(Translated by https://www.hiragana.jp/)
世說新語/傷逝 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

せつ新語しんご/きず

維基文庫ぶんこ自由じゆうてき圖書館としょかん
  1. おうなかせんこううさぎうまこころざし曰:「おうつばらなかせん山陽さんよう高平たかひらじん曾祖そうそ龔、ちちとおるみなためかんさんおおやけつばらいたりちょう安見やすみ蔡邕,邕奇たおせ屣迎曰:『此王公孫こうそんゆう異才いさいわれ及也!われ書籍しょせきつきとうあずかこれ。』避亂荊州,りゅうひょう,以粲貌寢どおりぬげ甚重ふとし以從せい道中どうちゅうそつ。」すんでそうぶんみかど臨其,顧語どうゆう曰:「おうこううさぎうまかくさく一聲いっせい以送。」赴客みないちさくうさぎうま按戴叔鸞ははこううさぎうま,叔鸞ごとためうさぎうま以說其母。ひとところよしみ,儻亦どうこれ
  2. おう濬沖ため尚書しょうしょれいちょおおやけふくじょう軺車,けいおおやけしゅ壚下韋昭漢書かんしょちゅう曰:「壚,さけ肆也。以土ため墮,四邊しへんだか壚也。」顧謂しゃきゃく:「われむかしあずか嵇叔よる、阮嗣むねどもたけなわいん於此壚,竹林ちくりんゆうまたあずか其末。嵇生夭、阮公ほろび以來いらい便びんためしょ羈紲。今日きょう此雖ちか,邈若山河さんが。」竹林ちくりんななけんろん曰:「俗傳ぞくでんわか此。潁川庾爰嘗以とい其伯文康ふみやす文康ふみやすうん:『ちゅうちょうしょ聞,こうひだりゆるがせゆう此論,みな好事こうじしゃ為之ためゆき也。』」
  3. 孫子まごこ荊以ゆうざいしょうところ推服すいふくただまさたかしおう武子たけこ武子たけし名士めいしいたりしゃ荊後らい,臨屍慟哭どうこく賓客ひんきゃく莫不たれ涕。哭畢,こうれいゆか曰:「きょうつねこうさくうさぎうまいまわがためきょうさく。」からだごえしん賓客ひんきゃくみなわらいまご舉頭曰:「使つかいくんやからそんれい此人。」かたりりん曰:「おう武子たけこそう孫子まごこ荊哭甚悲,賓客ひんきゃく莫不たれ涕。すんでさくうさぎうま賓客ひんきゃくみなわらいまご曰:『諸君しょくん不死ふし,而令武子たけし乎?』賓客ひんきゃくみないか。」
  4. おうえびすまんやま簡往しょうおう悲不かち。簡曰:「孩抱ちゅうぶつなにいたり於此?」おう曰:「聖人せいじん忘情,最下さいか及情;じょうこれしょ鍾,せいざい我輩わがはい。」おうかくれすすむしょ曰:「えびす綏,ほし裴遁おんな。綏既のみほろびえびすきずつうもとじんもとめとげいたりろう敢取しゃ。」簡服其言,さら為之ためゆき慟。一說是王夷甫喪子,やま簡弔
  5. 有人ゆうじん哭和ちょう輿こし曰:「峨峨ががわか千丈せんじょうまつくずし。」
  6. まもる洗馬せばえいよしみろくねんしゃ鯤哭感動かんどうじんえいよしみ流人るにんめい曰:「玠以ろくねんろくがつじゅうにちほろびそうみなみあきらじょうもとちょうひがし。玠之薨,しゃよう輿こしはつあい於武あきらかん慟不かちひととい:『なん卹而致哀如是にょぜ?』こたえ曰:『棟梁とうりょうおり矣,なにあい?』」咸和ちゅう丞相じょうしょう王公おうこうきょう曰:「まもる洗馬せばとう改葬かいそう。此君風流ふうりゅう名士めいしうみ內所瞻,おさむうすさい,以敦きゅうこのみ。」玠別でん曰:「玠咸ちゅうあらため遷於こうやすし丞相じょうしょう王公おうこうきょう曰:『洗馬せばあきらとう改葬かいそう。此君風流ふうりゅう名士めいしうみ內所瞻,脩三しゅうぞう牲之さい,以敦きゅうこのみ。』」
  7. 顧彥さき平生へいぜいこうきん,及喪,家人かじんつね以琴おけれい床上ゆかうえちょうたか往哭かち其慟,とげみち上床うわとこつづみきんさくすうきょく竟,なできん曰:「顧彥さき頗復しょう此不?」いんまただい慟,とげ孝子こうししゅ而出。
  8. 庾亮遭蘇たかしなんぐうがいしょかずら道明どうみょうおんなため庾兒すんで寡,はたあらためてき亮子あきこかいかいつまちちあやなみやめ見上みかみあずかあきらしょ及之。あきらこたえ曰:「賢女けんじょひさししょう其宜也。かんねん亡兒ぼうじわかざいはつぼつ。」
  9. 文康ふみやすほろびなにあげしゅう臨葬うん:「うめ玉樹たまきはし土中どちゅう使つかい人情にんじょうなんのうやめやめ!」さがせかみ曰:「はつ,庾亮びょうじゅつ戴洋曰:『むかしたかしごとおおやけ於白せきほこら中許なかゆるしさいしゃうし從來じゅうらいかいため此鬼しょかんがえ不可ふかすくい也。』明年みょうねんあきらはてほろび。」れいおにこころざしうたいちょう曰:「文康ふみやすはつ鎮武あきら出石いずしあたま,百姓看者於岸歌曰:『庾公じょうたけあきら、翩翩如飛とり;庾公かえあげしゅう白馬はくば牽旒旐。』また曰:『庾公はつじょう,翩翩如飛とり;庾公かえあげしゅう白馬はくば牽旐しゃ。』れんしるし不入ふにゅうひろ薨,げのそう焉。」
  10. おうちょうびょうあつし燈下とうかてん麈尾しゅび,嘆曰:「如此じん,曾不とくよんじゅう!」及亡,りゅういん臨殯,以犀がら麈尾しゅびばしひつぎちゅういん慟絕。濛別でん曰:「濛以永和えいわはつそつねんさんじゅうきゅう。沛國りゅう惔與濛至交,及卒,惔深悼之。雖友于之あい不能ふのう也。」
  11. ささえ道林どうりんほうけんこれ精神せいしん霣喪,風味ふうみてん墜。ささえ遁傳曰:「ほうけん道林どうりん同學どうがく也。俊朗としろう有理ゆうりよし,遁甚重之しげゆき。」つねいいじん曰:「むかしたくみせきはいきん於郢じんそう曰:「郢人堊漫其鼻はしわかはえつばさ使つかいたくみせきうんきん斲之,堊盡而鼻きず,郢人りつしつよう。」きばせい輟絃於鍾かん外傳がいでん曰:「はくきばきん,鍾子聽之,ぽうきんこころざしざい太山たいざん曰:『善哉ぜんざい乎,つづみきん巍巍ぎぎ乎,わか太山たいざん!』莫景あいだこころざしざい流水りゅうすい曰:『善哉ぜんざい乎,つづみきん洋洋ようよう乎,わか流水りゅうすい!』鍾子はくきば擗琴ぜっ絃;終身しゅうしんふく,以為ざいしゃあし為之ためゆききん也。」推己がいもとめりょうきょ也!めいちぎりすんで逝,發言はつげん莫賞,中心ちゅうしん蘊結,あまり其亡矣!」卻後いちねんささえとげ殞。
  12. 郗嘉まろうど左右さゆうしろ郗公「ろう」,すんで聞,悲,いん左右さゆう:「殯時どう。」おおやけ往臨殯,いち慟幾ぜっ中興ちゅうこうしょ曰:「ちょうとしよんじゅういちさき愔卒。ちょうところ交友こうゆうみないちしゅん乂。及死にち賤為誄者よんじゅう餘人よにん。」ぞくすすむあき曰:「ちょうとう戴桓ため其謀ぬし,以父愔忠於王しつれい知之ともゆきはたほろびいち小書しょうしょばこづけ門生もんせいうん:『ほんよく焚此,おそれかんねんみこと,必以きず愍為斃。わがほろびわか大損おおぞんねむりしょくのりてい此箱。』愔後はて慟悼なりやまし門生もんせい乃如ちょうむねのりあずか桓溫往反密計みっけい。愔見そくだいいか曰:『しょう恨晚!』ふく哭。」
  13. 戴公りん法師ほうしささえ遁傳曰:「遁太元年がんねんおわり于剡石城山いししろやまいんそう焉。」曰:「とくおんとお,而拱やめせき。冀神緜緜,あずか氣運きうん俱盡みみ!」おう珣法はかじょ曰:「以寧やすしねんいのち剡石城山しろやまそく法師ほうしおか也。こうふんうつためあらすわえおか隴化ため宿やど莽,遺跡いせきほろび,而其じんやめとお感想かんそうひらたむかしさわもの悽懷。」其為賢所かしこどころ惜如此。
  14. 王子おうじけいあずかひつじ綏善。綏清じゅん簡貴,ため中書ちゅうしょろうしょうほろび綏已おうふかししょうつう悼,ひがしていうん:「國家こっか惜人!」
  15. おうひがしてい與謝よさこう交惡。中興ちゅうこうしょ曰:「珣兄弟きょうだいみな婿むこしゃ,以猜いや離婚りこんふとしでんすんであずか珣絕こんまたはなれつまゆかり二族遂成仇釁。」おうざいひがし聞謝便びんいでまい敬道よしみち:「よく哭謝こう。」けいはじめ,聞其げん便びんおどろきおこり曰:「所望しょもう於法まもる。」ほうまもる,珣小字こあざおう於是往哭。とくそち刁約聽前,曰:「官平かんぺいなまざい此客。」おうまた與語よご直前ちょくぜん,哭甚慟,すえ婢手而退。すえ婢,しゃ小字こあざ。琰字瑗度,やす少子しょうしひらきりつゆう大度たいどためまごおんしょがいおくさむらいちゅうつかさそら
  16. 王子おうじ猷、けい俱病あつし,而子けいさきほろびけんじ以泰もとじゅうさんねんそつねんよんじゅう猷問左右さゆう:「なに以都聞消いき?此已矣!」りょう悲。便びんさく輿こしらい奔喪,哭。けいもとこうきん便びんみちいれすわれい床上ゆかうえけいきんだんげんすんで不調ふちょう,擲地うん:「けいけいひときん俱亡。」いん慟絕良久よしひさ月餘げつよまたそつ幽明ゆうめいろく曰:「たいもとちゅう有一ゆういちしたがえ遠來えんらい,莫知所出しょしゅつうん:『人命じんめいおうおわり有生ゆうせいらくだいしゃのり死者ししゃせいわか逼人もとめだいまたふく過少かしょう。』にん聞此,咸怪其虛誕きょたん王子おうじ猷、けい兄弟きょうだいとくしょう和睦わぼくけいやましぞく纊,猷謂曰:『われざい如弟,またつうふさが,請以年代ねんだいおとうと。』曰:『おっとせいだい死者ししゃ,以己年限ねんげん有餘ゆうよとく以足亡者もうじゃみみこん賢弟けんていいのちすんでおうおわり君侯くんこうざんまたとうつきふくなんしょだい?』猷先ゆうやましけいやましあつつねきん來往らいおう。聞亡,便びんなでこころ悲惋,とく一聲いっせいそくつぶせきれ。推師げんしん而有。」
  17. こう武山たけやまりょうゆうおうたかしはくにゅう臨,つげ其諸おとうと曰:「雖榱桷惟しん便びんゆうきびはなれあい!」中興ちゅうこうしょ曰:「れつそうかい稽王道子みちこ執政しっせいちょうこうおう國寶こくほう以機にんおうきょうにゅう赴山りょうゆう此歎。」
  18. ひつじまことねんさんじゅういちそつ,桓玄あずかひつじ欣書曰:「けんしたがえじょう所信しょしんよせ,暴疾而殞,まことやめそうしょ曰:「欣字けいもと太山たいざん南城なんじょうじんしょうふところしずかだま,秉操きおい姿容しようぜんわらいごとちょう於草隸。」ひつじ曰:「まことそく欣從。」しゅく嘆,如何いかげん!」おおやけひつじでん曰:「かおふち曰:『噫!てん!』ほろび曰:『噫!てんしゅく!』」なにきゅう曰:「しゅくしゃだん也。てんはたほろび夫子ふうしみみ。」
  19. 桓玄とう篡位,卞鞠うん卞範やめむかしひつじ子道しどうひさしきんわれ此意。こん腹心ふくしんひつじまこと爪牙そうがしつさくもとさく曰:「もと天保てんぽう,燉煌じんちちいとぐちつねさむらいもとれきせいとりこ將軍しょうぐんれき太守たいしゅ。」幽明ゆうめいろく曰:「もとざいれき疾病しっぺい西にしかいいちねん少女子おとめごせいぼうげんためかみしょくだあずかもと相聞そうもんもとためまもるもとせい剛直ごうちょく,以為妖惑,おさむ以付ごく,戮之於市ちゅうおんな臨死りんし曰:『卻後じゅうななにちとうれいさくもと其罪。』如期,もとはてほろび。」怱怱そうそうさく此詆突,詎允天心てんしん?」