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三國演義/第092回 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

さんこく演義えんぎ/だい092かい

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目錄もくろく さんこく演義えんぎ
じょういちかい だいきゅうじゅうかい ちょうりゅうりょくしょう しょかずらあきらさとし三城みき したいちかい

  卻說孔明こうめいりつへいぜんいたり沔縣,經過けいかちょう墳墓ふんぼ,乃令其弟岱挂こう孔明こうめいおやまつりまつり畢,かいいた寨中,商議しょうぎしんへいゆるがせ哨馬報道ほうどう:「ぬし曹叡駙馬なつこう楙,調しらべせきちゅうしょみち軍馬ぐんばまえらいこばめてき。」のべうえちょう獻策けんさく曰:「なつこう楙乃あぶら子弟してい懦弱だじゃく無謀むぼうのべねがいとく精兵せいびょうせんみち褒中,循秦みね以東いとうとううまたに而投きたじゅうにちいた長安ながやすなつこう楙若聞某驟至,必然ひつぜん棄城もちていかくよこもん而走。ぼう卻從東方とうほう而來,丞相じょうしょうだいはすたに而進:如此ぎょうのり咸陽以西いせい,一舉可定也。」孔明こうめいわらい曰:「此非萬全ばんぜんけい也:なんじ中原なかはら好人物こうじんぶつ,倘有じん進言しんげん,於山へきちゅう以兵截殺,おもんみせんにん受害,まただいきず銳氣えいきけつ不可ふかよう。」のべまた曰:「丞相じょうしょうへいしたがえ大路おおじ進言しんげんかれ必盡おこりせき中之なかのへい,於路むかえてきそく曠日持久じきゅうなん而得中原なかはら?」孔明こうめい曰:「われしたがえ隴右きょ平坦へいたん大路おおじほうしんへいなにかち?」とげ不用ふよう延之のぶゆきけいのべ怏怏おうおうえつ孔明こうめいじんれいちょうくもしんへい

  卻說なつこう楙在長安ながやす聚集しょみち軍馬ぐんばときゆう西にしりょう大將たいしょうかんいさおぜん使開山かいさんだいおのゆう萬夫不當ばんぷふとういさむ,引西羌諸へいはちまん到來とうらいりょうなつこう楙,楙重しょう,就令ため先鋒せんぽうとくゆうよんみな精通せいつう武藝ぶげい弓馬きゅうばひと長子ちょうしかんあきら次子じしかんよう三子みつこかん瓊,よんかん琪。かんいさおたい四子並西羌兵八萬,みちいたりおおとり鳴山なるやませいぐうしょくへいりょうじんたいえんかんいさお出馬しゅつばよんれつ於兩とく厲聲だいののし曰:「はん國之くにゆきぞくやす敢犯われ境界きょうかい!」ちょうくもだいいかていやりたてたん搦韓とく交戰こうせん長子ちょうしかんあきらおどうま來迎らいごうせんさんごうちょうくも一槍刺死於馬下。次子じしかんようこれたて揮刀らいせんちょうくもほどこせたくましきゅうにちとら,抖擻精神せいしんむかえせんよう抵敵じゅう三子みつごかん瓊,きゅうていかたてん戟驟ぜんらい夾攻。くも全然ぜんぜん懼,やりほう不亂ふらんよんかん琪,あに戰雲せんうんした,也縱掄兩こう日月じつげつがたな而來,かこえじゅうちょうくもくもざい中央ちゅうおうどくせんさんしょう少時しょうじかん琪中やり落馬らくばかん陣中じんちゅうへんはたきゅうすくえくも拖槍便びんはしかん瓊按戟,きゅう弓箭きゅうせんしゃれんさんみなくもようやりばち落。瓊大いか,仍綽かたてん戟縱趕來;卻被くも一箭射中面門,落馬らくば而死。かんようたて舉寶がたな便びん砍趙くもくも棄槍於地,閃過寶刀ほうとうなまとりこかんよう歸陣きじんふくたてやりころせじんらいかんいさお四子皆喪趙雲之手,肝膽かんたんみなきれさき走入はしりじん西にし羌兵もとちょうくも今見いまみ其英いさむ如昔,だれ敢交ほこさきちょうくもいたしょじんじんたおせ退ずさちょうくもひきたんやり往來おうらい衝突しょうとつ,如入無人むじんさかい後人こうじんゆうたたえ曰:

憶昔常山つねやまちょうりゅうねんとうななじゅうけん奇功きこう
どく誅四將來しょうらい衝陣,なおとうすくいぬしゆう

  鄧芝ちょうくも大勝たいしょうりつしょくへい掩殺,西にしすずかへい大敗たいはい而走。かんいさおけわしちょうくもとりこじゅう,棄甲步行ほこう而逃。ちょうくもあずか鄧芝おさむぐんかい寨。しば曰:「將軍しょうぐんことぶきやめななしゅんえいいさみ如昨。今日きょうじんぜんちからよんしょうせいしょ罕有!」くも曰:「丞相じょうしょう以吾ねん邁,肯見よう聊以ひょうみみ。」とげじんかいかんようさるほうとししょ,以達孔明こうめい

  卻說かんいさお引敗ぐんかいなつこう楙,哭其ごと。楙自すべへい來迎らいごうちょうくもさがせほういれしょく寨,せつなつこう楙引へいいたくも綽槍上馬かみうま,引千あまりぐん,就鳳鳴山なるやまぜん擺成じんぜいとう日夏ひなつこう楙戴きん盔,すわ白馬はくば手提てさげだい砍刀,たてざいもんしたちょうくもおどうまてい鎗,往來おうらいはせ騁,楙欲せんかんいさお曰:「ころせわれよん讎,如何いかほう!」たて開山かいさんだいおのちょくちょうくもくも奮怒ていやり來迎らいごうせんさんごうやりおこりしょとげかんいさお於馬きゅうばちちょくなつこう楙。楙慌せわし閃入本陣ほんじん。鄧芝へい掩殺,へいまたおりいちじん退すさじゅうあまりさと寨。楙連よるあずか眾將商議しょうぎ曰:「われひさ聞趙くも嘗見めん今日きょうねんおい英雄えいゆうひさしざいぽうしんじとうちょうばんこと此無じんてき,如之奈何いかん?」さんぐんほどたけ乃程昱之也,進言しんげん曰:「ぼうりょうちょうくもゆういさみ無謀むぼう不足ふそくためおもんばか來日らいにちとくさい引兵さきふくりょうぐん左右さゆうとく臨陣さき退すささそえちょうくもいた伏兵ふくへいしょとく登山とざん指揮しきよんめん軍馬ぐんば重疊ちょうじょうかこえじゅうくもとりこ矣。」楙從其言,とげただし禧引さんまんぐんふく於左,薛則引さんまんぐんふく於右:二人ふたり埋伏まいふくやめじょう

  つぎなつこう楙復せいきん旛,りつへい而進。ちょうくも、鄧芝出迎でむかえしばざい馬上まけいいちょうくも曰:「昨夜さくやへい大敗たいはい而走,今日きょうふくらい,必有いつわり也,ろう將軍しょうぐんぼう。」りゅう曰:「りょう此乳しゅう小兒しょうになんそく道哉みちやわれ今日きょう必當とりこ!」便びんおどうま而出,はたはんとげ出迎でむかえせんさんごうばち便びんはしちょうくも趕去,陣中じんちゅうはちいんはた一齊いっせい來迎らいごうなつこう楙先はしはちしょう陸續りくぞく奔走ほんそうちょうくもじょういきおいついころせ,鄧芝引兵つぎしんちょうくも深入ふかいりじゅうただ聽得よんめん喊聲かんせい大震たいしん。鄧芝きゅうおさむぐん退すさかいひだりゆうただし禧,みぎゆう薛則,りょうみちへい殺到さっとう。鄧芝へいしょう不能ふのうかいすくいちょうくもこまざい垓心,ひがし衝西突,へいこしあつし

  ときくも手下てしたとめゆうせん餘人よにん殺到さっとうさん坡之只見ただみなつこう楙在山上さんじょう指揮しき三軍さんぐんちょうくもとうひがしそくもちひがしゆびとう西にしそくもち西にしゆびいん此趙くも不能ふのう突圍,乃引へいよく上山かみのやまらいはん山中さんちゅうほう石打いしうちしょうらい不能ふのう上山うえやまちょうくもしたがえたつころせいたりとり不能ふのうとく走出はしりでただとく下馬げばしょう歇,且待月明げつめい再戰さいせん。卻纔おろしかぶと而坐。月光げっこうかたゆるがせよん下火したびこう沖天ちゅうてんごえ大震たいしんせき如雨,へい殺到さっとうみなさけべ曰:「ちょうくもはやくだ!」くもきゅう上馬かみうまむかいてき、四面軍馬漸漸逼近,八方弩箭交射甚急,人馬じんばみな不能ふのうこうまえくも仰天ぎょうてん嘆曰:「われ不服ふふくおい於此矣!」

  ゆるがせ東北とうほくかくじょう喊聲かんせい大起だいきへいまがえ紛亂ふんらん竄。いちあやぐん殺到さっとうためくび大將たいしょうたけはちてんこうほこうまこう挂一顆人あたまくも,乃張つと也。つとちょうくもげん曰:「丞相じょうしょうおそれろう將軍しょうぐんゆうしつとくぼう引軍せんへいせっおう。聞老將軍しょうぐんこま故殺こさつとおる重圍じゅういせいぐうしょう薛則,ぼうころせこれ。」くも大喜だいぎそくあずかちょうつところせ西北せいほく角來かくらい只見ただみたかしへい棄戈奔走ほんそう。一彪軍從外吶喊殺入,ためくび大將たいしょうひさげ偃月青龍刀せいりゅうとう挽人あたまくも,乃關きょう也。きょう曰:「たてまつ丞相じょうしょうめいじこわろう將軍しょうぐんゆうしつとく引五せんへいまえらいせっおう。卻纔じんじょう逢著しょうただし禧,われ一刀いっとうこれ梟首きょうしゅざい此。丞相じょうしょうずい後便こうびんいた也。」くも曰:「將軍しょうぐんやめけん奇功きこう趁今とりこじゅうなつこう楙,以定大事だいじ?」

  ちょうつと聞言,とげ引兵りょうきょう曰:「わが也幹こう。」また引兵りょうくも回顧かいこ左右さゆう曰:「兩個りゃんこ吾子あごめいやからなお且爭さきみきこうわれ國家こっかじょうはた朝廷ちょうてい舊臣きゅうしんはん如此しょうやから耶?われとうしゃろういのち以報先帝せんていおん!」於是引兵らい捉夏こう楙。當夜とうやさんへい夾攻,大破たいはぐんいちじん。鄧芝引兵せっおうころせかばねよこへんりゅうなりかわなつこう楙乃無謀むぼうこれにんさらけんねんよう曾經せんぐん大亂たいらんとげ引帳驍將ぎょうしょうひゃく餘人よにんもちみなみやすぐん而走。眾軍いん無主むしゅつきみな逃竄。きょうつとしょう,聞夏こう楙望みなみやすぐんりょう連夜れんや趕來。楙走入城にゅうじょうちゅうれい緊閉城門じょうもんへいもり禦。きょうつとにん趕到,はたしろかこえじゅうちょうくもずい也到:三面さんめんおさむ少時しょうじ,鄧芝また引兵いた一連いちれんかこえりょうじゅうにちおさむした

  ゆるがせほう丞相じょうしょうとめぐんじゅう沔陽,ひだりぐんたむろ陽平ようへいみぎぐんたむろ石城せきじょう引中ぐんらいいたちょうくも、鄧芝ぐんせききょうちょうつとみならいはいとい孔明こうめいせつ連日れんじつおさむじょうした孔明こうめいとげ小車おぐるまおやいた城邊ぐすくべ周圍しゅういりょういちへんかい寨升ちょう而坐。眾將たまきりつ聽令。孔明こうめい曰:「此郡ごう深城ふかしろたかし不易ふえきおさむ也。われせいこと不在ふざい此城,如汝とうただひさしおさむ,倘魏へいぶんどう而出,以取かんちゅうわれぐん危矣。」鄧芝曰:「なつこう楙乃駙馬,わかとりこ此人,しょうひゃくしょういまこま於此,あに棄之而去?」孔明こうめい曰:「われゆうけい此處ここ西にしれん天水てんすいぐんきた安定あんていぐんしょ太守たいしゅ不知ふち何人なんにん?」さがせそつこたえ曰:「天水てんすい太守たいしゅ遵,安定あんてい太守たいしゅちぇりょう。」孔明こうめい大喜だいぎ,乃喚のべ受計,如此如此;また喚關きょうちょうつと受計,如此如此;また喚心はらぐんにん受計,如此ぎょうかく將領しょうりょういのち,引兵而去。孔明こうめい卻在みなみ安城あきがいれいぐんうん柴草しばくさうずたか於城くちたたえしょうじょうへい聞知ぶんちみなだいわらい懼。

  卻說安定あんてい太守たいしゅちぇりょうざい城中じょうちゅう聞蜀へいかこえりょうみなみやすこまじゅうなつこう楙,十分じゅうぶん慌懼,そくてん軍馬ぐんばやくともよんせんもりじゅうじょうゆるがせ一人自正南而來,くちたたえ有機ゆうき密事みつじちぇりょう喚入といとう曰:「ぼうなつこうとくちょう下心したごころばらはた裴緒,いまたてまつとくしょうれいとくらいもとめすくい於天すい安定あんていぐんみなみやす甚急,每日まいにち城上じょうかみたてためごうせんもちぐんすくいへいなみいたいんふくぼうころせ重圍じゅういらい此告きゅう星夜せいやおこりへいためがいおうみやこただし若見わかみぐんへいいた,卻開城門じょうもんせっおう也。」りょう曰:「ゆうとく文書ぶんしょ?」いとぐちにく取出とりであせやめしめとおるりゃくきょういちきゅうれい手下てしたかわりょうひき便びん出城でしろのぞむ天水てんすい而去。

  にちまたむくいいたせつ天水てんすい太守たいしゅやめおこりへい救援きゅうえんみなみやすりょうきょう安定あんていせっおうちぇりょうあずかかん商議しょうぎかん曰:「わかすくいしつりょうみなみやすおくりょうなつこう駙馬,みなわがりょうぐんつみ也;ただとくすくい。」りょうそくてんおこり人馬じんばはなれじょう而去,ただとめ文官ぶんかんもりじょうちぇりょうひさげへいこうみなみやす大路おおじ進發しんぱつはるかこう沖天ちゅうてん,催兵星夜せいや前進ぜんしんはなれみなみやすなおゆうじゅうあまりさとゆるがせ聞前喊聲かんせい大震たいしん,哨馬報道ほうどう:「前面ぜんめんせききょう截住みち背後はいごちょうつところせらい!」あん定之さだゆきへいよん逃竄。りょうだいおどろき,乃領手下てしたひゃく餘人よにん,往小路こうじたたかえぬげ,奔回安定あんていほういたしろごう城上じょうかみらんしゃらいしょくしょうのべざいしろじょうさけべ曰:「われやめりょうじょう也!なにはやくだ?」はららいのべふんさく安定あんていぐん,夤夜賺開城門じょうもんしょくへいつきいれいん此得りょう安定あんてい

  ちぇりょう慌投天水てんすいぐんらいくだりいたいちほど前面ぜんめんいちあやぐん擺開。だいはたした一人ひとり綸巾おうぎみちほうづる氅,端坐たんざ於車じょうりょう,乃孔明也あきやきゅうばちかい馬走まばせせききょうちょうつとりょうみちへいおいいたたださけべ:「はやくだ!」ちぇりょうよんめんみなしょくへいとくやめとげどうだい寨。孔明こうめい以上いじょうまろうどしょうまち孔明こうめい曰:「みなみやす太守たいしゅあずか足下あしもと交厚?」りょう曰:「此人乃楊阜之ぞくおとうと楊陵也;あずかぼう鄰郡,交契甚厚。」孔明こうめい曰:「こんよくはん足下あしもと入城にゅうじょうせつ楊陵とりこなつこう楙,乎?」りょう曰:「丞相じょうしょうわかれいぼう暫退軍馬ぐんばようぼう入城にゅうじょうせつ。」孔明こうめいしたがえ其言,そく傳令でんれいきょう四面軍馬各退二十里下寨。

  ちぇりょうひきいた城邊ぐすくべさけべ開城かいじょうもんにゅういた府中ふちゅうあずか楊陵れい畢,ほそげん其事。りょう曰:「わがとう受魏ぬしだいおんあんしのぶしょうけい就計而行。」とげ引崔りょういたなつこう楙處,備細說さいせつ。楙曰:「當用とうようなんけい?」楊陵曰:「ただ推某けんじ城門じょうもん,賺蜀へいいれ,卻就じょうちゅうころせこれ。」ちぇりょうけい而行,城見しろみ孔明こうめいせつ:「楊陵けんじ城門じょうもん大軍たいぐん入城にゅうじょう,以擒なつこう楙。楊陵ほんほし捉,いん手下てした勇士ゆうし敢輕どう。」孔明こうめい曰:「此事いたりえきこんゆう足下あしもとばらくだへいひゃく餘人よにん,於內くらくらしょくしょうふんさく安定あんてい軍馬ぐんばおび入城にゅうじょうさきふく於夏こう楙府;卻暗やく楊陵,まち半夜はんやこれけんじ開城かいじょうもんうらおうがいあい。」ちぇりょうくらおもえ:「わかおびしょくはたおそれ孔明こうめいせいうたぐ。且帶いれ,就內さきこれ,舉火ためごう,賺孔明こうめい入來にゅうらいころせこれ可也かなり。」いん此應まこと孔明こうめいしょく曰:「われしんしんせききょうちょうつとずい足下あしもとさきただ推救ぐんころせ入城にゅうじょうちゅう,以安定あんていなつこう楙之しんただし舉火,われとうおや入城にゅうじょうとりこ。」

  とき黃昏たそがれせききょうちょうつと受了孔明こうめい密計みっけい,披挂上馬かみうまかく兵器へいきざつざい安定あんていぐんちゅうずいちぇりょうらいいたみなみ安城あき。楊陵ざい城上じょうかみ撐起かかそらばん,倚定謢心らんもん曰:「何處どこ軍馬ぐんば?」ちぇりょう曰:「安定あんていすくいぐんらいいた。」りょうさきしゃごう上城かみしろうえたいちょ密書みっしょ曰:「こんしょかずらあきら先遣せんけんしょうふく於城ちゅうよううらおうがいごう,且不可ふかおどろきどうおそれ泄漏けいさくまち入府にゅうふちゅう。」楊陵しょう書見しょけんりょうなつこう楙,ほそげん其事。楙曰:「すんでしかしょかずらあきらちゅうけい,且教がたなおのしゅひゃく餘人よにんふく於府ちゅう。如二將隨崔太守到府下馬,閉門へいもんこれ;卻於城上じょうかみ舉火,賺諸かずらあきら入城にゅうじょう伏兵ふくへいひとしあきらとりこ矣。」

  やすはいやめ畢,楊陵かいいた城上じょうかみげん曰:「すんで安定あんてい軍馬ぐんば入城にゅうじょう。」せききょう跟崔りょう先行せんこうちょうつとざい。楊陵下城げじょうざいもん迎接げいせつきょうしゅおこりがたな落,楊陵於馬ちぇりょうだいおどろききゅうばち馬走まばせいたちょうきょうあたりちょうつと大喝だいかつ曰:「賊子ぞくしきゅうはしなんじとう詭計きけい如何いか瞞得丞相じょうしょう耶!」おこりいちやりとげちぇりょう於馬せききょうはやいた城上じょうかみ,舉起らい四面しめんしょくへい奔入。なつこう楙措しゅ及,ひらきみなみもん併力ころせいちあやぐん攔住,ためくび大將たいしょう,乃是おうひら;交馬ただいちごうなまとりこなつこう楙於馬上まけみなころせ

  孔明こうめい入南にゅうなんやす,招諭軍民ぐんみん秋毫しゅうごうはん。眾將各各おのおのけんじこう孔明こうめいはたなつこう楙囚於車ちゅう。鄧芝とい曰:「丞相じょうしょうなん故知こちちぇりょういつわり也?」孔明こうめい曰:「われやめ此子くだこころ故意こい使入城にゅうじょうかれ必盡じょうつげあずかなつこう楙,よくすすむけい就計而行。われらいじょうそく其詐,ふく使はたどう,以穩其心。此人わかゆう真心まごころ必然ひつぜん阻當;かれ忻然どうしゃおそれわれうたぐ也。意中いちゅうはたどう,賺入城にゅうじょうちゅうころせおそまたれいわれぐんゆうたく放心ほうしん而進。われやめくらしょくしょう,就城門下もんかしろ內必準備じゅんびわれぐんずい後便こうびん,此出其不意ふい也。」眾將はいふく孔明こうめい曰:「賺崔りょうしゃわれ使心腹しんぷくじんいつわりさくしょう裴緒也。われまた天水てんすいぐんいたりこん未到みとう不知ふち何故なにゆえこんじょういきおいこれ。」乃留くれ懿守みなみやすりゅう琰守安定あんていがえのべ軍馬ぐんば天水てんすいぐん

  卻說天水てんすいぐん太守たいしゅ遵,聽知なつこう楙困ざいみなみ安城あきちゅう,乃聚文武ぶんぶ百官ひゃっかん商議しょうぎこう曹梁いとぐちおも簿いんしょうおもりょうけんとう曰:「なつこう駙馬乃金枝きんしだま,倘有疏虞,なん逃坐つみ太守たいしゅなん不盡ふじんおこり本部ほんぶへい以救?」うま遵正うたぐおもんばかあいだゆるがせしかなつこう駙馬心腹しんぷく裴緒いたいとぐち入府にゅうふ公文こうぶん付馬つけうま遵,せつ:「とくもとめ安定あんてい天水てんすいりょうぐんへい星夜せいやすくいおう。」げん訖,匆匆そうそう而去。つぎまたゆうほういたしょうせつ:「安定あんていへいやめさきりょうきょう太守たいしゅ火急かきゅうぜんらい會合かいごう。」うま遵正よくおこりへいゆるがせ一人自外而入曰:「太守たいしゅちゅうしょかずらあきらけい矣!」 眾視,乃天すい冀人也:せいきょうめい維,はくやくちちめい冏,昔日せきじつ曾為天水てんすいぐんこう曹,いん羌人みだれ,歿於王事おうじ。維自よう博覽はくらんぐんしょ兵法ひょうほう武藝ぶげいしょ不通ふつうたてまつはは至孝しこうぐんじんけいためちゅうろうはた,就參本部ほんぶ軍事ぐんじ

  當日とうじつきょう維謂遵曰:「きん聞諸かずらあきらころせはいなつこう楙,こま於南やすみず泄不どおりやすとく有人ゆうじん重圍じゅういちゅう而出?また且裴いとぐち乃無名下みょうげしょうしたがえ曾見;きょう安定あんていほうまた公文こうぶん:以此察之,此人乃蜀しょう詐稱さしょうしょう。賺得太守たいしゅ出城でしろりょう城中じょうちゅう備,必然ひつぜんくらふく一軍いちぐん左近さこんじょうきょ而取天水てんすい也。」うま大悟たいご曰:「はくやくこれげんのりあやまちゅう奸計かんけい矣!」維笑曰:「太守たいしゅ放心ほうしんぼうゆういちけいとりこしょかずらあきらかいみなみやす危。」せい

うん籌又ぐうきょう中手なかて,鬥智かえ逢意外人がいじん

未知みち其計如何いか,且看ぶん分解ぶんかい

じょういちかい したいちかい
さんこく演義えんぎ