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三國演義/第022回 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

さんこく演義えんぎ/だい022かい

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目錄もくろく さんこく演義えんぎ
じょういちかい だいじゅうかい 袁曹かくおこり三軍さんぐん せきちょうきょうとりこおうりゅうしょう したいちかい

  卻說ちんのぼるけんじけい於玄とく曰:「曹操そうそうしょ懼者袁紹。紹虎うずくま冀、あおかそけ、并諸ぐんおびかぶとひゃくまん文官ぶんかん武將ぶしょうごくおおいまなんうつししょひといたかれもとめすくい?」げんとく曰:「紹向あずかわがつう往來おうらいいままたしんやぶ其弟,やす肯相すけ?」とう曰:「此間ゆう一人與袁紹三世通家。わかとく其一しょ致紹,紹必らいしょうすけ。」げんとくとい何人なんにんとう曰:「此人乃公平日へいじつしょ折節おりふし敬禮けいれいしゃ何故なぜ忘之?」げんとく猛省もうせい曰:「莫非てい康成やすなり先生せんせい?」のぼりえみ曰:「しか也。」

  はららいてい康成やすなりめいげん好學こうがく多才たさい,嘗受業じゅぎょう於馬とおるとおるまいとうこうがく,必設絳帳,ぜん生徒せいとひねごえ侍女じじょたまきれつ左右さゆうげん聽講ちょうこうさんねんよこしまとおる甚奇。及學なり而歸,とおる歎曰:「とくがくひめおもんみていげん一人ひとりみみ!」げん家中いえじゅうさむらい婢俱どおりもう》。一婢嘗忤玄意,げんいのちちょう跪階まえ。一婢戲謂之曰:「『えびすため乎泥ちゅう?』」此婢おうごえ曰:「『うすげん往愬,逢彼いか。』」其風雅ふうが如此。桓帝あさげんかんいたり尚書しょうしょこういんじゅうつねさむらいみだれ,棄官でんきょ於徐しゅうげんとくざい涿郡やめ師事しじ。及為じょしゅうまぎ時時ときどきづくりいおり請教,敬禮けいれいとく甚。

  とうしたげんとくそう此人,大喜だいぎ便びんどうちんのぼるしんいたりていげんちゅうもとめ其作しょげん慨然がいぜんまことうつししょいちふう付與ふよげんとくげんとく便びんまごいぬい星夜せいや齎往袁紹しょとう遞。紹覽畢,忖曰:「げんとくおさむめつわれおとうとほん不當ふとうしょうじょただしじゅう以鄭尚書しょうしょめいじとく往救。」とげ聚文武官ぶかん商議しょうぎきょうへい曹操そうそう

  はかりごとゆたか曰:「へいおこり連年れんねん百姓ひゃくしょう疲弊ひへいくら廩無せき不可ふか復興ふっこう大軍たいぐんむべ先遣せんけんじんけんじとし天子てんしわかとくどおり,乃表たたえ曹操そうそうへだたわがおうしかこうひさげへいたむろはじむさら於河內增益ぞうえきぶねかじつくろえおけぐん分遣ぶんけん精兵せいびょうたむろ劄邊ひなさんねんなか大事だいじてい也。」はかりごとしんはい曰:「しか。以明こう神武じんむなでかわついたちつよもりきょうへい討曹ぞくえき如反てのひらなに遷延せんえん日月じつげつ?」はかりごと沮授曰:「制勝せいしょうさく不在ふざいきょうもり曹操そうそう法令ほうれいすんでぎょう士卒しそつ精練せいれん公孫こうそん瓚坐受困しゃ不同ふどうこん棄獻とし良策りょうさく,而興無名むめいへい,竊為あかりこう。」はかりごとかく曰:「也。へい曹操そうそうあに曰無めい公正こうせいとう及時はやてい大業おおわざねがいしたがえてい尚書しょうしょげんあずかりゅう備共仗大義たいぎ剿滅そうめつ曹賊;上合かみあい天意てんいしたあい民情みんじょうじつためまんこう!」

  よんにんそうろん未定みてい,紹躊躇ちゅうちょけつゆるがせもと攸、荀諶そと而入。紹曰:「二人ふたりゆう見識けんしき,且看如何いか主張しゅちょう。」にんほどこせれい畢,紹曰:「てい尚書しょうしょゆうしょらいれいわがおこり兵助へいすけりゅう備,おさむ曹操そうそうおこりへい乎?おこりへい乎?」二人ふたりひとしこえおう曰:「あきらおおやけ以眾かつ寡,以強攻きょうこうじゃく,討漢ぞく以扶王室おうしつおこりへい是也これや。」紹曰:「二人ふたり所見しょけんせいごうわがしん。」便びん商議しょうぎきょうへいさき令孫れいそんいぬい回報かいほうていげんなみやくげんとく準備じゅんびせっおういちめんれいしんはい、逢紀ためすべぐんゆたか、荀諶、もと攸為はかりごとかおりょうぶんみにくため將軍しょうぐんおこりぐんじゅうまん步兵ほへいじゅうまんきょう精兵せいびょうさんじゅうまんもちはじむ進發しんぱつ

  ぶんばちやめじょうかくしん曰:「以明こうだい舉伐みさお必須ひっすすうみさおあくはせげきかくぐんこえざい致討,しかこうめいせいげんじゅん。」紹從とげれい書記しょきひね琳草げき。琳字あなあきらもとゆうざいめいれいみかどためぬし簿よしなんしん聽,ふく遭董たくみだれ避難ひなん冀州,紹用ためしつとうしたれいくさげき,援筆りつ就。其文曰:

ぶた明主めいしゅ危以せいへん忠臣ちゅうしんおもんばかなん以立けん以有非常ひじょうこれにんしかこうゆう非常ひじょうことゆう非常ひじょうことしかたて非常ひじょうこうおっと非常ひじょうしゃかた非常ひじょうじんしょなずらえ也。
曩者,つよしんじゃくぬしちょうだか執柄しっぺい專制せんせい朝權ちょうけんぶくゆかりおのれ時人じじんせりおびえ,莫敢せいげんおわり有望ゆうぼう夷之えびすのはい祖宗そそう焚減,汙辱いたりいまながため鑒。及臻りょきさきねんさん祿ろくせんせい,內兼ぐんそとすべはりちょう擅斷せんだんまんけつごとしょうきんりょうじょうかえうみ內寒しん。於是絳侯、しゅきょきょう奮怒,誅夷ぎゃく暴,みことりつふとしむねのう王道おうどう興隆こうりゅう光明こうみょうあらわとおる,此則大臣だいじんりつけんあかりひょう也。
つかさそら曹操そうそう祖父そふちゅうつねさむらいあがあずかひだり悺、じょ璜並さく妖孽,饕餮放よこきずしいたげみんちちかさ乞丐こつがい攜養,いん贓假輿こしきん輦璧,輸貨權門けんもん竊盜せっとうかなえつかさかたぶけくつがえ重器じゅうきみさお閹遺みにくほん懿德;僄狡ほこさき俠,こうらんらく
幕府ばくふただしすべ鷹揚おうよう掃除そうじ兇逆,ぞくぐうただしたくおかせかん暴國;於是ひさげけん揮鼓,はついのちひがしなつおさむ英雄ひでお,棄瑕ようとげあずかみさおどうはかごうはかりごと,授以裨師;いい其鷹けんざい爪牙そうがにんいたり乃愚佻短りゃくけいすすむえき退すさきずえびすおり衂,すう幕府ばくふ輒復ぶんへいいのちするどおさむかん輯,おもてゆきひがしぐんりょう兗州刺史しし以虎ぶん,獎成がら,冀獲しんいち剋之ほう。而操とげうけたまわ跋扈ばっこほしいままぎょうきょう忒,わり元元もともとざんけんがいぜん
九江太守邊讓,英才えいさいしゅんえら天下てんか知名ちめい直言ちょくげんせいしょくろんおもね諂;くびふくろうかかこれ誅,つま拏受はいめつとがめりんいきどおやめみん怨彌じゅういちおっと奮臂,舉州どうこえ躬破於徐かただつ於呂おろぬの彷徨ほうこうひがし裔,蹈據しょ幕府ばくふおもんみきょうみきじゃくえだよし,且不とう叛人とうふく援旌擐甲,席捲せっけんおこりせいかねひびきぬの眾奔沮。拯其死亡しぼう患,ふく其方はくくらいのり幕府ばくふとく於兗みん,而大ゆうづくり於操也。
後會こうかい鑾駕かえし旆,ぐんぞくらんせいとき冀州かたゆうきたひな警,匪遑はなれきょく使つかい從事じゅうじちゅうろうじょいさお,就發みさお使つかいつくろえおさむ郊廟,翊衛幼主ようしゅみさお便びんこころざし專行せんこうおびえ遷,とうしょうきん;卑侮王室おうしつはいほうらんすわりょうさんだい專制せんせい朝政ちょうせい;爵賞ゆかりこころけい戮在こうしょ愛光あいこうむねしょあくめつさんぞくぐんだんしゃ受顯誅,はらしゃこうむかくれ戮;ひゃく僚鉗こう道路どうろ以目;なお書記しょき朝會ちょうかい公卿くぎょう充員じゅういんひん而已。
ふとしじょう楊彪,てんれきつかさとおるこくきょくみさお因緣いんねん睚眥,以非ざい;榜楚さんなみどく備至;さわじょうにん忒,顧憲つなまたろうちょう彥,ちゅう直言ちょくげん有可ゆかおさめ以聖あさ含聽,あらためようすずみさおよく迷奪あきら杜絕とぜつげん,擅收りつころせ俟報聞。またりょうたかしおう先帝せんていははこんふんりょうとうとあらわくわあずさ松柏しょうはくなおむべ肅恭;而操そち將校しょうこう吏士,親臨しんりん發掘はっくつやぶかんはだかかばねかすめ金寶きんぽういたりこんひじりあさ流涕りゅうてい士民しみんきずふところ
みさおまたとくおけはつおかちゅうろうはた,摸金こうじょうしょ隳突,むくろしょさんおおやけくらい,而行盜賊とうぞくたい,污國がいみんどくほどこせじんおに其細せいむご苛,ぼう互設;罾繳たかし蹊,あな阱塞;舉手挂網羅もうらどうあしさわおちい以兗、有無うむ聊之みん帝都ていとゆう吁嗟怨。れきかんせき無道むどうしんむさぼざん酷烈こくれつ,於操ため甚!
幕府ばくふかたつめがいかん及整くんいとぐち含容,冀可彌縫びほう。而操豺狼さいろう野心やしんせんつつみはかりごと,乃欲摧撓棟梁とうりょうじゃくかんしつじょめつ忠正ただまさせんため梟雄きょうゆう往者おうしゃきたせい公孫こうそん瓚,つよ寇桀ぎゃくこばめかこえいちねんみさおいん其未やぶかげ交書いのちそとじょ王師おうし,內相掩襲。かい其行じん發露はつろ,瓚亦ふくろうえびす使つかいほこさきすすきくじけちぢみ,厥圖はて
こん乃屯よりどころ敖倉,阻河ためかたよく以螳螂之おのたかし車之くるまの隧。幕府ばくふたてまつかんれい折衝せっしょう宇宙うちゅうちょうひゃくまん,驍騎せんぐん;奮中そだてこれ,騁良ゆみ勁弩いきおい;并州こしふとしぎょうあおしゅうわたるずみ、漯;大軍たいぐんひろし黃河こうが以角其前,荊州あて而犄其後;かみなりふるえとらなみきゅうとりこ廷,わか舉炎以焫ほおけくつがえ滄海そうかい以沃熛炭,ゆうなん不滅ふめつしゃ哉?またみさおぐん吏士,其可せんしゃみな出自しゅつじかそけ、冀,ある營部きょく,咸怨曠思流涕りゅうていきた顧。其餘兗、みん,乃呂ぬのちょう楊之あまり眾,くつがえほろびせりおびえけん苟從;かくそうえびす人為じんい讎敵。わかかい旆反徂,登高とうこう崗而げき鼓吹こすいあげもと揮以けいくだみち,必土くずし瓦解がかい俟血方今ほうこんかんしつりょうおそつな維弛ぜっせいあさ一介いっかい輔,股肱ここう折衝せっしょういきおいかた畿之內,簡練しんみなたれあたま搨翼,莫所憑恃;雖有忠義ちゅうぎおびえ暴虐ぼうぎゃくしん,焉能てん其節?またみさおきょく精兵せいびょうななひゃくかこえ守宮やもり闕,そとたく宿衛しゅくえい,內實かかわ,懼其篡逆もえいん斯而さく。此乃忠臣ちゅうしんきものうぬりあき烈士れっしりつこうかいつとむ哉?
みさおまた矯命しょうせい使つかいはつへいおそれあたりとおしゅうぐん給與きゅうよたがえ眾旅叛,舉以めいため天下でんかわらいのり明哲めいてつ也。即日そくじつかそけ、并、あお、冀よんしゅう並進へいしんしょいた荊州,便びん勒見へいあずかたてただしぐん協同きょうどうごえぜいしゅうぐんかくせい義兵ぎへい落境かい,舉武あげなみただし社稷しゃしょくのり非常ひじょうこう於是乎著。
其得みさおくびしゃふうせんこうしょうぜにせんまんきょくへん裨將こうしょ吏降しゃ,勿有しょとい廣宣ひろのぶおんしんじはんあげしょう布告ふこく天下でんか,咸使せいあさゆうかかわさここれなん。如律れい

  紹覽げき大喜だいぎそくいのち使はた此檄あまねあるきしゅうぐんなみ於各ところ關津せきのつ隘口ちょう挂。檄文げきぶんでんいたりもと曹操そうそうかた患頭ふうびょうざいゆか左右さゆうはた此檄でんすすむみさおもうこつ悚然しょうぜんりょう一身いっしん冷汗ひやあせ不覺ふかくあたまふうひたすらいよいよしたがえ床上ゆかうえ一躍いちやく而起,顧謂曹洪曰:「此檄何人なんにん所作しょさ?」ひろし曰:「聞是ひね琳之ひつ。」みさおわらい曰:「ゆう文事ぶんじしゃ必須ひっす以武りゃくずみひね文事ぶんじ雖佳,其如袁紹武略ぶりゃく不足ふそくなに!」とげ聚眾はかりごと商議しょうぎむかえてき

  あなとおる聞之,來見くるみみさお曰:「袁紹ぜいだい不可ふかあずかたたかえただあずか。」荀彧曰:「袁紹無用むようこれにんなに必議?」とおる曰:「袁紹こうみんきょう。其部如許攸、かくしんはい、逢紀,みな智謀ちぼうでんゆたか、沮授,みな忠臣ちゅうしん也;がおりょうぶんみにくいさむかんむり三軍さんぐん;其餘高覽こうらんちょう郃、あつし于瓊とう,俱世名將めいしょうなにいい紹為無用むようこれにん乎?」彧笑曰:「紹兵不整ふせいゆたかつよし而犯じょうもと攸貪而不さとししんはいせん無謀むぼう,逢紀はて而無よう。此すうにんしゃいきおいあいよう,必生內變。かおりょうぶんみにく匹夫ひっぷいさむ一戰いっせんとりこ。其餘碌碌ろくろくとうやからたてゆうひゃくまんなんそく道哉みちや!」

  あなとおる默然もくぜんみさおだいわらい曰:「みな不出ふしゅつ荀文わかこれりょう。」とげ喚前ぐんりゅう岱、こうぐんおうただし引軍まんちょ丞相じょうしょうはたごうじょしゅうおさむりゅう備。はららいりゅう岱舊ため兗州刺史しし,及操兗州,岱降於操,みさおようためへんはたいまあずかおう忠一ただかずどうりょうへいみさお卻自引大ぐんじゅうまんしんはじむこばめ袁紹。ほど昱曰:「おそれりゅう岱、おうただししょう其使。」みさお曰:「われまたりゅう備敵しゅけん且虛ちょうこえぜい。」ぶんづけ:「不可ふかけいすすむまちわがやぶ紹,さい勒兵やぶ備。」りゅう岱、おうただしりょうへいりょう曹操そうそう引兵いたりはじむりょうぐんへだたはちじゅう各自かくじ深溝ふかみぞだかるいそうもち不戰ふせんはちがつもりいたりじゅうがつはららいもと攸不らくしんはいりょうへい,沮授また恨紹不用ふよう其謀,かくあい進取しんしゅ。袁紹こころふところ疑惑ぎわくおもえすすむへいみさお乃喚りょぬのしゅ下降かこうはた臧霸もりあおじょ;于禁、のりたむろへい河上かわかみ;曹仁總督そうとく大軍たいぐんたむろ於官わたりみさお引一ぐん,竟回もと

  且說りゅう岱、おうただし引軍五萬離徐州一百里下寨。ちゅうぐんきょ曹丞しょうはたごう敢進へいただ聽河きた消息しょうそく。這裏げん德也とくや不知ふち曹操そうそう虛實きょじつ敢擅どうまたたださがせ聽河きたゆるがせ曹操そうそうじん催劉岱、おうただししんせん二人ふたりざい寨中商議しょうぎ。岱曰:「丞相じょうしょう催促さいそくおさむじょう,你可さき。」おうただし曰:「丞相じょうしょうさき你。」岱曰:「わが主將しゅしょう如何いかさき?」ちゅう曰:「わが你同引兵。」岱曰:「わがあずか你拈くじひねしるてき便びん。」おうただしひねちょさきただ得分とくぶん一半いっぱん軍馬ぐんばらいおさむじょしゅう

  げんとく聽知軍馬ぐんば到來とうらい,請陳とう商議しょうぎ曰:「袁本はつ雖屯へいはじむ,奈謀しん不和ふわなお進取しんしゅ曹操そうそう不知ふちざい何處どこ。聞黎ぐんちゅうみさおはたごう如何いか這裏卻反ゆうはたごう?」とう曰:「みさお詭計きけい百出ひゃくしゅつ,必以河北かわきた為重ためしげおや監督かんとく,卻故意こいけんはたごう,乃於此處ここむなしちょうこえぜいわれみさお必不ざい此。」げんとく曰:「りょうおとうとだれさがせ虛實きょじつ?」ちょう曰:「小弟しょうていねがい往。」げんとく曰:「なんじためじん躁暴,不可ふか。」曰:「便びんゆう曹操そうそう也拏將來しょうらい!」くもちょう曰:「まちおとうと往觀其動靜どうせい。」げんとく曰:「くもちょうわかわが放心ほうしん。」

  於是くも長引ながひきさん千人馬出徐州來。とき初冬しょとう陰雲いんうんぬのあいゆきはならん飄,軍馬ぐんばみなおかせゆき布陣ふじんくもちょう驟馬ひさげがたな而出,だいさけべおうただしはなしちゅう曰:「丞相じょうしょういた此,えんなんくだ?」くもちょう曰:「請丞しょう出陣しゅつじんわがゆうはなしせつ。」ちゅう曰:「丞相じょうしょうあに肯輕你!」くも長大ちょうだいいか,驟馬こうまえおうただしていやり來迎らいごうりょううましょう交,くもちょうばち便びんはしおうただし趕來,うたてやま坡,くもちょうかいだいさけべ一聲いっせいまいがたなちょくおうただし攔截じゅう,恰得驟馬奔逃,くもちょう左手ひだりてたおせひさげ寶刀ほうとう右手みぎて揪住おうただし勒甲縧,拖下くら鞽,よこ擔於馬上まけかい本陣ほんじんらいおうただしぐん四散しさん奔走ほんそう

  くも長押なげしかいおうちゅうかいじょしゅうみるげんとくげんとくとい:「你乃何人なんにんきょなんしょく?敢詐稱さしょう曹丞しょう!」ちゅう曰:「焉敢ゆういつわりたてまついのちきょうわがむなしちょうこえぜい,以為うたぐへい丞相じょうしょうじつ不在ふざい此。」げんとくきょうづけ衣服いふく酒食しゅしょく,且暫かんまち捉了りゅう岱,さいさく商議しょうぎくもちょう曰:「ぼうけいゆう和解わかいなまとりこ將來しょうらい。」げんとく曰:「われおそれつばさとく躁暴,ころせりょうおうただしきょう。此等じんころせ無益むえきとめためかい和之かずゆき。」

  ちょう曰:「哥捉りょうおうただしわがなまとりこりゅう岱來!」げんとく曰:「りゅう岱昔ため兗州刺史ししとらろうただしたく,也是いち鎮諸こう今日きょうためまえぐん不可ふかけいてき。」曰:「りょう此輩なんそく道哉みちやわが也似二哥生擒將來便了!」げんとく曰:「ただおそれ壞了せいいのちあやまわが大事だいじ。」曰:「如殺りょうわがつぐなえいのち!」げんとくとげあずかぐんさんせん引兵前進ぜんしん

  卻說りゅう岱知おうただしとりこ堅守けんしゅ不出ふしゅつちょう每日まいにちざい寨前さけべののし,岱聽ちょうこし敢出。もりりょう數日すうじつ岱不しんせいいちけい傳令でんれい今夜こんや二更去劫寨,日間にちかん卻在ちょうちゅう飲酒いんしゅいつわりよいひろぐん罪過ざいかりょういちとみばくざい營中曰:「まてわが今夜こんや出兵しゅっぺい將來しょうらいさいはた!」卻暗使左右さゆうたてぐんとくぬげ,偷走營,逕往りゅう岱營ちゅう來報らいほうこう寨之ごとりゅう岱見くだそつ受重きずとげ聽其せつきょ紮空寨,伏兵ふくへい在外ざいがい

  よるちょう卻分へいさん中間なかま使さんじゅう餘人よにんこう放火ほうか;卻教りょうみちぐん抄出しょうしゅつ寨後,おこりためごう夾擊きょうげきさら時分じぶんちょう引精へいさきだんりゅう岱後ちゅうさんじゅう餘人よにん,搶入寨中放火ほうかりゅう岱伏へい恰待ころせいれちょうりょうみちへいひとし。岱軍みだれせい不知ふちへい多少たしょう各自かくじつぶせりゅう岱引いちたいざんぐんだつみち而走,せい見張みはりせましょう逢,急難きゅうなん回避かいひ;交馬ただいちごうはやちょうせいとりこ過去かこ眾皆くだ

  使じんさきむくいにゅうじょしゅうげんとく聞之,いいくもちょう曰:「つばさとく莽,いままたもちいさとしわれゆう矣。」乃親かくむかい曰:「哥哥どうわが躁暴,今日きょう如何いか?」げんとく曰:「不用ふよう言語げんごしょうげき如何いか肯使はかりごと?」だいわらいげんとくばくりゅう岱過らい,慌下馬げばかい其縛曰:「小弟しょうていちょうあやまゆうおかせ瀆,もち乞恕ざい。」とげむかえにゅうじょしゅう放出ほうしゅつおうただし一同いちどう款待かんたいげんとく曰:「ぜんいんしゃかぶとよくがい備,とくころせこれ丞相じょうしょう錯疑備反,將軍しょうぐんぜんらい問罪もんざい。備受丞相じょうしょうだいおんせいおもえほうこうやす敢反耶?將軍しょうぐんいたりもともち善言ぜんげんため備分訴,備之幸也ゆきや。」りゅう岱、おうただし曰:「ふか使くんころせおんとう於丞しょう處方しょほう便びん,以某りょう家老がろう小保こぼ使くん。」

  げんとくしょうしゃつぎつきかえげんりょう軍馬ぐんば送出そうしゅつくるわがいりゅう岱、おう忠行ただゆき上十かみじっ餘里より一聲いっせいひびきちょう攔路大喝だいかつ曰:「わが哥哥忒沒ぶんあかつき!捉住賊將ぞくしょう如何いかまたりょう?」嚇得りゅう岱、おうただしざい馬上まけはつ顫。ちょう睜眼ていやり趕來,背後はいごいちにん飛馬ひうまだいさけべ:「とく無禮ぶれい!」,乃雲ちょう也。りゅう岱、おうただしかた放心ほうしんくもちょう曰:「すんでけいちょうりょうわれおとうと如何いか遵法じゅんぽうれい?」曰:「こんつがえりょうしたまた。」くもちょう曰:「まち再來さいらいころせおそ。」りゅう岱、おうただし連聲れんじょうつげ退すさ曰:「便びん丞相じょうしょう誅我さんぞく,也不らいりょうもち將軍しょうぐん寬恕かんじょ。」曰:「便びん曹操そうそう,也殺かたかぶとかいこんばんけん且記りょう顆頭!」りゅう岱、おうただしだきあたまねずみ竄而去。くもちょうつばさとくかいげんとく曰:「曹操そうそう必然ひつぜんふくらい。」まごいぬいいいげんとく曰:「じょしゅう受敵不可ふか久居ひさいわかぶんへいたむろしょう沛,まもり邳城,ため犄角いきおい,以防曹操そうそう。」げん德用とくよう其言,れいくもちょうもり邳;あま、糜二夫人亦於下邳安置:あま夫人ふじん乃小沛人也,糜夫じん乃糜竺之いもうと也。まご、簡雍、糜竺、糜芳もりじょしゅうげんとくあずかちょうたむろしょう沛。

  りゅう岱、おうただしかい曹操そうそうげんりゅう備不はんこれごとみさおいかののし:「はずかしめこくとめ你何よう!」かつれい左右さゆう推出これせい

いぬいのこなにこらえきょうとら鬥,さかなえび空自くうじあずかりゅうそう

不知ふちにんせいいのち如何いか,且看ぶん分解ぶんかい

じょういちかい したいちかい
さんこく演義えんぎ