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後漢書/卷84 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

こう漢書かんしょ/まき84

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 まきはちじゅうさん·逸民いつみん列傳れつでん だいななじゅうさん こう漢書かんしょ
まきはちじゅうよん·れつおんなでん だいななじゅうよん
まきはちじゅう·東夷あずまえびす列傳れつでん だいななじゅう 

》、《しょげんおんなとくなお矣。[1]わかおっとけんすけこくくんせいあきらたかし家人かじんみち高士こうしひろしせいあつしふう貞女ていじょあきら明白めいはくふしのり其徽こと也,而世てん咸漏焉。中興ちゅうこう以後いご,綜其なりごとじゅつためれつおんなへん。如馬、鄧、りょうきさきべつぜんりょう嫕、ひめかく家傳かでん[2]わか斯之るいなみけんしょただし𢯱ざいぎょうゆう高秀たかひでしゃ必專ざいいちみさお而已。

桓少くん

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  勃海あわびせんつましゃ,桓氏じょ也,しょうきみせん嘗就しょう君父くんぷがくちち其清以女つまそうおくまかない甚盛。せんえついいつま曰:「しょうきみなまとみおご,習美かざり,而吾じつひん賤,敢當れい。」つま曰:「大人おとな先生せんせいおさむとくもりやく使つかい賤妾さむらいはばぐしすんでたてまつうけたまわ君子くんしただいのちしたがえ。」せんわらい曰:「のう如是にょぜわれこころざし也。」つま乃悉さむらい服飾ふくしょくさらちょたんぬのあずかせんども挽鹿しゃ歸鄉ききょうさとはいしゅうとれい畢,つつみ汲。おさむぎょう婦道ふどうごうくにしょう

  せんあいみかどかんいたり隸校じょうひさし中興ちゅうこうはつため魯郡太守たいしゅ永子えいこ從容しょうようといしょうきみ曰:「太夫たゆうじんやすしふく識挽鹿しかしゃ?」たい曰:「さきしゅうとゆうごと[3]:『そん忘亡,やす忘危。』[4]われ焉敢忘乎!」えい、昱已ぜんつて

ふとげんおう霸妻

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  ふとげんおう霸妻しゃ不知ふちなんじょ也。霸少りつ高節こうせつ光武みつたけれんちょうつかまつ。霸已見逸みそれ人傳ひとづてつままたよししむらゆきはつ,霸與どうぐんれいきつねはくためともはくためすわえしょう,而其ためこおりいさお曹。はく乃令奉書ほうしょ於霸,車馬しゃば服從ふくじゅう,雍容如也。霸子かたこう於野,聞賓いたりとう耒而[5]れいきつね,沮怍不能ふのう仰視ぎょうし[6]霸目ゆう愧容,きゃく而久おこりつまかいとい其故,はじめ肯告,つま請罪,而後げん曰:「われあずかはくもとあいわかこう其子ようふく甚光,舉措ゆうてき,而我曹蓬かみれき未知みちれいそく[7]きゃく而有慚色。父子ふしおんふか不覺ふかく自失じしつみみ。」つま曰:「きみしょうおさむしんぶし顧榮祿ろく今子いまこはく孰與くんこう奈何いかん宿志しゅくし而慚女子じょし乎!」霸屈おこり而笑曰:[8]ゆう哉!」とげきょう終身しゅうしんかくれ遯。

こうかんきょうつま

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  こうかんきょうつましゃどうぐん龐盛じょ也。ごとはは至孝しこうつまたてまつじゅんゆうあつははこういんすいみずしゃろくななつまつね泝流而汲。こう值風,不時ふじかえはは渴,せめ而遣つま乃寄とめ鄰舍,晝夜ちゅうや紡績ぼうせきちん羞,使つかい鄰母以意のこ其姑。如是にょぜしゃ久之ひさゆきしゅうとかいとい鄰母,鄰母たいしゅうとかん慚呼かえおんやしなえいよいよ謹。其子いんとお汲溺つまおそれしゅうと哀傷あいしょう敢言,而託以行がく不在ふざいしゅうと嗜魚なますまた不能ふのうどくしょく夫婦ふうふつね力作りきさくきょうなますよび鄰母共之ともゆきしゃがわゆるがせゆう涌泉,あじ如江すいまいだん輒出そうこいぎょつね以供ははぜんあかまゆぞくけいさとたゆへい而過,曰:「おどろきだいこう必觸鬼神きじん。」としあらぞく乃遺まいにく,受而うめこれ落蒙其安全あんぜん[9]

  えいひらさんねん,察孝れん顯宗けんそうみことのり曰:「だいこう入朝にゅうちょう,凡諸舉者一聽いっちょう平之ひらの。」ゆかりみなはいろうちゅうひろじょ江陽こうようれいそつ于官。ところきょさと人為じんいりつまつ

ちょうおもね

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  沛郡しゅういくつましゃどうぐんちょう孝之たかゆきじょ也,おもねしょう習儀くん,閑於婦道ふどう,而郁おごいん輕躁けいそうくだり無禮ぶれいいくちちえらいいおもね曰:「新婦しんぷ賢者けんじゃおんなとう以道ただしおっといくあらため新婦しんぷ也。」おもねはい受命じゅめい退すさいい左右さゆう曰:「わが樊衛ひめこれぎょう[10]きみ以責わがげん而不ようきみ必謂わがたてまつきょうれいのりざいざいわが矣。わかげん而見ようためたがえちち而從のりざいざいかれ矣。なま如此,またなに聊哉!」乃自殺じさつ。莫不きず

はんあきら

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  扶風曹世叔妻しゃどうぐんはんあやじょ也,めいあきらめぐみはんいちめいひめ博學はくがくだかざい叔早そつゆうぶしぎょう法度はっとあにかたちょ漢書かんしょ》,其八表及天文志未及竟而卒,みかどみことのりあきら就東かん臧書かくかかと而成[11]みかどすう召入みやれい皇后こうごうしょ貴人きじん師事しじ焉,ごう曰大まいゆう貢獻こうけん異物いぶつ,輒詔大家たいかさく頌。及鄧ふとしきさき臨朝,あずか政事せいじ。以出入でいりつとむとくふうなりせき內侯,かんいたりひとししょうとき漢書かんしょはじめのうどおりしゃどうぐんうまとおるふく於閣したがえあきら受讀,またみことのりとおるけいぞくつぎあきら成之しげゆき[12]

  ながはつちゅうふとしきさきけい大將軍だいしょうぐん鄧騭以母ゆう上書うわがき乞身,ふとしきさきよくもと,以問あきらあきらいんじょう疏曰:「ふくおもんみ皇太后こうたいごう陛下へいか,躬盛德之のりゆきたかしからおそれせい,闢四もん而開よんさとしさいきょうおっと瞽言,おさめ芻蕘はかりごとおもんばか[13]わらわあきらとく以愚くちとう盛明もりあき,敢不披露ひろう肝膽かんたん,以效まんいちわらわ謙讓けんじょうふうとく莫大ばくだい焉,てんふんじゅつかみ祇降ぶく[14]むかしえびすひとしくに天下てんかふく其廉だか[15]ふとしはくたがえ邠,孔子こうししょうためさんゆずる[16]所以ゆえん光昭みつあきれいとくあげめい于後しゃ也。《論語ろんご》曰:『のう禮讓れいじょう為國ためくに,於從せい乎何ゆう。』[17]よしごと,推讓まこと,其致どお矣。いま四舅深執忠孝,引身退すさ[18]而以かたたれせいこばめ而不もと;如後ゆう毫毛於今[19]まことおそれ推讓めい不可ふかさいとくえん逮及,敢昧竭其じょうげん不足ふそくさい,以示ちゅう螘之赤心せきしん。」ふとしきさきしたがえ而許。於是騭等かくかえさとだい焉。

  さくおんなななへんゆうじょ內訓。其辭曰:

  ひなじん愚暗ぐあん,受性不敏ふびんこうむ先君せんくんちょうよりゆきははてんくん[20]としじゅうゆうよん帚於曹氏,[21]于今四十餘載矣。戰戰兢兢せんせんきょうきょうつね懼黜はずかしめ,以增父母ちちはは羞,以益中外ちゅうがいるい[22]夙夜劬心,つとむつげろう,而今而後,乃知めんみみわれせい疏頑,きょうどうもと[23]つねおそれこくまけはずかしめ清朝せいちょう[24]聖恩せいおんよこ,猥賜きむむらさき[25]じつひなじん庶幾しょき所望しょもう也。おとこのうはかりごと矣,われふく以為ゆう也。ただしきずしょ女方おざかたとうてきじん,而不ややくん誨,聞婦れい,懼失よう它門,はじ宗族そうぞくわれいまやましざい沈滯ちんたいせいいのち無常むじょうねんなんじ曹如此,まいよう惆悵。閒作かんさくおんなななしょうねがいしょおんなかくうつしいちつう,庶有えき,裨助なんじ矣,其勗つとむこれ[26]

  卑弱だいいちいにしえしゃせいおんなさんにち床下ゆかしたろうかわら塼,而齋つげ焉。[27]床下ゆかしたあきら其卑じゃくしゅ下人げにん也。ろうかわら塼,あきら其習ろうおもつとむ也。ときつげさきくんあきら當主とうしゅつぎ祭祀さいし也。[28]三者蓋女人之常道,禮法れいほうてんきょう矣。謙讓けんじょう恭敬きょうけい先人せんじんおのれゆうぜん莫名,[29]ゆうあく莫辭,忍辱にんにく含垢,つねわかかしこ懼,いい卑弱下人げにん也。ばんはやさく,勿憚夙夜,[30]執務しつむ私事しじげきえき[31]所作しょさ必成ひっせい手跡しゅせき整理せいりいいつとむ也。せいいろはしみさお,以事おっとぬしせいしずもりこうおどけわらい,絜齊酒食しゅしょく,以供祖宗そそう[32]いいつぎ祭祀さいし也。三者さんしゃ苟備,而患名稱めいしょう聞,黜辱ざいひつじ也。三者さんしゃ苟失なに名稱めいしょう聞,黜辱どお哉!

  夫婦ふうふだい夫婦ふうふみちまいりはい陰陽いんよう通達つうたつ神明しんめいしん天地てんち弘義ひろよし人倫じんりんだい節也せつや以《れい男女だんじょさい,《ちょせき雎之[33]よし斯言不可ふか重也しげやおっとけんのり以御けんのり以事おっとおっとのり威儀いぎはいかけことおっとのり義理ぎり墮闕。[34]ほう斯二ごと,其用一也かずや。察今君子くんしつま不可ふか威儀いぎ不可ふか不整ふせいくん其男,けん以書でんこと知夫ちぶぬし不可ふかことれい義之よしゆき不可ふかそん也。ただしきょうおとこ而不きょうおんなまた蔽於彼此ひしすう乎!れいはちさいはじめ教之のりゆきしょじゅう五而至於學矣。[35]どく不可ふか此以ためそく哉!

  たかしまきだいさん陰陽いんようことせい男女だんじょくだり以剛ためとくかげ以柔ためようおとこ以彊ためじょ以弱ためひなことわざゆううん:「なまおとこ如狼,なおおそれ其尪;せいおんな如鼠,なおおそれ其虎。」しかのり修身しゅうしん莫若けい,避彊莫若じゅん曰敬じゅんみち婦人ふじん大禮たいれい也。おっとけい它,持久じきゅういい也。おっとじゅん它,ひろし裕之ひろゆきいい也。持久じきゅうしゃとめあし也。ひろしひろししゃなおきょう也。夫婦ふうふこう終身しゅうしん不離ふりぼうしつ周旋しゅうせんとげなま媟黷。媟黷すんでせいげん矣。かたりげんすんでたてほしいまま必作。たてほしいまますんでさくのりあなどおっとこころなま矣。此由於不知ふちとめあししゃ也。おっとごとゆう曲直きょくちょくげんゆう是非ぜひじきしゃ不能ふのうそう曲者くせもの不能ふのう訟。訟爭すんでほどこせのりゆう忿怒ふんどこと矣。此由於不なおきょうしゃ也。あなどおっとふし,譴呵したがえ忿怒ふんどとめすわえ撻從おっとため夫婦ふうふしゃ以和おやおん以好あいすわえ撻既ぎょうなんそん?譴呵すんでせんなにおんゆう恩義おんぎ俱廢,夫婦ふうふはなれ矣。

  ぎょうだいよんおんなゆうよんぎょういち婦德ふとく曰婦げんさん曰婦ようよん曰婦こう[36]おっとうん婦德ふとく必才あかりぜっ也;げん必辯こう也;よう必顏しょく美麗びれい也;こう必工たくみひと也。清閑せいかんさだせいもりぶし整齊せいせいぎょうおのれゆうはじ動靜どうせいゆうほういい婦德ふとく而說,みちあくしかこうげんいや於人,いいげんたらい浣塵けがれ服飾ふくしょく鮮絜,沐浴もくよく以時,あかはずかしめいいよう專心せんしん紡績ぼうせきこうおどけわらい,絜齊酒食しゅしょく,以奉賓客ひんきゃくいいこう。此四しゃ女人にょにん大德だいとく,而不可ふかとぼしこれしゃ也。しか為之ためゆき甚易,ただざいそん心耳しんじ古人こじんゆうごと:「じんどお乎哉?我欲がよくひとし,而仁斯至矣。」[37]此之いい也。

  專心せんしんだいれいおっとゆうさいめとこれ[38]てきぶん曰夫しゃてん也。[39]てんかた不可ふか逃,おっとかた不可ふかはなれ也。くだりたがえ神祇じんぎてんそくばつれいよしゆう愆,おっとそくうすおんなけん曰:「得意とくいいちにんいいなが畢;失意しついいちにんいいなが訖。」ゆかり斯言おっと不可ふかもとめ其心。しかところもとむしゃまたいい佞媚苟親也,かた莫若專心せんしんせいしょくれいきょ絜,みみぬり聽,よこしま冶容,にゅうはいかざり聚會ぐんやから門戶もんこ,此則いい專心せんしんせいしょく矣。わかおっと動靜どうせいけいだっ視聽しちょう陜輸,[40]にゅうのり亂髮らんぱつ壞形,そく窈窕ようちょうさくたい[41]せつしょ不當ふとうどうかんしょ不當ふとう,此謂不能ふのう專心せんしんせいしょく矣。

  きょくしたがえだいろくおっと得意とくいいちにんいいなが畢;失意しついいちにんいいなが訖。よく人定じんていこころざし專心せんしんげん也。しゅうとしゅうとしんあにとうしつ哉?ものゆう以恩はなれしゃまたゆう以義やぶしゃ也。おっと雖云あいしゅうとしゅうとうん,此所謂いわゆる以義やぶしゃ也。しかのりしゅうとしゅうとこころ柰何?かた莫尚於曲したがえ矣。しゅうとうんなんじ而是,かたむべしたがえれい[42]しゅうとうんなんじ而非,なおむべじゅんいのち。勿得たがえもど是非ぜひそうぶん曲直きょくちょく。此則所謂いわゆるきょくしたがえ矣。おんなけん》曰:「影響えいきょう,焉不可ふかしょう。」[43]

  かず叔妹だいなな婦人ふじん得意とくい於夫ぬしゆかりしゅうとしゅうとあいおのれ也;しゅうとしゅうとあいおのれゆかり叔妹ほまれおのれ也。よし此言わが臧否ほまれ毀,いちよし叔妹,叔妹しんふく不可ふかしつ也。みな莫知叔妹不可ふかしつ,而不能ふのう和之かずゆき以求おや,其蔽也哉!聖人せいじん,鮮能かお於能あらためなかよしみ其不[44]而況婦人ふじんしゃ也!雖以賢女けんじょこれぎょうさとし哲之てつゆきせい,其能備乎!しつじん和則かずのりそし掩,そと內離そくあくあげ。此必然ひつぜん埶也。《えき》曰:「二人ふたり同心どうしん,其利斷金だんきん同心どうしんげん,其臭如蘭。」此之いい也。[45]おっとあによめいもうとしゃたいてき而尊,おん疏而義親よしちかわかよしひめけんじゅんこれにん[46]のりのうよし以篤このみたかしおん以結援,使つかい徽美あらわあきら,而瑕かくれふさがしゅうとしゅうと矜善,而夫ぬし嘉美かみ聲譽せいよ曜于邑鄰,きゅう光延みつのぶ父母ちちははわかおっと憃愚これにん,於嫂そくたくめい以自だか,於妹そくいんちょう以驕みつるおごみつるすんでほどこせなに和之かずゆきゆう恩義おんぎすんで乖,なにほまれ臻!以美かくれ而過せんしゅうと忿而おっと慍,毀訾ぬの於中がい恥辱ちじょくしゅう于厥しんぞう父母ちちはは羞,退すさえき君子くんしるい[47]斯乃榮辱えいじょくほん,而顯もと也。まき哉!しかのりもとめ叔妹しんかた莫尚於謙じゅん矣。けんそく德之のりゆき[48]じゅんそくこれぎょう。凡斯しゃそく以和矣。《うん:「ざいかれあくざい此無しゃ。」其斯いい[49]


  うまとおる善之よしゆきれい妻女さいじょ習焉。

  あきらじょいもうと曹豐せい[50]またゆうざいめぐみためしょ以難有可ゆかかん

  あきらねんななじゅうあまりそつ皇太后こうたいごうもとふく舉哀,使者ししゃ監護かんごごとところちょ、頌、めいじ、誄、とえちゅうあいやめしょろんうえ疏、のこれい,凡じゅうろくへんちょうため撰集せんしゅうまたさく大家たいかたたえ焉。

らく羊子ようこつま

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  河南かなんらく羊子ようこつましゃ不知ふちなんじょ也。羊子ようこ嘗行とくのこかねいちもちかえ以與つまつま曰:「わらわ聞志いんぬすめいずみみず[51]かどしゃ受嗟らいくえ[52]きょう拾遺しゅういもとめ,以污其行乎!」羊子ようこだい慚,乃捐きん於野,而遠ひろがくいち年來ねんらいつま跪問其故。羊子ようこ曰:「久行ひさゆきふところおもえ它異也。」つま乃引がたな趨機而言曰:「此織せいかいこまゆなり於機いちいと)〔𢇇〕而累,以至於寸,るいすんやめとげなりたけひきこんわかだん斯織也,のり捐失成功せいこう,稽廢がつ夫子ふうしせきがく當日とうじつ其所ほろび[53]以就懿德。わか中道ちゅうどう而歸,なにだん斯織乎?」羊子ようこかん其言,ふくかえ終業しゅうぎょうとげななねんはんつまつね躬勤やしなえしゅうとまたどお饋羊

  嘗有它舍雞謬入園にゅうえんちゅうしゅうととうころせ而食つまたい雞不餐而泣。しゅうとかいとい其故。つま曰:「きずきょひん使つかいしょくゆう它肉。」しゅうと竟棄

  こうぬすめよくゆうはんつましゃ,乃先こう其姑。つま聞,みさおがたな而出。盜人ぬすっと曰:「しゃくなんじがたなしたがえしゃぜんしたがえしゃのりころせなんじしゅうと。」つま仰天ぎょうてん而歎,舉刀刎頸而死。ぬすめまたころせ其姑。太守たいしゅ聞之,そくころせぞくぬすめ,而賜つま縑帛,以禮そうごう曰「貞義さだよし」。

きよしきょう

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  かん中程なかほどぶんのりつましゃどうぐんほう姊也,きよしきょうゆう二男じなん,而前つまよんぶんのり為安ためやす眾令,於官。[54]よん以母所生しょせいにく毀日せき,而穆きょう慈愛じあいぬるひとしなでえきたかし衣食いしょくきょうみなけんばい所生しょせいあるいいはは曰:「よん不孝ふこう甚矣,なに別居べっきょ以遠いえん?」たい曰:「われかた以義しょうみちびけ使つかい其自遷善也。」及前つま長子ちょうしきょうぐうやましこまあつはは惻隱そくいん自然しぜんおや調藥ちょうやくぜん恩情おんじょうあつみつきょうやましひさし乃瘳,於是よびさんおとうといい曰:「繼母けいぼ慈仁,出自しゅつじてん受。われ兄弟きょうだい識恩やしなえ禽獸きんじゅう其心。雖母どうえきたかしわが曹過わるまたやめふか矣!」とげしょう三弟詣南鄭獄,ひねははとくじょうおのれ,乞就けい辟。けんごと於郡,ぐんもりひょう其母,蠲除徭,よんもと以脩かわ訓導くんどういよいよあきらなみためりょう

  きよしきょうねんはちじゅうあまりそつ臨終りんじゅう諸子しょし曰:「われおとうとはくさとしたち也。所論しょろんうすそう,其義いたり矣。また臨亡のこれいけんひじりほう也。[55]れいなんじ曹遵承,勿與ぞくどうぞうわれるい。」諸子しょし奉行ぶぎょう焉。

曹娥

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  孝女こうじょ曹娥しゃかい稽上おそれじん也。ちち盱,のう絃歌げんかため巫祝ふしゅくかんやすねん五月ごがつにち,於縣こう泝濤(むかいばばしゃばむかいかみ溺死できしとく屍骸しがい。娥年じゅうよん,乃沿ごう哭,晝夜ちゅうやぜっごえしゅんゆうななにちとげなげこう而死。[56]いたりげんよしみ元年がんねんけんちょうなお改葬かいそう娥於江南こうなんみちはたためりつ焉。[57]

りょさかえ

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  もとますつましゃりょじょ也,さかえますしょうため博徒ばくと操行そうこうさかえ嘗躬つとむ家業かぎょう,以奉やしなえ其姑。かずすすむます修學しゅうがくまいゆう不善ふぜん,輒流涕進ぶんまわしさかえちちせき忿疾ます,乃呼さかえよくあらためよめさかえ歎曰:「いのちこれしょ遭,よしはなれ!」おわり肯歸。ます感激かんげき厲,乃尋とおがくとげ以成めいひろ本州ほんしゅう辟命,ぎょういたりことぶきはるみちためぬすめしょがい刺史ししいん耀捕ぬすめこれさかえむかえ於路,聞而詣しゅう,請甘こころ讎人。耀聽さかえ乃手だん其頭,以祭ますれいうしろぐん遭寇ぞくぞくほっはんさかえ踰垣はしぞく拔刀ばっとうおいぞく曰:「したがえわがのりせいしたがえわがのり。」さかえ曰:「よし以身受辱寇虜也!」とげころせこれ疾風しっぷう暴雨ぼうう雷電らいでん晦冥かいめいぞく惶懼叩頭こうとう謝罪しゃざい,乃殯そう

うまりん

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  なんじみなみ袁隗つましゃ,扶風うまとおるじょ也。りん。隗已ぜんつてりんしょうゆうざいべんとおるゆたかごうそう甚盛。及初なりれい,隗問曰:「たてまつほうき而已,なに乃過めずらしうらら乎?」たい曰:「慈親たれあい敢逆いのちきみわかよく慕鮑せんりょうひろしこれだかしゃわらわまた請從しょうきみはじめ光之みつゆきごと矣。」隗又曰:「おとうとさきけい舉,せい以為わらいこんしょ姊未てき先行せんこう乎?」たい曰:「わらわ姊高ぎょうこと𨘷遭良ひきひなうす,苟然而已。」またとい曰:「みなみぐんくんがくきゅうどうおくぶんためむね[58]而所ざいこれしょく,輒以貨財ためそんなによこしま?」たい曰:「孔子こうし大聖たいせいめんたけ叔之毀;いたりけんなおゆうはくりょう愬。[59]家君かくん此,かた其宜みみ。」隗默しか不能ふのうこごめとばりがい聽者ちょうしゃため慚。隗既ちょうとうと當時とうじりんまた有名ゆうめい於世。としろくじゅうあまりそつ

  りんいもうとしばまたゆうざいしょうおやちょう而追かん,乃作さるじょううん

ちょう

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  さけいずみ龐淯ははしゃちょうじょ也,娥。ちちためどう縣人けんじんしょころせ,而娥兄弟きょうだいさんにん俱病物故ぶっこ,讎乃而自,以為莫己ほう也。娥陰ふところかんいきどお,乃潛備刀へいつねとばりしゃ以候讎家。じゅうねん不能ふのうこうぐう於都てい刺殺しさついんまいけん自首じしゅ。曰:「ちちかたきやめむくい,請就けい戮。」祿ろくぶくちょういんよしみ義之よしゆきかい印綬いんじゅほしあずか俱亡。娥不肯去。曰:「怨塞わらわあかりぶんゆいざいごくきみつねなに敢苟せい,以枉公法こうほう!」ぐう赦得めんしゅうぐんひょう其閭。ふとつねちょう奐嘉歎,以束帛禮

りゅうちょうきょうつま桓氏

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  沛劉ちょうきょうつましゃどうぐん桓鸞じょ也。鸞已ぜんつてなまいちなんさい而長きょうそつつまぼうどお嫌疑けんぎ肯歸やすしねんじゅうばんまた夭歿。つまおもんばかめん,乃豫けい其耳以自ちかいむねしょうあずか愍之,きょういい曰:「わかこと它意;假令たといゆうなおいんしゅうと姊妹以表其誠,なに貴義たかよしけい甚哉!」たい曰:「むかし我先われさきくん五更ごこうがくため儒宗,とうとためみかど五更ごこうやめらい歷代れきだいかえおとこ忠孝ちゅうこうあらわおんな以貞じゅんしょう。《うん:『かたじけなしか,聿脩厥德。』以豫けい翦,以明わがじょう。」沛相おうきち上奏じょうそうだかぎょうあらわ其門閭,ごう曰「行義ゆきよし桓釐」,[60]けん邑有まつ必膰焉。[61]

すめらぎはじめぶんまわしつま

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  安定あんていすめらぎはじめぶんまわしつましゃ不知ふちなんおんな也。ぶんまわしはつしつさらめとこれつまぜんぞくぶんのう草書そうしょためぶんまわし書記しょき,眾人かい其工。及規そつつまねんなおもり,而容しょくこうただしたくため相國しょうこくうけたまわ其名,娉以軿輜ひゃくじょううまじゅうひき奴婢ぬひぜに帛充つま乃輕ふくまいたくもん,跪自ひね請,甚酸愴。たく使でんやつ侍者じしゃ悉拔がたなかこえこれ,而謂曰:「きょうよくれい四海しかい風靡ふうびなにゆうくだり於一婦人ふじん乎!」つまめん,乃立ののしたく曰:「きみ羌胡たね毒害どくがい天下でんかなおあしよこしまわらわ先人せんじん清德せいとく奕世。すめらぎはじめ文武ぶんぶじょうざいためかん忠臣ちゅうしんくんおや其趣使はし吏乎?敢欲ぎょう非禮ひれい於爾くん夫人ふじんよこしま!」たく乃引しゃにわちゅう,以其あたまけん軶,むちなぐ交下。[62]つまいいつえしゃ曰:「なにじゅう乎?そくつきためめぐみ。」とげしゃ後人こうじん圖畫ずがごう曰「れいむねうん

荀采

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  南陽なんようかげ瑜妻しゃ,潁川荀爽じょ也,めいさいおんな荀。さとさとゆうざい蓺。としじゅうななてきかげ十九じゅっくさんいちじょ,而瑜そつさいなおゆたかしょうつねおもんばかため家所いえどころ逼,防禦ぼうぎょ甚固。こうどうぐんかく奕喪つま,爽以さいもと[63]いん詐稱さしょうびょうあつし,召采。すんでとくやめ而歸,ふところちかい。爽令でん婢執だつ其刃,扶抱これなお憤激ふんげき,敕衛甚嚴。おんなすんでいたかく,乃偽ため歡悅いろいい左右さゆう曰:「わがほん立志りっしあずかかげどうあな,而不めん逼迫ひっぱくとげいたり於此,じょうとげ,柰何?」乃命使けんよんとうもり裝飾そうしょく,請奕入相いりあいともだん言辭げんじ輟。(また)〔奕〕けいはばかこれとげ敢逼,いたりあけぼの而出。さいいん敕令左右さゆうべんよくすんで入室にゅうしつ而掩けんれいさむらいじん避之,以粉しょとびらじょう曰:「しかばねかえかげ。」「かげ及成,懼有來者らいしゃとげ以衣たい縊。左右さゆう翫之かんの不為ふためやめぜっ時人じじんきず焉。

ちょうひめきょう

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  犍為もりどうつましゃどうぐんちょうじょ也,ひめきょうけんやすねんえきみだれみち聚眾おこりへいことはい夫妻ふさい繫,とうひめきょう夜中よなかつげどう曰:「ほうゆうつねけい,必無せいもちくんそくせん逃,建立こんりゅう門戶もんこわらわとめごくだいくんふさがとがめ。」みちたがえしたがえひめきょう便びんかいどう桎梏しっこくため齎糧貨。しょうねんさい使つかいどう攜持而走。ひめきょうだいどうよる應對おうたいしつどうやめとお,乃以じつつげ吏,おうころせみち父子ふしかい赦得みちかん其義,終身しゅうしんめと焉。

叔先ゆう

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  孝女こうじょ叔先ゆうしゃ,犍為じん也。ちちどろえいけんはつためけんこう曹。けんちょうどろはいげき謁巴ぐん太守たいしゅ乘船じょうせん墯湍すい物故ぶっこしかばね不歸ふきゆうかんねん怨痛,號泣ごうきゅう晝夜ちゅうやこころそんつねゆう自沈じちんけい所生しょせい男女だんじょにんなみすうさい乃各さく囊,もりたまたまき以繫すうため訣別けつべつ家人かじんごとぼう閑之,けいひゃくもとややたゆいんじょう小船こぶね,於父墯處慟哭どうこくとげとう水死すいしおとうとけん,其夕ゆめゆうつげ:「卻後ろくにちとうきょうちちどうだし。」いたり伺之,はてあずかちちしょう,浮於江上こうじょうぐんけんひょうげん為雄ためおたていしぶみぞう其形焉。

蔡文ひめ

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  ちんとめただしまつつましゃどうぐん蔡邕じょ也,めい琰,ぶんひめ[64]博學はくがくゆうざいべんまたみょう音律おんりつ[65]てき河東かわとうまもる仲道なかみちおっとほろびかえりやすし于家。きょう平中たいらなか天下てんかみだれぶんひめためえびすしょぼつ於南匈奴きょうどひだりけんおうざいえびすちゅうじゅうねんなま曹操そうそうもとあずか邕善,つう其無嗣,乃遣使者ししゃ以金璧贖,而重よめ於祀。

  まつため屯田とんでんじょうはんほうとうぶんひめまい曹操そうそう請之。とき公卿くぎょう名士めいし及遠かた使つかいえきすわしゃ滿堂まんどうみさおいい賓客ひんきゃく曰:「蔡伯喈女在外ざいがいこんため諸君しょくんこれ。」及文ひめすすむよもぎくびかちゆき叩頭こうとう請罪,おときよしべんむね甚酸あい,眾皆ためあらためようみさお曰:「誠實せいじつしょう矜,しかぶんじょうやめ,柰何?」ぶんひめ曰:「あきらおおやけ廄馬まんひきとらなりりんなに惜疾あしいち,而不ずみ垂死すいしいのち乎!」みさおかん其言,乃追ばらまつつみとき且寒,たまもの以頭はばくつ襪。みさおいんとい曰:「聞夫人家じんかさきふんせきなおのう憶識?」ぶんひめ曰:「むかし亡父ぼうふたまものしょよんせんもとまき流離りゅうり塗炭とたん,罔有そんしゃいましょ誦憶,たっよんひゃくへんみみ。」みさお曰:「こんとう使つかいじゅう吏就夫人ふじんうつし。」ぶんひめ曰:「わらわ男女だんじょべつれい親授しんじゅ[66]乞給ひつ真草しんそうただいのち。」於是つくろえ書送かきおくこれぶんのこあやま

  こう感傷かんしょうらんはなれ追懷ついかい悲憤ひふん作詩さくししょう。其辭曰:

  かん失權しっけんがらただしたくらんてんつねこころざしほっ篡弒,さきがい諸賢しょけんりょう逼迫ひっぱく遷舊くにようぬし自彊じきょううみ內興よくども不祥ふしょうたく眾來東下ひがししもきむかぶと耀日こうひら土人どじん脆弱ぜいじゃくらいへいみなえびす羌。りょうかこえじょう邑,しょこう悉破ほろび𢧵孑遺,しかばねむくろしょう牚拒。[67]うまけんおとこあたまうま婦女ふじょ長驅ちょうく西入にしいりせき,迥路けん且阻。かえ顧邈冥冥めいめいかん脾為ただれくさところりゃくゆうまんけいとくれいたむろ聚。あるゆう骨肉こつにく俱,よくげん敢語。失意しつい機微きびあいだ,輒言斃降とりこようとう以亭わが曹不かつなんじあにふく惜性いのち不堪ふかん其詈罵。ある便びん棰杖,どくつうさん并下。だんそく號泣ごうきゅうぎょうよるのり悲吟すわよく不能ふのうよくせいいちかれあおしゃなん辜,乃遭此厄あたりあらあずかはなにんぞくしょう義理ぎりしょしょ霜雪そうせつえびすふうはるなつおこり。翩翩吹我ころも肅肅しゅくしゅくいれわがみみかんねん父母ちちははあい歎無きゅうやめゆうきゃくしたがえ外來がいらい,聞之つね歡喜かんきむかいとい其消いき,輒復鄉里きょうり邂逅かいこう徼時ねがい骨肉こつにく來迎らいごうおのれおのれかいまぬかれとうふく棄兒すてごてんぞくつづり人心じんしんねんべつ會期かいき存亡そんぼうなが乖隔,にんあずかこれまえかかえわが頸,もんははほしなに。「ひとげんははとうあにふくゆうかえときおもねははつねじん惻,いまなんさら慈?わがなお成人せいじん,柰何顧思!」此崩內,恍惚こうこつせいきょう號泣ごうきゅうしゅなでとうはつふくかいうたぐ兼有けんゆう同時どうじやからそうおくつげ離別りべつ。慕我獨得どくとくあいさけべごえ摧裂。うまためりつ踟躕,くるまためてんわだちかんしゃみな歔欷きょき行路こうろまた嗚咽おえつわりじょうこい,遄征遐邁。悠悠ゆうゆうさん千里せんりなん復交ふっこうかいねんわがはら,匈臆ため摧敗。すんでいたり家人かじんつきまたふく中外ちゅうがい城郭じょうかくため山林さんりんにわ宇生うぶ荊艾。白骨はっこつ不知ふちだれしたがえよこ莫覆ぶただしもん人聲ひとごえ豺狼さいろうごう且吠。煢煢たい孤景こけい,怛吒糜肝はいとう高遠こうえん眺望ちょうぼうたましいしんゆるがせ逝。奄若壽命じゅみょうつきつくり人相にんそう寬大かんだいためふくつよしいき,雖生なん聊賴!たくいのち於新じん,竭心つとむ厲。流離りゅうりなりひな賤,つねおそれふく捐廢。人生じんせいいくなんふところ終年しゅうねんとし


  其二そのじあきら曰:

  嗟薄〔祜〕兮遭患,宗族そうぞく殄兮門戶もんこたんほぼ兮入西にしせきれき險阻けんそ兮之羌蠻。山谷さんやすがめ兮路曼曼,眷東顧兮ただし悲歎ひたんめいとう不能ふのうやす[68]かつえとうしょく不能ふのう餐,つね流涕りゅうてい兮眥薄志はくしぶし兮念なん,雖苟かつ兮無がたがおおもんみ彼方かなた兮遠しらげ[69]陰氣いんきしこり兮雪なつれい沙漠さばく壅兮ちり冥冥めいめいゆう草木くさき兮春さかえひと禽兮しょくしゅうなまぐさげんかぶとはなれ兮狀窈停。[70]とし聿暮兮時邁征,よる悠長ゆうちょう兮禁もん扄。不能ふのう寐兮おこりへい營,とうえびす殿どの兮臨こうにわげんくもあい兮翳がつほし北風きたかぜ厲兮肅泠泠。えびす笳動兮邊孤雁こがん兮聲嚶嚶。樂人がくじんきょう兮彈きんそうおとしょう兮悲且清。こころ吐思兮匈憤みつるよく舒氣兮恐かれおどろき,含哀のど兮涕沾頸。いえすんでむかえ兮當かえりやすし,臨長兮捐所生しょせいよびはは兮號しつごえわが掩耳兮不にん聽。ついわが兮走煢煢,ひたすらふくおこり兮毀がおがたかえ顧之兮破人情にんじょうこころ怛絕兮死ふくせい


さん

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  さん曰:はしみさおゆう蹤,かそけ閑有ようあきらかぜれつあきらわがかん彤。[71]

校勘こうかん

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  ななはちいちぺーじ ぎょう りょう嫕 按:「嫕」原作げんさく𡡌なり,逕據殿どのほんあらためあずかはり竦傳あいちゅうどう

  ななはちさんぺーじいちぎょう あかまゆぞくけいさと あつまりかい引惠とうせついいあかまゆぞく不當ふとういたりしょくとう華陽かようこくこころざしさくあずまきよし」。按:《華陽かようこくこころざしうん公孫こうそんじゅつたいらあずまきよしためぞくかすめがい敢入さとひがしせいにん姓名せいめい也。

  ななはちよんぺーじいちぎょう めぐみはんいちめいひめ あつまりかい引沈欽韓せついいりくひさしこうむ小名しょうみょうろくはんあきらめぐみひめ文選ぶんせんよしちゅう引范しょせいさくめぐみひめ」,此誤衍「はんいちめいさん

  ななはちななぺーじいちろくぎょう 于以(だい)〔奠〕宗室そうしつ牖()〔した〕 よりどころ汲本、殿しんがりほんあらため

  ななはちはちぺーじ はちぎょう ほう斯二ごと 按:汲本、殿しんがりほんことさくしゃ」。

  ななはちはちぺーじいちぎょう せき雎樂とく賢女けんじょ 按:殿しんがりほんけんさくよし」。

  ななきゅうぺーじ ぎょう みみぬり聽 按:汲本、殿しんがりほんぬりさくいん」。

  ななきゅうぺーじ ろくぎょう 視聽しちょう陜輸 汲本、殿しんがりほん「陜」さく「陝」,しゅうかい引惠とうせついい「陝」ほんさく「{陝女}」,したがえじょ陝聲。こん按:うま敘倫讀兩かん書記しょきいい「陜」乃陜隘之「陜」,みぎかた「夾」したがえ兩人りょうにんしたがえりょういれせつぶん「陜,俜也」。俜者,三輔謂輕財者為俜。しかのり陜有けい義也よしや。輸借ため媮,陜輸またけいだつ也。

  ななきゅうさんぺーじ いちぎょう いちいと)〔𢇇〕而累 よりどころ汲本あらためしゅうかい引沈欽韓せついいせつぶん「𢇇,緝以糸貫いとぬき也」。るいへん「𢇇,かえきり」。

  ななきゅうさんぺーじいちぎょう かん中程なかほどぶんのりつましゃ 按:汲本、殿しんがりほんほどさくひね」。原本げんぽん正文せいぶんさくほど」,そくさくひね」。また按:あつまりかい引惠とうせついい華陽かようこくこころざしうんきよしきょうやす眾令ほど祇妻」,祇似ぶんのりめい,以「ほどためひね」,しょう孰是。

  ななきゅうよんぺーじ さんぎょう 出自しゅつじてん受 按:汲本「受」さくあい」,殿しんがりほんさく「授」。

  ななきゅうよんぺーじいちぎょう 於縣こう泝濤(むかいばばしゃばむかいかみ 按:殿どのほん考證こうしょう引困がく聞謂曹娥うん「盱能なでぶしやすばばしゃばらくしん,以がつにちむかえくん」,つてうんばばしゃばしん」,あやま也。おうさきけんいいあん文義ふみよしばばしゃばむかえしん」,寫本しゃほんあやまたおせこんよりどころあらため

  ななきゅうよんぺーじいちさんぎょう ちちかばね所在しょざいころもとう沈 按:「ちちはらなまりひと」,逕據汲本、殿しんがりほん改正かいせい

  ななきゅうよんぺーじいちさんぎょう ころもあるさくふり 按:「ふり原作げんさくつめ」,逕據汲本、殿しんがりほん改正かいせい

  ななきゅうななぺーじ いちぎょう (ぶく祿ろくぶくちょういんよしみ義之よしゆき ぜにだい昕謂「ぶく祿ろくとうさく祿ろくぶく」,しょうみるぐんこくこころざしこんよりどころあらため

  ななきゅうななぺーじ はちぎょう ごう曰行桓釐 汲本、殿しんがりほん「釐」さく「嫠」,ちゅうどう。按:釐嫠いにしえどおり

  ななきゅうはちぺーじ さんぎょう 跪自ひね請 按:汲本、殿しんがりほん「請」さくじょう」。

  ななきゅうきゅうぺーじ いちぎょう (また)〔奕〕けいはばかこれ よりどころ汲本あらため。按:殿どのほんなまり「弈」。

  ななきゅうきゅうぺーじ いちぎょう さいいん敕令左右さゆうべんよく 汲本、殿しんがりほんべんさく「辦」。按:べん辦古どおり

  ななきゅうきゅうぺーじ よんぎょう (ことぶき)〔よしみ之子ゆきこ也 あつまりかいほんことぶきさくよしみ」,こういいかくほんみななまりこころざしあらためこんよりどころあらため

  ななきゅうきゅうぺーじいちぎょう 孝女こうじょ叔先ゆうしゃ 按:あつまりかい引錢だい昕說,いい華陽かようこくこころざしうんゆうさきからま,僰道ゆうちょう帛」,からまあずか帛協いんのり其名當為とういからま不為ふためゆう」矣。「ゆうとう「雒」なまり,雒與からまどうおと

  ななきゅうきゅうぺーじいちぎょう ちちどろ 按:あつまりかい引惠とうせついいどろいちさく「沈」,一作いっさくこう」,えき耆舊でんまた華陽かようこくこころざしうんさきあま,以先ためせい

  はち〇〇ぺーじ はちぎょう 按:此注げん錯在でんまつかくほんどういまこうせつうつりせい

  はちいちぺーじいちいちぎょう ようとう以亭 按:あつまりかい引沈欽韓せついいちんぶたことあやま。《前書ぜんしょ》蒯通でんこと於公はら」。さくていとめかい不可ふかどおり

  はちぺーじいちぎょう 嗟薄(ゆう)〔祜〕兮遭患 よりどころおうさきけんせつあらため。按:沈欽かん漢書かんしょ疏證いいゆうとうさく「祜」,馮惟おさめきのただしさく「祜」。


註釋ちゅうしゃく

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  1. いいせき雎,后妃こうひ德也とくや」。《しょしょう「釐降じょ于媯汭,嬪于おそれ」。なおとお也。
  2. 嫕,りょう竦女。ひめかたじょ也。
  3. しかみやび》曰:「しゅうとしゅうとざいのり曰君しゅうときみしゅうとぼつそく曰先しゅうとさきしゅうと。」
  4. えき繫辭げん也。
  5. ていげんちゅうれいうん:「耒,耜之じょう曲者くせもの也。せつぶん曰:『耒,こう曲木まがき。』」
  6. 沮,也。怍,慚也。
  7. 曹,やから也。
  8. こごめおんみぞ勿反。
  9. きん也。落,はん也。
  10. れつおんなでん》曰:すわえそうおうこうりょう,樊姬しょく鮮禽以諫おうひとし桓公かんこうこう音樂おんがくまもるひめ聽五おん以諫こうなみかい文苑ぶんえんでん也。
  11. かかとつぎ也。
  12. とおるあにめいつづけ援傳。
  13. 前書ぜんしょ》曰:「きょうおっとげん明主めいしゅ焉。」《》曰:「先人せんじんゆうごと,詢于芻蕘。」
  14. えき》曰:「けんみこと而光。」また曰:「鬼神きじんがいみつる而福けん。」《ひだりでん》曰:「謙讓けんじょうしゃ德之のりゆきもと也。」
  15. 孟子もうし曰:「聞伯夷之えびすのふうしゃむさぼおっとれん懦夫だふゆう立志りっし。」
  16. 周太しゅうたおうゆうやましふとしはくよくゆずるれきたくくすり於吳。ときやめきょしゅう,此言邠者,ぶたほん其始而言也。
  17. 論語ろんご孔子こうしげん也。なにゆうげんわかゆう
  18. よんしゅうといい騭、悝、ひろし、閶也。
  19. いいゆう纖微のり推讓しつ也。
  20. ははでんはは也。おんな也。《ひだりでん》曰:「そうはくひめそつまち姆也。」もう曰:「げんつげげんつげげん。」
  21. 前書ぜんしょりょこういい高祖こうそ曰:「しんゆう息女そくじょねがいため帚妾。」げん帚主賤役,以事しゅうとしゅうと
  22. なか,內也。
  23. もとさき也。
  24. さん輔決ろく曰:「ひとし相子あいここく,頗隨ぞく。」ちゅううん:「曹成,ことぶき之子ゆきこ也。つかさじょう察孝れんためちょうかきちょうははためふとしきさきしるしはいちゅう散大さんだいおっと。」こくそく成之しげゆき也。
  25. かんかん》曰「せんせききんしるし紫綬しじゅ」也。
  26. 矣猶げんしたがえこんやめ往。
  27. ·しょうみやび》曰:「乃生女子じょしこれろうかわら。」もう萇注うん:「かわら,紡塼也。」箋云:「於地,卑之也。紡塼,習其しょ有事ゆうじ也。」
  28. もうでん曰:「さい蘋,だい夫妻ふさいのう法度はっと也。のう法度はっとのり以承先祖せんぞきょう祭祀さいし矣。」「于以さい蘋,みなみ澗之はま。于以さい,于彼ぎょうにわたずみ。于以もりおもんみかたみ及筥,于以湘之,おもんみ錡及がま。于以(だい)〔奠〕宗室そうしつ牖()〔した〕。だれ其尸ゆうひとしおんな。」
  29. めいおのれぜん也。
  30. さくおこり也。
  31. げきなおなん也。
  32. 絜,きよし也,いいしょく也。《ひだりでん》曰「絜粢ゆたかもり」也。
  33. れい》曰:「昏禮しゃはたごうせいこうじょう以事宗廟そうびょう,而下以繼後世こうせい也,君子くんし重之しげゆき。」《·せき雎》,らくとく賢女けんじょ,以配君子くんし也。
  34. 墮音もとぶんまわしはん。墮,はい也。
  35. れい》曰:「はち歲入さいにゅう小學しょうがく。」
  36. れい文也ふみや
  37. 論語ろんご孔子こうしげん也。
  38. 儀禮ぎれい》曰:「ちちざいためははなに以期?至尊しそんざい伸也しんやちちさんねん而後めと達子たつここころざし也。」
  39. 儀禮ぎれい》曰:「おっとしゃつまてん也。婦人ふじんしゃなお曰不てん也。」
  40. 陜輸,不定ふてい貌也。
  41. 窈窕ようちょう,妖冶貌也。
  42. なんじなおしか也。
  43. 影響えいきょうげんじゅんしたがえ也。
  44. 論語ろんご孔子こうし曰:「かおかい。」《えき》曰「かお之子ゆきこ,其殆庶幾しょき乎!ゆう不善ふぜん不知ふち知之ともゆき嘗復ぎょう也。」
  45. きむものけんしゃわかにん同心どうしんのり其利以斷二人ふたりすんで同心どうしん,其芳かおる如蘭也。古人こじんどおりいいためしゅう也。
  46. よしぜん也。美女びじょ曰媛也。
  47. 君子くんしいいおっと也。《》曰:「未見みけん君子くんしゆうこころ忡忡。」
  48. えき繫辭文也ふみや
  49. かんしゅう頌之げん也。いや也。おんまたもうさく「斁」也。
  50. あきら婿むこいもうと也。
  51. ろんげんせんこう讖曰:「みずめいぬすめいずみなか漱。」。
  52. かい文苑ぶんえんでん也。
  53. 論語ろんご孔子こうし曰:「君子くんし其所ほろびがつ忘其しょのう。」ほろび也。
  54. やす眾,けんぞく南陽なんようぐん
  55. 前書ぜんしょ孝文たかふみみかど、楊王まご、龔勝臨亡,なみゆうのこれい
  56. 娥投ころも於水,しゅく曰:「ちちかばね所在しょざいころもとう沈。」ころもずいりゅういたりいちしょ而沈,娥遂ずいころも而沒。「ころもあるさくふり」。こうばられつおんなでん》也。
  57. かい稽典ろく》曰:「うえおそれちょうなお弟子でし邯鄲かんたんあつしれいときはじめ弱冠じゃっかん,而有異才いさいなおさき使ろうさく曹娥文成ふみなりかいろうなおなおあずかこれいんえん,而子れいかたいたりとくしゅなおといろう文成ふみなりろう不才ふさいいんためし使れい為之ためゆきみさおひつ而成,ところてんじょうろう嗟歎さたんひまとげ毀其そう。其後蔡邕まただいはち曰:『きぬよう外孫そとまご虀臼。』」
  58. とおるためみなみぐん太守たいしゅ
  59. 論語ろんご》曰,叔孫たけ叔毀なかみつぎ曰:「以為也。它人賢者けんじゃなお丘陵きゅうりょう焉,なお踰也。なか如日がつ也,とく而踰焉。」おおやけはくりょう愬子於季まご孔子こうし曰:「道之みちゆき將行まさゆき也與?いのち也。みちはたはい也與?いのち也。おおやけはくりょう其如いのちなに!」
  60. 寡婦かふ曰釐。
  61. 膰,まつりあまりにく也。尊敬そんけいゆう祭祀さいし必致其餘也。《ひだりでん》曰:「天子てんし有事ゆうじ膰焉。」
  62. しゅうあやこうこう曰:「軶長ろくしゃく。」てい眾曰:「いいながえはしあつうしりょうしゃ。」
  63. しょ》奕字はくえき,(ことぶき)〔よしみ之子ゆきこ也,ため太子たいし文學ぶんがくはやそつ
  64. れつおんなでん,琰字あきらひめ也。
  65. りゅうあきら幼童ようどうでん曰:「邕夜きん,絃絕。琰曰:『だい絃。』邕曰:『偶得みみ。』だんいち絃問,琰曰:『だいよん絃。』なみ謬。」
  66. れい》曰:「男女だんじょ親授しんじゅ。」
  67. 牚音ちょくかのえはん
  68. めいおん暝。
  69. 北方ほっぽうきんかげどお
  70. かぶとはなれ匈奴きょうど言語げんご貌。
  71. 婦人ふじんせい節操せっそうゆう蹤跡しゃ,及幽閑婉有禮ありのりようしゃ區別くべつ其遺ふうあまりれつ,以明女史じょしこれしょ也。かん彤,あかかんひつかい皇后こうごう