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隋書/卷37 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

ずいしょ/まき37

維基文庫ぶんこ自由じゆうてき圖書館としょかん
 后妃こうひ ずいしょ
まきさんじゅうなな
列傳れつでんだい きよし はり
りゅうていやく やなぎすめらぎはじめ 

きよし:渾 きよし兄子せこ:詢 詢弟:たかし 崇子たかこ:さとし りょう

きよし[编辑]

きよしあらわけいくも隴西成紀しげのりじんかんじょうりょうこう也。りょうぼつ匈奴きょうど子孫しそんだいきょ北狄ほくてき,其後ずいみなみ遷,ふく汧、隴。あきら,以都とく鎭髙ひらめいん焉。ちちぶんたもてはやそつ,及穆とうとおくつかさそらきよし風神ふうじん警俊,倜儻ゆうぶし周太しゅうたくびけん義旗ぎききよし便びんしつしゃく褐統ぐんえい熙末,奉迎ほうげいたけみかど,授都とくふうながたいらけん,邑さんひゃくまたりょう鄕兵,るい以軍こうしん爵爲はくしたがえぶとげきひとし於芒さんふとし臨陣墮馬,きよし突圍而進,以馬さくげきふとし而詈,授以したがえつぶせかこえ倶出。ぞく輕侮けいぶいいふとし貴人きじんとげなるこれ,以故とくめんすんで而與きよし相對そうたい泣,顧謂左右さゆう曰:「なりわがことしゃ,其此じん乎!」そくれいなで慰關ちゅうところいたるかつじょう,擢授たけまもる將軍しょうぐんただしどうさんつかさしんふう安武やすたけぐんおおやけぞう邑一せんななひゃくたまもの以鐵けんじょ其十ひろ開府かいふりょうさむらいちゅうはつすすきやまはいきよし以驄授太ふとし於是廄内驄馬つき以賜ふうきよし姊妹みなためぐんけんくんむねしたがえしゅうと,頒賜かくゆううたてふとぼくしたがえ於謹やぶこうりょうぞうせんしん大將軍だいしょうぐんげききょく沔蠻,やぶこれ,授原しゅう刺史ししはい嫡子ちゃくしあつしためどうさんきよし以二けいけんとおなみためいのち功臣こうしん,而子弟していぬのれつきよあらわきよしふか懼盈滿まん受拜。ふとしもとにわか遷雍しゅう刺史ししけん小塚こづかおさむしゅう元年がんねんぞうさんせんつうまえさんせんななひゃくまた別封べっぷういちためます遷伯。きよしゆずる兄子せここう軌,もと

宇文うぶんまもる執政しっせいきよしあにどお及其うえ倶被誅,きよしとうしたがえすわさききよしうえおもまいすすむとおじょとお不能ふのうよう。及遠臨刑,泣謂きよし曰:「あらわけいわれ不用ふようなんじごと,以至於此,はたふく奈何いかん!」きよし以此まぬかれ除名じょめいためみん,及其子弟していまた免官めんかんうえおとうと淅州刺史ししもととうすわ戮,きよし請以だい基之もとゆきいのちまもる而兩しゃく焉。いくはい開府かいふどうさんつかさちょくしゅう刺史ししふく安武やすたけぐんおおやけたけしげるちゅう子弟していめん官爵かんしゃくしゃ悉複ひろじょしょうしん大將軍だいしょうぐんとしあまりはいしょうしんはしらこくうたてだいつかさそらたてまつみことのりちくどおりらくじょう天和てんわちゅうしん爵申こくおおやけぶし綏集東境ひがしさかいちくさるだん郛、慈澗、たかしとくやすみん、交城、鹿しかひとししょ鎭。建德けんとくはつおがめぶととしあまりためはらしゅうそうかんすうねんしんじょうはしらこくてん并州そうかんだいぞうはつ邑至きゅうせんはいだいひだり輔,そうかん如故。

髙祖さくしょうじょう迥之さくらん也,使つかい招穆。きよしくさり其使,うえ其書。きよしさかえ,以穆しょきょ天下でんか精兵せいびょうしょかげすすむきよしはんきよしふかこばめこれ,乃奉じゅう三環金帶於髙祖,ぶた天子てんしふく也。きよしひろ以天いのちゆうざいみつひょう勸進かんじん。髙祖すんで受禪じゅぜんしもみことのり曰:「おおやけすんできゅうとく,且又ちちとうたかしめぐみ來旨らいしよしゆうたがえ便びん今月こんげつじゅうさんにちきょう膺天いのち。」にわか而穆來朝らいちょう,髙祖くだすわれいはいふとしさんはいしんしょく成安なりやすけんさんせん。於是きよし子孫しそん雖在繈褓,悉拜どう,其一門執象笏者百餘人。きよしもり當時とうじ無比むひきよし上表じょうひょう乞骸こつみことのり曰:「ちんはつ臨宇ないぽう藉嘉猷,養老ようろう乞言,じつふところきょそうななじゅう致仕ちしほんため常人じょうじんいたりわかりょなお以期頤佐しゅうちょうあお以華あきらしょうかん,髙才いのちかかわつねれいおそ此心,とめじょうぶんまわしくんおおやけねんすんで耆舊,筋力きんりょくなんはんこん勒所けい蠲朝しゅう。如有大事だいじ,須共謀きょうぼう謨,べつ侍臣じしん,就第詢訪。」

どきたいそううんとうゆううつりことうえ以初受命じゅめい,甚難きよし上表じょうひょう曰:

帝王ていおうしょ隨時ずいじ興廢こうはい天道てんとう人事じんじゆうそん焉。はじめさんすめらぎ,暨夫りょうかんゆういちせい而屢徙,革命かくめい而不遷。曹、うまどうらくすいしゅうども長安ながやすこれない,此之よんだいぶた聞之矣。曹則さんいえ鼎立ていりつうまそく四海しかいひろぶんゆう及周,はじめとく平定へいていこと乃不ひま曰師いにしえ往者おうしゃしゅううんしょうきゅうわざわいせいはな裔,廟堂びょうどうかんむりたい,屢睹かんかいゆうつとぞうにんまれ柱石ちゅうせき四海しかい萬國ばんこくみなたて豺狼さいろう叛不おかせひゃくしろ罕一。ふくおもんみ陛下へいか膺期誕聖,秉籙受圖,はじめみそくんじんとく,俯從はた相之あいのじゅううち翦群きょうたかしちょうだいじょうそと誅巨猾,不日ふじつ肅淸しゅくせいへん大亂たいらんみんなり太平たいへいぞくひゃくれいいのちちょう謳歌おうかかそけあらわらく推,日月じつげつ塡積,ぽうこごめ、潁之こころざしはじめじゅん内外ないがい請。受命じゅめいしんむね弘道こうどうしつらえきょうとう冶與陰陽いんようあいとく覆育ふいくども天地あまちひとしむね萬物ばんぶつ開闢かいびゃくはつ,八表光華之旦,視聽しちょう以革,風俗ふうぞく且移。いたりわか帝室ていしつてんけいそう所謂いわゆる發明はつめい大造たいぞうひかりさんおもんみしんかんやめらいためらん,爰從近代きんだいるいしょ嘗謀かめとい筮,瞻星ていかなえなに以副ひじりぬしぶんまわしおもてだいずいとく?竊以神州しんしゅうこう福地ふくちはたためすめらぎきょうびょうけんうえげん當別とうべつゆうこれふくねがいとおじゅん天人てんにんけつ卜筮ぼくぜいあらため都邑とゆうひかりたくなつにん子來こらいみんたれ無窮むきゅうこれぎょうおう神宮じんぐう於辰ごくじゅん和氣わき天壤てんじょうやすしぶつ阜,えいたかし長世ながよしんうすくわにれ髙軒冕,けいくにろんどう顧缺しかあか所懷しょかいよう噤默。

うえもといやだいじょう制度せいど迮小,また宮内みやうちおに妖,たけし嘗勸遷,うえ不納ふのうぐうふとしそうじょう乃惑いたりしょうきよしひょううえ曰:「天道てんとう聰明そうめいやめゆうちょうおうふとし民望みんぼうふくこう此請,のり矣。」とげしたがえこれとしあまりしもみことのり曰:「れいせい凡品,かかわ上智じょうちほう備小じんぼう君子くんしたいうえばしらこくさるこくおおやけうつわ宇弘ふかふう猷遐曠,社稷しゃしょくいのちおおやけためしょうくびごくそちしんさいため人傑じんけつ萬頃ばんけい不測ふそくひゃくねりわたるせい。乃無はくだまあにゆうがおかい以自きょ寥廓,どるせきけんもうしか王者おうじゃさくきょうおもんみ旌善じんほう弘道こうどうしめせたかしねんとく自今じこんやめ,雖有愆罪,ただしはかりごとぎゃくたてゆうひゃくおわり推問。」

ひらきすめらぎろくねん薨於だいねんななじゅうななのこれい曰:「われこくおんねん宦已ごくけいあしいずみしょふく恨。竟不とく陪玉鑾於岱宗,預金よきんどろ於梁はじめ,眷眷光景こうけい,其在斯乎!」みことのり黃門こうもんさむらいろう監護かんごごと,賵馬よんひきあわむぎせん斛,ぬのきぬいちせんひきおく使つかいぶし、冀定ちょうしょう瀛毛まもるらくふところじゅうしゅうしょ軍事ぐんじ、冀州刺史ししおくりな曰明。たまもの石槨せっかくぜん後部こうぶ鼓吹こすい、轀輬しゃひゃく僚送かくがいみことのりふとつねきょうぎゅうひろし齎哀さつまつりおつふとしろうまご筠嗣。

きよし長子ちょうし あつし[编辑]

惇子あつこ[编辑]

筠父あつしけんじきよし長子ちょうし也。つかまつしゅうかんいたり安樂あんらくぐんおおやけおおとりしゅう刺史ししさききよしそつ。筠幼以穆こうはいどうひらきすめらぎはちねん,以嫡まご襲爵しゅうしゃくじんことぶきはつ叔父おじ渾忿其吝嗇りんしょくかげ兄子せこぜん衡賊ころせこれもとめぬすめ,髙祖だいいかつききん其親ぞくはつ,筠與したがえちちおとうと瞿曇ゆうすき渾有りょくとげしょう瞿曇ころせこれ。瞿曇竟坐,而善衡獲めんよんねんりつ嗣。邳公たけしそう不義ふぎほね相殺そうさい,請絶其封。うえもと

あつしおとうと[编辑]

あつしおとうと怡,かんいたりどうはやそつおく渭州刺史しし

怡弟 みやび[编辑]

怡弟みやびしょう有識ゆうしきりょうしゅうじょうちゅう,屢以軍功ぐんこうふう西安しーあんけんおとこはいだいとく天和てんわちゅうしたがえもとていせい江西えにしもろぐんしつとげぼつ於陳。こうとく歸國きこくはい開府かいふどうさんつかさりょう左右さゆうぐん。其年,したがえ太子たいし西にしせい吐谷渾,みやびりつせんとくぐんかて於洮かわためぞくしょ躡,そうもち數日すうじつみやび患之,とげあずかにせとりこ備稍かいたてへい撃破げきはたまもの奴婢ぬひひゃくくちふういちためこうこうはいひとししゅう刺史ししにわかせいかえきょうかず,授瀛しゅう刺史しし。髙祖さくしょう,鎭靈しゅう以備えびすかえ授大將軍しょうぐん,遷荊しゅうそうかん邑八ひゃくひらきすめらぎはつしん爵爲こう

まさおとうと つね[编辑]

まさおとうとつねかんいたりしおしゅう刺史ししふうきょくこう

つねおとうと さかえ[编辑]

つねおとうとさかえかんいたりごうしゅう刺史しし長城ちょうじょうけんこう

さかえおとうと じき[编辑]

さかえおとうとじきかんいたりしゃ將軍しょうぐんかえりせいけんこう

直弟じきてい ゆう[编辑]

直弟じきていゆうかんいたりばしらこくみつこくおおやけ、驃騎將軍しょうぐん

おとうと[编辑]

おとうと渾,最知さいちめい。渾字きんざいきよしだいじゅう也。姿すがた貌瑰えらよし須髯。おこりしゅうひだりさむらい上士じょうしじょう迥反於鄴,きよしざい并州,髙祖おもんばか其爲迥所さそえ渾乘えき往布腹心ふくしんきよし遽令渾入京にゅうきょうたてまつ熨斗のし於髙,曰:「ねがいがら以熨やす天下でんか也。」髙祖だいえつまた渾詣韋孝ひろししょ而述きよし焉。てきぐうひら鄴,以功授上どうさんつかさふう安武やすたけぐんおおやけひらきすめらぎはつしん授象城府じょうふ驃騎將軍しょうぐんすすむおうひろ籓,渾以驃騎りょうおやしんじしたがえ往揚しゅうじんことぶき元年がんねんしたがえひだりぼくしゃ楊素ため行軍こうぐんそうかんなつしゅうきたさんひゃくやぶ突厥阿勿俟きん於納どおかわ斬首ざんしゅひゃくきゅうすすむ大將軍だいしょうぐんはいひだりたけまもる將軍しょうぐんりょう太子たいしそうまもるりつ

はつきよしまご筠卒,髙祖りつ嗣,渾規よく紹之,いい其妻けい太子たいしひだりまもるりつ宇文うぶんじゅつ曰:「わかとくかさねふうじとう以國はん毎歳まいさい奉公ほうこう。」じゅつ利之としゆきいんにゅうしろ皇太子こうたいし曰:「たて嗣以ちょうのり以賢。こんさるあかりこう嗣絶,へんかん子孫しそんみな無賴ぶらい不足ふそく以當さかえちょうただきんざいゆうくん於國,いい此人以襲ふうしゃ。」太子たいしもと,竟奏髙祖,ふう渾爲さるこくおおやけ,以奉きよし嗣。大業おおわざはつてんみぎ驍衞將軍しょうぐんろくねんゆうみことのりついあらためきよしふうため郕國こう,渾仍かさね焉。累加るいかこう祿ろく大夫たいふきゅうねん,遷右驍衞大將軍だいしょうぐん

渾旣紹父ぎょうにちぞうごう侈,ぼう曳羅あやぎぬしゃ以百すうさいこれ以俸ぶつあずかじゅつじゅつだい恚之,いんよい,乃謂其友じん於象けん曰:「わが竟爲きんざいしょうり且不忘!」渾亦其言,ゆかりゆいすきこうみかど討遼ひがしゆうかたやすとぎ陀,げんあかつき讖,いいみかど曰:「とうゆうおうため天子てんし。」すすむつき誅海ない凡姓しゃじゅつ知之ともゆきいん誣構渾於みかど曰:「とぎ陀之げんしんじゆうちょう矣。しんあずかきむざい夙親,聞其情趣じょうしゅだいことつね日數にっすうどもさとしぜん衡等,にちよる屛語,あるおわりゆう寐。渾大臣だいじん也,家代いえしろ隆盛りゅうせい捉禁へいむべ如此。ねがい陛下へいか察之。」みかど曰:「公言こうげん矣,覓其ごと。」じゅつ乃遣たけ賁郎はた裴仁もとひょうつげ渾反,卽日そくじつはつ宿衞しゅくえいせん余人よにんづけじゅつ,掩渾とうひだりすすむもとぶん大夫たいふ裴蘊ざつ治之はるゆきあんといすう曰,とく其反じょう,以實奏聞そうもんみかど不納ふのうさらじゅつきゅう治之はるゆきじゅつ入獄にゅうごくちゅう,召出さとしつま宇文うぶんいい曰:「夫人ふじんみかどおい也,なに患無けんおっとさとしきむざいめいとう妖讖,國家こっかころせこれすくい也。夫人ふじんとうもとめぜんわかしょう用語ようごとうすわ。」さとしつま曰:「不知ふち所出しょしゅつおもんみみことちょう教之のりゆき。」じゅつ曰:「げん謀反ぼうほんきむざい嘗告さとしくも:'なんじおう籙,當爲とうい天子てんしこん主上しゅじょうこうへいろう百姓ひゃくしょう,此亦てんほろびずい也,正當せいとうどもなんじこれわかふくわたりりょうわれあずかなんじ必爲大將たいしょうまいぐんまんあまりへいかた以五まんにん矣。またはつしょ房子ふさこ侄,内外ないがいおや婭,なみつのしたがえせいわれ子弟していけつためぬしそちふんりょう兵馬へいば散在さんざいしょぐん伺候しこう間隙かんげき首尾しゅび相應そうおうわれあずかなんじまえはつかさね禦營,子弟していひびきおこりかくころせぐんはたいちにちあいだ天下てんかあしてい矣。」じゅつこう傳授でんじゅれいさとしつまうつしひょうふう雲上うんじょうみつじゅつにゅうそう,曰:「やめとくきんざいはんじょうなみゆうさとつまみつひょう。」みかどらん泣曰:「われむねしゃいくかたぶけよりゆきおやおおやけ而獲ぜんみみ。」於是誅渾、さとしとう宗族そうぞくさんじゅうにん自餘じよしょうちょうみな徙嶺がい

渾從父兄ふけい [编辑]

渾從父兄ふけいひらきすめらぎはつ以平いたいら蠻功,かん至上しじょうばしらこくはじむこくこう

きよし兄子せこ[编辑]

詢字こう詢。ちちけんしゅう大將軍だいしょうぐん。詢沉ふかゆう大略たいりゃく,頗渉書記しょきつかまつしゅう納言なごん上士じょうしにわかてんない史上しじょうけんてのひら吏部,以幹ずみ聞。建德けんとくさんねんたけみかどこうくもみやはいつかさまもる上士じょうし以留ごとしゅうまもるおう直作なおさくみだれ,焚肅あきらもん,詢於ないえきぞくとくいれみかど聞而善之よしゆきはいどうさんつかさ,遷長やすれいるい遷英はてちゅう大夫たいふ。屢以軍功ぐんこう大將軍だいしょうぐんたまもの爵平髙郡こう

髙祖ため丞相じょうしょうじょう迥作みだれ韋孝ひろしげき,以詢ため元帥げんすいちょう以心膂。ぐんいたり永橋ながはししょしょう不一ふいつ,詢密けい髙祖,請重臣じゅうしん監護かんご。髙祖とげれい髙熲かんぐんあずか熲同しん協力きょうりょくただ詢而やめ。及平じょう迥,しんじょうはしらこくあらためふう西郡にしごおりこうたまものせんひき以口

ひらきすめらぎ元年がんねん,引杜陽水ようすいさん趾原,詢督其役,みんよりゆき其利。ひろ檢校けんぎょうじょうしゅうそうかんごととしあまりはいあきらしゅうそうかんすうねん,以疾せいかえ京師けいしちゅう使顧問こもんぜっそつ於家,ねんよんじゅうきゅうじょう悼惜とうせきしゃ久之ひさゆきおくりな曰襄。有子ゆうこ元方もとかた嗣。

詢弟 たかし[编辑]

たかしえいたかしえいはてゆう籌算,膽力たんりょくひとしゅう元年がんねん,以父けんくんふう乃樂けんこうどきねんなおしょうはい爵之親族しんぞく相賀あいがたかしどく泣下。けんかい而問たい曰:「くん於國,而幼しょうふうこうとうほう主恩しゅおんとくおわり孝養こうよう以悲みみ。」けんよし此大おこりしゅうおも簿其所このみ就官,もとめため將兵しょうへいとくずい宇文うぶんまもるひとし,以功さい,擢授どうさんひろじょしょうきん大夫たいふぐんかん建德けんとくはつ,遷少さむらいはく大夫たいふうたてしょううけたまわ大夫たいふ太子たいしみやただししゅうたけしみかどたいらひとし,引參謀議ぼうぎ,以幼開府かいふふうじょうけんこう,邑一せんひろあらためふうこうむねけんこううたてふと府中ふちゅう大夫たいふこよみこうちゅう大夫たいふ,遷右馭。髙祖ため丞相じょうしょう,遷左つかさたけしじょう大夫たいふ授上開府かいふどう大將軍だいしょうぐんひろためふところしゅう刺史しししん爵郡こう邑至せんじょう迥反,使つかい招之。たかしはつよく相應そうおう叔父おじきよし以并しゅう髙祖,慨然がいぜんふとしいき曰:「闔家富貴ふうきしゃすうじゅうにん國有こくゆうなん,竟不能ふのう扶傾つぎぜっふくなんめん目處めど天地てんちあいだ乎!」韋孝ひろしまたうたぐこれあずか倶臥おこり。其兄詢時ため元帥げんすいちょうまい諷諭ふうゆたかしよしまた歸心きしん焉。及破じょうあつしはい大將軍だいしょうぐんすんでひらじょう迥,授徐しゅうそうかんひろしんじょうはしらこく

ひらきすめらぎさんねんじょかそけしゅうそうかん。突闕はんふさがたかし輒破。奚、霫、ちぎりとう懾其りゃくそうらいない。其後突厥だいため寇掠,たかしりつさんせんこばめこれ轉戰てんせんじゅうにちじんとげ於砂じょう。突厥かこえこれ城本しろもと荒廢こうはい不可ふかもり禦,あかつきゆう力戰りきせんまたところしょく毎夜まいよかすめぞく營,ふくとくろく畜,以繼ぐんかて。突厥かしここれあつため其備,まい夜中よなかゆいじん以待たかしぐんひだる輒遇てき死亡しぼうりゃくつきおそあきら奔還じょうしゃなおひゃくもとじんしかきずじゅう不堪ふかんさらせん。突厥意欲いよくくだこれ使つかいいいたかし曰:「わからいくだしゃふうためとくつとむ。」たかし必不まぬかれれい其士そつ曰:「たかしつみとう今日きょうこういのち以謝國家こっかまちわれ,且可くだぞく方便ほうべんはし努力どりょくかえ鄕。若見わかみ至尊しそんみちたかし此意。」乃挺突賊,ふくころせにんぞく亂射らんしゃそつ於陣,ねんよんじゅうはちおく鄎申なが澮亳ろくしゅうしょ軍事ぐんじしゅう刺史ししおくりな曰壯。敏嗣としつぐ

崇子たかこ さとし[编辑]

さとしじゅせい。髙祖以其ちち王事おうじやしなえ宮中きゅうちゅうしゃ久之ひさゆき。及長,襲爵しゅうしゃくこうそうこうおこりひだりせんうし姿すがたぜん騎射きしゃ歌舞かぶ管絃かんげん不通ふつうかいひらきすめらぎはつしゅうせんみかどきさきふう樂平よしひら公主こうしゅゆうおんな娥英,みょうこんたい,敕貴公きこう子弟していしゅうひろしせいみやしゃにち以百すう公主こうしゅおやざいとばりちゅうなみれい自序じじょなみ試技しぎげいせんちゅうしゃ,輒引いたりさとし合意ごうい,竟爲姻媾。さとかり一品いっぴんれい如尚みかどおんなはたさむらいえん公主こうしゅいいさとし曰:「わが四海しかいあずか至尊しそんただいちじょおっと當爲とういなんじもとめはしらこくわか授餘かんなんじまきしゃ。」及進見上みあげうえおや琵琶びわさと歌舞かぶすんで而大えついい公主こうしゅ曰:「さとしなにかん?」たい曰:「いち白丁はくちょうみみ。」じょういんいいさとし曰:「こん授汝どう。」さとこたえうえ曰:「不滿ふまんなんじよこしまこん授汝開府かいふ。」さとまたしゃうえ曰:「公主こうしゅゆう大功たいこう於我,わがなんとくこう女婿じょせい而惜かん乎!こん授卿ばしらこく。」さとし乃拜而蹈まいとげ於坐はつみことのり授柱こく,以本かん宿衞しゅくえいこう避諱,あらためふうけいじょうけんこう,邑一せんこよみがま、豳、きむはなじきしゅう刺史しし蒞職,つねとめ京師けいし往來おうらい宮内くない侍從じじゅうゆうえん賞賜しょうしちょう功臣こうしんこう幸仁ゆきひとことぶきみや,以爲岐州刺史しし

大業おおわざはつてんまもるじょうきょう樂平よしひら公主こうしゅはた薨也,遺言ゆいごん於煬みかど曰:「わらわ子息しそくただゆう一女いちじょゆうただしふか憐之。こん沐邑,乞回あずかさと。」みかどしたがえこれ。竟食せんたむろまもる將軍しょうぐん。楊玄かんはんしろだいきょう敏之としゆきさく也。てんしょうさくかんしたがえせい髙麗,りょう新城しんじょうどうぐんはたこう祿ろく大夫たいふじゅうねんみかどふくせい遼東りゃおとんさと於黎とくうんときあるげんさといちめいひろしみかどうたぐひろしとう讖,嘗面つげ,冀其引決いんけつさとしよしだい懼,すうあずかきむざいぜん衡等屛人私語しご宇文うぶんじゅつ而奏,竟與渾同誅,ねんさんじゅうきゅう。其妻宇文うぶんすうがつまたたまもの鴆而おわり

りょう[编辑]

りょう睿,恃德,安定あんていがらすじん也。ちち禦,西にしたかしふとしじょう。睿少沉敏,ゆうくだりけん周太しゅうた,以功臣子しんしやしなえ宮中きゅうちゅうしゃすうねん。其後いのち諸子しょしあずか睿遊しょどうどもぎょうじょうちぎり甚歡。ななさい襲爵しゅうしゃくこう平郡へごおりこう累加るいかどうさんつかさ,邑五ひゃくひろため本州ほんしゅうだい中正ちゅうせいきょうみかど開府かいふあらためふうため五龍ごりゅうぐんおおやけはい渭州刺史しししゅう閔帝受禪じゅぜんせいため禦伯。いくため中州なかす刺史しし,鎭新やす,以備ひとしひとしじん來寇らいこう,睿輒くじけこれみかど甚嘉歎。はい大將軍だいしょうぐんしん爵蔣こくおおやけにゅうため司會しかいしたがえひとしおうけんこばめひとしはた斛律明月めいげつ於洛まいせん有功ゆうこう,遷小塚こづかおさむたけみかどこよみじきしゅう刺史ししりょうやすしゅうそうかん,倶有めぐみせいしんはしらこく

髙祖そうひゃく揆,だいおうけんためえきしゅうそうかんくだりいたりかんかわ而謙はんへいおさむはじめしゅう,睿不とくしん。髙祖いのち睿爲行軍こうぐん元帥げんすいりつ行軍こうぐんそうかん於義、ちょうたけしいたる奚長儒、りょうますいし孝義たかよしじゅうまん討之。ときけん開府かいふすももさんおうとうもりどおりこく,睿使ちょうたけし撃破げきはとりこすうせんにんしんいたりりゅうもんけんはたちょうげんしんかいようしゅじゅうまんよりどころ嶮爲營,しゅうわたさんじゅううら。睿令將士しょうし銜枚出自しゅつじ間道かんどう四面しめん奮撃,力戰りきせんやぶこれしょくじんだい駭,睿鼓ぎょう而進。けんはたたかしごうもりけんかくりょういわこばめ平林ひらばやしなみ懼而けんまたれい髙阿ひじいたる奚惎とう以盛へいおさむとぎしゅう。聞睿はたいたり,惎分へいよりどころひらけとお。睿顧いい將士しょうし曰:「此虜よりどころようよく遏吾へいぜいわれとう不意ふいやぶこれ必矣。」うわ開府かいふつぶせ拔宗おもむきけんかく大將軍だいしょうぐん宇文うぶん夐詣ともえ西にし大將軍だいしょうぐんちょういたる水軍すいぐんにゅうよしみりょう。睿遣ちょうたけしおうりんわかふるえ、於義、かんしょうたかおもねめぐみ等分とうぶんどうおさむ惎,うま及申,やぶこれ。惎奔於謙。睿進逼成けん令達れいたつ奚惎、おつどるけんじょうまもるおやりつ精兵せいびょうまんじょうゆいじん。睿撃けん不利ふりはた入城にゅうじょう,惎、けん以城くだこばめへりくだうちけんはた麾下きかさんじゅう遁走とんそう新都しんとれいおうたからこれ。睿斬けん於市,けんみなみ悉平。すすむじょうはしらこくそうかん如故。賜物たまものせんだん奴婢ぬひいちせんくちかねせんりょうぎんさんせんりょうしょくせん

睿時西川にしかわえびす、獠歸ただみなみやすし酋帥爨震恃遠まろうど。睿上うと曰:「竊以遠いえんなでちょう王者おうじゃれいえきぞくうつりふうゆうこくつねてんみなみやすししゅうかん䍧柯近代きんだいやめらいふんおけきょういにしえ雲南うんなんたてやすし、硃提よんぐん戸口とぐちいんしゅ金寶きんぽうとみにょう二河にこうゆう駿馬しゅんめあきらたまえきやすし鹽井しおいさいかくすすむふとしはじめななねん,以益しゅう曠遠,ふんおけやすししゅういたりにせはりみなみやすししゅう刺史ししじょぶんもり東征とうせい赴荊しゅうぞくひがしなつなお阻,遑遠りゃく土民どみん爨瓚とげ竊據一方いっぽう國家こっかはるか授刺。其子ふるえ相承そうしょういたりいま。而震しんれい虧,みつぎ不入ふにゅう毎年まいとし奉獻ほうけんすうじゅうひき。其處えきみちとめいちせん,硃提北境きたざかい卽興そっきょうえびすしゅうせっかい。如聞かれにん苛政かせいおもえすめらぎふうふくおもんみだい丞相じょうしょうただしさんせいあさ,甯濟宇,絶後ぜつごこうまえぽうたれまんだい,辟土ふくとおこんせい其時。こういんひらしょくしゅはんじゅうきょうたび,押獠すんで訖,そく請略ていみなみやすしえびすやめらいぐんかて須給,此卽於蠻夷ばんい徴稅ちょうぜい,以供兵馬へいば。其寧しゅう、硃提、雲南うんなん西にし爨,並置へいちそうかんしゅう鎭。けいかれつくづく蠻租調ちょうあしきょうじょう防食ぼうしょくもうか一則かずのり以肅蠻夷ばんいのり裨益ひえき軍國ぐんこくこん謹件みなみやすししゅうこおりけん及事如別。ゆうだいとくもりかみたかしむかし曾使かれしょ諳練,こんなみおく往。」しょこたえまた請曰:「竊以やわとおのう邇,ちょ自前じまえけいつぶせひらき疆,王者おうじゃしょつとむみなみやすししゅうかんだい䍧柯ぐん,其地沃壤,漢人かんどすんでにょう寶物ほうもつまた名馬めいばこんわか往取,仍置しゅうぐん,一則遠振威名,のり有益ゆうえき軍國ぐんこく。其處あずか交、こうあいせっみち乃非はるかかんだいひらき此,ほんため討越けいひねにちふくいち,以此商量しょうりょうけついい須取。」髙祖ふかおさめしか以天はつじょうおそれ民心みんしん不安ふあんひつじもとこう竟遣まんさい討平なみいん睿之さく也。

睿威めぐみけんちょみんえびす悅服えっぷく聲望せいぼう逾重,髙祖かげはばかこれ。薛道衡從ぐんざいしょくいんにゅうせっえんせつ睿曰:「天下てんかもちやめ於隋。」みつれい勸進かんじん,髙祖だいえつ。及受禪じゅぜん,顧待わたるたかし。睿複上平かみたいらひねさくうえ善之よしゆきしもみことのり曰:「公英きみひでふう震動しんどうみょうさん縱橫じゅうおうきよしとろけ江南こうなん宛然えんぜん。迴圈さんふくただし欣然きんぜんおおやけすんでじょうざいわかかんえびすただしいち舉大じょうかたざいうたぐただしちんはつ臨天政道せいどうひろしおそれさききゅう武事ぶじためつきぜんむかし公孫こうそんじゅつ、隗囂,かんぞく也,光武みつたけあずか其通しょうため皇帝こうていじょう佗之於髙はつなおしんまご晧之こたえすすむぶんしょなおくもしろあるひろ款服,あるそく滅亡めつぼう王者おうじゃからだだいそん遵養,雖陳こく來朝らいちょうつき籓節,如公大略たいりゃくまこと須責ざいなおよく且緩其誅,むべ此意。淮海ほろび,必興たび若命わかめいひさしかさねおわりとうあいこごめそう身許みもとこくあし致辭也。」睿乃とめ焉。

睿時突厥かたきょうこわためあたり患,ふくひね鎭守ちんじゅさくじゅう餘事よじ上書うわがきそう曰:「竊以えびす狄作患,其來ひさ矣。防遏ぼうあつみちためなん所以ゆえんしゅう無上むじょうさんかんおさむ下策げさく,以其倏來ゆるがせ往,くもたむろ霧散むさんつよすなわち騁其はんふさがじゃくまた不可ふかつきじょ也。こん皇祚こうそはじめきょう宇内うないやすしいちただゆう突厥種類しゅるいなおため梗。此臣所以ゆえんはいあずかしょく,寤寐おもえこれむかし匈奴きょうどひらめやまいたくさきれいなおざいたかしこく劾。しんざいれつ,而志ついむかし。謹件安置あんち北邊ほくへんじょう鎭烽こう,及人馬糧ばりょう貯戰もりごと如別,謹並圖上ずじょうていふくおもんみさいらん。」うえよしみ歎久とう厚意こうい

睿時以周だい舊臣きゅうしん久居ひさい重鎭じゅうちんないやす,屢請入朝にゅうちょう,於是せいかえ京師けいし。及引見いんけんうえ爲之ためゆききょういのち睿上殿どの握手あくしゅごく歡。睿退いいしょおや曰:「こうとげ退すさこん其時也。」とげしゃびょう於家,闔門もり交當だいうえたまもの以版輿こしまいゆうあさ覲,必令さんまもる輿こし上殿かみどの。睿初ひらたおう謙之けんじはじめ以威めいふとしもりこわためしょとげだい受金まかない以自けがれよしくん簿以實,まいちょうどうしょうこごめしゃ前後ぜんごひゃくすううえれい有司ゆうしあんけん其事,おもしゃざい。睿惶懼,上表じょうひょう陳謝ちんしゃ,請歸だいうえ慰諭これ

じゅうねんしたがえじょういたり洛陽らくよう而卒,ねんろくじゅうおくりな曰襄。よう嗣,かんれきかさじょしゅう刺史ししたけ賁郎しょう大業おおわざろくねんみことのりついあらためふう睿爲戴公,いのち以洋かさね焉。

史論しろん[编辑]

ふみしん曰:きよしりょう睿,みなしゅうしつ功臣こうしん,髙祖おうぎょうはつもと,倶受腹心ふくしんよせきよしくびとう師傅しふ,睿終膺殊ちょうかん其見而動,そもそもまたみん先覺せんかくしかほうたかしあささだれつゆう愧王りょうすすむしつ忠臣ちゅうしんおわり慚徐ひろきよし子孫しそんとくため隆盛りゅうせい,硃輪はなこしき,凡數じゅうにん當時とうじわざわいなん遄及,とく非道ひどう戒歟!


 まきさんじゅうろく かえしかいいただき まきさんじゅうはち

ほんとうあさ作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经遠とおちょう过100ねん

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