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大越史記全書/外紀卷之一 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

大越おおこし史記しき全書ぜんしょ/そときのまきいち

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 卷首かんしゅ 大越おおこし史記しき全書ぜんしょ
そときのまきいち
そときのまき 
按黃みかどけん萬國ばんこく,以交趾界於西南せいなんとおざいひゃく粵之ひょう。堯命羲氏たくみなみ交,てい南方なんぽう交趾。禹別九州きゅうしゅう,百粵為楊州域,交屬焉。なるしゅうはじめしょうえつえつめいはじめ於此うん

おおとり厖氏[编辑]

涇陽おう[编辑]

いみな祿ろくつづけかみみのりこう也。

みずのえいぬもと年初ねんしょほのおみかどかみみのりさんせいまごみかどあきらなまみかどよろしすんで而南じゅんいたりみねせっとく婺僊おんななまおうおうきよしさとし聰明そうめいみかどあかりよく使嗣位。おうかたゆずる其兄,敢奉いのちみかどあかり於是りつみかどよろしため嗣,北方ほっぽうふうおうため涇陽おう南方なんぽうごうあかおにこくおうめとほらにわくんおんな,曰神りゅうなまむじなりゅうくん按《から》,涇陽ゆう牧羊ぼくよういいほらにわくん少女しょうじょよめ涇川次子じし黜。寄書きしょあずかやなぎあつしそうほらにわくんのり涇川、ほらにわため婚姻こんいんゆうらい

むじなりゅうくん[编辑]

いみなたかしともづな,涇陽おう之子ゆきこ也。

きみめとみかどらいおんな,曰嫗ひめなまひゃくなん俗傳ぞくでんせいひゃくたまご),ためひゃく粤之いちにちいいひめ曰:「わがりゅうしゅ,儞是僊種。水火すいかしょう尅,合併がっぺいなん。」乃與そうべつぶんじゅうしたがえはは歸山きさん,五十子從父居南きょみなみさく南海なんかいふう其長為雄ためおおう,嗣君

ふみしんくれれん曰:天地あまちひらくはじめこれゆう氣化きかしゃばんいにしえ是也これやゆう氣化きかしかこう有形ゆうけい,莫非陰陽いんよう也。《えき》曰:天地てんち絪縕,萬物ばんぶつあつし男女だんじょ媾精,萬物ばんぶつ化生かせい有夫ゆうふしかこうゆう父子ふしゆうちちしかこうゆう君臣くんしんしか聖賢せいけんなま,必異乎常,乃天しょいのち。吞玄とりたまご而生しょう,屐巨人跡じんせき而興しゅうみな其實しか也。かみみのりこうみかどあかりとく婺僊おんな而生涇陽おうためひゃく始祖しそおうめとかみりゅうおんなせいむじなりゅうくんくんめとみかどらいおんな生育せいいくゆうひゃくなんさち。此其所以ゆえんのうはじめわがえつもと也歟。こうつうかんがい》,みかどらいみかどむべ之子ゆきこよりどころ所載しょさい,涇陽おうみかどよろしこれおとうと,乃相ため婚姻こんいんぶた也尚おおとりあら禮樂れいがくちょ而然しゃ歟。

ゆうおう[编辑]

むじなりゅうくんかけいみなみねしゅうこんしろつるけん是也これや

ゆうおうたて也,建國けんこくごう文郎ふみおこく其國ひがし南海なんかい西にし抵巴しょくきたいたるほらにわみなみせっえびすまごこくそくうらないじょうこくこんこうみなみ是也これやぶんくにためじゅう,曰交趾、曰朱とんび、曰武やすし、曰福祿ろく、曰越、曰寧うみ、曰陽いずみ、曰陸海りくかい、曰武じょう、曰懷驩、きゅうしん、曰平文へいぶん、曰新興しんこう、曰九とく,以臣ぞく焉。其曰文郎ふみおおうしょ也。おけしょう曰貉こうはた曰貉しょうしょうなまり為雄ためおしょう王子おうじ曰官ろう王女おうじょ曰媚むすめ有司ゆうし曰蒲ただし世世せぜ以父でん,曰父どうぬしみなごうゆうおう時山ときやまふもとみん江河こうが濮水,みな聚魚えびりつしょうりょうしょくためみずちへびしょきずしろ於王。おう曰:「やま蠻之しゅあずかみずぞくじつことかれこうどうあくことゆう此病。」乃令じん墨跡ぼくせきすい恠於みずち龍見たつみ咬傷こうしょうがいひゃく文身いれずみぞくぶたはじめ此。

ゆうおうろくせいたけやすし扶董きょう有富ありとみおうなまいちなんさんさいあまり飲食いんしょく肥大ひだい不能ふのう言笑げんしょうてきこく內有警,おうれいじんもとめのう却敵しゃ。其日,小兒しょうにゆるがせのうごとつげ其母邀天使らい,曰願とくいちつるぎ一馬かずまきみゆう也。おうたまものつるぎ小兒しょうにそくおどうま揮劔而前,官軍かんぐんしたがえやぶぞく于武やすしやまあしぞくたおせほこしょうおさむ死者ししゃ甚衆,あまりとうはいよびてんはたそくみな小兒しょうにおどうまあがむなし而去。王命おうめい開所かいしょきょえんたくたてびょうまつ焉。こうふとしふうためおき天神てんじんおう其神ほこらざい扶董ごうけんはつてらがわ

しゅうしげるおうわがこしはじめ騁于しゅうしょうだいいくせいしょうえつけんじしろ雉。しゅうこう曰:政令せいれいほどこせ君子くんししん其人。いのちさく指南車しなんしゃ送還そうかん本國ほんごく

どきぞくおうゆうおんな,曰媚むすめよし而艷。しょくおう聞之,まいおうもとむためこんおうよくしたがえこれゆうこうとめ曰:かれよくわが,以婚姻こんいんためよしみみしょくおう以是銜怨。おう欲求よっきゅうはいしゃいい群臣ぐんしん曰:「此女僊種,才德さいとく兼備けんびしゃぽうため姻。」にん外來がいらい拜見はいけんにわもとめため婚姻こんいんおう而問たい曰:「いち為山いざんしらげいちためすいせいみなざいさかい內,聞明王みょうおうゆう聖女せいじょ,敢來請命。」おう曰:「わがゆういちじょあにりょうけん乎。」乃約來日らいにちのう聘禮さきらいそくあずかりょうけん應諾おうだくはいしゃ而歸。あきら日山ひやまきよしはためずらしたから金銀きんぎんやま禽、野獸やじゅうとうぶつらいけんじおう如約よめやませいむかえかいかさえん高峯たかみねきょみずせいまたはた騁財いたり,恨悔及。げきとげきょうくもさくみずみなぎ溢,りつすいぞくおいおうあずかやましらげちょうてつもうよこ截慈れん上流じょうりゅう以扞みずせいしたがえべつこうのぞきじんいれこうやまあしえん岸上きしかみかつ江口えぐち大江おおえにゅう陀江,げきかさえん處處しょしょ鑿為ふちため潭,積水せきすいかさねやま精神せいしんよびとく蠻人ばんじんへんちくためませ禦水,以弩しゃ鱗介りんかい諸種しょしゅちゅう避走,おわり莫能はん俗傳ぞくでんさんしらげすいせい後世こうせい讐,每年まいとし大水おおみずつねしょうおさむうん

かさえん乃我えつ巔山,其靈おうさいためあらわけんこびむすめすんでよめやましらげしょくおう憤怒ふんぬしょく子孫しそん,必滅文郎ふみお而併其國。いたりまごしょく泮,ゆういさみりゃく,乃攻これ

ふみしんくれれん曰:ゆうおうけんこうりつへいふんこくためじゅうじゅうそとかくゆうちょう,而庶子しょし以其ぶん焉。其五じゅうしたがえはは歸山きさんあんとも如是にょぜ耶。ぶたははためくんちょう諸子しょしかくおも一方いっぽう也。以今蠻酋有男くにおちちどうおんなちちどうたたえかん今朝けさあらためため輔導ほどう是也これやあるしか也。若山わかやまきよしすいせいことまた甚恠誕,信書しんしょ如無しょしゅうとじゅつ其舊,以傳うたぐ焉。
みぎおおとり厖氏,涇陽おうみずのえいぬ受封,あずかみかどむべ同時どうじでんいたるゆうおうとうしゅう赧王じゅうななねんみずのとおわり,該せんろくひゃくじゅうねん

しょく[编辑]

安陽あんようおう[编辑]

在位ざいいじゅうねん

せいしょくいみな泮。ともえしょくじん也。ふうけいこんにしじょう是也これや

きのえたつ元年がんねんしゅう赧王じゅうはちねんおおやけもとまえななねん)。おうすんで併文ろうこくあらため國號こくごう曰甌むじなこくはつおう屢興へいおさむゆうおうゆうおうへいきょうはたいさむおう屢敗。ゆうおういいおう曰:「わがゆう神力しんりきしょくかしこ乎。」とげはい武備ぶび而不おさむ,需酒しょく以為らくしょくぐん逼近,なお沈醉ちんすい未醒みせい,乃吐血とけつ堕井薨,其衆たおせほこくだしょくおう於是築城ちくじょう于越こう千丈せんじょうばん旋如にしがたゆえごうにしじょうまためいおもえりゅうじょう唐人とうじんよび曰崑崙城,いい其城最高さいこう。其城ちく畢旋くずれおう患之,乃齋戒さいかい禱于天地てんち山川やまかわ神祇じんぎ再興さいこうこうちくこれ

丙午ひのえうまさんねんあずまあまねくん元年がんねんおおやけもとまえねんはるさんがつゆるがせゆう神人しんじんいた城門じょうもんゆびじょうわらい曰:「こうちくなんなり乎。」おうせっにゅう殿上てんじょうといとう曰:「まち使らい。」そく辭去じきょ後日ごじつはやおういずる城門じょうもんはてきむひさししたがえひがし浮江らいたたえこう使つかいのうせつじんげんだん未來みらいごとおう甚喜,以金ばんもりおけばん殿上てんじょうもんじょうくずしよし金龜こんき曰:「此本山川やまかわ精氣せいきぜん王子おうじ為國ためくにほうかたきかくれ於七耀山かかやま山中やまなかゆうおに前代ぜんだい伶人れいじんそう於此,ためおにやまはたゆうかん館主かんしゅおう悟空ごくうしゃゆう一女并白雞一隻,せい凡人ぼんじん往來おうらいいたり此夜宿やど必死ひっしおにがい也。所以ゆえんのう嘯聚なりぐん墮壞だかい其城。わかころせしろ雞,じょ此精のり其城なんじかんかた。」王將おうしょう金龜こんき就館,かりため宿泊しゅくはくじん館主かんしゅおう曰:「ろうくんそく貴人きじん也,ねがいそくぎょう,勿留わざわい。」おうえみ曰:「死生しせいゆういのちおになんのうため」,乃留宿やど焉。よる聞鬼せいしたがえ外來がいらいよび開門かいもんきむひさししかこれおに不能ふのういれ鷄鳴けいめいしゅおにはし金龜こんき請王つい躡之,いたりなな耀山かかやま精氣せいき収藏しゅうぞう殆盡。。おうかえかんあきらだん館主かんしゅおう以為おう必死ひっし呼人よびと就館,よくこうおさむそうおう欣笑,趨拜曰:「ろうくんやすわか此,必聖じん也。」おう乞取しろ雞,ころせ而祭。雞殺,じょまたそくれいじんやまとく古樂こがく及其骸骨がいこつしょう碎為はいこれ江河こうが妖氣ようきとげぜっ築城ちくじょう半月はんつき而成。金龜こんきおう感謝かんしゃ請曰:「くんおん,其城やめかた。如有外侮がいぶなに禦之。」金龜こんき乃脫其爪づけおう,曰:「國家こっか安危あんきゆうてんすうにんまたぼう。倘見ぞくらいよう此靈つまためいしゆみこうぞくはつゆう也。」王命おうめいしんさつき魯(いちうんさつきどおり),造機ぞうきいしゆみ,以爪ためめい曰靈こうきんつまかみいしゆみとうだかおうひらみなみみことのりへいかえたけやすししゅうよるゆめ異人いじんしょうさつき魯,曰:「むかし輔安おうゆう却敵大功たいこうむじなこう譖去沒後ぼつご天帝てんてい憫其いのちたまものいちじょう江山えやま管領かんりょうみやこみつる將軍しょうぐん征討せいとう寇賊,及農稼穡,みなぬしこんすんでしたがえあかりこう討平ぎゃくとりこふくいたり本部ほんぶつげしゃ非禮ひれい也。」こうおう寤,以語僚屬,ゆう曰:よし矣交しゅう悠悠ゆうゆうまんけんのうとくおわりまけれいだい

みずのえきゅうねんあずまあまねくんななねんおおやけもとまえよんきゅうねん)。はたすわえつばめちょうかんひとし凡七こく

これさいしゅうほろび

かのえたつさんじゅうななねんはたはじめすめらぎりょせいじゅうろくねんおおやけもとまえいちねん)。はた併六こくしょう皇帝こうていときわが交趾慈廉じんおうなか身長しんちょうたけさんしゃく少時しょうじ往郷おうごう吧供りょくやくため長官ちょうかんしょむちとげにゅうつかまつはたいたり隷校じょうはじめすめらぎとく天下でんか使つかい將兵しょうへいもり臨洮,こえ匈奴きょうど,及老でんさとそつはじめすめらぎ以為ことどうためぞうおけ咸陽司馬しばもん腹中ふくちゅうようすうじゅうにん,濳搖どう匈奴きょうど以為せいこうじょう敢犯(からちょうあきらため交州みやこまもるつねよるゆめあずかおうなかこう春秋しゅんじゅうひだりでん》。よしおとずれ其故たくざい焉。たてほこら致祭,迨高おうやぶみなみみことのりつねあらわおうすけじゅんこうおうしげるおさむほこら木立こだちぞうごうこうじょう。其神ほこらざい慈廉けん瑞香みずかしゃ)。

ちょうよんじゅうよんねんはたはじめすめらぎさんじゅうさんねんおおやけもとまえいちよんねん)。しんはつ諸道しょどう逋亡じんにえむこ、賈人ためへい使つかいこうじょうほふ睢將ろうせん使つかい祿ろく鑿渠うんかて深入ふかいりみねみなみ略取りゃくしゅりくはりおけかつらりんこんこう西明さいみょうけん是也これや)、南海なんかい即今そっこん廣東かんとん)、ぞうぐんそくやすみなみ),以任囂為南海なんかいじょうちょう佗為龍川りゅうがわれい龍川りゅうがわ南海なんかいぞくけん),りょう謫徒へいじゅうまんにん戍五みね。囂、佗因はかりごとおかせわがにえむこおとこざい聘,以身しつ於妻,曰贄むこ。如人身じんしん肬贄,餘剩よじょうものりくはりみねみなみじんしょさんくがあいだ,其性きょうはり曰陸はり)。

からしよんじゅうはちねんはたはじめすめらぎじゅうななねんおおやけもとまえいちねんふゆじゅうがつはたはじめすめらぎくずし于沙おかにん囂、ちょう佗帥らいおかせ。佗駐ぐん北江きたえ遊山ゆさんあずかおうせんおう以靈いしゆみしゃ,佗敗走はいそうとき囂將ふねざい小江こえそくみやこまもるこうなまりため東湖とうこいま東湖とうこはんしんしみびょういい佗曰:「はたほろび矣,ようけいおさむ泮,以立こく。」佗知おうゆうかみいしゆみ不可ふかてき退すさ守武もりたけやすしやまつう使講和こうわおう,乃分平江ひらえこん東岸とうがんてん德江とくえ是也これや以北いほく佗治以南いなんおう治之はるゆき。佗遣なかはじめにゅうさむらい宿衛しゅくえい求婚きゅうこん王女おうじょこびたまもとなかはじめさそえこびたま,竊觀れいいしゆみ,濳毀其機,えきたく以北いほく歸省きせいおやいいこびたま曰:「夫婦ふうふ恩情おんじょう不可ふかしょう忘,如兩こくしつ南北なんぼくへだたべつわがいた此,如何いかとくしょう。」こびたま曰:「わらわゆう鵞毛がもうにしきしとねつね於身,いたしょ拔毛ぬけげおけ岐路きろ,以示。」なかはじめ以告佗。

癸巳きしじゅうねんはたせいえびすねんおおやけもとまえはちねん)。にん囂病且死,いい佗曰:「聞陳かちとうさくみだれ民心みんしん未知みちしょ。此土僻遠へきえんわれおそれ群盜ぐんとう侵犯しんぱんいたり此,ほしあずかぜっどうはたところひらくこし道也みちや備,まち諸侯しょこうへん。」かいびょう甚,曰:「ばん禺(かん曰南じょうやま阻水,東西とうざいかくすう千里せんり,頗有しん人相にんそう輔,またあし建國けんこくきょうおうため一方いっぽうこれしゅ也。郡中ぐんちゅうちょう吏無あしあずかはかりごとしゃとく公告こうこく。」いん以佗自だい。囂死,佗即うつりげきつげ橫浦よこうらさん、湟谿せき,曰:「ぬすめへい且至,きゅうぜっどう聚兵もり。」げきいたりしゅうぐんみなおう。於是つきころせしんしょおけちょう吏,以其おやとうだいためもり。佗發へいおさむおうおう不知ふちいしゆみやめしつかこえ棋笑曰:「佗不かしこわれしんいしゆみ耶。」佗軍逼近,おうきょいしゆみやめおり矣。ひろはしはいすわこびたま於馬じょうあずかおうみなみ奔。なかはじめみとめ鵝毛おいおういたる海濱かいひんきゅうふねかじ連呼れんこ金龜こんきそくらいすくい金龜こんき湧出ゆうしゅつ水上すいじょうしか曰:「乘馬じょうば後者こうしゃぞく也,ぶたころせこれ。」おう拔劍ばっけんほしこびたまこびたましゅく曰:「忠信ちゅうしんいちせつためじんしょいつわりねがいため珠玉しゅぎょくゆき此讐耻。」おう竟斬流水りゅうすいじょうはまぐり蚌含にゅうしんためあかりたまおう七寸文犀入海去(こん辟水さい也。でんえんじしゅうだかしゃしゃよるやま其處)。なかはじめ追及ついきゅうこびたまやめ慟哭どうこくだき其尸,そうにしじょうため玉石ぎょくせきなかはじめふところ惜媚たまかえ於粧よくしょ,悲想かち,竟投身とうしんそこ後人こうじんとく東海とうかいあきらたま,以井水洗すいせんいろいよいよ光瑩こうえい

ふみしんくれれん曰:金龜こんきこれせつしん乎。ゆう莘降しんせきのうごとようあるゆうぶたしんひと而行,たくぶつ以言也。國之くにゆきはたきょう神明しんめいくだこれ,以監其德。はたほろびかみまたくだこれ,以觀其惡。ゆうまちしん以興,またゆう以亡。安陽あんようおうきょうこう築城ちくじょうこれやくゆうふし民力みんりょく神託しんたく金龜こんきつげ怨讟どう乎民,而能しか耶,なお也。及其のち患而要請ようせい於神,のり私意しいおこり矣。私意しいいちもえすなわち天理てんりずいめつかみやす羞以耶。其脫れいつめづけいいあし以却てき,其禍もえ乎。如神ゆうたまもの虢土でんめいじ,而虢ずい以亡也。厥後果然かぜんなに莫非ひと而行也。如無要請ようせいげんただし循理而行,あんともこく祚之長久ちょうきゅう乎。いたり於媚たま鵝毛ひょう道之みちゆきごと未必みひつゆう也。如或ゆう,僅一見いっけん可也かなりこうちょうえつ王女おうじょさい模倣もほうごとなに耶。ぶたへんしゃ,以蜀、ちょう亡國ぼうこくゆかりみな女婿じょせいいん一事而兩言之歟。しかのりおにのう隳城またしんじ乎。曰伯有為ゆうい厲之るい也,かれたて其後,とくしょ而止。此除其妖,しょ而止。いたり於史安陽あんようおう敗亡はいぼういんしんいしゆみえきちょうえつおう敗亡はいぼういんかぶと鍪失つめ,乃假以神其物なんじわかおっとかたこく禦戎,ゆう其道,得道とくどうしゃ多助たすけ而興,しつ道者どうしゃ寡助而亡,ため此也。
みぎ安陽あんようおうおこりかぶとたつおわり癸巳きし,凡五じゅうねん

大越おおこし史記しきがいぜん書卷しょかんいちおわり