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後漢書/卷68 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

こう漢書かんしょ/まき68

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 とう錮列でん だいじゅうなな こう漢書かんしょ
まきろくじゅうはち かくもと列傳れつでん だいじゅうはち
竇何列傳れつでん だいじゅうきゅう 

かくふとしそくかくやすし

 

かくふとし

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かくふとし林宗りんそう范曄ちちめいたいあらためため此「ふとし」。ていこうぎょうめいまたどう焉。ふとしはらかいきゅうじん也。かいきゅうこん汾州けんいえひん賤。ははほっ使きゅうごとけん廷。あおい頡篇》曰:「廷,直也なおや。」《せつぶん》:「廷,あさ中也ちゅうや。」《風俗ふうぞくどおり》:「廷,正也まさやげんけん廷、ぐん廷、朝廷ちょうていみな平均へいきんせい直也なおや。」はやしはじめ曰:「大丈夫だいじょうぶ焉能しょ筲之やく乎?」とげ。就成さつきこごめはく彥學,さんねんぎょう畢,はくどおりふんせきぜん談論だんろん美音びおんせい。乃游於洛はじめみる河南かなんいん膺,膺大竒之,とげしょうともぜん,於是めいふるえ京師けいしこう歸鄉ききょうさと衣冠いかんしょ儒送いたり河上かわかみくるますうせんりょうはやしはじめただあずか膺同ぶね而濟,しゅう賔望,以爲神仙しんせん焉。

つかさ瓊辟,ふとしつねちょうのり舉有どうあるすすむはやしはじめつかまつすすむしゃたい曰:「われよるかんいぬいぞうひる人事じんじてんこれしょはい不可ふかささえ也。」ひだりでんすすむなんじ叔寬ささえなおもち也。とげなみおうせい明知めいちじんこう獎訓るい身長しんちょうはちしゃく容貌ようぼう魁偉かいい,襃衣はくたい周遊しゅうゆうぐんこく。甞於ひね梁閒はりまぎょうぐうはば一角いっかく墊,おとひのとねんはんしゅう遷《輿こしふく雜事ざつじ》曰:「はば以葛爲之ためゆきかたち如幍,おとくちあまねはんほん居士こじ野人やじんしょふくたけづくり幍,其巾乃廢。いま國子くにこ學生がくせいふく焉。以白しゃ爲之ためゆき。」時人じじん乃故おりはば一角いっかく,以爲「はやしはじめはば」。其見慕皆如此。たい別傳べつでん》曰:「たいめいあらわそうとげつねみつるしゃ。」あるといなんじみなみ范滂曰:「かく林宗りんそうなに如人?」滂曰:「かくれたがえおやかい推之るいさだぜっぞく柳下やぎしためぐみこれるい天子てんしとくしん諸侯しょこうとくともわれ不知ふち其它。」れい》曰:「儒有じょうしん天子てんししたこと諸侯しょこう。」こう遭母ゆうゆう至孝しこうしょうしゃうけたまわしょ》曰:「遭母ゆうおう發病はつびょう歷年れきねん乃瘳。」はやしはじめ雖善人倫じんりん,而不爲ふため危言覈論,れい》曰:「擬人ぎじん必於其倫。」ていげんちゅう曰:「りんなおるい也。」《論語ろんご孔子こうし曰:「くに有道ありみち,危言危行。くに無道むどう,危行げんまご。」覈猶じつ也。宦官かんがん擅政而不能ふのうきず也。及黨ごとおこり知名ちめい士多した其害,ただはやし宗及そうきゅうなんじみなみ袁閎とくめん焉。とげ閉門へいもん敎授きょうじゅ弟子でし以千すう

たてやすし元年がんねんふとしでんちんしげる大將軍だいしょうぐん竇武ため閹人しょがいはやしはじめ哭之於野,慟。すんで而歎曰:「『ひとうんほろび邦國ほうこく殄瘁』。だい雅之まさゆき『瞻烏爰止,不知ふち于誰みみ。」しょう雅也まさやげん不知ふちおうぎょうとうなんしょ

明年みょうねんはるそつ于家,ねんよんじゅう四方しほうせん餘人よにんみな來會らいかいそうしゃうけたまわしょ》曰:「たいたてやすしねん正月しょうがつそつひろのうはこたにせき以西いせいかわ內湯かげ以北いほく千里負笈荷擔彌路,しばしゃあしそうふさがぬりぶたゆうまんすうらい赴。」同志どうししゃ乃共こく石立いしたて,蔡邕ため其文,すんで而謂涿郡しょく曰:「われため碑銘ひめい矣,みなゆう慙德,ただかく有道ありみち愧色みみ。」

其獎拔士じんみな如所鑒。しゃうけたまわしょ》曰:「泰之やすゆきしょめい人品じんぴん乃定,さきごとけんしゅうみなふくてきひねとめ則友のりともえらあきらゆうふとし學則がくそくかたきさとしこれひねこくそくおやとくこうにゅうなんじみなみそく交黃叔度。はつふとしはじめいたりみなみしゅう袁奉だか宿やど而去;したがえ叔度,累日るいじつある以問ふとしふとし曰:『たてまつ高之たかゆきたとえ氿濫,雖清而易挹。叔度うつわひろしひろしわかせんごろ陂,きよしきよし,擾之にご不可ふかりょう也。』やめ而果しかふとし以是名聞みょうもん天下でんか。」好事こうじあるえきぞうちょうはなけいまたるいうらない相之あいのしょこんろく其章あきらこう於事しゃしるこれへんまつあきらあきらなおあきらあきら也。

ひだりばら

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ひだりばらしゃちんとめじん也。ためぐん學生がくせいはんほう斥。はやしはじめ甞遇しょみちためしつらえ酒肴さけさかな以慰いい曰:「むかしがお涿聚りょうはじめきょぬすめだんすすむこくだい駔,そつためひとしこれ忠臣ちゅうしんめいけんりょ春秋しゅんじゅう》曰:「かお涿聚,りょうちち大盜たいとう也,がく於孔。」《ひだりでん》曰:「すすむひとしせん于黎おかひとしはい績,おや禽顏かのえ。」もりあずかちゅう曰:「はじむおか,隰也。かおかのえひとし大夫たいふがお涿聚也。」また曰:「すすむ荀瑤ていていひろ請救於齊おさいひとしはたきょうちん成子しげこぞくさんにちあさしつらえ乘車じょうしゃりょううま,繫五邑焉。召顏涿聚之子ゆきこすすむ,曰:『隰之やく,而父焉,以國多難たなんなんじ恤也。こん君命くんめいなんじ以是邑也,ふくしゃ而朝,はいぜんろう。』」《りょ春秋しゅんじゅう》曰:「だんすすむ國之くにゆき駔。」《せつぶん》曰:「駔,かい也。いいあい兩家りょうけ賣買ばいばい,如今これ巿也。」《しんじょ》曰「ぶんこうだん閭而軾之,とげ致祿ひゃくまん,而時往問國人くにびとみなそうあずか誦之曰:『われくんこうせいだんけいわれくんこうちゅうだんたかし。』はたよくおさむ司馬しばから諫曰:『だん賢者けんじゃ也,而魏れい天下てんか莫不聞,不可ふかへい乎?』はたくん以爲しか」也。駔音ろうはん蘧瑗、かおかいなお不能ふのうきょう其餘乎?論語ろんご》曰:「蘧伯だま使つかいじん於孔もん曰:『夫子ふうしなんため?』たい曰:『夫子ふうしよく寡其而未のう也。』」また曰:「かおかい好學こうがく。」まき勿恚恨,せめ躬而やめ。」はらおさむ其言而去。あるゆうそしはやしはじめぜっ惡人あくにんしゃたい曰:「ひと不仁ふじんやましこれ以甚,らん也。」論語ろんご孔子こうしげん也。ていげんちゅううん:「不仁ふじんこれにんとう以風わかやましこれ以甚,えき使ためらん也。」はらゆるがせさらふところ忿,ゆいきゃくほっほうしょせい。其日林宗りんそう在學ざいがくはら愧負前言ぜんげんいんとげやめ後事こうじ衆人しゅうじん咸謝ふく焉。

かやひろし

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かやひろしえらちんとめじん也。としよんじゅうあまりこう於野,あずかとうやから避雨樹下じゅかしゅうみなえびすうずくま相對そうたいえびすひら也。《せつぶん》曰:「うずくまつくばい也。」ようどく危坐いよいよきょうはやし宗行むねゆきみる而竒其異,とげあずかきょうげんいん請寓宿やどだんようころせ雞爲饌,はやしはじめいいためおのれしつらえすんで而以きょう其母,以草蔬與きゃくどうめしくさ,麤也。はやしはじめおこりはい曰:「きょうけん乎哉!」よしすすむれいがくそつ以成とく

はじめさとし

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はじめさとし叔達,鉅鹿楊氏じん也。じゅうさんしゅうこころざし》曰:楊氏けんざいこんぐんきた也。きゃくぶとはらこしき墯地,顧而去。はやしはじめ而問其意。たい曰:「こしき以破矣,なにえき?」はやしはじめ以此ことよしすすむれい遊學ゆうがくじゅうねん知名ちめい三公みつきみ俱辟,なみ不屈ふくつうん

庾乘

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庾乘ゆう,潁川鄢陵じん也。しょうきゅうごとけん廷爲もんそくもんそつはやしはじめ而拔すすむ遊學ゆうがくかんとげためしょなまやといこうのうこうろん以卑だいまいしょすわしょなま博士はかせみな就讎とえゆかりがくちゅう以下いかすわためとうとこうちょう辟並おこりごう曰「しるしくん」。

そうはて

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そうはてなかおつしゃうけたまわしょ》「おつさくぶん」。扶風じん也。せいけい悍,憙與じんほう讎,ためぐんけんしょやましはやしはじめ乃訓義方ぎほう,懼以はいはてかん悔,叩頭こうとうしゃまけとげあらためぶし勑。こう以烈聞,辟公さむらい、并州刺史しし所在しょざいのう

賈淑

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賈淑あつしはやし宗鄉そうごうじん也。雖世ゆうかんむり冕,而性けんがい,邑里患之。しゃうけたまわしょ》曰:「よしためしゅうとそう瑗報讎於けんちゅうため吏所,繫獄とうたい與語よごよしこん流涕りゅうていやすしまい縣令けんれいおうみさおちん其報怨蹈義之よしゆき赦,けんなだめこれ郡上ぐじょうげん,乃得ばら。」はやしはじめ遭母ゆうよしらいおさむとむらえすんで而鉅鹿しかまごちょくまたいたりちょく以林そうけん而受惡人あくにんちょうこころかいすすむ而去。はやしはじめつい而謝曰:「賈子あつ誠實せいじつきょうとくしかあらいこころむかいよしなかぎゃく互鄉,われもと進也しんや。」互鄉,さとめい。「互鄉なんあずかげん童子どうじ門人もんじん惑。孔子こうし曰:『ひといさぎよおのれ以進,あずか其進,其往。』」よし聞之,あらため厲,おわりなりぜん鄉里ごうりゆう憂患ゆうかんしゃよし輒傾營救,ためしゅう閭所しょう

ふみ叔賔

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ふみ叔賔しゃちんとめじん也。しょうゆう盛名せいめいはやしはじめ而告じん曰:「牆高もと,雖得必失。」はて論議ろんぎおもね枉敗めいうん

まこと

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まこともぐさすみかげじん也。以儁才知さいちめいはやしはじめ而謂曰:「きょうゆうぜっじんざい足成あしなるえらしかこわ守道もちあつしはたしつ矣。」つかさ袁隗ほしためしたがえおんなもとめ姻,まこと而歎曰:「とくむこ如是にょぜあし矣。」まこと聞而黜遣其妻なつこういいしゅうと曰:「こんとう弃,ぽうあずかちょうやめ,乞一かいおやぞく,以展はなれ訣之じょう。」於是だいしゅう賔客さんひゃく餘人よにん婦中ふちゅうすわ,攘袂すうまこと隱匿いんとくけがれあくじゅうことげん畢,とうしゃ而去。まこと以此はい於時。

しゃ

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しゃ甄字ほろなんじみなみ召陵じん也。あずかひねとめゆずるなみぜん談論だんろん,俱有盛名せいめいまいきょうこう林宗りんそう甞不連日れんじつたちよるはやしはじめいい門人もんじん曰:「英才えいさい有餘ゆうよ,而並入道にゅうどう,惜乎!」甄後かかわほそゆきためしょ毀。ゆずる輕侮けいぶ曹操そうそうみさおころせこれ

おうやわら

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おうやわら叔優,おとうとさわどうはやしはじめどうこおりすすむ縣人けんじん也。兄弟きょうだい緫角どもこう林宗りんそう,以訪ざいぎょうしょむべはやしはじめ曰:「叔優とう以仕しんあらわどうとう以經じゅつどおりしかたがえかたあらためつとむまた不能ふのういたり也。」はて如所ごとやわらためまもる匈奴きょうどちゅうろうはたさわためだいぐん太守たいしゅ

また識張こうなか芻牧なか范特郵置やくせつぶん》曰:「郵,境上さかいかみ傳書でんしょしゃ也。」こうみやび曰:「郵,えき也。」おけまたえき也。《風俗ふうぞくどおり》曰:「かんあらため郵爲おけおけしゃ遠近えんきんあいだおけ也。」召公もとえらかんなみほふ酤,司馬しば拔自そつ,及同ぐんかく長信ながのぶおう長文ちょうぶんかんぶんぬのせい、曹子もとていじょうしゅう康子やすこ西河にしかわおうしかくもちゅうおかさとし、郝禮しんとうろくじゅうにんなみ以成めいしゃうけたまわしょ》曰:「ふとしはらかく長信ながのぶおう長文ちょうぶん長文ちょうぶんおとうとかんぶんぬのせい、曹子もとていじょうしゅう康子やすこ西河にしかわおうしかくもちゅうおかさとしめいれい舉。いたりしか北地きたじ太守たいしゅ,其餘てんしゅうぐんしゃ。」

ろん曰:そうしゅうゆうげん人情にんじょうけん山川やまかわ,以其動靜どうせい識,而沈阻難ちょうちょう明也あきや。沈,ふか也。深厚しんこうせい,詭於じょう貌;詭,たがえ也。のり哲之てつゆき鑒,おもんみみかどしょなんみかどいい堯也。しょ曰:「知人ちじんそくあきらおもんみみかどためなん。」而林むね雅俗がぞくしょしつはた其明せい特有とくゆうぬし乎?しか而遜げん危行,おわりとおるみそとおるつう也。まことまこと善導ぜんどう使つかい慕成めい,雖墨、はじめ不能ふのうぜっ也。ぼく翟、はじめ軻也。ぜっ也。

とおる

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とおるえらあきらちんとめ浚儀じん也。しょうため官吏かんりはじゆだねぞくかんこころざし》曰:「かん從事じゅうじしゅ察舉百官ひゃっかんはんほうしゃ。」とおるはじため其吏而去。こうゆうたいがく師事しじしょう膺。膺風せいだか簡,まいとおる,輒絕它賔きゃく,聽其言論げんろんとおるはばはば奮褎,だん如雲,はばはばしゃ,以いちぶく爲之ためゆき也。褎,そで。如雲しゃ,奔踊而出也。膺每ささげ歎息たんそくかく林宗りんそうはじめ入京にゅうきょう時人じじん莫識,とおる一見いっけん嗟服,いん以介於李膺,ゆかり知名ちめい人相見にんそうみ,必因紹介しょうかいかいいん也,げんいん此人以相接見せっけん也。しゃうけたまわしょ曰:「とおるはやしはじめ便びんあずかこれ交。また紹介しょうかい於膺,以爲うみあかりたま燿其こうとりおおとりすめらぎただししょう。膺與林宗りんそうしょうまち以師友之とものれいとげめい天下てんかとおる致也。」

どきかんちゅうすすむぶんけいはりこくもぐさなみ恃其才智さいち,炫曜上京じょうきょう,卧託やしなえやましところどおりせっ洛中らくちゅう大夫たいふ好事こうじしゃうけたまわ其聲めいすわもんといやましなおとくしゃうけたまわしょ曰:「ぶんけいもぐさ,曜名遠近えんきん聲價せいかやめじょうしるし辟不就,療病りょうびょう京師けいし不通ふつう賔客。公卿くぎょうしょうしょう大夫たいふ門生もんせい旦暮たんぼといやましろう吏公じょうぞくざつすわ其門,とく也。」さん公所ぐぞ辟召しゃ,輒以詢訪隨所ずいしょ臧否,以爲與奪よだつとおる察其しん,乃到たいがく,并見膺曰:「二子行業無聞,以豪桀自おけとげ使公卿くぎょうといやましおうしんすわもんとおるおそれ其小道破どうはそらほまれたがえとくむべ察焉。」膺然。二人自是名論漸衰,賔徒ややはぶけ旬日じゅんじつあいだ,慙歎逃去。こうはてため輕薄けいはくなみ以罪はい弃。

とおるえき以知めいしゅうぐんれい請,舉孝れんおおやけ府連ふれん辟,みなおう太守たいしゅ馮岱有名ゆうめいたたえいたかん,請融しょうとおるいち往,こもたちぐん范冉、かんたくあな伷等さんにん伷音かぶとしゃうけたまわしょ曰:「馮岱德山とくやませい忼慨,ゆう文武ぶんぶ異才いさいすんでいたかんとおる往相こも范冉ためこう曹,かんたくためぬし簿あな伷爲じょうけい吏。」袁山まつしょ曰:「たくすけ。臘日,やつ竊食さい其先,たくよし其心,即日そくじつめん。」いんびょうぜっかいゆうとうごとまた禁錮きんこ

つまほろびひん殯斂,さとじんよくためかんふくとおる肯受。曰:「いにしえ亡者もうじゃ,弃之中野なかのえき繫詞曰:「これそうしゃあつころも以薪,そう中野なかの。」ただ妻子さいし以行こころざしただしそく埋藏まいぞう而已。」しゃうけたまわしょ:「潁川ちょう元祖がんそこころざしぎょう也,らいそんとおるとむらい其妻ほろび其如此,いいごと足下あしもとほしなお古道ふるみちしんみょう;且禮しつらえかん槨,せいつえあきら孔子こうし曰「われしたがえしゅう」』。便びん推所じょう羸牛しゃいのちとおる以給殯,とおる受而也。」

とおるどう郡田こおりだもりなか嚮,あずかかく林宗りんそう同好どうこうまためい知人ちじんゆうゆうつかまつなみ以壽おわり

もと

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もと劭字はたなんじ南平なべら輿こしじん也。輿こしおんあずかしょうたかし名節めいせつこう人倫じんりんしょしょう識。わか樊子あきらかずようしゃなみあらわめい於世。こころざし》曰:「かずひろしなんじ南西なんせいたいらじん也。はつ舉孝れん大將軍だいしょうぐん辟,就。こくけんためさむらいちゅう。」天下てんかげん拔士しゃ,咸稱もとかく

はつためこおりいさお曹,太守たいしゅじょ璆甚敬之たかゆき璆音もとめまたきょあきはん府中ふちゅう聞子はたため吏,莫不あらためみさおかざりぎょうどうぐん袁紹,おおやけぞくごう俠,濮陽れいくるま甚盛,はたにゅうぐんかい,乃謝賔客,曰:「われ輿こしふくあに使つかい許子もとこはた。」とげ以單車歸くるまがえり

劭甞到潁川,長者ちょうじゃゆうただこうちんまことまたちんしげるつまかえそうさとじん畢至,而劭どく往。あるとい其故,劭曰:「ふとしおか道廣みちひろ廣則ひろのりなんしゅうなか舉性たかしたかしのりしょうつうみやつこ也。」其多しょ裁量さいりょうわか此。

曹操そうそうほろつね卑辭あつれいもとめためおのれれいしなため題目だいもく劭鄙其人而不肯對,みさお乃伺すきおびえ劭,劭不とくやめ,曰:「きみきよし平之ひらの姦賊かんぞく亂世らんせい英雄えいゆう。」みさおだい恱而去。

劭從けい敬子けいこくん訓子くにこしょうなみためさんおおやけそう以能諂事宦官かんがん致台ふうこうすう請劭。劭惡其薄ぎょうおわりこう

劭邑じん逵,たけしちょく有高ありだか,劭初善之よしゆき,而後ためすきまたあずか從兄じゅうけいやすしむつみしょくこころざし》曰:「もとやすしぶんきゅうしょうあずか從弟じゅうてい劭俱知名ちめいなみ有人ゆうじんりん臧否たたえ,而私情しじょうきょう。劭爲こおりいさお曹,はい擯靖とく敘,以馬すり自給じきゅう。」どき以此しょうこれはつ,劭與やすし俱有高名こうみょうこうきょう覈論鄉黨きょうとう人物じんぶつ每月まいつき輒更其品だいなんじみなみぞくゆう月旦げったんひょう」焉。

つかさそら楊彪辟,舉方正ほうせいあつししらきちょうみな就。あるすすむ劭仕,たい曰:「方今ほうこん小人こども道長みちなが王室おうしつはたみだれわれよく避地淮海,以全老幼ろうよう。」乃南いた廣陵こうりょうじょしゅう刺史ししとうけんれい甚厚。劭不やすつげ其徒曰:「とうきょうがい慕聲めい,內非真正しんせいまちわれ雖厚,其埶必薄。如去。」とげふくとうあげしゅう刺史ししりゅう繇於きょくおもね繇字正禮しょうふだ其後とうけんはてしょぐうぐうよせ也。及孫さくたいらくれ,劭與繇南奔豫あきら而卒,ねんよんじゅうろく

あにけんまた知名ちめいなんじみなみ人稱にんしょうひら輿こしふちゆうりゅう焉。ひら輿こししろこんしゅうなんじけん東北とうほく有二ゆうじ龍鄉たつごう月旦げったんさと

さん曰:はやしはじめふところたから,識深甄藻。甄,明也あきやなおかざり也。あかりはつしゅうりゅうえいげんどうあかりはつはつゆういたり明也あきや。《りょ春秋しゅんじゅう》曰:「孔子こうししゅうりゅう天下でんか。」とおる鑒真,はた人倫じんりんまもりぶしこうはじなみまた逡巡しゅんじゅん逡巡しゅんじゅん退すさつかまつ也。

校勘こうかん

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ろくぺーじろくぎょうがた如*(幍)**[□]*。按:ちゅううんおとこうひろしたん」,のりとうさく「□」,こんあらためしたどう

ななぺーじいち0~一二行初太始至南州至太以是名聞天下。按:此注文ちゅうもんななじゅうよん,汲本、殿しんがりほんみな儳入正文せいぶんあきらよしみやすしひろしぶんもりこくほんあやま,閩本またあやま,閩本ぶたよりどころひろしぶん盛本もりもと翻刻ほんこく也。

ななぺーじいちいちぎょうたとえ*(泛)**[氿]*濫集かい引惠とうせついい蔣杲うん「泛」とうさく「氿」,俗本ぞくほんあやま「氿」ため「泛」,いんうたてあやまため「泛」也。おうさきけんいいけんでん氾濫はんらんさく「氿濫」,いい氿泉、濫泉也。こんよりどころあらため

七頁一一行擾之不濁。按:殿しんがりほん「擾」さくたわわ」,御覽ごらんななじゅう引續ひきつづけ漢書かんしょどう

ななぺーじいちぎょうだん。按:「だんはら「□」,逕改正かいせいちゅうどう

八頁四行晉荀瑤伐鄭*[ていひろし]*請救於齊おさい。按:ちゅうだっていひろしさんのり上下じょうげぶん語意ごいぞくこんよりどころ今本いまほんひだりでん

はちぺーじはちぎょう司馬しばから諫曰。按:こう引柳したがえたつせついい司馬しばとう今新いまじんじょさく司馬しばから且」。

八頁一三行茅容字季偉。按:こういいえらいちさく「瑋」。やなぎしたがえたつくも風俗ふうぞく通有つうゆう瓊門せいちがや瑋,そく其人。

九頁三行鉅鹿楊氏人也。按:「楊」はらあげ」,逕改正かいせいちゅうどう

きゅうぺーじななぎょうすすむ遊學ゆうがく*(みや)**[かん]*かんあやまいい案文あんぶんみやとうさくかん」。こんよりどころあらため

九頁一五行賈淑字子厚。按:あつまりかい引惠とうせついい袁紀「あつしさくじょ」。

さんぺーじ一行既而鉅鹿孫威直亦至。按:あつまりかい引惠とうせついいかくやすし別傳べつでんたけしさく「鹹」。

さんぺーじ九行黃允字子艾。按:あつまりかい引惠とうせついい袁紀「もぐささくもともぐさ」。

さんぺーじ一二行於是大集賓客三百餘人。按:こう引柳したがえたつせついい袁紀さく「請親ぞく及賓きゃくじゅう餘人よにん」。

さんよんぺーじきゅうぎょうさとじん*(必)**[畢]*いたりよりどころ汲本、殿しんがりほんあらため

さん四頁一三行君清平之奸賊亂世之英雄。按:三國魏志裴注引世說,さく治世ちせいのうしん亂世らんせい奸雄かんゆう」。

さんぺーじななぎょうそら楊彪。按:「楊」はらあげ」,逕改正かいせい