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すすむしょ/まき015

維基文庫ぶんこ自由じゆうてき圖書館としょかん
 まき十四とし すすむしょ
まきじゅう こころざしだい 地理ちり
まきじゅうろく 

あおしゅう じょしゅう 荊州 あげしゅう 交州 廣州こうしゅう

あおしゅう

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あん禹貢ためうみ岱之しゅんおけじゅうまきのり一也かずやしゅん以青しゅう越海こしうみまたぶんため營州,のり遼東りゃおとんほんためあおしゅう矣。《しゅうあや》:「せいひがし曰青しゅう。」ぶた土居どいしょう,其色ためあお以名也。《春秋しゅんじゅうもといのちつつみうん:「きょ危流ためあおしゅう。」かんたけみかどおけじゅうさんしゅういん舊名きゅうめいこよみかんいたりすすむあらためしゅうすべぐんこくろくけんさんじゅうななまんさんせん

ひとしこくはたおけぐんかん以為こくけいみかど以為北海ほっかいぐん[1]みつるけんいちまんよんせん

臨淄西安しーあんゆうとげうらていひがし安平あびらなんじ水出みずいで東北とうほくこうにょうあきらこくらくあつししょふう

すみみなみぐんかんおけみつるけんせんあるうんたいらしょく,徙其ごう將家しょうか于濟河北かほくあらためためずみ岷郡。而《ふとしかん地理ちりこころざし此郡めいこれしょう

たいらひさしいにしえこくかん浞封此。したみつゆうさんせきほこらにかわひがしほうこくそくすみゆう天山あまやまほこらしゅくおもね

たのし安國やすくにかんおけみつるけんはちいちまんいちせん

こうえん臨濟ゆう蚩尤ほこらひろしあきらゆううすしゅうとほこら利益りえきほうしょうたでじょうほうこく鄒壽こう斟灌しょふうこくひがし朝陽あさひ

城陽じょうようぐんかんおけぞく北海ほっかいいたりすすむふん北海ほっかい而立じりつ焉。こおりみつるけんじゅういちまんせん

莒子こくしゅうとまくうすしゅうとこくしょじゅんじゅん于公こく東武とうぶ高密こうみつかんあらためためぐん[2]たけしたけ黔陬たいらあきらあきらやす

ひがし萊國かんおけぐんみつるけんろくろくせんひゃく

わきほうしょうとうほうこくいおりきょうきょくじょうゆう萊山、松林しょうりん萊君ほこらつるこうこくゆうひゃくささえ萊王ほこら[3]

長廣ながひろぐん咸寧さんねんおけみつるけんさんよんせんひゃく

ほうこく長廣ながひろてい

めぐみみかど元康もとやすじゅうねん[4]またおけたいらあきらぐんまた分城わけじょう黔陬、たけしたけあつし于、あきらやす高密こうみつたいらあきら、營陵、あんたかしだいげき、臨朐じゅういちけんため高密こうみつこく[5]えいよしみみだれあおしゅう淪沒せきひがし萊人曹嶷ため刺史ししみやつこひろかたじょう為石ためしりゅうしょめつりゅうまつりょう西段にしだんがんごうひとしおうよりどころあおしゅう。慕容つとむめつちょうかつあおしゅう。苻氏ひらつばめつきゆう其地。及苻はい刺史しし苻朗以州くだ朝廷ちょうていおけかそけしゅう,以別辟閭渾為刺史しし,鎮廣かたりゅうやすよんねんため慕容とくしょほろびとげためみなみつばめふくあらためためあおしゅうとく以并しゅうまぎ鎮陰ひらめかそけしゅう刺史しし鎮發みきじょしゅう刺史しし鎮莒じょうあおしゅう刺史しし鎮東萊,兗州刺史しし鎮梁ちち。慕容ちょううつりあおしゅう於東おひがし萊郡,ためりゅうひろししょほろびとめちょうひつじきよしためあおしゅう刺史ししちく東陽とうようじょう而居もとみかど渡江とのえ,於廣りょう僑置あおしゅういたりはじめおけきたあおしゅう,鎮東じょう,以僑たてしゅうためみなみあおしゅう。而後しょうみなみあおしゅう,而北あおしゅうちょく曰青しゅう

じょしゅう

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あん禹貢うみ岱及淮之しゅんじゅうまきのり一也かずや。于周いれあおしゅういき。《春秋しゅんじゅうもといのちつつみうん:「てん氐流ためじょしゅう。」ぶた舒緩よしあるうんいんじょたかし以立めいはたけん天下てんか,以置泗水しすい、薛、琅邪さんぐんすわえかんさいふんおけ東陽とうようぐんかんまたぶんおけ東海とうかいぐんあらため泗水しすいため沛,あらため薛為魯,ふん沛置すわえこく以東いとうぞくくれこくけいみかどあらためくれためたけみかどぶん沛、東陽とうようおけ臨淮ぐんあらためため廣陵こうりょう。及置じゅうさんしゅう,以其ためじょしゅうみつるすわえこく東海とうかい、琅邪、臨淮、廣陵こうりょうよんぐんせんみかどあらためすわえため彭城ぐんこうかんあらためため彭城こく,以沛ぐんこう戚縣らいぞくあらため臨淮ため邳國。及ふとしかん元年がんねんふくぶん邳屬けんざい淮南ワイナンしゃおけ臨淮ぐんふん琅邪おけひがしふといぐんしゅう凡領ぐんこくななけんろくじゅういちはちまんいちせんじゅういち

彭城こくかん以為ぐんみつるけんななよんせんいちひゃくじゅういち

彭城いん伯太はかた彭國。とめちょうりょうしょふうこう戚傅たけげんりょ

しも邳國かんおけため臨淮ぐんみつるけんななななせんひゃく

しもかずら嶧山ざい西にし嶧陽也。かんしんためすわえおう淩良じょうほうしょう睢陵なつたかしおもんばか

東海とうかいぐんかんおけみつるけんじゅういちまんいちせんいちひゃく

郯子こくしゅく羽山はやまざいけん西にし朐襄賁利じょう贛榆あつおか[6]らんりょううけたまわあきらおもんばかごうきょう

琅邪こくはたおけぐんみつるけんきゅうまんきゅうせんひゃく

開陽かいようほうしょう臨沂繒即おかはな魯季邑。ひがしやすこうむかげやまざい西南せいなん

ひがしふといぐんふとしかん中置ちゅうちみつるけんはちいちまん

ひがしふとい魯鄆邑。しゅきょ營陵なおちちりょもちしょふうあんたかし莒渠おかちちふう邑。ぶた臨朐有海ありうみみずほこらげきひろ

廣陵こうりょうぐんかんおけみつるけんはちはちせんはちひゃく

淮陰しゃ輿こしうみりょう[7]有江ありえうみかいほこら廣陵こうりょうしお瀆淮浦江うらえみやこ有江ありえみずほこら

臨淮ぐんかんおけあきらみかど以合邳,ふとしかん元年がんねんふくりつみつるけんじゅういちまん

盱眙東陽とうよう高山たかやまぜい其潘旌高郵淮りょうわれ下相おりあいじょ

ふとしかんじゅうねん,以青しゅう城陽じょうようぐん莒、しゅうとまくしょ東武とうぶよんけんぞくひがしふとい元康もとやす元年がんねんふん東海とうかいおけらんりょうぐんななねんまたぶんひがしふといおけひがしやすぐんふん臨淮おけ淮陵ぐん,以堂邑置どう邑郡。えい嘉之よしゆきみだれ,臨淮、淮陵なみ淪沒せきもとみかど渡江とのえこれじょしゅう所得しょとくおもんみはん,乃僑おけ淮陽、陽平ようへいすみかげきたずみかげよんぐんまた琅邪國人くにびとずいみかどしゃとげおけふところとくけん及琅よこしまぐん以統かそけ、冀、あおなみ、兗五州及徐州之淮北流人相帥過江淮,みかどなみ僑立ぐんけん以司牧之ぼくしわりくれぐんうみおそれ北境きたざかいたて郯、朐、じょうしゅく其、あつおか西にし隰、じょうななけん寄居よりいきょくおもね,以江じょうおけみなみ東海とうかいみなみ琅邪、南東なんとうひらめみなみらんりょうとうぐんふんたけすすむたて臨淮、淮陵、みなみ彭城とうぐんぞくみなみじょしゅうまたおけとみおかぐんぞくきたじょしゅうあかりみかどまたたてみなみ沛、みなみ清河きよかわ南下なんか邳、南東なんとうふとい南平みなみだいらあきらみなみずみかげみなみ濮陽、みなみ太平たへい[8]みなみ泰山たいざんみなみずみみなみ魯等ぐん,以屬じょ、兗しゅうはつあるきょ江南えなあるきょ江北こうほくある以兗しゅうりょうしゅう。郗鑒とくあおしゅうしょ軍事ぐんじ、兗州刺史ししりょうじょしゅう刺史しし,鎮廣りょうたかしたいら廣陵こうりょうかえ鎮京こうまた於漢九江郡界置鐘離郡,ぞくみなみじょしゅう江北こうほくまた僑立かそけ、冀、あおなみよんしゅうきよしみかどうつりみなみ東海とうかいななけんきょ京口きょうぐちななねんはじめぶん淮北ためきたじょしゅう淮南ワイナンただしためじょしゅうみつる彭城、沛、しも邳、らんりょうひがしふといひがしやす、琅邪、淮陽、陽平ようへいすみかげきたずみかげじゅういちぐん,以盱眙立盱眙ぐんみつるこうじょうちょく瀆、じょうさんけんまたぶん廣陵こうりょうかいおけうみりょう山陽さんようぐんまた以幽冀合じょしゅうあお併合へいごう兗州。[9]

荊州

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あん禹貢》荊及衡陽しゅんおけじゅうまきのり一也かずや。《しゅうあや》:「正南せいなん曰荊しゅう。」《春秋しゅんじゅうもといのちつつみうん:「軫星ため荊州。」荊,つよ也,げん其氣躁強。また曰警也,げん南蠻なんばんすうため寇逆,其人有道ありみちふく無道むどうさききょうつね警備けいび也。またうんめい于荊やまろくこく,其地ためすわえ。及秦,すわえ鄢郢ためみなみぐんまたみこ中地なかじため黔中ぐん,以楚かんきたりつ南陽なんようぐんめつすわえのちふん黔中ためちょうすなぐんかん高祖こうそぶんちょうすなためかつらようぐんあらため黔中ためたけりょうぐんふんみなみぐんため江夏えなつぐんたけみかどまたぶんちょうすなためれいりょうぐん。及置じゅうさんしゅういん舊名きゅうめいため荊州,みつるみなみぐん南陽なんようれいりょうかつらようたけりょうちょうすな江夏えなつななぐんこうかんけんじみかどけんやすじゅうさんねんつき荊州ふんみなみぐん以北いほくりつじょうぐんまたぶんみなみ陽西ようさいかいりつ南鄉なんごうぐんふんえだこう以西いせいりつ臨江ぐん。及敗于赤かべみなみぐん以南いなんぞくとげあずかしょくぶん荊州。於是みなみぐんれいりょうたけりょう以西いせいためしょく江夏えなつかつらようちょうすなさんぐんためくれ南陽なんようじょう南鄉なんごうさんぐんため。而荊しゅう南北なんぼくそうりつしょくぶんみなみぐんだてよろしみやこぐんりゅう備沒むべたけりょうれいりょうみなみぐん四郡之地悉復屬吳。ぶんみかど以漢ちゅうのこはじむたてきょう新城しんじょうぐんあきらみかどぶんしん城立じょうりゅううえいさおぐんまごけんぶん江夏えなつたてたけあきらぐんまたぶん蒼梧そうごたて臨賀ぐんふんちょうすなりつ衡陽、湘東ぐんまごきゅうぶんたけりょうたててんもんぐんふんむべ都立とりつけんたいらぐんまごあきらぶんれいりょうりつはじめやすぐんふんかつらようたてはじめおきぐんまたぶんれいりょうりつ邵陵ぐんふんちょうすなりつ安成やすなりぐん。荊州みつるみなみぐんたけあきらたけりょうむべけんひらめてんもんちょうすなれいりょうかつらよう、衡陽、湘東、邵陵、臨賀、はじめきょうはじめやすじゅうぐん,其南江夏えなつじょう南鄉なんごうきょう新城しんじょううえいさお七郡屬魏之荊州。及武みかどたいらくれふんみなみぐんため南平なべらぐんふん南陽なんようたてぐんあらため南鄉なんごうじゅんぐんまた以始きょうはじめやす、臨賀さんぐんぞく廣州こうしゅう,以揚しゅう安成やすなりぐんらいぞくしゅうみつるぐんじゅうけんいちひゃくろくじゅうきゅう[10]さんじゅうまんななせんひゃくよんじゅうはち

江夏えなつぐんかんおけみつるけんななまんよんせん

あんりく橫尾山よこおやまざい東北とうほくいにしえ陪尾やまくももりうんこくきょくりょうひらはる鄳竟りょうあきらやまざい東北とうほくいにしえかたさん南新みなみしん

みなみぐんかんおけみつるけんじゅういち[11]まんせん

こうりょうすわえへんゆうくもゆめかんとうはなひろし鄀子こくえだこうこく旌陽しゅうりょうすわえ嬖人しゅうこうしょ邑。かん利松としまつしげるせきくび

じょうぐんたかしおけみつるけんはちまんせんななひゃく

むべしろ鄢也。ちゅういおり臨沮荊山ざい東北とうほく邔襄ほうしょう山都やまと鄧城鄾

南陽なんようこくはたおけぐんみつるけんじゅうよんまんよんせんよんひゃく

あて西にしほうしょう雉魯公國こうこくしょう犨淯公國こうこくしょうひろしもち公國こうこくしょうほうしょうゆうちょう城山しろやまごう曰方じょうまいかげ公國こうこくしょう公國こうこくしょう涅陽かんむりぐん

じゅんぐんふとしかん中置ちゅうちすべはちけんまんいちひゃく

酂順南鄉なんごうすいたけとうほうしょうかげ筑陽析

ぐんふとしかん中置ちゅうちみつるけんじゅういちまんきゅうせん

新野しんのほうしょうみのる鄧侯こく蔡陽ずいずいこくあんあきらとげ厥西たいらきり柏山かしやまざいみなみ[12]平林ひらばやし朝陽あさひ

新城しんじょうぐんたかしおけみつるけんよんいちまんせんひゃく

ぼうりょう綏陽[13]あきら沶鄉

おきぐんたかしおけみつるけんろくいちまんせん

すすむきょう[14]安康あんこう西城さいじょうすず長利ながとしまこと

うえいさおぐんたかしおけみつるけんろくいちまんいちせんよんひゃくよんじゅうはち

うえいさおほうしょう安富やすとみきたみこたけりょうじょうれんほろ

けんたいらぐんすすむかくゆうけんたいらぐんふとしかん元年がんねんごうみつるけんはちいちまんさんせんひゃく

みこ北井きたいはた昌信まさのぶりょうおきさんたてはじめ秭歸すわえこくすなみぞ

むべみやこぐんおけみつるけんさんはちせんななひゃく

えびすりょうえびすどう佷山

南平なべらぐんおけ,以為みなみぐんふとしかん元年がんねんあらため曰南たいらみつるけんよんななせん

さくから孱陵みなみ安江やすえやすし

たけりょうぐんかんおけみつるけんじゅういちまんよんせん

臨沅りゅうようかんことぶき沅陵黚陽とり鐔城沅南遷陵まい

てんかどぐんおけみつるけんさんせんいちひゃく

れい漊中袞臨澧澧

ちょうすなぐんかんおけみつるけんじゅうさんまんさんせん

臨湘攸下雋醴りょうりゅうようけん甯吳あきらがま沂巴りょう

衡陽ぐんおけぞくちょうすなみつるけんきゅうまんさんせん

湘鄉重安しげやす湘南しょうなん湘西烝陽衡山れん道新どうしんやすしえき

湘東ぐんおけぞくちょうすなみつるけんなないちまんきゅうせんひゃく

酃茶りょう臨烝かげさん新平にっぺいしんやすし

れいりょうぐんかんおけ[15]みつるけんじゅういちまんせんいちひゃく

いずみりょう有香ゆかちがやくもみつぎ以縮しゅ祁陽れいりょう營浦洮陽永昌えいしょうかん營道はるりょう[16]泠道おうひがしかいゆうはな墟,くもぞうしょふう

邵陵ぐんおけみつるけんろくいちまんせん

邵陵やなおっとえびすけんきょう邵陽高平たかひら

かつらようぐんかんおけみつるけんろくいちまんいちせんさんひゃく

項羽こううよしみかど邑。耒陽便びん臨武すすむやすし南平みなみだいら

たけあきらぐんおけみつるけんなないちまんよんせんはちひゃく

たけあきらひがし鄂也。すわえぐまみぞふう中子なかごべに於此。しばくわゆう湓口せきしんすなともゆうなつこうたい沔口,有津あろうづすなゆう新興しんこう馬頭ばとうてつかんかんりょう

安成やすなりぐんおけみつるけんななさんせん

たいらむべはるしんさとしえいしんやすふく萍鄉こうきょう

めぐみみかどぶんかつらようたけあきら安成やすなりさんぐん立江たつえしゅう,以新じょうきょううえ庸三ようぞうぐんぞくやなしゅうまたぶんりつずいぐんふん南陽なんようりつ新野あらたのぐんふん江夏えなつたて竟陵ぐんふところみかどまたぶんちょうすな、衡陽、湘東、れいりょう、邵陵、かつらよう及廣しゅうはじめやすはじめきょう、臨賀きゅうぐんおけ湘州。どきしょくらんまたわりみなみぐんはなひろししゅうりょうかんさんけんべつりつゆたかごうよんけんおけ成都せいとぐんため成都せいとおう穎國,きょはなひろしけん。湣帝けんきょうちゅうなみかえみなみぐんまたなみゆたか於監もとみかど渡江とのえまた僑立新興しんこう南河みなみかわ東二ひがしにぐんきよしみかどまたぶんれいりょうりつ營陽ぐん,以義流人るにんざいみなみぐんしゃたてためぐんまた以廣しゅう臨賀、はじめきょうはじめやす三郡及江州之桂陽,えきしゅうともえひがしごうぐんらいぞく,以長すな、衡陽、湘東、れいりょう、邵陵、營陽ろくぐんぞく湘州。桓溫またぶんみなみぐんりつたけやすしぐん[17]やすみかどまた僑立みなみよしあずまよしちょうやすしさんぐんじゅうさんねんしょう湘州,ちょうすな、衡陽、湘東、れいりょう、邵陵、營陽かえにゅう荊州。

あげしゅう

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あん禹貢》淮海しゅんおけじゅうまきのり一也かずや。《しゅうあや》:「東南とうなん曰揚しゅう。」《春秋しゅんじゅうもといのちつつみうん:「牽牛けんぎゅうりゅうためあげしゅうふんためえつこく。」以為江南えな躁勁,厥性けいあげまた曰,しゅうかいみずみずあげ也。于古そくあらふくくに戰國せんごく其地ためすわえぶんはたはじめすめらぎなみ天下でんか,以置鄣、かい稽、きゅうさんぐん項羽こううふうえいぬのためきゅうおうつきゆう其地。かんあらためきゅう曰淮みなみそくふうぬのため淮南ワイナンおうろくねんふん淮南ワイナンおけあきらぐんじゅういちねんぬの誅,たて皇子おうじちょうため淮南ワイナンおうふうりゅう濞為くれおう,二國盡得揚州之地。ぶんみかどじゅうろくねんふん淮南ワイナンりついおりこう、衡山ぐんけいみかどよんねんふう皇子おうじためおうなみとく鄣、かい稽郡,而不とくあきらたけみかどあらため曰廣りょうふう皇子おうじ胥為おう而以ぞくじょしゅうもとふうねんあらため鄣曰楊,あらため淮南ワイナンふくためきゅうこうかんじゅんみかど分會ぶんかい稽立くれぐんあげしゅうみつるかい稽、楊、あきらきゅういおりろくぐんしょうろく安並やすなみいおりぐんけんじみかどきょう平中たいらなかまごさくぶんあきらたていおりりょうぐんまごけんまたぶんあきらたて鄱陽ぐんふん楊立新都しんとぐんまごあきらまたぶんあきらたて臨川りんせんぐん分會ぶんかい稽立臨海りんかいぐんまごきゅうまた分會ぶんかい稽立けんやすぐんまごあきら分會ぶんかい稽立東陽とうようぐんふんたてくれおきぐんふんあきらいおりりょうちょうすなりつ安成やすなりぐんふんいおりりょうたていおりりょう南部なんぶじょう[18]あげしゅうみつる楊、かい稽、きょう新都しんと東陽とうよう臨海りんかいたてやすしあきら、鄱陽、臨川りんせん安成やすなりいおりりょう南部なんぶじゅうよんぐん江西えにしいおりこうきゅうごうこえきたいたりことぶきはる悉屬。及晉たいらくれ,以安なりぞく荊州,ふん楊之せんじょうあてりょうりょうあん、涇、廣德ひろのり、甯國、ふところやす石城せきじょう、臨城、はるこくじゅういち縣立けんりつせんじょうぐんあてりょう改新かいしん曰新やすぐんあらためいおりりょう南部なんぶためみなみやすしぐんふんたて安立あだちすすむやすぐんまたぶん楊立毗陵ぐんあげしゅうごうみつるぐんじゅうはちけんいちひゃくななじゅうさんさんじゅういちまんいちせんよんひゃく

丹陽たんようぐんかんおけみつるけんじゅういちまんいちせんひゃく

けんほんまぐさりょうまごあらためためけんぎょうたけみかどたいらくれ,以為まぐさりょうふとしかんさんねんふんまぐさ陵北りょうほくためけん鄴,あらためぎょうため鄴。こうふとしかんねんふんけん鄴置。たん楊山あかやなぎざい西にし也。于湖かぶらみずうみ永世えいせい溧陽溧水所出しょしゅつこうじょうようゆうかやさんみずうみじゅくまぐさりょう

せんじょうぐんふとしかんねんおけみつるけんじゅういちまんさんせんひゃく

あてりょうほうしょう。彭澤聚在西南せいなんせんじょうりょう淮水東北とうほく入江いりえ仙人せんにんりょう陽子ようしあかりしょきょやすくれ臨城石城せきじょう涇春だにこうたけあらためはるため廣德ひろのり甯國ふところやす

淮南ワイナンぐんはたおけきゅうぐんかん以為淮南ワイナンこくかんたけみかどおけためきゅうぐんたけみかどあらためため淮南ワイナンぐんみつるけんじゅうろくさんまんさんせんよんひゃく

ことぶきはる成德しげのり蔡義城西じょうさいきょく陽平ようへいおもねゆうぬりやまこよみぜんはじかみ阜陵かんあかりみかど淪為鍾離しゅうらい邑。ごうこえ逡遒かげりょうとうぬりぬり山國やまぐに東城とうじょう烏江からすえ

いおりぐんかんおけみつるけんじゅうよんせんひゃく

いずみ故國ここくゆうきりきょうてんばしらやまざいみなみゆうほこら皖尋きょ桀死於此。臨湖じょうあんりゅう舒六ろくこく

毗陵ぐん分會ぶんかい稽無すずやめ西にしため屯田とんでんおけてんのうこうじょうふとしかんねんしょうこうじょうため毗陵ぐんみつるけんなないちまんせん

硃方。きょくおもねうんたけすすむのべりょう毗陵すんですずゆうすりやま[19]はるさるくんほこら

くれぐんかんおけみつるけんじゅういちまんせん

故國ここくざい西にしよしみおきかいしおしおかんぜにとう武林たけばやしやま武林たけばやしみず所出しょしゅつとみきりいおり建德けんとくことぶきあきらうみいおり

おきぐんおけみつるけんじゅうまんよんせん

がらすほど臨安あまりくいたけやすし防風ぼうふうこく東遷とうせん於潛ゆう潛水せんすい鄣安吉原よしわらきょう長城ちょうじょう

かい稽郡はたおけみつるけんじゅうさんまん

山陰さんいんかい稽山ざいみなみうえゆう禹塚。うえおそれゆうかたきていしゅん避丹硃於此地。ゆう余山よやまざいみなみあきらゆう鮚埼てい鄮始甯剡永興りょうごしょ

東陽とうようぐんおけみつるけんきゅういちまんせん

長山ながやまゆうあか松子まつこびょうえいやすしがらすきずやすしふとし末信すえのぶやすゆたか安定あんていとげあきら

しんやすぐんおけみつるけんろくせん

はじめしんとげやす[20]歙海甯黎

臨海りんかいぐんおけみつるけんはちいちまんはちせん

あきらやす臨海りんかいはじめ豐永とよなが甯甯海松みるやすかたよこ

たてやすしぐんしん閩中ぐんかんだかみかどねん以立閩越おう。及武みかどめつ,徙其じんめいためひがし冶,またさらめい東城とうじょうこうかんあらためためこうかんじょう,及吳おけけんやすぐんみつるけんななよんせんさんひゃく

たてやすしくれおき東平とうへいけんはたらく邵武のべひらた

すすむやすぐんふとしかんさんねんおけみつるけんはちよんせんさんひゃく

はらゆたかしんあてひらたどうやすこうかんこうすすむあんあつしあさ

あきらぐんかんおけみつるけんじゅうろくさんまんせん

みなみあきらうみ昏新あかけん城望じょうぼう蔡永おさむたてあきらひらあきら彭澤あいやすしらく豐城新とよしろしんくれむべゆたか鍾陵

臨川りんせんぐんおけみつるけんじゅうはちせんひゃく

臨汝西豐にしゆたかみなみ城東じょうとう興南こうなん豐永とよながなりむべやす浦西うらにしやすし新建しんたけ

鄱陽ぐんおけみつるけんはちろくせんいちひゃく

こうすすむ鄱陽らくやすあまりあせ鄡陽れきりょうかずらすすむきょう

いおりりょうぐんおけみつるけんじゅういちまんせんひゃく

西にしあきらこうあきらせきともえたかし南野みなみのあずまあきらとげきょうよしようきょうひらゆたか

みなみやすしぐんふとしかんさんねんおけみつるけんいちせんよんひゃく

贛雩都平みやこたいかたみなみやすし揭陽[21]

めぐみみかど元康もとやす元年がんねん有司ゆうしそう,荊、揭二州疆土廣遠,みつるゆうなん,於是わりあげしゅうあきら、鄱陽、いおりりょう臨川りんせんみなみやすしたてやすしすすむやす、荊州たけあきらかつらよう安成やすなりごうじゅうぐんいんすいめい而置しゅう永興りょうご元年がんねんふんいおりひろたけ昌之まさゆきしばくわ二縣置尋陽郡,ぞくしゅうふん淮南ワイナン烏江からすえこよみけんおけれきぐんまた以周玘創討石冰,わりきょうともなみ長城ちょうじょうけん北鄉きたごうおけきょう國山くにやま、臨津なみともよんけんまたぶん丹陽たんよう永世えいせいおけひらりょう永世えいせい,凡ろくけんたて義興よしおきぐん,以表紀之のりゆきこうなみぞくあげしゅうまた以毗りょうぐんふう東海とうかいおう世子せいし毗,避毗いみなあらためためすすむりょうふところみかどえいよしみ元年がんねんまた以豫しょう彭澤けんぞくひろぐん。湣帝りつ,避帝いみなあらためけん鄴為たてやすしもとみかど渡江とのえ建都けんとあげしゅうあらため丹陽たんよう太守たいしゅためいんしゅうまたおけしん蔡郡。ひろぐんまたおけきゅう上甲うえこうけんひろまたはぶけ九江縣入尋陽。、冀、雍、りょうあおなみ、兗、かそけひらたしょしゅうみな淪沒,江南こうなん所得しょとくただしゆうあげ、荊、湘、こうりょうえき、交、こう,其徐しゅうすなわちゆう過半かはんしゅうおもんみ譙城而已。あかりみかどふとし甯元ねんふん臨海りんかいりつえいよしみぐんりゅうえい甯、やすかた松陽しょうようよことうよんけん,而揚しゅうみつる丹陽たんようくれぐんきょうしんやす東陽とうよう臨海りんかいえいよしみせんじょう義興よしおきすすむりょうじゅういちぐん[22]

中原なかはららんはなれのこはじむみなみわたるなみ僑置まきつかさざい廣陵こうりょう南城なんじょうきゅう也。及胡寇南おかせ淮南ワイナン百姓ひゃくしょうみな渡江とのえなりみかどはつたかしやくためらん于江淮,えびす寇又だいいたり,百姓南渡者轉多,乃於江南えな僑立淮南ワイナンぐん及諸けんまた于尋僑置まつしげるぐんはるか隸揚しゅう。咸康よんねん,僑置ぐん廣川ひろかわこうようどう邑等もろぐんなみしょみつるけんなみ寄居よりいきょう邑,あらためりょうため廣陽こうようこうたけ甯康ねんまたぶんえいよしみぐんえい甯縣おけたのしなるけんじょうとう百姓ひゃくしょうみなみわたり,僑立じょうとうぐんためよんけん寄居よりいかぶらみずうみひろまたしょうじょうとうぐんためけんまたやめじょうぐすくぐんため繁昌はんじょうけんなみ以屬淮南ワイナンやすみかどはちねんしょうひろけんにゅうしばくわけんしばくわ仍為ぐんまたしょう上甲うえこうけんいり彭澤けんきゅうしゅうとく荊州竟陵ぐん,及何ため刺史ししおもて以竟りょうしゅう遼遠りょうえんこうりょうさんひゃく,荊州しょたて綏安ぐんじんにゅうさかいよく此郡じょこうはま戍防,以竟りょうぐんかえ荊州。またつかさしゅうひろのうあげしゅうまつしげる二郡寄在尋陽,にんなんなみむべけんとくやすみかどしたがえこれまたしょうまつしげるぐんためまつしげるけんひろのうぐんためひろのうけんなみぞくひろぐん

交州

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あん禹貢あげしゅういきため南越なんごしはたはじめすめらぎそくりゃくていあげえつ,以謫戍卒じゅうまんにんもりみねきた徂南,にゅうえつみち,必由みね嶠,ゆうしょ曰五みねこう使つかいにん囂、ちょうおさむえつ略取りゃくしゅりくはりとげてい南越なんごし,以為かつらりん南海なんかいぞうとうさんぐんさんじゅうろくぐんかぎり,乃置南海なんかいじょう以典所謂いわゆる東南とうなんいちじょう也。かんはつ,以嶺みなみさんぐん及長すなあきらふうくれ芮為ちょうすなおうじゅういちねん以南いなんたけこうため南海なんかいおうりく賈使かえはいちょうため南越なんごしおうわりちょうすなみなみさんぐん以封たけみかどもとかなえろくねん,討平りょよしみ,以其ため南海なんかい蒼梧そうごいくりん合浦がつぽ日南にちなんきゅうしん、交趾ななぐんぶたはた時三ときぞうぐんもとふうちゅうまたおけ儋耳、たまがけぐんおけ交趾刺史しし以督あきらみかどはじめもとねん[23]やめ儋耳なみたまがけもとみかどはつもとさんねん[24]またやめたまがけぐんこうかん平定へいてい交部,はじめ調ちょうたて城郭じょうかくおけ邑。じゅんみかど永和えいわきゅうねん[25],交趾太守たいしゅしゅうたかしもとめたてためしゅう朝議ちょうぎもとそくはいたかしため交趾刺史しし。桓帝分立ぶんりつだかおきぐんれいみかどあらため曰高すずしけんやすはちねんちょうため刺史しし燮交趾太守たいしゅきょうひょうりつためしゅう,乃拜ため交州まきじゅうねんうつりきょばん禺,みことのり以邊しゅう使ぶしぐんきゅう鼓吹こすい,以重じょう鎮,以九すずろく佾之まいねんわり南海なんかい蒼梧そうごいくりんさんぐんりつ廣州こうしゅう[26],交趾、日南にちなんきゅうしん合浦がつぽよんぐんため交州。戴良ため刺史しし,值亂とくいれりょ岱擊平之ひらのふくかえなみ交部。あかがらすねんふくおけたまがけ永安えいあんななねんふく以前いぜんさんぐんりつ廣州こうしゅう。及孫あきらまたたてしんあきら武平ぶへいきゅうとくさんぐんしょく以李恢為けん太守たいしゅはるかりょう交州刺史しし晉平しんぺいしょく,以蜀けん太守たいしゅ霍弋はるかりょう交州,とく便宜べんぎせんようちょう吏。ひらくれしょうたまがけいれ合浦がつぽ。交州みつるぐんななけんじゅうさんまんせんろくひゃく

合浦がつぽぐんかんおけみつるけんろくせん

合浦がつぽ南平なんぺいとろけあきらじょ聞毒しつたまかん

交趾ぐんかんおけみつるけんじゅうよんいちまんせん

りゅうへん苟漏望海ぼうかい[𨏩𨻻]西にし于武甯硃とんびきょくえき交興きたたい稽徐安定あんていみなみていうみひらた

しんあきらぐんおけみつるけんろくさんせん

おうしか婦人ふじんせいがわためぬししょうま援平よしみ甯吳ていふうやま臨西西道さいどう

武平ぶへいぐんおけみつるけんななせん

たけ甯武きょうしん山根やまね安武やすたけ扶安ふうけい

きゅうぐんかんおけみつるけんななさんせん

胥浦うつりふう梧建はつ常樂じょうらく扶樂松原まつばら

きゅうとくぐんおけしゅうこしつねみつるけんはち

九德咸驩南陵陽遂扶苓曲胥浦陽都洨

日南にちなんぐんはたおけぞうぐんかんたけみかど改名かいめい焉。みつるけんろくひゃく

ぞうりん此南ゆう四國しこく,其人みなうん漢人かんど子孫しそんこんゆうどうばしらまたかんおけ此為かいみつぎきんきょうぜい也。ひろしぞうぐんしょきょ硃吾西卷にしまきけい

廣州こうしゅう

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あん禹貢あげしゅういきはたまつちょう他所よそよりどころ。及漢たけみかど,以其ため交址ぐんいたりくれねんふん交州南海なんかい蒼梧そうごいくりん高梁たかはしよんぐんりつため廣州こうしゅうにわか復舊ふっきゅう永安えいあんろくねんふくぶん交州おけ廣州こうしゅう分合ぶんごううら立合たてあいうら北部ほくぶ,以都じょうりょうまごあきらぶんいく林立りんりつかつらりんぐん。及太やすしちゅうひらめとげ以荊しゅうはじめやすはじめきょう、臨賀さんぐんらいぞくごうみつるぐんじゅうけんろくじゅうはちよんまんさんせんいちひゃくじゅう

南海なんがいぐんはたおけみつるけんろくきゅうせんひゃく

ばん禺四會增城博羅龍川平夷

臨賀ぐんおけみつるけんろくせんひゃく

臨賀しゃ沐馮じょうふうきょう安富やすとみがわ

はじめやすぐんおけみつるけんななろくせん

はじめあんはじめ平樂へいらく荔浦常安つねやす熙平永豐ながとよ

はじめおきぐんおけみつるけんななせん

きょくこうかつらようはじめきょう含洭湞陽中宿なかしゅくやま

蒼梧そうごぐんかんおけみつるけんじゅうななせんななひゃく

廣信ひろのぶ端溪たんけいだかようけんりょうしんやすしもうりょう鄣平のう城元しろもと谿臨まこと羅武ラブじょう

いくはやしぐんはたおけかつらりんぐん[27]たけみかどさらめいみつるけんきゅうろくせん

ぬのさんおもねはやし[28]しん邑晉たいらはじめたていくひらりょうかたたけ熙安ひろ

かつらりんぐんおけみつるけんはちせん

潭中武豐たけとよあわひらひつじひらたりゅうつよし夾陽たけじょうぐんあが

こうすずかぐんおけみつるけんさんせん

安寧あんねいだかりょうおもえひらた

こうおきぐんおけみつるけんいちせんひゃく

こううみやすひら[29]西平にしだいら

甯浦ぐんおけみつるけんいちせんひゃくじゅう

甯浦れんどう[30]あん昌平しょうへい[31]平山ひらやま

たけみかどきさきしょうだかおきぐんふところみかどえいよしみ元年がんねんまた以臨はじめきょうはじめやす三郡凡二十縣為湘州。もとみかどぶんいく林立りんりつすすむおきぐんなりみかどぶん南海なんかいたてひがしかんぐん,以始きょう、臨賀二郡還蜀荊州。きよしみかどぶん蒼梧そうごたてすすむやすししん甯、えい平三へいぞうぐんあいみかどふとやわ中置ちゅうちしんやすぐんやすみかどぶんひがし官立かんりつやすぐんきょうみかどぶん南海なんかいたてしんかいぐん

校勘こうかん

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  1. けいみかど以爲北海ほっかいぐんうまこうかんこころざしゆうひとしぐんゆう北海ほっかいぐんぞくかんこころざしゆうひとしこくゆうきた海國かいこく嘗併あらため也。こころざし北海ほっかいぐん此處ここらけいみかど以爲北海ほっかいぐんななことれんぞくこんごうかんぶんすみみなみぐん諸縣もろかたあおしゅう」「ひとしこく後原こしはられつ北海ほっかい」「すみみなみぐんいん脫去だっきょ北海ほっかいぐん原文げんぶん及其ぞくけんおもんみそんたいらひさししたみつにかわひがしそくすみよんけんまた脫去だっきょすみみなみぐんぞくけんおもんみそんしゅくおもねいちけん。而此「けいみかど以爲北海ほっかいぐんななほん北海ほっかいぐんしも原文げんぶん僅存だっこうろくしゃしょう察,漫以ひらことぶきとうよんけん竄入ざんにゅうすみみなみぐんした,以此なな竄入ざんにゅうひとしこくした。按:うませつすすむゆう北海ほっかいぐん武紀たけのり宗室そうしつでんぶんろくおうつたえりゅうさとしでん石垣いしがきつたえおうたけしでんひだりでんそうこう元年がんねんもりちゅうみなしょう
  2. 高密こうみつかんあらためためぐんぐん」,かくほんさく」,いましたがえそうほんさくぐん」。よりどころかん志下しげ高密こうみつ爲國ためくにしかこう漢書かんしょちょうあゆみでんちょうあゆみ以張ことぶきため高密こうみつ太守たいしゅのりかんまつあるしん莽曾はいこくためぐん
  3. ゆう萊山松林まつばやし萊君ほこら(暂缺)ほう國有こくゆうひゃくささえ萊王ほこら「萊君ほこら」、「ひゃくささえ萊王ほこら「萊」,かくほんさくらい」;「(暂缺)」,かくほんさく「惤」,いましたがえ殿でんほんさく「萊」「(暂缺)」,あずかかんこころざし上合かみあい
  4. めぐみみかど元康もとやすじゅうねん舉正:元康もとやすただきゅうねん
  5. また分城わけじょう黔陬たけしたけあつし于昌やす高密こうみつたいらあきら營陵やすおかだいげき臨朐じゅう一縣爲高密國考異:營陵以下いかけんみな隸東ふとい隸城こわゆう脫文だつぶんまたひがしふといゆうこうけん,此云「だいしゃうたぐ避隋煬諱あらため
  6. あつおかかくほんさくはらたかし」,殿しんがりほんさくあつおか」,いましたがえ殿でんほんあずかかんこころざしじょうぞくかんこころざしさんみずけい沭水ちゅう寰宇ごうしたどう
  7. うみりょう原作げんさく海陽かいよう」。うまこう:「とうさくりょう」。ひだりでんあいこうじゅう二年杜注有廣陵海陵縣,當時とうじさくうみりょう」。しょうせい一統かずのりこころざし》。按:うませつこんよりどころあらため
  8. みなみ太平たへいこうことすすむ太平おうひらぐんとう廣平ひろへいあやまそうこころざしいいながはつぐん國有こくゆう廣平ひろへいぐん。《十駕齋養新錄》ろく:此沿かさねずいいみなあらためひろためだい」,後人こうじん妄改ためふとしみみ
  9. あお并合兗州「あお下原しもばるゆうしゅううまこう:「あおしゅう」「しゅうとう衍。そうこころざしみなみじょしゅううんまた以幽、冀合じょあお、并合兗」,そく此志しょほん。按:うませつこんよりどころ刪。
  10. けんいちひゃくろくじゅうきゅうきゅう」,かくほんさくなな」,いましたがえ殿でんほんあずか所領しょりょうそうすうごう
  11. すべけんじゅういちいち」,かくほんさく」,いましたがえ殿でんほんさくいち」,あずか所領しょりょうけんすうごう
  12. 厥西たいらかくほん以「厥」ためいちけん,「西平にしだいらためいちけん殿しんがりほん以「厥西」ためいちけん,「たいらためいちけんいましたがえ殿でんほんそうこころざし三引太康地志有「厥西」,かんこころざしじょうぞくかんこころざしよん元和げんなぐんけんこころざしゆうたいら」,「たいらまた漢書かんしょ法雄のりおでんりゅうげんでんこころざし宗室そうしつでん
  13. 綏陽かくほんさくなる」,いましたがえ殿でんほんさく「綏陽」,あずかそうこころざしさん華陽かようこくこころざしごう
  14. すすむきょうかたこう:「すすむきょうとうさくきょうすすむ」,そうこころざしさん。按:ひつじげんつていいげんふうじきょうすすむこうのりすすむ仍名「きょうすすむ」。
  15. れいりょうぐんかんおけかん」,かくほんさく」,いましたがえそうほんさくかん」,あずかかんこころざしじょうぞくかんこころざしよんごう
  16. うすりょうほんさくうす」。斠注:そうこころざしみずけい湘水ちゅうみなさくうすりょう」。按:みなみひとししょしゅうぐん志下しげまたさくうすりょう」。本書ほんしょえきゆうでんためうすりょうれいのりすすむ仍名うすりょう,「」乃誤字ごじこんよりどころあらため
  17. 桓溫またぶんみなみぐんりつたけやすしぐんよりどころ桓玄でん及宋こころざしさんたてたけやすしぐん乃桓げん
  18. ぶんいおりりょうたていおりりょう南部なんぶじょういおりりょう」,かくほんさくいおり」,殿しんがりほんさくいおりりょう」,いましたがえ殿でんほんあずか元和げんなぐんけんこころざししょじゅつあい
  19. すりやま斠注:かんこころざしさくれきさん」,「れき」「すりかたちきん致訛。按:とうしたがえかんこころざし上作じょうさくれき」。こんすず惠山えさんあずかしゅんやまみなまたれきやま
  20. 黝漢こころざし上作じょうさく「黝」,かおちゅうほんさく『黟』」。みずけいややこうみずちゅうそうこころざしいちみなみひとししょしゅうぐんこころざしじょう志賀しがひとしでん輿地よちこうよんなみさく「黟」。おうねんまご漢書かんしょざつこころざしいいとうさく「黟」,「黝」乃形きんあやま
  21. 揭陽かくほんさく「揭楊」,殿しんがりほんさく「揭陽」,いましたがえ殿でんほんあずかそうこころざし太平たいへい寰宇いちはちごう
  22. あげしゅうみつる楊至すすむりょうじゅういちぐんこうこと楊至すすむりょうとめじゅうぐんぶた脫會だっかいいちぐん
  23. あきらみかどはじめもとねんはじめもとはらあやまたおせさく元始げんし」,こんおつただし
  24. もとみかどはつもとさんねんはつもとはらあやまたおせさくもとはつ」,こんおつただし
  25. じゅんみかど永和えいわきゅうねん斠注:永和えいわおわりろくねんうたぐきゅうためろくあやま
  26. わり南海なんかい蒼梧そうごうつりん三郡立廣州勞校:廣州こうしゅうへんうん南海なんかい蒼梧そうごうつりん高梁たかはしよんぐん,此脫「高梁たかはしまたあやまよんためさん」。
  27. はたおけかつらりんぐんかつらりんぐんはらはやしこんよりどころしょう榷說及漢志下しげ
  28. おもねはやしかくほんさく「柯林」,そうほんさくおもねはやし」,いましたがえそうほん。斠注:りょうかんこころざしそうこころざしみずけい(暂缺)みずちゅう御覽ごらんはち0引顧ほろ廣州こうしゅうひとしさくおもねはやし」。
  29. そうこころざしよん:「莫陽れいすすむふとしやすしこころざしゆうぞくだかきょう。」《元和げんなぐんけんこころざしはちまたいいすすむぶんおけ莫陽けん」。うまこう:寰宇いい以莫こうとくめいうたぐため「莫」誤字ごじ
  30. れんどうそうこころざしよん:「きょうどうれいすすむたけみかどふとかん元年がんねん合浦がつぽ北部ほくぶ營之れんどうりつ。」うまこうすすむけんとう曰「きょうどう」。
  31. 昌平しょうへいそうこころざし四引太康地記寧浦本名昌平,たけみかどふとかん元年がんねんさらめいうえぶん既出きしゅつやすしうら,「昌平しょうへいうたぐ重出じゅうしゅつみなみひとししょしゅうぐんこころざしじょうずいこころざししたゆうやすしうら昌平しょうへいまたしょう
 まき十四とし かえしかいいただき まきじゅうろく

ほんとうあさ作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经遠とおちょう过100ねん

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