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二樂亭集/卷十四 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

らくていしゅう/まき十四とし

維基文庫ぶんこ自由じゆうてき圖書館としょかん
まき十三じゅうざ らくていしゅう
まきじゅうよん
作者さくしゃさるよう
1682ねん
まきじゅう

いしぶみ

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あきらやまいんくんなりこう神道しんとう碑銘ひめい

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てんなま俊傑しゅんけつ也不むなしはた以降いこう大任たいにん也。すんで眷聖じんためしん民主みんしゅ。以付とおるたむろおも。必賚ちゅうさとし才德さいとくしゃ爲之ためゆき先後せんごしかこうこうえきなり而德えきりゅう。此天所以ゆえんけいわがひじり。而忠ていおおやけおううん而生しゃ也。おおやけせいなりいみなまれがおおきなあきらやすしじん高祖こうそいみなたち。推忠きょう功臣こうしん重大じゅうだいただし藝文げいぶんかんだいひさげがくあきらやまくんおくりな文孝ふみたかせい僉知中樞ちゅうすうごといみな溥。おくけん大夫たいふ兵曹へいそうばんしょはん書生しょせい醞直ちょうどうせいいみなこうふちおくたかしせい大夫たいふ政府せいふひだり贊成さんせい贊成さんせいせいあつしやすし判官ほうがんいみな瓚。おく純忠じゅんちゅうせきとく秉義功臣こうしんだいただし輔國たかしせい大夫たいふ政府せいふりょうせいけんりょうけいむしろ春秋しゅんじゅうかん藝文げいぶんかんかんぞう監事かんじあきらかわいんくんはんしょ以下いかみなおく爵。したがえこうくん秩也。あきらがわ聘德いずみくん厚生こうせいおんなためはい。爵封さだけい夫人ふじん德泉とくいずみそくきょうやすしだいおう之子ゆきこ也。以天じゅんからし正月しょうがつ甲子きのえねなまおおやけ。臨產。はは夫人ふじんゆめ。一神叟來授杖曰。携此。れいなんじぶく祿ろくきょうあきらすんでせい。啼視凡。纔知識ちしきさとしさとる警。やめゆう弘毅こうき致遠つね遊戲ゆうぎ自稱じしょう大將たいしょう布陣ふじんさるれい指揮しきぐんみな趨順敢違。齔。讀書どくしょがくぶんややえき就將。翰夙なりちゅうなりかのえ子生こなじいんためしとうおつはい藝文げいぶんかんけん閱兼春秋しゅんじゅうかん記事きじかんひろせんにゅう弘文こうぶんかんため正字せいじてん陞副おさむせん時成ときなりびょう右文ゆうぶんじゅう儒士。おおやけ新進しんしん。驟侍けい幄備顧問こもんしょ裨益ひえきなりびょう甚器重之しげゆき弘治こうじからしちょう內憂。いおりさんねんまい於朝ゆうさくのぞむふし。必親奠饌しょうだる。嘗與おとうとまれ雍。薯蕷とろろたにうらはた以供こもてきつかれきょうねむいわおせきじょうゆめ先考せんこうこうよびゆうぞくおどろきさとしきょとらやめきんまえそく擲石はしこれひといいこうまこと所感しょかんふく闋。拜禮はいれいまろうどてらぬし簿なりびょう召至かくもん曰。しかおわりせいひらぜんりょうよう慰喜。よしたまものたか曰。聞爾ゆう老母ろうぼあまむね不可ふか闕。茲特たまものにわかはい諫院せいげん。嘗論ごと忤旨。いのちしょしょげん以進。おおやけそく疏進。えききりじきうえいか罷職ひしょくいくおこりため侍講じこういん司書ししょきのえとら。遷弘文こうぶんたておさむせんてん陞至こう。以漢吏文しつせいかん。赴京かえ。其欽たまものころもにしき敢自わたしなみけんじ于母夫人ふじんためしょいもうとこんよめへいたつはい兵曹へいそう正郞まさおつちのえうま。陞司贍寺僉正。遷漢城府じょうふ庶尹。こうきょうくらもり時治ときじごくげんきゅう善人ぜんにん挂非辜。柳子りゅうこ光參きんこきく其事。捃摭なおおそれもう疏。おおやけためろう僚。ゆうかいすくいこうあく其右ぜん。厲聲詆責。いたりゆびこうためとうよく幷陷おおやけ慷慨こうがい辨解べんかい正直しょうじきしょ推官みなこうこう竟不能行よしゆきおくれきふくれいまろうどぐんりょうてらただしてんはい內贍てらただし庚申こうしんなつ朝廷ちょうてい南道みなみどうひだる甚。おおやけ賑恤しんじゅつおおやけ往盡しん救濟きゅうさいみんよりゆきぜんかつかえ授軍てらただしからしとり琉球りゅうきゅうこく使つかいらい聘。おおやけためせん慰使。おう接合せつごうよろしとく使者ししゃしんいちにち於慰えん使者ししゃ押宴かんりょうせいかん致亨曰。せん慰使けんむべきょ宰相さいしょう。而官尙卑。其敬服けいふく如此。みずのえいぬふゆとくはいけい參議さんぎかいどおりせいみずのとなつ。以謝恩しゃおん使赴京あきかえ。遷禮曹參議さんぎ甲子きのえねなつ。陞拜けい曹參ばんかいよしみぜんにわかしんよしみやすしため吏曹さんばんけん五衛都摠府副摠管。つばめ山主やまぬしあら暴失どうゆうがた于色。しゅ嘗出ゆう楊花わたり望遠ぼうえんていれい扈駕おさむくるるかく以進。おおやけゆうぶんまわし諷語。しゅもりいか。譴讓甚峻。ひと不測ふそくおおやけへりくだ以對。おもやや霽威。貶公ふくつかさいさむところ西にしはんまつしょくさんねん不調ふちょう遷。とき姦臣かんしんにんひろし。逢長ぬししんいんしいたげ甚。つきくく公私こうし倡樂。せんゆう姿すがた貌者。ためきょうきよしてんうん平等びょうどうごうれつおけしょいん日夜にちやあらえんだいきょう土木どぼくかたぶけ竭府たまき京都きょうとりつしるべ。撤民しゃ田土たどためはせ遊獵ゆうりょうこれじょうきんじん出入でいりはんしゃりつまたちょう聚四方狗馬花卉珍禽奇獸。おいざいろん諫之じん。誅竄きょ無賴ぶらいしょう內嬖ぞくおやほしいままぎょう攘奪。あまね于中がい。雖士ぞくいえみなおかせ轢。遷移せんいさきせい先師せんしおもそら其廟ためとらけんはいさんねんたて偶語ぐうごきん賦役ふえきしげるじゅう法網ほうもうふかみつひとゆらしゅさわつみ朝野ちょうやがわあし如年。みんきゅう怨起。變亂へんらんしょうせいろうびょう大臣だいじんそう咨嗟。如之なにおおやけ閑居かんきょつねゆうねん時事じじ。忘身許みもとこくていしかふところ霍之こころざしみつあずかほお元宗もとむねやなぎじゅんなぎさはかりごと戴聖ぬし。以安いちせい。乃於へいとらきゅうがつはつにち。倡忠奮之きょはい昏。大小だいしょうしん軍民ぐんみんしゅう。咸來趨赴。はかりごと而同。稟慈じゅんおうだい上告じょうこく宗廟そうびょうくだふうぬしためつばめさんくん。翊今じょう于私ていにゅうそくたから。頒大赦たいしゃつき還流かんりゅう竄之じんつい爵枉たましいかわらんせい復舊ふっきゅうしょうまんせい鼓舞こぶむねしゃやすしさくくんたまもの秉忠奮義けつさく翊運靖國やすくに功臣こうしんこれごうかいちょう正憲まさのりはいけい曹判しょふうあきらやまくんじゅうがつすすむかいたかしせいけんばんきんごととき國步こくほはつせい人情にんじょう危疑。ごくごと屢起。公平こうへいしんしずか鎭。つとむしたがえひろし簡。しゅうよりゆき以安。ひろしん秩輔こくたかし祿ろくあきらやまいんくんけんりょうけいむしろごと,吏曹ばんしょ,五衛都摠府都摠管。うえ卽位そくい。請誥いのち于帝しゃさいみなこうむまことちょうしげるきゅうがついのちこう往請。とげいのち而還。とくたまもの土田つちた臧獲しょう其勞。ねんひらききょくおさむつばめさん日記にっき。以公摠裁。とげかん春秋しゅんじゅうかんごとおのれあきはい政府せいふみぎせいかいだいただし如舊。庚午こうごなつけん兵曹へいそうばんしょ。以軍國事こくじじゅうみなみやまとまた叛。せいあたりばい緊平也。みずのえさるふゆてんひだりせいみずのととりはるすすむりょうせいうえ眷倚えきじゅうおおやけ懼盛滿まんおもえほし退すさきゅう。乞解職かいしょくごとしゃ屢。而未こうむまこと兪。いよいよふところ兢惕。なつかんやまし沈痼。ふく上書うわがき辭退じたいうえたまもの批答まことぞくちゅう使つかいといやましまたたまものかんむりふく珍寶ちんぽう。仍下しょ。以示ゆうねん公益こうえきぞう感激かんげきいんづけそうもとめ退ずさこれじょう甚切。ふか以久びょう曠職こうしょくため。勑家じん勿受祿ろく俸。うえ知之ともゆきあつしさとししかこう乃受。いたりなながつ癸巳きしやましかわうつり于正上聞じょうぶん危甚。うけたまわむねはせといしょよくごとたい曰。ねがい聖上せいじょうようけんおさめ諫而やめちゅう使つかいつぎいたりしめせしょ曰。こん聞卿しょう甚痛惻。きょう瑮。とく陞堂じょう。以示罔極じょうときおおやけいくぞく纊。しょ。僅出ごえ曰。官爵かんしゃくとう愼重しんちょう聖恩せいおんやすしむべいたり此。ちゅう使つかい纔踰閾而おおやけそつことぶきじゅうさん。噫。おおやけくんいさおとくりょうこういちだいしゅうかたおおせ其陶甄。而年ざい知命ちめいひとしとくことぶき。慟哉。おおやけ稟通あかり氣宇きうひろし豁。じんあつ忠孝ちゅうこう。以立其本。剛毅ごうき果斷かだん而勇於行。けいつうぬき體用たいようあずかひと交。以忠信ちゅうしんしょう勉勵べんれいとも不善ふぜん。其學問がくもん切磋せっさこう所以ゆえん自得じとくこれしゃだい而深。とげのうたかしやしなえ志氣しき成就じょうじゅ德性とくせいはつ而措諸事しょじけんしょ明白めいはく正大せいだい不爲ふため怵。不爲ふためわたしたわわたてあささんじゅうねんところのぞきみなちょごえ績。そつけんくん。以濟たむろあしなえ。厝國祚於盤石ばんじゃく古人こじん所謂いわゆる社稷しゃしょくしん也。簡。ふえ貨利。こう田園でんえん。雖位かんむりだいかなえ。而不有富ありとみたかつね以淸もともりこと慈親しょくやしなえたがえにちじょうしょうだるまことこうじゅんいたりあつし恤宗ぞく。疏遠咸得其恩。こうけん樂士がくしひとゆういちちょうわかおのれゆうせっ後進こうしんひらきぬの心腹しんぷく外爲がいため顏面がんめんつばめさんころせろん諫之しんこころ摧沮。いたりきよしちょうはつちょくなおあるゆうつき言論げんろんいみなしゃおおやけごとすすむしんまたすすむうえゆうよう諫官。雖身被彈ひだんしょう不爲ふためいかただ冀其公論こうろんふくしんまた以此恃賴。咸思こう。及纏やまし心氣しんきやめ倦。ぐうまろうど戚候といなお款款以國事こくじためごとりゃく及私。及歿聞。うえしん悼。輟朝さんにちちゅう使つかい以弔。賻祭とくあつえきめい曰忠じょう自公じこうきょう以下いか。咸造もんのぞきごと。殯成乃退。雖窮ちまたやや。莫不哀傷あいしょうつう惻。百司之祭殯者繼踵。嗚呼ああてんすんでせいうん忠義ちゅうぎ才智さいちこれよう。以寧ずみ時艱じかんなにことぶき其仁あつ宏大こうだいとめしょうわがきよしくんひさぬの德政とくせい。而奪これそく耶。しかりゅういさお盛德せいとく。及人しゃふか口誦こうしょう而耳でんはた永世えいせい泯。あにたがえきょまけめいしゃ。猗乎韙哉。ためほろび也夫。えつじゅうがつからしとりかん庀葬。窆于楊州西にし西山にしやまさとすわ向之原むかいのはる先考せんこうこう塋兆內。おおやけめとおくつかさけんてのひられいちょうえきさちおんななまいちなんさんじょおとこ瑮。まいり靖國やすくに功臣こうしんれきかん尙衣いん僉正。おんなみなようふくむろゆう二男じなんいちじょまたよう。瑮娶宗室そうしつとくくん𤂾これおんななま二女じじょようそうかつじょう嗣子しし瑮哀慕追ごう而不及。すんでさらためのりねがいじゅせき勒銘。おもてあげかそけ墟。いいよう漑於こうあいしんじゆうきゅうぶん。請爲ぶんじつ以詔。噫。おおやけくんとくざいふとし須碑。しか不足ふそく以示廣大こうだいとげためめい曰。

國步こくほ杌隉。天命てんめい斯去。維臣及庶。靡所奠處。ゆうひじりさくむねしゃなんよりゆきてん眷睿さとしうたていやためたい羽翼うよくうろこたてがみじつ仗忠けん。斡天整地せいちこう孰公さき大廈たいかかたぶけおおやけため柱石ちゅうせき生靈いきりょう胥溺。おおやけさくふねかじささげ日乘にちじょういぬいこうだか霍。滌昏啓明けいめいひろし以代しいたげこころ恢河うみとく內充。たれしんびょうろうそうぎょうがいたかし忠義ちゅうぎちょう經綸けいりん。蘊深はつだい有爲ゆういゆうもりえびすわれいちただしじん而器しょう。姚元どおりつとむめいとくどくしょう。猗公心事しんじ高邁こうまいけんいんゆうおもね衡。厥美奚專。くに倚樑とうひとおおせめどぎかめかれあおなんしん。而不憖遺。ゆうひとしことぶきさとしどうおかおもんみとくあずかこうめい永長ながおさりゅう。楊有西山にしやまおおやけかそけどうこくせきとく。以告疆。

りょう中樞ちゅうすうごと交城くんこう神道しんとう碑銘ひめい

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おおやけいみなこう弼。まれあきらごうきくいっとき。交河じん遠祖えんそいみなやすし弼。つかまつしんかんいたり太子たいしふとしつていたりいみなひとし。千牛衛大護軍。おくりょう政府せいふごと。於公高祖こうそせいいみな閈。政府せいふみぎせいおくりなきょう肅。於公曾祖そうそいみなぶつどうあつしやすしごとおく政府せいふりょうせいこういみなおもえまきさく翊戴くんため政府せいふりょうせい。妣慶。僉知いみなよし謹之。以正統せいとうおつうしせいこうおおやけしょう英敏ひでとし穎達。ちょう篤志あつし力學りきがく中天ちゅうてんじゅんみずのえうま司馬しばためしにんよしみつるじきちょうてん社稷しゃしょくしょれいのぼりしげるへいいぬ文科ぶんかれきなりひとしたてただしこう藝文げいぶんかんこうてん陞應きょうてん翰,ちょくひさげがくふくひさげがくれきへい,吏,れいさん參議さんぎ拜承はいしょうせいいんどうふくうけたまわむねつぎてんためうけたまわむねみずのとかいちょうよしみやすしためどう中樞ちゅうすうごとひろはいつかさけんだいつかさけんれきへい,吏,さん曹參ばん弘治こうじおのれとりとく陞資けんこう曹判しょれきちょうろく曹。京畿けいきところくつちょ績。つちのえうまはい政府せいふみぎさんさんねんちょう內憂。ふく闋。ふう交城くんかさねこうくん也。みずのととく陞崇せい政府せいふみぎ贊成さんせい甲子きのえね。遭燕やま昏虐。つえはいしげちょう其罪。あきひのとがいゆうどきかたたんせい。雖士大夫たいふかしこざい怵禍。鮮守れいおおやけ於配しょしつらえ神位しんい。哭行朝夕ちょうせき奠。ふくおわりさんねん如禮。正德しょうとくへいとらきよししゅ膺運。おさむきょ竄謫。かえはい交城くん。以先あさ耆舊。特命とくめいろくげんしたがえとうこうひろはいみぎ贊成さんせいちょうしげるとく陞輔こくたかし祿ろくりょうあつしやすしごとけんりょうけいむしろ重朝しげとももち也。上之うえの卽位そくい使つかいすめらぎあさ請承かさねこうむまことみことのり朝廷ちょうていきょこうさられいなおぜんおおやけひね請誠きり。竟得受權しょ國事こくじ勑而還。うえおやむかえ于慕はなかんとくろくこうばらしたがえ一等いっとうたまもの土田つちた臧獲。あき拜領はいりょう中樞ちゅうすうごとかぶといぬ。以年ななじゅう致仕ちしまことたまもの几杖。へい。患疾。十一月じゅういちがつじゅうはちにちそつ于正享年きょうねんななじゅうさん聞。輟朝巿。べつ內臣ちょうかん庀喪ごとおく賻特こし明年あきとしちょううしぼう月日つきひ。窆于ぼうけんぼうさとぼうすわぼう向之原むかいのはるしたがえさき塋也。おおやけせい稟貞あきら風儀ふうぎはしかたほん學問がくもんえんかざり吏治。ため文章ぶんしょうみやび峭。流俗りゅうぞく尙。ことおやまことこうろう而彌あつにちかんむりたいじょうしょう。凡祭祀さいし。必齋沐親奠。まいぐうぶし。躬詣さき塋掃さいきょう子弟してい謹飭毋縱。おさむ恤宗戚。あいだおや疏。しゅうすくいこんみな於誠。みやび尙儉もとまがえはな弊衣へいい惡食あくじき晏如あんじょ早世そうせい宦達。おわり至大しだい受。練達れんたつたい。諳習典章てんしょう樞機すうき綜密。のこ纖毫。朝廷ちょうてい倚重。不幸ふこうばんかかやましやましけんしょうぎょう。惜哉。聘相れいじゅくおんななまいちなん二女じじょおとこ曰燮。こんためぼくてら僉正。おんなちょう宗室そうしつせいやすしくん嶸。つぎぐんてらべつひさげていひろしさき。燮娶どう中樞ちゅうすうごとかん儹女。なま三男さんなんよんじょおとこ曰全。曰任。曰僉。おんなちょうてき忠義ちゅうぎまもるぼくふかしつぎてき忠義ちゅうぎまもるていひさし萊。つぎてき宗室そうしつしゅひねもり瑗。ようめい曰。

もちすんでたかしほどこせさらだい。績乃懋。くにしょよりゆきじょうたく于茲。めいたれかみ保持ほじ

せいようくんかん公夫きみおじん碣銘

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夫人ふじんせいちょんよしもちぞく也。始祖しそいみなざお有功ゆうこう于高うらら開國かいこくはつさくくん誓書せいしょ位登いとうたいとげためめいばつにゅう本朝ほんちょうゆういみなかめしゃるいかんいたりよしみやすし大夫たいふこうりょうだいみやこまもる使。於夫人爲じんい曾祖そうそせいけい尙左どう兵馬へいば節制せっせい使いみなうけたまわみきうけたまわみき之子ゆきこ豐川とよかわぐんごといみなつねぜんめとれいいわおぐんごといんおんな。以正統せいとうみずのえいぬなま夫人ふじん夫人ふじんしょうとしさとるややちょうさだじゅんかそけみやび父母ちちははあい選對せんたい兵曹へいそうばんしょせいようくんかん公致きんゆきなまおとこ二女じじょいちかつおさむ婦道ふどうつきこころ內治。はんしょさんくん。敭歷はなあらわ夫人ふじんあずか有休ゆうきゅう焉。長男ちょうなんえらかいけんふう淸原きよはらくんめと使やすともさんおんななま二男じなんつぎ倬。かいどおりくんゆたかぐんもりめと僉知かつらはやしおんななまよんなんさんじょおんなてきふくせいほおくき子女しじょあずか倬同。はんしょはやそつおくりなあきら悼。夫人ふじんあきら悼幾ねん正德しょうとくへいとらなながつじゅうにち。以疾おわり享年きょうねんろくじゅうゆうねんはちがつじゅうにち。以禮そう果川はてかわけん修理しゅうりやますわうし向之原むかいのはるそうすんでかん淸原きよはら以書扣用漑曰。さき妣性稟柔よしみおんなとく全備ぜんびこと家君かくんまことけいきょう子弟してい義方ぎほうおやいち遵禮せいさくのぞむ必躬奠墳塋。雖雨ゆき輟。まいぶしぶつさきこもしょく。其昆おとうとぎょうおとこただゆうさんじょ夫人ふじんきょおんな。以親いのちべつ受臧土田つちたしかばねよんとおる夫人ふじんまたべつとおる于家。以致如在まことわか茲懿とくはん于世しゃいち。其忍使泯沒つて。請銘しょ神道しんとう。以圖不朽ふきゅうよう漑大其義じゅう其請。とげじょ夫人ふじんこれけいこころとくつぎ以銘曰。

ぜん于家其先。とくざいけいのべわかまごどお綿綿めんめんたく于茲やす且堅。

正郞まさおなりこうはか碣銘

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きみせいなりいみなけいゆたかみやび中樞ちゅうすうごと掩之曾孫そうそんけい曹參ばんじゅんまごちちしゅん政府せいふりょうせいそとあきらもとこう參議さんぎ。內外めいばつとおゆうくん誨。よう深沈しんちんゆうちょう而學倦。ちゅうみずのと司馬しばためし。其後るいきょなか時論じろんしょうこごめせいほっかんくんちかいこころざしりょく。雖布褐終身しゅうしんねがいゆかりみちしんとしつちのえうま。授氷べつすわ其志。るいれきつかさけん監察かんさつ曹佐ろうとしからしとりひのとがいゆういおりさんねんふく闋。はい翊衛翊贊。陞右禦。みずのとあき。擢文べつためしはいこう曹正ろうさきせい上十條かみじゅうじょう疏。げん甚切。だい忤燕やまむね甲子きのえねなつこくきょうくんあずかあになかあつし連坐れんざりゅう遠方えんぽうまたうつりはい海外かいがいつばめさんいかせいかいよくとめ其子せい。幷置大罪だいざいくん聞有いのちいろしょうへんわらいいい其子らん曰。せいいのちあにはずかしめ人手ひとでそくおおせやく而逝。ひとふく其氣りょういたりゆう流涕りゅうていしゃときへいとらろくがつじゅうよんにちきみねんよんじゅうゆうよん也。ねんじゅういちがつそう于廣しゅう西井にしいりん山麓さんろく聖上せいじょうあい無辜むこ贈官ぞうかん弘文こうぶんかんふくひさげがくためじん氣宇きう宏遠こうえん風儀ふうぎたかしげんきょかんのぞきごともちせい不撓ふとうせいまた淸潔せいけつかたじき。而和氣わきつね盎然。こと產業さんぎょうまがえはな。以閑靜かんせい自適じてきせいくれねんやまい不能ふのうあさ國有こくゆう大事だいじつばめさん近侍きんじ就問。せい必咨くんため可否かひごう輿論よろんきみつねさむらいせい若見わかみゆう毫髮しつ。必和がおほろ諫。あらためとめせい敬重けいちょうくんめと宗室そうしつ明川あすがわせいちょうまごおんななまいちなんさんじょおとこそくらんめと師傅しふひろしたちなぎさおんななまよんじょおんなちょうてき進士しんし元之もとゆきなま三男さんなんいちじょつぎてきかん川副かわそえただし禧。なま二男じなんつぎてきようがくやなぎひとし瞻。早死はやじにいおり于塋がわ。奠朝ゆう必躬。日夜にちやごうつう朝廷ちょうていよしみ其節。就旌其閭。進士しんし以李らい扣用漑曰。あい慕死しゃ以爲。よくめい其行于墓どう。以昭しょ後嗣こうしねがいとくぬし翰者一言いちげんれい死者ししゃ不朽ふきゅうこう肯哀請。使つかい婦翁ふおうめい永長ながおさそんのり死者ししゃゆうはた悼其不幸ふこう於泉矣。よう漑與みやびすんでどうかのえまたどう司馬しばためし相知おうち甚悉。すんで哀傷あいしょうみやび一家いっかつねむご怛于ふところ。而李ふしぎょうだかいちせい進士しんしじょこん而實。其請めいやす敢辭。めい曰。

しついきてんしょあついのちやくあしなえてんなんまけきちあずかきょう。莽難おもんみ此心。ざい欺。たく于茲。ふか且固。かみ庶安。えい懼。

すずじょうくんいんこうつま碣銘

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夫人ふじんちょんよしけんみぎぞく也。觀察かんさつ使こうちょうおんなかんじょういん寬之ひろゆきまごおくこうやすしおおやけさだみきため曾祖そうそ觀察かんさつ使めとどう中樞ちゅうすうきむ義之よしゆきおんななま夫人ふじん夫人ふじんせい而有父母ちちははあいところむべとしじゅうよんおくせいいん三山之子鈴城君坦。兩家りょうけ門閥もんばつしょうてきいえはんまた肅。夫人ふじんけんよしさだやわら。夙有よろしとくいんもんとくけい相稱そうしょうほまれ欽慕きんぼおっと人事じんじすずじょう凡五じゅうよんねん筮仕はつ。以至貴顯きけん。內治じょつね。其恭儉きょうけん慈祥。はん於世。不幸ふこうねんろくじゅうなな弘治こうじおつうし正月しょうがつじゅうさんにち。以病逝于。慟哉。えつさんがつじゅうよんにちおのれとりそう果川はてかわけん西にしいぬすわたつ向之原むかいのはるれい也。夫人ふじんゆう二男じなん二女じじょおとこちょうためしょうろうれきかんいたりぐんもりつぎため衡老。歷任れきにん中外ちゅうがいくんふうすずかいよしみぜんじつためひんおんなちょうてき知事ちじにん淑子としこはじめあきらこんため僉知。つぎてきやすつぎ祚子あらわこんためべつすわしょうろうめと司直しちょくせきこんおんななま二男じなん二女じじょおとこ璉。ぜい于縣かんきん鳳瑞ほうずい。瑠。ぜい于上はたきょうけんおんなてきこうほおぶん幹子みきこ進士しんし稑。つぎてき使やなぎ澭子さんたてまつしゅう漹。璉與稑有おとこ。衡老。まえめとさんばん瓊仝おんな嗣。めと縣令けんれいぶんいとぐちおんななまおとこ奎及おんなはじめあきらせいよんなん二女じじょおとここくなりめとまもるぐんたてまつ祉女。なまおとこおんなてきけん宣傳せんでんかんさる瀚。なま二男じなん二女じじょようあらわせいいちなんいちじょおんなてきせいいんほお稹子えいかおる嗚呼ああもり哉。夫人ふじんそつ翊年きゅうがつすずじょうあずかすず。翊戴ひじりぬし。受靖こく功臣こうしんこれごうめいとうしょ一家いっかりょう元勳げんくん德福とくふくもぐさけいりゅう後裔こうえい夫人ふじん雖亡。あずか有休ゆうきゅう焉。未必みひつ夫人ふじんあずかすずじょう積善せきぜんこれしょほう也。惜夫人ふじんねんなな袠。奄乘だいあずかすずじょうどもとおる遐壽。以同ぶく祿ろくひゃくねんきず也。すずはせしょ于弘ぶんかんだいひさげがくさるよう漑。請銘かげはじめあきらぜい瀚。よう漑之じつどう一家いっか知夫ちぶじんぜんむべ莫詳於用漑。めいやす敢辭。とげめい曰。

ぜん於身けい於後。ほう斯厚めい不朽ふきゅう

おく吏曹さんばんこうはか碣銘

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おおやけいみなつぎたちちちたから縣人けんじん遠祖えんそせきつかまつうららかんいたりみつちょく副使ふくしにゅう本朝ほんちょうゆういみなおさむしゃつかまついたりばんてんてらごと。於公ため曾祖そうそせいぐんてらふくせいいみなうんこうおくはんぼくてらごとためこう。其子ぜんやま使いみなただししゃしょう慷慨こうがい大志たいし。以善はやあらわむねあさけんしゅうまもる酋李まんじゅう屢警もり朝廷ちょうていゆう西にし顧憂。せん寧邊にょんびょん判官ほうがんときてきひらけこうくすり山城やましろしつらえきょ鎭。のうさん使曺備衡。ただしとくよろしとげゆう成績せいせきしたがえちぇじゅんとくせいとなりまもる有功ゆうこうたまものきゅうことしょうちぇ致雲うん籌樓及輿地誌ちしめい宦錄。れきおさむかんさんぜんやまなみゆう遺愛いあいめと肅州ごときんていおんな。以某元甲もとこうたつきゅうがつ日生にっせいこうおおやけ兄弟きょうだいおとこいもうときゅうにん。而公ためなま而穎ことかみ貌秀ろうため父母ちちははさい憐愛。しょうきく于伯叔祖なかなか家富いえとみ而豪。くん誨。公乃きみの奮。勵志向學こうがくちゅうみずのととり司馬しばためしことゆう宦。退すさきょ鄕曲。としろくじゅう弘治こうじつちのえさるがつやまいそつ于家。遺命いめいそう。乃窆于家きた二里樹介谷南向之原。したがえこういのち也。以次子じし堣勳。追贈ついぞう功臣こうしん吏曹さんばん眞城まきくんおおやけめとふく司直しちょくきむゆういさおおんななま二男じなん二女じじょおとこちょう曰塡。しょう力學りきがく。屢魁鄕選。ちゅうぼうかぶと進士しんしためしはやほろびつぎそく堣。ちゅうみずのえ子生こなじいんためしとうつちのえうま文科ぶんかせん內翰。れき諫院,吏兵ろうへいとらあき拜承はいしょうせいいんどうふくうけたまわむね遭遇そうぐうせいしゅりゅうさくくん靖國やすくにふう靑海あおみくんこんため曹參ばんおんなちょうふくうけたまわぶんいんこときんかん啓子けいこまんしんつぎかえり甲山こうざん敎授きょうじゅきむしん進士しんしさきめと平海ひらうみぐんもりきんかんあきらおんななま二男じなんいちじょおとこ曰潛,かわおんなてきようがくからし憺。めとべつさむらいまもるほお緇女。なまよんなん。曰瑞かめ瑞鳳ずいほうみず鸞,みずおおとりまいりばんめとなまいん時敏ときとしおんななまいちなん二女じじょおとこ曰壽苓。おんなちょうてきようがく曺孝ふちつぎてきようがくしたがえとら敎授きょうじゅせいいちじょてき忠順ただまさまもるきんもとぶくまいりばん旣得きとく追贈ついぞうさきよくじゅ先考せんこうこう神道しんとうおもて其系こころざし行年ぎょうねんことぶき。以昭于來世らいせとげためしょ請銘于吏曹判しょさるよう漑曰。先考せんこう天性てんせい孝友たかともれん謹。遭內がいゆうみないおりさんねんごく其哀慕。あずか兄弟分きょうだいぶん遺產いさん。以薄おのれ不要ふようなりけんため日計にっけいつてすうせいそつゆうおこりそうしゃところ兄弟きょうだい妯娌あいだ翕然きゅうぜん而和。くん子弟してい以義かた敎之のりゆきけいまい臨卷。必曰。なんじとうわかぼうぐうぼうことのりしょとうなん如。往復おうふく講究こうきゅうよう至當しとう而後やめ。雖婢ぼく賤。必御以恩しん妄加喜怒きど。嘗語めい曰。婢僕ひぼくしゃ一家いっかたい諫也。ねやもん隱微いんびこと婢僕ひぼく必洩わかこころつねかしここれ如臺諫。のり庶不愧于矣。ちゅう司馬しば。屢擧鄕薦。れんとくこころざし後患こうかんふう聵。ぜっ科擧かきょ超然ちょうぜんゆうぶつがい煙霞えんかそうかぶといぬあきぼくちく于宣じょうきた龍頭山りゅうとうざんみなみかぶとけいこれきょくらく其幽ふか。棲遲さんじゅうねん。以泉せき娛。たく有水ありみず。漑良すうひゃくごろ以自贍。しょう有餘ゆうよ蓄。輒推しょ親族しんぞくきゅうしゃつね閑居かんきょ澹然。足跡あしあと嘗至かんゆうゆう山野さんや。以壽おわり逸民いつみんりゅう歟。而世罕知しゃねがいとく主文しゅぶん翰者いちぴつでんしん後來こうらい。如以堣言ため溢。こうしょいち。以永久えいきゅう先人せんじんめいよう漑得しょおこりはい曰。まいりばんじゅん謹典君子人くんしじん也。其言必不わたしさきおおやけしむらゆきのう內修苟。逍遙しょうよう塵外じんがいあずかものきおい。其介きよしみさおあし以起むさぼ頑勵鄙俗ひぞく。而乃あらわ于世。まもりどくしょ閑。斂而ぞう于身。てん所以ゆえんこごめ斯人可知かち。而其ため善之よしゆきほう。乃鍾于參ばんのこけいゆうもぐさいいほろび而不ほろび也。むべめいめい曰。

內修きよし兮。孝友たかとも愆。泉石せんせきめい兮。もの不能ふのう遷。こころあずかどお兮。閑葛てんゆうゆうぶつひょう兮。らく以終ねんてんほう善人ぜんにん兮。而大其後。もんようしゃぶた兮。慶福けいふくゆうとく不時ふじよう兮。めいたれ不朽ふきゅうおもて茲幽墟兮。以保永久えいきゅう

おく參議さんぎこう夫人ふじん碣銘

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夫人ふじん慶州けいしゅうちょせい高麗こうらいさむらいちゅういみなひとしかしここれおく曹參ばんいみなよし安之やすゆきおんなほらおくこう參議さんぎ曾祖そうそいみなにわせきつくろえこうふくれいまいりばんめとはんれいまろうどてらごとけん紹女。なま夫人ふじん。內外めいばつとお有家ありえはん溫柔おんじゅうさだしん天賦てんぷ其性。すんで笄。かえりもんはい內贍てらせいいみなよしなまいちなんさんじょうけたまわじゅんたがえ。備全婦德ふとくきょうまき慈祥。むべ于家しつきょう子孫しそん義方ぎほう婢僕ひぼく以寬。ゆうぞくとうとなりさときゅう不能ふのうしゃ。必心まこと救濟きゅうさい家法かほうためじんしょしょう道者どうしゃ夫人ふじん內治美與みよゆうじょ焉。積善せきぜん毓慶。りゅう後嗣こうし。內外まご男女だんじょきゅうにんしたがえまきちゅうかのえ司馬しばためしれきかんいたり南陽なんよう使遭遇そうぐう聖上せいじょうりゅうろくこうばらしたがえ一等いっとうかい陞通せい。爵及父母ちちははおくせいため吏曹參議さんぎふう夫人ふじんため淑夫としおじんてん所以ゆえんほうぜんまこと矣。夫人ふじんとおることぶき八十やそこう參議さんぎこうじゅうきゅうねんちょうしげるじゅうがつかぶとさる。以疾おわり南陽なんよう衙。えつつちのえたつがつかぶとうま。窆于楊州どう峯山みねやま西麓にしふもと參議さんぎこう塋左。どうげんためそうふんれい也。すんでじょうごと使はた豎碣はかどうけい德操とくそう。以昭于後。緘書請銘于用漑。よう漑以ぶんためしょく敢辭。とげためめい曰。

てんほうぜんことぶきねんこれちょうけいたれ後胤こういん嗣之りょうかえりぞうたくしたがえこうかみやす且固無窮むきゅう