕其じん也。』ふとし乃以奕爲中尉ちゅういれい曰:『むかしすわえ有子ゆうこだまぶんこう爲之ためゆき侧席而坐;汲黯在朝ざいちょう淮南ワイナン爲之ためゆきおりはかりごとしょう邦之くにゆき司直しちょく」,きみいいあずか!』在職ざいしょくすうがつやましあつし乞退,はい諫議大夫たいふそつしょ》曰:ぶんみかどごとあずか朝臣あそん會同かいどう嘗不嗟歎さたんおもえ奕之ためじん。奕無みことのり以其ぞくみつるためろう,以奉奕後。

なに[编辑]

なに夔字叔龍,ひねぐんなつじん也。曾祖父そうそふ熙,かんやすみかどかんいたり车騎將軍しょうぐんはな峤《漢書かんしょ》曰:熙字はじめまごしょうゆう大志たいしかかわ小節しょうせつ身長しんちょうはちしゃくすん体貌たいぼうさきがけ梧,ため容儀ようぎ。舉孝れんため谒者,さん拜殿はいでんちゅうおと左右さゆうみかどけい,历位隸校じょうだいつかさ农。えいはつさんねんみなみ单于與乌丸俱反,以熙ぎょう车騎將軍しょうぐんせいるい有功ゆうこう。乌丸请降,单于ふくしょうしん如舊。かい熙暴やましそつ夔幼ちちあずかははけい,以孝ともしょうちょうはちしゃくさんすん容貌ようぼう矜严。しょ》曰:かんまつ阉宦用事ようじ,夔從ちち衡爲尚書しょうしょゆう直言ちょくげんゆかりざいとうちゅうしょ父兄ふけいみなきん锢。夔歎曰:『天地てんち闭,賢人けんじんかくれ。』应宰いのち避亂淮南ワイナンきさき袁术いたりことぶきはる,辟之,夔不应,しかとげため术所とめ久之ひさゆき,术與桥蕤俱攻围蕲,蕲陽ためふとし固守こしゅ。术以夔彼ぐんじんよく胁令说蕲。夔謂术謀しんぎょう曰:『むかし柳下やぎしためぐみ聞伐こくはかりごと而有忧色,曰「われ聞伐こく不問ふもんじんじん,斯言なんためいたり於我哉」!』とげ遁匿灊山。术知夔終不爲ふためおのれよう,乃止。术從けい山陽さんよう太守たいしゅのこはは,夔從しゅうと也,以雖恨夔而不加害かがい

けんやすねん,夔將かえ鄉里きょうり术必急追きゅうつい,乃間ぎょうとくまぬかれ明年みょうねんいたほんぐん。顷之,ふとし辟爲そらじょうぞくときゆうでん袁术ぐんらんしゃふとしとい夔曰;『くん以爲しんじ?』夔對曰:『てんところすけしゃじゅんにんところすけしゃしん。术無しんじゅん,而望天人てんにんじょ,此不可ふか以得こころざし於天おっとしつどうおも親戚しんせき叛之,而况於左右さゆう乎!以夔かん,其亂必矣。』ふとし曰;『爲國ためくにしつけんそくほろびくん不爲ふため术所ようみだれまたむべ乎!』ふとしせい严,じょうぞく公事こうじ往往おうおうつえ;夔常畜毒药,ちかいはずかしめ以終及。まごもり曰:夫君ふくん使臣ししん以禮,臣事しんじくん以忠,以上いじょうしたきゅうよしみみちこうあまねおおやけじょうぞくいにしえみやつこ也,必擢隽,さがせあげ英逸えいいつとく其人そくろん道之みちゆきにんたかし其才そくくつがえ餗之患至。苟有きず衅,けい可也かなり其捶扑之ばつ,肃以しょう惩之戒,あに『导之以德,ひとしこれ以禮』いいあずかしか处,よろしたびとくとう趾;これぶし,必审於所蹈。高尚こうしょうこうしん於青うんひょうあに王侯おうこうこれしょのうしん名器めいきこれしょ羁绁哉!此族,ぬりいやたい荣辱,せいよし子安こやす於孥戮,柳下やぎしたえびすさん黜,萧何、しゅう勃亦ざい縲绁,おっとあにはずかしめ君命くんめい也。夔知時制じせい,而甘其寵,はさみ药要くん,以避ほろ耻。うんただ此褊しん』,なに夔其ゆう焉。これ可也かなりなだめこれ也。ためじょうちちれいしょ》曰:りゅう備叛きさき東南とうなんへんふとし以陳羣爲酂令,夔爲じょうちちれい諸縣もろかたみなよう名士めいし以镇なでこれ,其后吏民ややじょう

遷長广太もりぐん山海さんかいはばひらめごう杰多背叛はいはん,袁谭就加以官ちょう广縣じんかんうけたまわさんせんいえため寇害。しゃよく舉兵おさむこれ。夔曰:『うけたまわひとしなま而樂らん也,习於みだれ不能ふのうかえとくきょう不知ふちはんぜんこんへいせりきゅうかれおそれえびす灭,必並力戰りきせんおさむすんでえき拔,雖勝,必傷吏民,如徐喻以おんとく使つかいよう悔,はんへい而定。』乃遣こおりすすむちん往,ためひね成敗せいばいうけたまわとうみな请服。夔遣吏成ひろりょうこうじょうちょう广縣すすむとう郊迎たてまつうししゅ,诣郡。矣平ぞくしたがえ钱,眾亦すうせん,夔率ぐんへいあずかちょう辽共讨定ひがし牟人おう营,眾さんせんいえ,胁昌けんためらん。夔遣吏王钦等,授以計略けいりゃく使つかい离散旬月じゅんげつみな平定へいてい

ふとしはじめせいしんしゅうぐんまたおさむ租税そぜい綿めんきぬ。夔以ぐんはつだてきん以師たびこれ不可ふかそつ绳以ほう,乃上げん曰:

らんやめらいみんじんしつしょこん雖小やすしかふくきょう日淺ひあさところ下新したしんみな以明ばつ敕法,齊一せいいつ大化たいか也。所領しょりょうろくけん,疆域はつじょう以饥馑,わか一切いっさいひとし以科きんこわあるゆうしたがえきょうしゃゆうしたがえきょうしゃとく誅,のりかんみんしつらえきょう随時ずいじこれ也。先王せんおうべん九服之賦以殊遠近,せい三典之刑以平治亂,以爲此郡むべどおいきしん邦之くにゆきてん,其民あいだ小事しょうじ使つかいちょう吏臨ずいよろしうえ正法しょうぼうしも以順百姓ひゃくしょうしんさんねんみんやす其業,しかきさきひとしこれ以法,のりしょいたり矣。


ふとししたがえ其言。ちょうかえまいり丞相じょうしょう軍事ぐんじ海賊かいぞくかく寇暴らくやすすみみなみかいしゅうぐんふとし以夔ぜんざいちょう广有威信いしんはいらくやす太守たいしゅいたかんすうがつしょしろ悉平。

にゅうため丞相じょうしょうひがし曹掾。夔言於太曰:

自軍じぐん以來いらい制度せいどくさ创,用人ようにん详其ほん以各引其るい道德どうとく。夔聞以賢せい爵,のりみんまきいさお;以庸せいろくのりみん兴功。以爲自今じこん所用しょよう,必先かくさと闾,使つかい長幼ちょうようじゅんじょあい逾越。あらわ忠直ただなお赏,あきらおおやけむくいのりけん不肖ふしょうこれぶん居然きょぜん别矣。またおさむ舉故以實れい使つかい有司ゆうし别受其负。在朝ざいちょうしん受教あずか曹並选者,かくにん其责。うえ以觀朝臣あそんふししも以塞そう竞之げん,以督羣下,以率萬民ばんみん如是にょぜそく天下でんか幸甚こうじん


ふとししょうぜんこくすんでけんはい尚書しょうしょぼくしゃしょ》曰:ちょうただし兄弟きょうだいかた进寵,あずか夔不あい尚書しょうしょでんたつみいい夔曰:『ただし相好そうごうやめ甚,とも玠,玠等やめがい矣。よろししょう下之したの!』夔曰:『ため不義ふぎてきあしがい其身,焉能がいじん?且怀奸佞かんねいしんたて於明あさ,其得ひさ乎!』夔終不屈ふくつこころざしきさきはて以凶にせはいぶんみかどため太子たいし,以凉しげためふとでん,夔爲しょうでん特命とくめい二傅與尚書東曹並选太子諸侯官属。しげそつ,以夔だいしげる每月まいつきついたちふとしでんにゅう太子たいし太子たいし正法しょうぼうふく而禮焉;他日たじつかい。夔遷ふとぼく太子たいしよくあずか宿やど戒供,夔無往意;乃與しょ请之,夔以國有こくゆうつねせいとげ往。其履せい如此。しか節儉せっけんさいためごう汰。ぶんみかど踐阼,ふうなりていこう,邑さんひゃく户。疾病しっぺいしばしば乞遜みことのりほう曰:『ぶたれいけんおやきゅう帝王ていおうつね务也。以親そくくんゆう輔弼ほひつ勛焉,以賢そくくんゆうあつしかたこれしげる焉。おっとゆう陰德いんとくしゃ必有陽報ようほういまくんやまし雖未瘳,神明しんめい聽之矣。くん其即やす,以順ちん。』薨,おくりな曰靖こう

 曾[编辑]

曾嗣,咸熙ちゅうためたからすすむ》曰:曾字颖考。せいもとちゅうため隸校じょうとき毌丘儉孫おんなてきりゅう,以孕けい廷尉。おんなはは荀,ためたけ卫將ぐん荀顗しょひょうかつすんでまぬかれ诣廷じょう,乞爲かん婢以赎女いのち。曾使ぬし簿ほど咸爲曰:『だいうけたまわそうかんへい及革せい所以ゆえんつい戮已おんなまことよく殄丑るいぞく也。わかやめ产育,のりなり他家たけはは。於防そく不足ふそく惩姦らんみなもと,於情そくきず孝子こうしおもえおとこつみ於他ぞく,而女どく婴戮於二もん所以ゆえんあい矜女じゃくひとし法制ほうせい大分おおいた也。しん以爲在室ざいしつおんなしたがえ父母ちちははけいすんで醮之妇,使つかいしたがえおっと戮。』朝廷ちょうていしたがえこれ,乃定律令りつりょう。《すすむ諸公しょこうさん》曰:曾以だか雅稱がしょうせい纯孝,いたり太宰だざいふうろうりょうけんこうとしはちじゅうあまり薨,おくりな曰元こう邵嗣。邵字けい才識さいしきふかひろしゆうけい國体こくたいくらいまたいたり太宰だざいおくりなかんこう蕤嗣。邵庶けい遵,おもえゆうみきのうしょうけいきよししょくおわり於太ぼく。遵子绥,はく蔚,また幹事かんじしょうえいよしみちゅうため尚書しょうしょため司馬しばえつしょころせ。《でんしょう曾及荀顗曰:『以文おうみちごと其親しゃ,其潁あきらなにこう乎!其荀こう乎!古稱こしょう曾、闵,こん曰荀、なにうちつき其心以事其親,そとたかし禮讓れいじょう以接天下でんか孝子こうしひゃくせいそうじんじん天下てんかれい也。有能ゆうのう行仁ぎょうにん孝之たかゆき道者どうしゃ君子くんし儀表ぎひょう矣。』

邢顒[编辑]

邢顒のぼる河間こうま鄚人也。舉孝れんつかさ辟,みな就。えきせいてきみぎ北平きたひらしたがえ畴遊。积ねん,而太てい冀州。顒謂畴曰:『はばおこりらいじゅうねん海内かいだいかなえにえ百姓ひゃくしょうりゅう离。こん聞曹公法こうほうれい严。みん厌亂矣,らん极則たいら。请以さき。』とげそうかえ鄉里きょうり畴曰:『邢顒,みんせん觉也。』乃見ふとしもとめためきょう导以かつ柳城やなしろ

ふとし辟顒ため冀州從事じゅうじ人稱にんしょう曰:『德行とっこう堂堂どうどう邢子のぼる。』じょ广宗ちょう,以故はた棄官。有司ゆうし舉正,ふとし曰:『顒篤於舊くんゆう一致いっちふし。』勿問也。さら辟司そらじょうのぞきゆきとうれい,劝民农桑,風化ふうかだいぎょうにゅうため丞相じょうしょう門下もんかとく,遷左冯翊,やめかんふとし諸子しょしだか选官ぞくれい曰:『ほう吏,むべとくふちふか法度はっと如邢顒輩。』とげ以爲平原へいげんこううえすすむ。顒防闲以れいしょこごめたわわゆかりごう庶子しょしりゅう楨書諫植曰:『いえすすむ邢顒,きた彦,しょう秉高ぶしげんせい澹泊たんぱくげんしょう雅士まさし也。楨誠不足ふそくどう贯斯じん並列へいれつ左右さゆう。而楨禮遇れいぐうこととく,顒反疏簡,わたし惧觀しゃはたいい君侯くんこう习近不肖ふしょうれいけん不足ふそくさい庶子しょし春華はるか,忘家すすむあきみのるためじょう招謗,其罪しょう,以此はん侧。』きさきさん丞相じょうしょう軍事ぐんじ,转東曹掾。はつ太子たいし未定みてい,而臨菑侯うえゆうちょうちょうただしとうなみさんつばさ其美。ふとしとい顒,顒對曰:『以庶だいむねさき戒也。はら殿下でんかふかじゅう察之!』ふとし識其きさきとげ以爲太子たいししょうでん,遷太でん

ぶんみかど踐阼,ためさむらいちゅう尚書しょうしょぼくしゃたまもの爵关ないこうため隸校じょう,徙太つねはつよんねん薨。とも嗣。すすむ諸公しょこうさん》曰:顒曾まご乔,曾伯。有体ありていりょうきょくみきよし當世とうせい。历清しょく元康もとやすちゅうあずかりゅう涣俱ため尚書しょうしょ吏部ろうやや遷至隸校じょう

あわび[编辑]

あわび勛字叔業,泰山たいざんひらじん也,かん隸校じょうあわびせんきゅうせいまごせんきさき嗣有したがえじょうとう泰山たいざんしゃとげ焉。勛父しんじ,灵帝ためじょう大將軍だいしょうぐんなん进遣ひがし募兵ぼへいきさきためずみきたしょう,协規ふとし以遇がいかたりざいただしたくでん》、《たけみかど》。しょ》曰:しんちちかんいたりしょうさむらいちゅうせい以儒みやびあらわしょうゆうだいぶし寬厚かんこう愛人あいじん沈毅ちんきゆうはかりごと大將軍だいしょうぐんなん进辟はいじょう募兵ぼへいとくせん餘人よにんかえいたなる皋而进已ぐうがいしんいたり京師けいしただしたくまたはじめいたしんたく必爲みだれ,劝袁紹襲たく,紹畏たく敢发。かたりざい《紹傳》。信乃しの引軍かえ鄉里きょうりおさむまんななひゃく,辎重せんじょうこれさいふとしはじめおこりへい於己われしんじあずかおとうと韬以へい应太ふとしあずか袁紹ひょう信行のぶゆきやぶ虏將ぐん,韬裨將軍しょうぐんとき紹眾最盛さいせいごう杰多こうこれしんどくいいふとし曰:『おっとりゃく不世出ふせいしゅつのうそう英雄えいゆう以拨らんはんせいしゃきみ也。苟非其人,雖强必毙。くん殆天これしょ启!』とげふか结納,ふとしまたしん焉。汴水はいしんじ疮,韬在ひねせんほろび。紹劫夺韓馥位,とげすえ冀州。しんげん於太曰:『奸臣かんしんじょう衅,荡覆王室おうしつ英雄えいゆう奋節,天下てんかきょう应者,義也よしやこん紹爲盟主めいしゅいん权专はた自生じせいみだれふくゆういち卓也たくやわかそもそものりりょく不能ふのうせい,祗以遘難,またなにのうずみ?且可ぶんまわし大河たいがみなみ,以待其變。』ふとし善之よしゆきふとしためひがしぐん太守たいしゅおもてしんためずみきたしょうかいはばだい眾入しゅうかいりゅう岱欲あずかたたかえしんどめ,岱不したがえとげはいかたりざい武紀たけのり》。ふとし以賊恃勝而骄,よくしつらえへい挑擊於壽はりさき與信よしんぎょう戰地せんちきさきぐんいたり,而卒あずかぞくぐうとげ接戰せっせんしんことたたかえ,以救ふとしふとし仅得溃围しんとげぼつねんよんじゅういち。雖遭らんおこりへいいえもとおさむ儒,いたり儉,而厚养將きょ财,以此けんやすじゅうななねんふとしつい录信こうおもてふう勛兄邵新都しんとていこうしょ》曰:邵有ちちふうふとし嘉之よしゆきはいじょう使つかいぶし。邵薨,とおる嗣。辟勛丞相じょうしょうじょうしょ曰:勛清しろ有高ありだかぶし知名ちめい於世。

じゅうねん立太子りったいし,以勛ためちゅう庶子しょし。徙黄もんさむらいろうためぐん西部せいぶじょう太子たいしかく夫人ふじんおとうとためきょくしゅうけん吏,だんぬすめかんぬのほう应棄ふとしざい谯,太子たいしとめ鄴,すう手書しゅしょ爲之ためゆき请罪。勛不敢擅纵,れつじょう。勛前ざいひがし宫,守正もりまさ不撓ふとう太子たいしかた不能ふのうえつ,及重此事,恚望しげる甚。かいぐんかいきゅうへいゆうしつしゃみつ中尉ちゅういそうめん勛官。久之ひさゆきはいさむらいのべやすし元年がんねんふとしくずれ太子たいしそく王位おうい,勛以驸馬じょうけんさむらいちゅう

ぶんみかど受禅じゅぜん,勛每ひねいまこれしょきゅうただざいぐん农,寬惠ひろえ百姓ひゃくしょうたい榭苑囿,むべ以爲きさき。』ぶんみかどはた遊獵ゆうりょう,勛停车上疏曰:『しん聞五みかどさんおう,靡不明ふめい本立ほんたてきょう,以孝天下でんか陛下へいかひとしせい惻隱そくいんゆうどうれつしん冀當继踪前代ぜんだいれいまんせいそく也。如何いかざい諒闇りょうあんなかおさむはせ骋之ごと乎!しんおかせ以聞,ただ陛下へいか察焉。』みかどしゅ毁其ひょう而竞ぎょうりょう中道ちゅうどう顿息,もん侍臣じしん曰:『りょうためらくなに如八おん也?』さむらいちゅうりゅう晔對曰:『りょうしょう於樂。』勛抗曰:『おっとらく上通かみとおり神明しんめい下和したおじん隆治りゅうじ致化,萬邦ばんぽう咸乂。うつりふうえきぞく,莫善於樂。况獵,暴華ぶた原野げんやきず生育せいいくいたり,栉風沐雨,以時すき哉?むかし魯隱かん渔於棠,春秋しゅんじゅうそしこれ。雖陛以爲务,しんしょげん也。』いんそう:『りゅう晔佞谀不忠ふちゅうおもねじゅん陛下へいか戏之ごとむかしりょうたかしすえこび於遄だい,晔之いい也。请有ざい以清すめらぎ庙。』みかどいかさくしょくやめかえそく勛爲みぎちゅうろうしょう

はつよんねん尚書しょうしょれいひね羣、ぼくしゃ司馬しばせんおうなみ舉勛ため宫正,宫正そくちゅうすすむ也。みかどとくやめ而用ひゃくりょう严憚,罔不肃然。ろくねんあきみかどよくせい吴,羣臣だい,勛面諫曰:『王師おうししばしばせい而未ゆうしょかつしゃぶた以吴、しょく脣齿しょうもたれ阻山すい有難ありがた拔之ぜい也。往年おうねんりゅうぶね飘荡,へだたざい南岸なんがんせい躬蹈危,臣下しんかやぶきも。此時宗じしゅう庙几いたり倾覆,ためひゃくせい戒。いままたろうへいかさねとおにち费千きん中國ちゅうごくきょ耗,れい黠虏玩威,しん竊以ため不可ふか。』みかどえき忿之,左遷させん勛爲しょほう

みかどしたがえことぶきはるかえたむろひねとめぐんかい太守たいしゅまご邕見,出過ですぎ勛。とき营垒未成みせいただしたて标埒,邕邪ぎょうしたがえ正道せいどうぐん营令りゅう曜欲推之,勛以堑垒未成みせいかいどめ舉。大軍たいぐんかえ洛陽らくよう,曜有ざい,勛奏绌遣,而曜みつひょう勛私かい邕事。みことのり曰:『勛指鹿しかさくおさむづけ廷尉。』廷尉ほう:『せいけいさい。』さんかん駮:『りつ罰金ばっきんきん。』みかどだいいか曰:『勛無かつぶん,而汝とう敢纵おさむ三官已下付刺奸,とうれいじゅうねずみどうあな。』ふとしじょう锺繇、つかさはな歆、镇軍大將軍だいしょうぐんひね羣、さむらいちゅうからし毗、尚書しょうしょ卫臻、まもり廷尉だかやわとうなみひょう『勛父しん有功ゆうこう於太』,もとめ请勛ざいみかどもととげ誅勛。勛内ぎょうすんでおさむれん而能ほどこせにちいえ财。きさきしゅんぶんみかどまたくずれ,莫不爲ふため勛歎恨。

司馬しばしば[编辑]

司馬しばしばはな河内かわうちあつしじん也。しょうため書生しょせい,避亂荆州,於魯やまぐうぞく同行どうこうしゃみな棄老じゃくはししば獨坐どくざもり老母ろうぼぞくいたり,以刃臨芝,しば叩头曰:『ははおいただざい諸君しょくん!』ぞく曰:『此孝子こうし也,ころせ不義ふぎ。』とげめんがい,以鹿车推載ははきょ南方なんぽうじゅうねん,躬耕もりぶし

ふとしひら荆州,以芝ためすがちょうどき天下でんかくさ创,たてまつほうぐんぬし簿りゅうたかしきゅうぞくごう侠,賓客ひんきゃくせんいえため盗賊とうぞくにゅうらん吏治。顷之,しばぶしきゃくおう同等どうとうためへいじょうすえしろ:『ふしぜんきさき嘗给繇,わか至時よしとき藏匿ぞうとく,必爲とめ负。』しば聽,あずかふししょ曰:『きみため大宗たいそう股肱ここうぐん,而賓きゃくごとあずかやくすんで眾庶怨望,あるりゅうごえ上聞じょうぶんいまじょう同等どうとうためへいこう发遣。』へいやめあつまりぐん,而節ぞう同等どうとういんれいとく郵以ぐん兴诡责縣,けんじょう穷困,乞代同行どうこうしば乃馳げきずみみなみ具陳ぐちんぶしざい太守たいしゅ郝光もとけいしんしばそく以節だい同行どうこうあおしゅうごうしば『以郡ぬし簿ためへい』。遷广たいられいせい虏將ぐんりゅう勛,ちょう骄豪,またしばこおりすすむ賓客ひんきゃく子弟していざいかいすうはんほう。勛與しばしょちょ姓名せいめい,而多所属しょぞく讬,しばほう其書,いちみな如法にょほうきさき勛以轨誅,交关しゃみなざい,而芝以見しょうりゃく》曰:勛字だい,琅邪じん中平なかひらまつため沛國けんたいらちょう與太よたゆうきゅうきさきため庐江太守たいしゅためまごさくしょやぶかえりふとしふう列侯れっこうとげしたがえざいちゅう。勛兄ためしゅう刺史ししやまいほろび兄子せこまただいしたがえせい。勛自恃じじ與太よたゆう宿やどにち骄慢,すうはんほうまた誹謗ひぼうためさるなりしょしろおさむなみめんかん

遷大ただしゆうぬすめかん练置厕上しゃ,吏疑女工じょこうおさむ以付ごくしば曰:『おっとけいざいしつしつざい苛暴。こん赃物さきとく而后讯其やめわかかちかすめあるいたり诬服。诬服じょう不可ふか以折ごく。且簡而易したがえ大人おとなこれ也。しつ有罪ゆうざいいさおみみいまなだめしょうたぐ,以隆えきしたがえこれまた乎!』ふとししたがえ其議。历甘りょう、沛、陽平ようへい太守たいしゅ所在しょざいゆう绩。

はつちゅうにゅうため河南かなんいんそもそもきょう扶弱,わたし请不ぎょうかいないかんよく以事讬芝,敢发ごといんしばつま伯父おじただしあきらあきらなおはばかしば不爲ふためどおりしばためきょうあずか羣下曰:『ぶたくんのうしつらえきょう不能ふのう使吏必不犯ふぼん也。吏能はんきょう,而不能ふのう使くん必不聞也。おっとしつらえきょう而犯,きみれつ也;はんきょう而聞,吏之祸也。くんれつ於上,吏祸於下おした,此政事せいじ所以ゆえん也。かくつとむ哉!』於是吏莫励。門下もんか循行嘗疑もんみきぬすめかんざしみき,曹執ためごくしばきょう曰:『凡物ゆう相似そうじ而難ぶんしゃ离娄,鲜能不惑ふわく。就其實然じつねん,循行なんにんじゅう惜一かんざし輕傷けいしょう同類どうるい乎!其寝勿問。』

あかりみかど即位そくいたまもの爵关ないこう。顷之,とく进曹ひろし乳母うばとうあずか臨汾公主こうしゅ侍者じしゃどもごと涧神しんまつあん涧,山名やまなざい洛陽らくよう東北とうほくけいごく。卞太きさき黄門こうもん诣府傳令でんれいしば不通ふつう,輒敕洛陽らくようごくこう竟,而上疏曰:

しょ应死ざいしゃみなとうさきひょうひげほうまえせいしょきん绝淫まつ以正風俗ふうぞくこんとうとうしょはん妖刑,はじめじょう黄門こうもん吴达诣臣,つて太皇太后たいこうたいこうれいしん敢通,惧有すくい护,そく聞聖聽,わかとくやめ,以垂宿やどとめよしごとはや竟,しんつみ以冒はんつね,輒敕けんこう竟,擅行けい戮,ふくひげ誅罰。


みかどしゅほう曰:『しょうひょうあきらきょう至心ししんほしたてまつ詔書しょうしょ,以权行事ぎょうじ是也これや。此乃きょうたてまつみことのりなにしゃゆうきさき黄門こうもんふく往,まき勿通也。』芝居しばいかんじゅういちねんかずじょうしょ不便ふべんしゃ。其在公卿くぎょうあいだ直道なおみち而行。かい諸王しょおう來朝らいちょうあずか京都きょうとじん交通こうつうすわめん

きさきためだいつかさ农。さきしょてん农各吏民,まつ作治さくじせい,以要いれしばそう曰:

王者おうじゃたかしほんそもそもまつ,务农じゅうたに王制おうせい:「さんねんもうかくに其國也。」かんげん以积たにためきゅう方今ほうこん虏未灭,たびいき國家こっかようおもんみざいたに帛。たけ皇帝こうていとく屯田とんでんかん,专以农桑ためぎょうけんやすちゅう天下てんか仓廪充實じゅうじつ百姓ひゃくしょういんあしはつ以來いらい,聽諸てん农治せいかくため部下ぶかけいまこと國家こっか大体だいたいしょむべ也。おっと王者おうじゃ以海ないためつて曰:「百姓ひゃくしょう不足ふそくきみ谁與あし!」とみあしざい於不しつてん而尽地力じりきこんしょう旅所たびしょもとめ,雖有ばいあらわしか一統いっとうけいやめゆう赀之损,如垦田益たます一亩之收也。おっと农民こと正月しょうがつこう种,耘锄じょうくわこう熯种むぎかり筑场,じゅうがつ乃毕。廪系桥,运輸租賦,じょ道理どうりはり,墐塗しつ,以是おわりとしにち不爲ふため农事也。こんしょてん农,かくげんとめしゃため行者ぎょうじゃむねけい,课其りょくいきおいとく尔。ゆうしょ废,のりとうもと有餘ゆうよりょく。」しん以爲よろしふく商事しょうじ杂亂,专以农桑ため务,於國けいため便びん


あかりみかどしたがえこれ

まい上官じょうかんゆうしょ召問,つね先見せんけんじょうためだん其意きょう其所以答ふさがこれじょうみな如所しばせいあきらじき矜廉すみあずか賓客ひんきゃく談論だんろんゆう不可ふか便びんめんおり其短,退すさげんそつ於官,いえあまり财,までこんため河南かなんいんしゃ莫及しば

 岐[编辑]

しばほろび岐嗣,したがえ河南かなんすすむ转廷じょうただし,遷陳とめしょうやなぐんゆうけいしゅうしょ连及,すうさい决。詔書しょうしょ徙獄于岐ぞくけんけん请豫ろう。岐曰:『いましゅう有數ゆうすうじゅうすんでたくみ诈難,且已倦楚どく,其情えきあにとうふくひさ处囹圄邪!』及囚しつ,诘之,みな莫敢匿诈,一朝いっちょう决竟,とげちょうため廷尉。大將軍だいしょうぐん爽专权,尚書しょうしょなん晏、邓飏とう爲之ためゆき輔翼。南陽なんようけいたい嘗以げん迕指,こうけい廷尉。飏讯ごくはた致泰重刑じゅうけい。岐數飏曰:『おっとくるるつくえ大臣だいじん王室おうしつすんで不能ふのう輔化成德しげのりひとし古人こじん,而乃肆其わたし忿,枉論無辜むこ使つかい百姓ひゃくしょう危心,此焉ざい?』飏於惭怒而退。岐終こわひさしざい,以疾かんきょひつじ而卒,ねんさんじゅうはじめ嗣。はじめすすむふとしかんちゅうため冀州刺史しし尚書しょうしょ百官ひゃっかんこころざし)〔百官ひゃっかんめい〕。

ひょう[编辑]

评曰:じょ奕、なに夔、邢顒とうとなおたかし厲,ため名人めいじんもう玠清こうもとくつ司馬しばしばただしあきら倾,庶乎吐剛茹柔。ちぇ琰高かくさいゆうあわび勛秉ただし亏,而皆めん其身,惜哉!だいまさたかすんであかり且哲』,おそれしょなおちょく而能あつし』,けんざい,畴克備諸!