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二樂亭集/附錄 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

らくていしゅう/附錄ふろく

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まきじゅう らくていしゅう
附錄ふろく
1682ねん
じゅう刋䟦

ぶんけいこう行狀ぎょうじょう[编辑]

謹按こうせいさるいみなよう漑。漑之。おおやけ嘗自ごうしゃよんごうらくていごう松溪まつたにごうきゅうきゅうごうねむおうおおやけほんけいだかれいけん椽吏。ためだかれいじんきゅうせいなりようはじめきょだいごうなりようせいやすしますかんますせいじんざいじんざいせいおもえけいおもえけいせいとくとなりみなつかまつ高麗こうらいとくとなりせいつつみ翅。はじめごとわがあさかんいたりどおりせい大夫たいふこう參議さんぎつつみ翅生よしみやすし大夫たいふこう曹左さんばんどう春秋しゅんじゅうかんごと世子せいしみぎふく賓客ひんきゃくいみな檣。於公曾祖そうそこうせい文忠ふみただおおやけいみな叔舟。以故追贈ついぞう純忠じゅんちゅうせきとく秉義功臣こうしんだいただし輔國たかし祿ろく大夫たいふ政府せいふりょうせいこうれいいんくん文忠ふみただおおやけ以上いじょうはちせいなみきょ文科ぶんか以翰墨名とないたり文忠ふみただおおやけるいけんだいくんかんいたり輸忠きょうさくやすしなんどう德佐とくさつばさしゃ炳幾じょうなん翊戴じゅんまことあきらあきら經濟けいざいひろ功臣こうしんだいただし輔國たかし祿ろく大夫たいふ政府せいふりょうせいけんりょうけいむしろ春秋しゅんじゅうかん藝文げいぶんかん弘文こうぶんかんかんぞう監事かんじれい曹判しょこうれいいんくん。其事業じぎょう文章ぶんしょうのき軼于。以光ぜんれつひろしこんしゃ。俱載閑齋集中しゅうちゅうぎょう于世。おおやけ皇考こうこういみな㴐。じつ文忠ふみただおおやけだい也。はつ以門かげかんとく見世みせ眷遇。ためうけたまわむねさんねんちょうよしみやすし大夫たいふだし觀察かんさつ咸吉どう於李ほどこせあいらんへい。以公おくだいただし輔國たかし祿ろく大夫たいふ政府せいふりょうせいけんりょうけいむしろ弘文こうぶんかん藝文げいぶんかん春秋しゅんじゅうかんかんぞう監事かんじ觀察かんさつこうめとみぎぐんつかさいさむよろおんな。以天じゅんみずのとじゅうがつからしうしせいこう公生きみお而英拔俊邁。やめ識其非凡ひぼんやしなえ于文ちゅうこうだい文忠ふみただおおやけ授以孟子もうこななへんおおやけ讀過どっかよん訖。便びんなり誦。ひさ蘊而しょのこ文忠ふみただおおやけ大器たいきこととげめい而字くん樹立じゅりつとしじゅうさんよん就學しゅうがく于鄭こうつねもんげん如成じんていもんごうけんざいてい嘗講しつけいためし詩賦しふだしこうみぎしゃかんむりゆうなりひとしかんひろしとい強記きょうきにちゆうしょ就。がく中目なかのめため巨擘きょはく弱冠じゃっかんいちねんみずのと。赴司ためし一擧いっきょりょうためし。俱捷だいとう。陞上しゃりょくため文章ぶんしょうだい肆。こうくさ隷善かい褐。やめゆうしょう相之あいのもちつちのえさるはるなりびょうこうがくまつ文宣ふみのぶおう訖。明倫めいりんどうきりこくおやためしとくよんにん焉。おおやけちゅうへいだい一人ひとり卽日そくじつたまものかんむりぶたほうしゃくゆうがい以寵なり年間ねんかん。以父觀察かんさつこう於國。ゆういのちちょうおおやけすう。授西はんしょくごと。以故はつ授啓こうろうけんうけたまわぶんいんふく正字せいじひろ以選授弘ぶんかん正字せいじけんけいむしろてんけい春秋しゅんじゅうかん記事きじかんふゆ加階かかいつとむこうおのれとりふゆ加階かかいせんつとむかのえいぬはるよし正字せいじ陞爲著作ちょさくけんけいむしろ說經せっきょうからしなつよし著作ちょさく陞爲博士はかせけんけいむしろけい春秋しゅんじゅうかん記事きじかんひろまた陞爲ふくおさむせんせいきょう如舊。あきまた陞爲おさむせん如舊。時成ときなりびょうじゅう儒術。みょうせんいちじょかんしょく日三にっさんけいむしろあずかこれ討論とうろんすめらぎおうみかど霸以ひろしざい博學はくがくしゃまたなんしょうしょくおおやけひさしょ左右さゆうかたちじきかくれちゅう從容しょうようけい沃。さんじょうひろなりびょういたりかい御衣おんぞ以衣。其見ちょう眷如ふゆせん授吏曹佐ろう。仍賜ひま讀書どくしょ。乃依むねあさ故事こじ也。むね患時儒不つとむひろしとおとくめい而畫。いのち年少ねんしょうさと敏文としふみしん。俾賜ひま讀書どくしょ經綸けいりんだいざいよう輩出はいしゅつなりびょう稽舊てんじゅうせんゆう於館しょくおさむ龍山たつやまはい佛寺ぶつじごうため讀書どくしょどう以處ちゅう使つかいせんすすむ。殆無きょおおやけあずかざいせんしょ儒。おさむ鑽堅しょうたゆおおやけゆうほどこせ於世しゃ實基さねもと乎此。みずのえふゆためしぶんしんざい于廷。おおやけくび焉。とく宣敎せんきょうかいいくまた加階かかいうけたまわくんきのえとらはる加階かかいうけたまわなつ。授司けんたいら。以言ごとひだり授平巿署れいふゆふくじょ吏曹正郞まさおぶたじゅう銓選也。おつなつ加階かかいたてまつくんなりびょうのぼり遐。しつらえ殯殿かん。以公なずらえろういたりそつごとしょう以資。閱月。また加階かかいたてまつちょくあきちょうさい賻誥いたりなかあさしつらえ迎接げいせつかん以禮使ねり於禮贍於詞華しかしゃ以擬ろうおおやけまたあずか焉。使つかいかえ加階かかいどおりぜんへいたつなつ加階かかいどおりとくまた加階かかいあさたてまつ大夫たいふふゆけんうけたまわぶんいんこううけたまわぶんいんてのひら事大じだい文書ぶんしょためにん又重またしげ。而公とくけんこれちょうはる加階かかいあさまた加階かかいたてまつれつ。授議政府せいふけんしょうけん春秋しゅんじゅうかんちゅうかん如舊。ひろまたちょうちゅうくんかいはつほどこせあいはんよししゅう。誑誘しゅうじんこうころせ觀察かんさつこう于咸おきときおおやけ尙幼。すんでちょうつうちち辜。はい疏闕ねがいとくかたきじん復讎ふくしゅううえおもんばかあるおどろきゆらきたじんもといたり公知こうちかたきじんいたりちゅうじょうよるかくころせ道上みちがみ甘心かんしん焉。三省みつよしすすむきく殺人さつじんしゃおおやけよく往首。大夫たいふ人力じんりきどめ朝廷ちょうていまた而置なつ。陞本舍人とねりけん春秋しゅんじゅうかん編修へんしゅうかんうけたまわぶんいん校勘こうかんあきちょうははいおりさんねんときたたえぜんきょつちのえうまりんおこり一時いちじ名流めいりゅう誅死竄謫。及于こうおおやけざいふく且病。輿こしいたり于京。とききくごくおさむしんあずかおおやけ忤者。僅獲めんおのれふゆふく闋。授弘ぶんかんこうせいきょうけんけいむしろ侍讀じどくかんにわか陞本かんふくおうきょうけん藝文げいぶんかんおうきょう如舊。舊例きゅうれい藝文げいぶんおうきょう。必擇はた主文しゅぶん衡者授之。如未とくじんやすし闕其ときこうけんしょく庚申こうしんなつ。授司けんてのひられいふうあきらそうごと言論げんろんきりじき忤燕やま主旨しゅしあきひだり授忠くん經歷けいれきときつばめ山主やまぬしまさし甚荒。ひさふくじょ諫院諫。いんごと善規よしのりうえぬししつ彈劾だんがいひゃく僚。公所ぐぞせいときいいとく諫臣たいよし諫陞授內贍寺ただしまたにゅうため弘文こうぶんたてただしひさげがくせいきょうけんけいむしろ侍講じこうかん春秋しゅんじゅうかん編修へんしゅうかんふゆ加階かかいちゅうじきからしとりはる加階かかいどおりくん。以內しんかんけい尙道こげうん便びんいなざいみちはいどおりせい大夫たいふうけたまわせいいんどうふくうけたまわむねけんけいむしろさんさんかんゆうむね召還しょうかんねんゆかりどうふく陞右ふくよしみぎふく陞左ふく兼帶けんたいなみ如舊。みずのえいぬはるてんみぎうけたまわむねけん春秋しゅんじゅうたておさむせんかん如舊。なつよしみぎ而左。如舊。あきよしひだり而都。けん藝文げいぶんかんちょくひさげがく,尙瑞いんせい如舊。凡爲うけたまわむね出納すいとうかつまことしかつばめ山主やまぬしはばか公方くぼうじきふゆ。以特むねためちゅう淸道きよみち水軍すいぐん節度せつど使。雖加かいよしみぜんじつ貶也。おおやけざいみず營。修明のぶあき軍政ぐんせいひゃくはい俱興。吏卒安之やすゆきとし且周。以疾。就散秩。みずのとあきはいどう中樞ちゅうすうごとふゆはいけい曹參ばんおおやけひさにんぶん翰。雖不おや吏事。天資てんし超邁ちょうまい。剖決如神。ごく訟是にわか拜禮はいれい曹參ばん甲子きのえねなつせいふし使赴京。つばめ山主やまぬしやめはいれい。斥殺朝臣あそんやめおおやけかえ入京にゅうきょうまただつかん。聽其しょひろしゅう繫。いく危者すう。竟謫于全道之みちゆき靈光れいこうぐんへいとらあき今上きんじょうはんせい謫所たくしょ召拜僉知中樞ちゅうすうごといたりそくやめ遷拜けい曹參ばん矣。あきけんどうけいむしろごとふゆけん弘文こうぶんかんひさげがくちょうしげるはるけんどう知成ともなりひとしかんごとけんしゅうしょく時論じろんあまねしかうえまた眷倚。人知じんちこうはた大用おおゆう也。ひさ主文しゅぶん衡無其人。僉曰。公則まさのり不可ふかうえとくちょうおおやけけん大夫たいふはい中樞ちゅうすうごとけん弘文こうぶんかんだいひさげがく藝文げいぶんかんだいひさげがく春秋しゅんじゅうかんなりひとしかんごとけんけいむしろ如舊。うえうけたまわ大亂たいらんこれしん臨寶慨然がいぜんほしはんはい政由まさよしきゅうおおやけごとにゅうさむらいけいとばり不言ふげん中興ちゅうこうせいはじめこれはつおおやけあずか有功ゆうこう焉。あきあきらやまいんくんなりこうまれがおため奏聞そうもん使赴京請誥いのちおおやけふく焉。くだりいたりうしそう河水こうすいはじめこおり不可ふかわたりおおやけおやかんあしよく塡河而渡。なりおおやけどめ曰。した有人ゆうじん須自如是にょぜおおやけ曰。王事おうじゆうほどとう以身さきなりこうまたしたがえしたそう趨之。そくなりひらりくこれぎょうとく竣事而還。うえとくたまものばらしたがえ功臣こうしんごうきゅう土田つちた臧獲ゆう。其敎しょ曰。ことくん盡忠じんちゅう臣子しんしふし有功ゆうこう必賞。王者おうじゃてんころ遭國うんちゅう。而致びょうしゃはたかたぶけさいわいよりゆき忠義ちゅうぎしん。旋復祖宗そそうきゅう。俾予寡躬。にゅう纘大みつるいちくに以定。おおとりもとながかた臣民しんみん推戴すいたいちからじつよしすめらぎあかりすずいのちとき往來おうらいさいはばか跋涉ばっしょう艱。竟蒙てんまこと。以成大慶たいけいじつ嘉之よしゆき。其敢忘哉。とうろくばらしたがえこういさおしめせほうこたえふゆはいこう曹判しょ如舊。つちのえ辰春たつはるはい政府せいふみぎさんさんあずか聞軍國重くにしげごとあき典禮てんれいなん其人。遷拜禮はいれい曹判しょ如舊。にわかまたけん五衛都摠府都摠管。ふゆはい政府せいふひだりさんさん如舊。おのれはるはい吏曹ばんしょ如舊。權衡けんこういち人物じんぶつ。頗使輕重けいちょうとくよろし庚午こうごあきふく拜禮はいれい曹判しょ如舊。とき三浦みうらきょやまと。怨邊はたしつなでほふおちいあたり邑。あさ廷遣使逐而ぜっ日本にっぽんこくため對馬つしましゅう屢遣使請和。おおやけじつてのひら其議聽其。而減其歲せんはんやまといたりこん敢逾やくからしはるてのひらこころみきょうたいことぶきとうじゅうろくにんあきけんけいむしろごとみずのととりはるかんただしとうじゅうにんなつはいつかさけんだいつかさけんおおやけため憲長のりなが僅逾がつぜんおおやけたっよう其中。綱紀こうき以布。にわか正憲まさのり大夫たいふ兵曹へいそうばんしょ如舊。あきまたおもて憑等さんじゅうさんにんふゆ。陞崇せい大夫たいふ政府せいふみぎ贊成さんせいけんばんきんごと如舊。はじめためおさむかぶといぬなつうえみゆきがくよこけいといなんしつらえあきらけいおおやけため侍講じこうかんちぇ灝等よんにんおつはるふくはい兵曹へいそうばんしょ如舊。あきら山成やまなりおおやけびょう且卒。うえ內臣。とい以後いごごとこもこう及今りょうしょうてい公光きんみつ弼自だいうえさらほっれきためしゆういのちおおやけさいはん兵部ひょうぶ軍務ぐんむはんごうしょう難治なんじおおやけ顧眄指揮しきろうしゃとまふで須臾しゅゆ而畢。ろう吏胥ちぢみしゅ咸駭。ふくこうざい敏也としやあきてのひらこころみちょうたまとうじゅうにんへいはるはい政府せいふひだり贊成さんせい如舊。なつ。陞大ただし輔國たかし祿ろく大夫たいふ政府せいふみぎせいけんりょうけいむしろごとかん春秋しゅんじゅうかんごと如舊。いくちからぶん衡之にんうえまたよく以此はんこうまことこれ國家こっかひさはい政府せいふしょことほう。雖置さんおおやけじつところみつる爲相ためすけしゃまたそん形跡けいせき肯以とうくにあさつなよし而不りつげんしゃ以爲復舊ふっきゅうほうとげ其議政府せいふおおやけあずかりょうせいてい公光きんみつ弼請したがえげんしゃ庶政しょせい。竭誠輔理。うえまたするどこころざしとおほうからおそれ復古ふっこ。而公包容ほうよういちせい人爲じんいぜん。援經なずらえどう。黼黻おう猷。其所施設しせつ不可ふか殫記。有史ゆうしそんはるてのひらこころみきむ庾信とうさんじゅうさんにんあきしつらえじゅうためしまたていりゅうとうさんにんちょううしなつだい。以內ひさげ調ちょう。夙夜ざい闕。調進ちょうしん藥餌やくじ。及有たまもの鞍馬あんばつちのえとらはる。陞議政府せいふひだりせい如舊。なつおおやけびょう在家ざいけてき地震じしんためわざわい上書うわがき辭職じしょく。引古しょういまけんひね時事じじ辭意じいこんいたりうえまこと辭職じしょく。批答曰。しょうしょじょう辭職じしょくじょう。引病乞退。以避けん悉。あいしんよせ安危あんきしょがかり君主くんしゅたく。棐迪せめもちすんでふか去就きょしゅうまたなんあにいんしょうやまし。遽欲かいきょうあつとく鎭浮。淸規しんぎうついわおろうもちもと於僚庶。經濟けいざいやめためし於台鉉。せいとうもとめきゅうふかよりゆききょう弼迪つとむ。雖言嬰疾。調しらべ有期ゆうき。敢副ろう股肱ここう無人むじんきょうりょうひなゆう。仍さんさい遭旱。なまみんおもんばか軍國ぐんこくはかりごとあにどく。必資ちょうさん不可ふか一身いっしんほろやまい。迺欲國家こっか重荷おもにつとむ藥石やくせき。冀速治療ちりょうあい一身いっしんもとめかい劇務げきむ雖卿ふかこんため萬民ばんみんにん舊人きゅうじん。茲迺至情しじょう。及疾瘳就職しゅうしょくおおやけまたおとろえ矣。おのれなつてのひらこころみきむ湜等じゅうはちにんあき。患脹しょう上書うわがき乞骸こつうえまこと。批答曰。ひとどうどめよし股肱ここう國之くにゆき安危あんきかかり乎宰しょう聞去ひじ而成じんあにうんあい而爲こくれきかん倚任みち。咸重進退しんたいさいきょう才識さいしきてい拔。文章ぶんしょう贍富。けつうたぐ辨難べんなん。如灼かめ而定吉凶きっきょうはんおうわかうんきん而破ばん錯。さきあさ而負めい。逮寡躬而ちょろうとげ躋三ごとはじめぼく衆望しゅうぼうかた君臣くんしん同心どうしん。竊效からおそれ而竝いんぞくきゅう於轉圜。すすむけんげき於拔ちがやにん老成ろうせい在位ざいいどう爲心いしん膂。攬謨猷之ひねまえはつためほどこせ措。ぶた相須あいす如斯。あにどくうん而能なりなにいちやまし而引。遽欲全身ぜんしん而釋まけ。勿藥とうじょのべ旬月じゅんげつ而可こうかかくるま尙遙。よりどころ典禮てんれい而難ふくきょうこころざし苟退。じつ誠之せいしまことつとむおもえ大義たいぎ。毋懷かた避。しょさいうえまこと。批答曰。召老つげしゅうこうちんよし而勉とめ。汲直痾。たけすめらぎぞうつげ而惜去。進退しんたいさいらんしょがかり。苟進而不まきはた退すさ焉而無難ぶなん。疇與またおうそこらんきょうにんとうかなえじくざいてい經綸けいりんおさめ訐謀而不きょふか大臣だいじんたい。識變どおり而無とどこおまこときょう寡人もち朝廷ちょうてい倚以ためめどぎかめりんおおせ以爲そでりょうなにいちやまし而閱がつ。致再而陳こん。如濟かわ而輟かじあに冀利わたるわかがた而翳かん自覺じかくおわりみにく相須あいすしゃ如斯。きょういやはんしゃやめ。茲用とうしょく輒吐。とう屢驚。しゅうとしゃつとむせきけつつとむしん醫藥いやく而保頤云云うんぬんおおやけやましわたるとめさん上書うわがきこんうえ翰林かんりんかえじょうまこといのち內醫きゅう藥餌やくじ。屢遣うけたまわむねといやましやまいかわうけたまわむねひろし彥弼といしょよくごとおおやけやめしょう矣。つばさあさそつ正德しょうとくじゅうよんねんじゅうがつはつさんにち也。享年きょうねんじゅうなな聞。うえしん悼。とまあさ巿さんにちべつたまもの賻有ふく旣成きせいうけたまわむねちょう其孤。ひろまたたまものさいおおやけ天資てんしごう爽。うつわ宇坦えきしょう篤志とくし于學。聰明そうめいはくたちよしぶんゆう。頗合どう。其爲じんもち毅然きぜんわか不可ふかはんそくぬるしかくち道人どうじんあく淸濁せいだくしょしつ朋友ほうゆうわかせめ其無かどすみそく曰。須平あずかひとがけこととうぐうごとこころざし。及立あさかいしかしょ苟。せいつとむ。雖遇疾患しっかん嘗廢公事こうじ。其待じん也。以親疏。以窮たちいち至誠しせい。雖輿臺下だいか賤。俱得其懽しん。其爲文也ふみや遒勁簡古。はつわかかかわおもえかたりおどろきじん。凡爲じんちょ碣。きょかくれあくときこれにん。必得おおやけ以爲神道しんとうさかえ。嘗撰ぞくひがし文選ぶんせん三綱さんこう行實ぎょうじつ刊行かんこう于世。ひまぼうとく謁公。公方くぼう翛然すわしょしついん時事じじぼうつげこう曰。きんさむらいこうにゅうけいとばりうえ屢加こうあつしつとむ。倚公へんふかおおやけむべ竭誠以答知遇ちぐうおおやけけん曰。せい於世。雖遇昏主。必欲引以とうみちきょう遭逢ひじりあきらこころざしざい堯舜。あによく云云うんぬんだい恨少學力がくりょくざい識愚。靡有いと毫裨なんじよし泣下霑襟。またこうちゅう款也。於其そつりん莫不嗟惋しつ其依。おおやけそんぼつ不可ふかいいせきすううん從弟じゅうてい折衝せっしょう將軍しょうぐん,僉知中樞ちゅうすうごとせいきょうさるこうかん。謹狀。

墓誌ぼし[编辑]

おおやけせいさるいみなよう漑。漑之。けいだかれいじゅうせい以上いじょうけん吏無せきでんきゅうせい以下いか。曰成よう。曰康ます。曰仁ざい。曰思けい。曰德となりみなつかまつ高麗こうらいとくとなりせいつつみ翅。はじめにゅう本朝ほんちょうつかまついたりどおりせい大夫たいふこう參議さんぎ參議さんぎせい檣。よしみやすし大夫たいふこう曹左さんばんまいりばんせい叔舟。ため文忠ふみただおおやけるいさくだいくんかん至大しだいただし輔國たかし祿ろく大夫たいふ政府せいふりょうせいこうれいいんくん文章ぶんしょう事業じぎょう。煥赫よんあさ有海ありうみひがし諸國しょこく閑齋しゅうぎょう于世。其次子じし㴐。ためびょう眷遇。ゆかりうけたまわむねため咸吉どう觀察かんさつ使ほどこせあいらんへいこうこう。妣夫じんみぎぐんつかさいさむよろおんな。以天じゅんみずのと未生みしょう文忠ふみただゆめゆうだけくだこれさちめい曰白だけ鍾。そく其所きょきたゆう白岳しらたけ而名はてえい拔俊邁非凡兒ぼんじさい而孤。文忠ふみただとげ敎育きょういく。授以孟子もうこななへん讀過どっかすうへん便びんなり誦。また能久よしひさ蘊而しょのこ文忠ふみただだいことさらめい而字くん誨純いたりなりわらわ。就鄭こうつねもんがく焉。てい嘗稱しょおとうと學業がくぎょう文藝ぶんげいだしこうみぎしゃとげゆうなりひとし。纔逾弱冠じゃっかんやめますうえしゃ文學ぶんがくとみこうくさ隷善しゃく褐。儕輩さいはい推其はた相之あいのつちのえさるはるなりびょうこうがくまつせんひじりとげ明倫めいりんどうためし多士たしころこく取得しゅとくよんにんおおやけためへいだい一人ひとりそくたまものかんむりぶたほうしゃくゆうがい以寵はつ授承ぶんいんけん正字せいじひろせんにゅう弘文こうぶんかんため正字せいじため著作ちょさくため博士はかせためふくおさむせん。凡よん年間ねんかんけい沃已なりびょういたりかい御衣おんぞ以衣からしふゆ。授吏曹佐ろう賜暇しか讀書どくしょむねあさ故事こじ也。むね嘗揀年少ねんしょうさと敏文としふみしん。俾賜ひま討論とうろんけいひろし博之ひろゆきざいよう輩出はいしゅつなりびょう稽舊てんじゅうせんゆう於館しょくおおやけあずかざいせんしょ儒。おさむ鑽堅しょうたゆざい名籍めいせき甚。みずのえふゆ。廷試文士ぶんしおおやけきょくびとく宣敎せんきょうかいきのえとらなつはいつかさけんたいら。以言ごとひだり授平巿署れいにわか遷吏曹正ろういたりへいたつなつちょうたてまつ大夫たいふちょうはるはい政府せいふけんしょうはつほどこせあいはんよししゅう觀察かんさつこうぐうがい于咸おきいたりゆうごとかたきじん尙在北方ほっぽうおおやけはい疏願復讎ふくしゅうなりびょうおもんばかおどろききたじんもとおおやけ詗知かたきじんいたりちゅうじょうよるかくころせ道上みちがみ三省みつよしすすむ鞫殺じんしゃおおやけよく自首じしゅ大夫たいふ人力じんりきどめ朝廷ちょうていまた而置なつ。陞本舍人とねりあきちょうはは艱。いおりさんねんときたたえぜんきょつちのえうま。遭士りんわざわいざいふく逮繫。一時いちじ名流めいりゅう誅死竄謫。おおやけ以無忤得めんおのれふゆふく闋。はい弘文こうぶんかんこうにわか陞副おうきょうけん藝文げいぶんおうきょう國法こくほう藝文げいぶんおうきょう。必擇はた主文しゅぶん衡者爲之ためゆき其人。やすし闕其ときこうけん焉。庚申こうしんなつ。授司けんてのひられいあきらそうきりじき忤燕山主やまぬしひだり授忠くん經歷けいれきあきふくじょ諫院諫。仍陞內贍てらただし轉入てんにゅうため弘文こうぶんただしひさげがくにわかはいどおりせい大夫たいふうけたまわせいいんどうふくうけたまわむねれきてんいたりうけたまわむね。凡二載出納惟允。つばめさんはばか公方くぼうじき特出とくしゅつためちゅう淸道きよみち水軍すいぐん節度せつど使。雖加かいよしみぜんじつ貶也。おおやけいたりすい營。修明のぶあき軍政ぐんせい。吏卒安之やすゆきとし且周。やまし就散秩。みずのとあきはいどう中樞ちゅうすうごとふゆはいけい曹參ばんにわか拜禮はいれい曹參ばん甲子きのえねなつたかしせいふし使赴京。つばめさんやめあら甚。斥殺朝臣あそんやめおおやけかえいれさかいまただつかんひろしゅう繫。竟謫于全羅道ぜんらどう靈光れいこうぐんへいとらあき主上しゅじょうはんせい。召拜僉知中樞ちゅうすういたりやめ遷刑曹參ばんどうけいむしろ弘文こうぶんひさげがくどう知成ともなりひとしきよしはんけんこれ時論じろんあまねしか時文じぶん衡久無主むしゅ。僉曰。おおやけ其人也。とくちょうけん中樞ちゅうすうけん弘文こうぶん藝文げいぶんだいひさげがくうえうけたまわ大亂たいらんこれしん臨寶おおやけにゅうさむらいけいとばり不言ふげんせいはじめこれはつ裨益ひえきひろちょうしげるあきあきらやまいんくんなりこう希顏きがんため奏聞そうもん使請誥いのちおおやけふく焉。くだりいたりうしそう河水こうすいはじめごおり不可ふかわたりおおやけおやかんあしよく塡河而渡。なりおおやけどめ曰。した有人ゆうじんなに如是にょぜおおやけ曰。王事おうじゆうほどとう以身さきなりこうまたしたがえしたそう趨之。そくなりひらりくこれぎょうとく竣事而還。うえとくたまものばらしたがえ功臣こうしんごうきゅう土田つちた臧獲ゆうふゆはいこう曹判しょつちのえ辰春たつはるはい政府せいふひだりさんさんおのれはるはい吏曹ばんしょ權衡けんこういち人物じんぶつ。咸得其宜。庚午こうごあき拜禮はいれい曹判しょとき三浦みうらやまとしつなでほふおちいあたりじょうあさ廷遣へん。逐而ぜっ日本にっぽん聽對請。屢遣使請和。おおやけじつてのひら其議もと。而減其歲せんはんやまと敢逾やくみずのととりなつはいつかさけんだいつかさけん。逾月而紀綱きこう以張。にわか陞正憲兵けんぺい曹判しょふゆ。陞崇せい政府せいふみぎ贊成さんせいけんばんきんごとおつはるふくはい兵曹へいそうばんしょときあきら山成やまなりこうため首相しゅしょうやまい且卒。うえうけたまわむねとい以後いごごとこもこう及鄭こう弼以自だいへいはるはいひだり贊成さんせいなつ。陞大ただし輔國たかし祿ろく大夫たいふ政府せいふみぎせいけんりょうけいむしろごととげりょくぶん衡之にんあずかりょうせいていひかり弼。同心どうしん輔政。したがえげんしゃふくしょごとほうけん庶政しょせい。竭誠殫慮。包容ほうようむくい人爲じんいぜんとく輔相からだつちのえとらはる。陞左せいなつおおやけびょうざいだいてき地震じしん上書うわがき辭職じしょくけんひね時事じじこんいたりうえ批答まことおのれあき。患脹。上書うわがき乞骸こつ。批答まことしょさいうえまた批答まことさん上書うわがき乞解。うえ翰林かんりんかえ其狀。いのち內醫きゅう藥餌やくじ。屢遣うけたまわむねといやましやまいかわうけたまわむねひろし彥弼といしょげんおおやけやめしょうじゅうがつさんにち也。享年きょうねんじゅうなな聞。うえしん悼。輟朝さんにちべつたまもの賻。うけたまわむねちょう其孤。またたまものさいそつ明年みょうねんかのえたつがつかぶとさるれいそう于楊しゅう東金とうがね村里むらざとすわたつみ向之原むかいのはる。其夫じんぼくおわり弘治こうじみずのとうし享年きょうねんさんじゅういちほうむどうしゅうすな邑寺ほらみずのえすわへい向之原むかいのはるこんため遷祔こうはらしたがえこう秩。ためさだけい夫人ふじんせきみつ。秉忠奮義靖國やすくに功臣こうしん。輔國たかし祿ろく大夫たいふひそかはらいんくんおくりなきょう簡公ほお楗之おんなおく純忠じゅんちゅう功臣こうしんだいただし輔國たかし祿ろく大夫たいふ政府せいふりょうせいみつやまいんくんくだり輸忠まもるしゃ協贊きょうさんやすしなん功臣こうしんたかし祿ろく大夫たいふ政府せいふひだりさんさんきょうこうこうなかまごまご。其曾祖そうそこうおく純忠じゅんちゅうせきとく秉義功臣こうしんたかし祿ろく大夫たいふ政府せいふみぎ贊成さんせいくだりけんこうしょかん正字せいじきりといそとこうつうくん大夫たいふ富平とみひらまもる使ちぇ昀。ほんぜんしゅうおおやけあずか夫人ふじんどうとし而生。結髮けっぱつためおや。悼其早世そうせいさらなかだちめとおわり其世ゆうがわしつにん而已。夫人ふじんせい二男じなん二女じじょおとこちょう曰淙。けんもとりょうさんたてまつ歿。つぎ曰瀚。中丁なかちょう司馬しばためしゆうおおやけみきるいれきあらわ秩。いたり開城かいじょう經歷けいれき。以公びょうみちかえためまろうど經歷けいれき開城かいじょうじん惜其去。甚慕おんなちょうてき弘文こうぶんおさむせんほお誾。はやかか甲子きのえねわざわい追贈ついぞううけたまわせいいんうけたまわむねつぎてきれいまろうどてらべつすわきむおうきよしみな歿。瀚娶僉知中樞ちゅうすうごとにんはじめあきらおんななま二男じなんさんじょおとこちょう曰汝ばしらつぎ曰汝樑。おんなちょうてきようがくちぇ嶔。ようほお誾生さんなん二女じじょおとこ曰寅あきらおおやけあきらげんあきらおんなちょうてききん𥗫。つぎてき李元りげんただしおおやけ憫其しつ怙恃。みなおさむまもるこれ。畢婚よめ焉。がわどもろくなんよんじょおとこちょう曰淸曰潾曰沈曰深曰汀。ただきよしつとむこうろう二女じじょこんよめよう嗚呼ああおおやけいえ文章ぶんしょう事業じぎょうあいつぎ在國ざいこくじょう。其主文しゅぶん衡典くにれい經濟けいざい輔理。悉繩。其尊おや也與文忠ふみただ一般いっぱんみなごく人臣じんしんくらい。吁盛矣。正德しょうとくじゅうねんかのえたつがつだいただし輔國たかし祿ろく大夫たいふくだりばん中樞ちゅうすうごとけんりょうけいむしろごときんかいはい

碑銘ひめい[编辑]

ひとこれしょ稟。かくゆうへんちょう政事せいじざいあるたん文章ぶんしょう文章ぶんしょう有餘ゆうよ事業じぎょうぶた闕。ごう其長而施これしゃ文忠ふみただこれ。其唯わがぶんけいこう乎。おおやけせいさるいみなよう漑。漑之。其先だかれいじん曾祖そうそいみな檣。こう曹左さんばん書法しょほうみょういちいみな叔舟。そく文忠ふみただおおやけるいさくくんかんいたり政府せいふりょうせいふうだかれいいんくんれきしょうよんあさ文章ぶんしょう事業じぎょう。煥赫いちだい。雖小童こわっぱみなしょう誦。こういみな㴐。よしうけたまわせいいんうけたまわむねだし觀察かんさつ咸吉どうほどこせあいよりどころよししゅう叛。ためらんへいしょがい。以公とうとおく政府せいふりょうせい。妣靈ひかりぐんちょうみぎぐんつかさいさむおんなおおやけ以天じゅんみずのと未生みしょう文忠ふみただゆめだけくだこれさちとげめい曰白だけ鍾。文忠ふみただだいきたそく白岳しらたけ也。ようやや高邁こうまいはて凡兒ぼんじ文忠ふみただおやなでくん誨。讀過どっかそくなり誦。文忠ふみただだい改名かいめい而字。纔踰弱冠じゃっかんちゅうみずのと司馬しばためしだい肆爲文章ぶんしょう一時いちじ儕輩さいはい。推爲巨擘きょはく。莫敢與こうまたしゅ。雖在儒冠。識者しきしゃみな其爲他日たじつはた相之あいのつちのえさるはるなりびょう視學しがくおやためしよんにんおおやけちゅうへい及第きゅうだいそくたまものほうぶたゆうがい以寵さかえおぎなえうけたまわぶんいんけんひろせんにゅう弘文こうぶんかんため正字せいじよんてんいたりおさむせんさむらいけい幄者よんねんなりびょういたりかい御衣おんぞころも外人がいじんはじめ公有こうゆうろんおもえこれりょくなりびょう銳意えいい文治ぶんじおさむ龍山たつやま廢寺はいじごう讀書どくしょどうせんいち文學ぶんがくたまもの休暇きゅうかためぞう修之のぶゆきしょおおやけまたあずかせん人望じんぼうわか瀛洲しかよし吏曹ろう。陞司けんたいらふくにゅうため吏曹正郞まさおこも政府せいふけんしょう。陞舍じんだい夫人ふじんかたざい受其やしなえおおやけつうさきおおやけ非命ひめい。嘗拜疏闕。請赴北方ほっぽうとくかたきじん以復だい讎。朝廷ちょうていこれもといたりおおやけ詗知かたきじんいたり都下とかじょうよるかくころせ道上みちがみ三省みつよしすすむ鞫殺じんしゃおおやけほしまい自首じしゅ。雖死在所ざいしょ甘心かんしんだい夫人ふじん泣涕かたとめ朝廷ちょうていまたおわりおけ不問ふもんちょうあき。遭大夫人ふじんいおりさんねんふく闋。授弘ぶんかんこういく。陞應きょうけん藝文げいぶんかんおうきょうくにせいけんおうきょうただ一員いちいん。乃將主文しゅぶん衡者也。れきつかさけんてのひられいつかさ諫院諫。以弘ぶんかんちょくひさげがく。擢承せいいんどうふくうけたまわむねてんいたりうけたまわむねざいのどしたねんつよしせいもり不能ふのうずい上意じょういていのぼるつばめ山主やまぬし甚不えつみずのえいぬふゆだしこうためちゅう淸道きよみち水軍すいぐん節度せつど使。雖加よしみぜんかいじつ貶也。おおやけ就任しゅうにんすんでいちねん。以疾にわかおこりためけい曹參ばん。遷禮曹。甲子きのえねなつせいふし于京とき朝政ちょうせいやめ紊。しんめいみなとくおおやけかえ及境。またおさむしょく牒。竟配于全靈光れいこうぐん。及聖じょう卽位そくい。以刑曹參ばん召還しょうかんぶん衡闕其位且久。ちょうろんあまねしか推公。とくちょうけんかい。以知中樞ちゅうすうごとけん弘文こうぶんかんだいひさげがく藝文げいぶんかんだいひさげがく知成ともなりひとしかんごとおおやけ以雅もち碩德せきとく領袖りょうしゅう斯文しぶんうえまたかたぶけ心待こころまちせいはじめせい裨益ひえきひろちょうしげるあき。以昌やまいんくんなりこうまれがおため奏聞そうもん使いのちこうためふく。請誥いのち于朝。竣事而還。たまものばらしたがえ功臣こうしんこれごうれき政府せいふみぎさんさんつかさけんだいつかさけん,吏兵れいこうよん曹判しょすすむかいたかしせいはい政府せいふみぎ贊成さんせいあきら山成やまなりこうため首相しゅしょうやまい且革。こもこうだいへいなつすすむかいだいただし輔國たかし祿ろく大夫たいふはい政府せいふみぎせいけんりょうけいむしろかん春秋しゅんじゅうかんごとつちのえとらはる。陞左せい國家こっかしんふくしょごとほうおおやけ庶務しょむつきこころ輔理。朝野ちょうやかた倚爲じゅう而公やめびょうてきゆう地震じしんこと上書うわがき乞解。けんひね時事じじ。引古しょういまこんいたりまたれんうえじょう乞骸こつうえおわりもと。竟以しょくおわりまこと正德しょうとくおのれじゅうがつさんにち也。聞。うえしん悼。輟朝さんにち。賻贈有加ゆかうけたまわむねちょう其孤。よう明年みょうねんがつかぶとさるれいそう于楊しゅう東金とうがねむらさといぬいすわたつみ向之原むかいのはる夫人ふじんぼくひそかはらいんくん楗之おんなあずか公生きみおどうとしとしさんじゅういち歿。ほうむどうしゅうすな邑寺ほらいたり遷其ひつぎ祔。どう塋異づかおおやけてん姿すがたごう爽。うつわ宇坦えきもち毅然きぜんわか不可ふかはんそくぬるしか。雖輿臺下だいか賤。俱得懽心。とうかんしょごと一毫いちごうしょたわわひとまた敢干以私。ため文章ぶんしょう。遒勁簡古。屛去はな靡。いちてんちり俗氣ぞくきはつわかけい輒驚じんぶたどく天性てんせいしか也。公生きみお二男じなん二女じじょおとこちょう淙。けんもとりょうさんたてまつ歿。つぎ瀚。開城かいじょう經歷けいれきおんなちょうてきほお誾。としじゅうはちとうつかまついたり弘文こうぶんたておさむせんかた以文ぎょうめい於甲わざわい追贈ついぞううけたまわせいいんうけたまわむねつぎてきれいまろうどてらべつすわきむおうきよし歿。側室そくしつゆうろくなん。曰淸曰潾曰沈曰深曰汀曰源。經歷けいれきせい二男じなんさんじょおとこちょうなんじばしらつぎなんじ樑。おんなちょうてきちぇ嶔。うけたまわむねせいさんなん二女じじょおとこちょうとらあきらつぎこうあきら次元じげんあきらおんなちょうてききん𥗫。つぎてき李元りげんただしげんただしそく荇家ぶたけん也。荇與おさむせんしょうあいたくゆう知己ちきこれぶんおおやけ荇如一家いっか。荇方解職かいしょく退すさきょおおやけびょうちゅう手書しゅしょそんといゆう眷戀。荇執流涕りゅうていいく聞公しつらえ而哭。及荇還あさおおやけひつぎ尙在殯。はい酹而べつ嗚呼ああいちため國家こっかいちためわれわたしあいつうふところやすしゆうすんで耶。腆之ぶんおおやけまこと知之ともゆき敢爲かんいめい曰。

維天いのち。維嶽鍾之。わがゆうくらいわがしたがえこれたかし乎德ぎょう。煥乎文章ぶんしょう一代いちだいゆういくまごしょうもち文忠ふみただいとぐちわがおおやけうけたまわおおやけあつし其慶。ざいなわなわ公德こうとく昧。くにじょうゆうちょうわがめいあい。以告くも仍。

祭文さいぶん[编辑]

維正とくじゅうよんねん歲次さいじおのれじゅう一月辛卯朔二十日庚戌。國王こくおうしんれい曹佐ろうひさしよわいさとしさい于卒ひだりせいさるよう漑之れいおもんみきょうえりいん爽邁。うつわ識超まいいとぐち名家めいか抱負ほうふ踔厲。なりびょうきゅうけん。掄材頖宮。きょうせんげい聲問こえといすりそらたましょきん鑾。いちとしていみさごすんで贍文がくまたひろしばん錯。はつ軔致とおひと異論いろん。寡躬つぎじょしき遵先けんきょうおもんみ舊臣きゅうしんことちょうけんじれきこころみしょつとむかつふところけいとおぶん衡重よせ。匪人罔授。きょうてのひら誥。ひと莫敢簉。援毫おうそくさとし如宿構。さんことかけくにろん攸歸。躋陞せめなりただ拱衣。庶庸おおとり猷。臻至きょう竭夙よるはんわがひゃく揆。ろうせがれ愆和。はじめ于年まえ。請告しゃ屢。よう憫然びんぜんみつるしゅん輒起。ためつねろうかねおかせかげきょうやましばい曾。しきあきら瀝懇。もとめかいおわり惜去。敢斷てんかた靳治。竟奪きょうことぶきくびひじしょう維。元氣げんきやまし肢體したい受痺。首將しゅしょうなん恃。かんねん憖。ふところつう曷已。攢殯そんせいゆう。倏濱ちょう訣。えきふか愴惻。茲遣菲薄。がえひね衷。きょう乎不昧。りょうわが無窮むきゅう

拾遺しゅうい[编辑]

なかりんきんみぎえんじみやびたい[编辑]

あきたかしけり舃飛。憶君きんづるあいずい牛刀ぎゅうとう暫借わりにわとりしゅからたちとげもと棲鳳えだ。憫處ろうたましいきん闥。閑餘浮蟻習家なかやすし馴雉おうひま數寄すきおんしょかりきた

いちぎょうさく吏。風味ふうみ幾何きかけん僻事ひがごと簡。ときねんわが

こうやめ[编辑]

こうやめ歸來きらい西にし落花らっかよしくさ襯遊蹄。山中さんちゅうげき春雷しゅんらいいん。引滿がらすごうかげひくげきいちさく

畫像がぞうさる欽撰[编辑]

政府せいふひだり政文まさふみけいさるこうのこぞう也。ぞうきゅうぞう于其びょうちゅうけいななじゅうさんねん。遭壬たつ兵燹へいせん。遭兵燹へいせん厪全しゃ。且じゅうきゅうねんしょこうまご楊州まきおうのり。肅謁てんけいおこり而惕曰。こな渝矣。繢繡阤矣。いよいよ久則ひさのりいよいよ漶矣。しょ於羹墻矣。そくじんぶつ摹之。あきらほどこせ其采。增設ぞうせつ其色。がらすしゃくろほうさい鞓鞾佩之。煥然ふく其初焉。疏𩑺ろうかくたまにわよう儼然げんぜんかえ其觀焉。乃跽而忭曰。しらげ于嶽而傳于斯。かみかえし于躔而寓于斯。おおやけ歿ひゃくゆうまつえきしょう焉。てん相之あいの矣。はじめ自今じこんけいわれむねしゃきょゆうしょあつもの墻矣。ふくふく而思曰。おおやけひゃくせい君子くんし也。ぞう雖吾むねしょ私有しゆうわかおおやけめいぎょう。其又わたし不肖ふしょうまごなん敢以先祖せんぞゆえわたしわれぶんけいこう哉。盍就立言りつげんしゃ揭公逸事いつじ而公みことのり。備昭だい外史がいしはな衮。たれ耀無ごく也。遽以いちかい使ぞく佞欽紀之のりゆき。欽非嫺於しゃ。曷足以賁こう。而見凡操觚墨じんのこことしゃ。苟循其所わたししゃ紀之のりゆきひとあずかためひとたがえしんたがえちょうたがえしんじあずかちょうひと莫之あずか矣。おっとわかぶんけいこうしんじざいまえしるしおおやけしゃ此非みみしょく。欽烏わたしわれ嫺於誦公。おおやけひゃくせいしも哉。顧公事業じぎょう在國ざいこくじょう文章ぶんしょうざい剞劂。風流ふうりゅうさいざいだんしゃくちそく欽何しょよう其喙哉。しか嘗有聞於當世とうせい先達せんだつ矣。ちゅうむね大王だいおう踐祚せんそじゅうねんよくだい有爲ゆうい。黜百尙儒じゅつはた措世於さんいにしえたかしどきそくゆうわかしずかあんちょう先生せんせい而明勖勱しょうきょうこころざしどうほう彙征勵翼。がつ必世これ丕應傒志。而中かげ蜮。やめ伺於すな矣。みずのえじん衮。あずかおおやけちまたいちにち。覵公やましらいこうだん朝廷ちょうていほろとげぜんりゅう過激かげきかくれ其窾而餂こうむねおおやけぎゃく其伏。厲聲おり曰。むかしみにく正之まさゆき。莫不めい。擠之以爲罟穽。おおやけなん此言ため也。衮素はばかおおやけ。洎聞公言こうげん。輒沮而去。なんおおやけそつおおやけそつざいじゅうさんにち。衮媒よしひだりはら構萋菲。よい叩北もんじょうへんかたなのこせっすり突起とっき於中よるせいあん以下いかめいきょうせき。殆盡いちもう矣。賴元よりもと輔鄭ぶんつばさこう牽裾泣諫。ややころせ其螫どく於方するどこれほこさき。而竟不能ふのう弭其まつだい國家こっかいきおい岌岌乎累たまご矣。ぶんつばさすわちょうどう。攬涕よびこう而曰。ぼうわか在世ざいせい。詎有此事。ぶたぶんつばさふかこう猷爲聞望。ゆう以服しょみずのえじん心膽しんたんため此語うんなんじしかこれげん也。ただぶんつばさ而已。のうごとまで茲稱おとろえ曰。申文もうしぶみけいそつ而己卯之うのへんさくまこと輿こしじん同情どうじょう也乎。鸞鳳あずかみみずく鴞共しょうしば蕙與葷蕕どももり人知じんち其必勝也かつやしかのり君子くんしかち小人こどもひさ矣。而乃以公いちにん存亡そんぼうぼくしゅ小人こども進退しんたいのりこうためたかしだけためめどぎかめぜん於揚而自あげあく於遏而自遏者。其所りつひろし也。わがあさすうそうぎょうぶんつばさためしょうくび。而乃ぶんつばさしょ推媺ざいおおやけ。以文つばさちょうとくえらりょうなおへりくだとくためこうかりおおやけきょぶんつばさのりためぶんつばさ所爲しょい及而有餘ゆうよしゃ晢矣。大抵たいていためぶんつばさためかたむずかしためこうためためゆうなんめんおり於事ちょこれ。以直しゃまたのう矣。拔本塞源ばっぽんそくげんせんとおる嘿化。しかばね以不おさむこうしゃ卓絶たくぜつつねざい不足ふそく以當むべぶんつばさついおもえ而退へりくだこれ也。てんとしこう。以啓其變。震撼しんかんげき撞。そつ使ぶんつばさぬしあにおおやけ不幸ふこう乎。そもそもあに志士ししじんじん抆淚ちょう嗟不やめしゃ乎。くわだてときさるこう容齋ようさいこうみなろく公事こうじぎょう。而不及於此。あにこれ聞耶。知也ともやこうこうぎょうれきそくはじめよう於成むね大王だいおう致治淸明せいめいさいちゅうやく於燕山主やまぬし昏暴殄世これにち。爰立於中むね大王だいおう礪精理之まさゆき出處しゅっしょ行藏こうぞうせい以明矣。へいいたりおのれよんねんなかぐんけん騈武。しゅう慝縮あとわがあさけいれきもとたすく也。ぎょう於上。ぞく於下おしたうみすみへき壤之習。すすむ而納於家あなはじめいき。而庶幾しょき一變いっぺん而之どう。其體てんさんもと斟酌しんしゃく元氣げんきおおやけじつつかさのりちゅう經綸けいりん。赫而こう矣。むかしじんゆうごと曰。ゆう君子くんし。其能こく乎。おおやけいい矣。おっとあやか貌也。ぶんあやかこと也。貌肖そくよく仿像其風儀ふうぎしゃとくことあやかのりよく楷其とく業者ぎょうしゃどくいたり其心しん性情せいじょう灑落於萬ぶつひょう。而在あずかぶんそとしゃあずかぶんこれしょ及焉しゃ也。とうなん以求哉。おおやけいみなよう漑。漑之。ごうらくていぶんつばさこういみなこう弼。勛。なり相國しょうこくまれがおゆう社稷しゃしょくこうはし揆。以人事じんじくんところすすむしゃおおやけあずかぶんつばさにんつてしゃ頌其とくじんうんさん曰。

使つかいこうそん而致卯之うの治者ちしゃてん乎。使つかいこうほろび而不とくとめしんとらへんしゃまたてん乎。なに天道てんとう不一ふいつそもそもくにうんおお𫺛たれしん佩。たて于具瞻之つてしゃしん廣平ひろへい推其ただしちょう孺讓其節。斡旋あっせん運用うんようところ乎從たがえこれさい不可ふかでんしゃしん當世とうせい挹其りゅう後世こうせいかおる其馥。其英れい爽氣。あずかぐさくさ俱盡しゃ。必當而騰くも霄。飆而ゆうあせ漫。孰知ゆびきゅう於薪。たきぎつき而火でんきぬ素之もとゆきがた先生せんせいいちまぼろし曠代而相かん。曷爲おこりあまりえい歎。

のここと[编辑]

おおやけ深沈しんちんゆう大度たいどこう能文のうぶん秋江あきえ師友しゆうろく

しげるゆたかふくせい摠。ひゃくげん。構別墅楊はなわたり小舟こぶね漁網ぎょもう。邀詩じん騷客そうかくにち致好無慮むりょせんひゃくへんおおやけうんすなだんしゅうぐんとり江平えひら浮大かげためかんむり餘慶よけいひろしひろしまご嘆曰。此子此詩。もりからいん也。秋江あきえひやばなし

おおやけそつ于位。うえはたきょあい左右さゆうたい以無きんれい。乃停。こうちょうしず菴因にゅうさむらいけい曰。祖宗そそうあさ大臣だいじんのり出御しゅつぎょきんかわきょうきょあいまち股肱ここうかたとう如是にょぜむねあさやなぎ寬之ひろゆきそつ也。うえ哭之慟。聲聞しょうもん于外。だんしゃでんため美事びじ頃日けいじつさるぼうこれそつうえほしためきょあい甚盛也。而諸しん不能ふのうしょうじゅんふか嘆也。出野いでのふみ

ろん靖國やすくに功臣こうしん廷議みなみ衮欲避其。請差えいりょうこう使而出。後靜しりしず菴同にゅうさむらいけい曰。きんゆうたかしひんおさむしんもとめためはい使。逢此だいろん觀望かんぼう避。宰相さいしょう用心ようじん如是にょぜ人臣じんしんあい其身。あしかんうえ不問ふもん。衮慙惶流あせ而退。とげまいおおやけだい公方くぼうていびょう在家ざいけ。引入內。衮曰。近日きんじつ論議ろんぎ甚激。よく以探こうおおやけ奮然ふんぜん而起曰。おおやけなん以出此言。げきためごと。乃小じんおちい君子くんし而亡かんしゃ也。衮厭しか沮喪そそう而退。あずか沈貞とう陰謀いんぼう。搆陷るい。而尙慮こう臨事ぜんだんとく售其はかりごといたりじゅうがつはつさんにちおおやけ捐世。のり衮已しょ忌憚きたん矣。及じゅうにちへんおこり首相しゅしょうていひかり弼牽すそ泣諫。退出たいしゅつまろうどちょう。抆淚咨嗟曰。惜乎。漑之おおやけわかざい。詎有此事。吏胥聞者。莫不なみだおのれろく

ちゅうむねななねんみずのえさる群臣ぐんしん請復あきらりょうしたがえあきらりょうそく顯德けんとくおうきさきけんなりびょうあさみなみこうゆたかじょう疏請ふくつばめ山初やまはつきむ馹孫またうえ疏請ふくいたりじょうけいむしろこう及唐ふとそうたてびょうごと檢討けんとうかんゆずる。仍啓ぶんそうどくとおる安之やすゆきうえいのちこう實錄じつろくとげ廷臣ていしんしゅう莫敢開口かいこう大臣だいじんやなぎじゅんなぎさきむおう,及盧こう弼等。みな爲事しごとざい祖宗そそうあさ不可ふかふくきむかいちょうじゅんまごほおせつさるよう漑,曺繼しょう。倡議ふくきょう澂,なりじゅんとうしたがえきんかいとう。其餘みなしたがえ大臣だいじん明年みょうねんみずのととりさんがつふるえぶとびょうじゅ。於是げんしゃえき奮。うえまことこれ出海でうみ東野とうのげんべつしゅう

顯宗けんそうじゅういちねん。儒臣そう浚吉。於筵ちゅうかたり及己りんわざわいことけい曰。るいめん誅戮ちゅうりく於伊しゃじつ首相しゅしょうていひかり弼之りょく子孫しそんいたりこん燀赫。ひと以爲こう救護きゅうごりんむくいひかり弼之とくりょうかた如是にょぜ。而臨ごと果斷かだんそく及申ぼううんさるぼうていびょう在家ざいけ。衮いちにち往候。以太げきかげ斥善るいさるぼう厲聲曰。此小じんおちい君子くんしげん也。おおやけなんため此。衮色だい沮。いやしか而退。さるぼう纔逝而衮敢嫁りん。其力りょう猷爲。使つかいみずのえじん忌憚きたん如此。いたりこん論者ろんしゃ。以爲さるぼう不死ふしのり卯之うの不作ふさくうん矣。うえどうよう官記かんきちゅう