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隋書/卷80 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

ずいしょ/まき80

維基文庫ぶんこ自由じゆうてき圖書館としょかん
 外戚がいせき ずいしょ
まき八十やそ
列傳れつでんだいよんじゅう れつおんな
東夷あずまえびす 

れつおんな[编辑]

むかしさだせんよしひめぬのざい方策ほうさくしゃ矣。婦人ふじんとく,雖在於溫柔おんじゅうたてふしたれめい,咸資於貞れつ溫柔おんじゅう仁之ひとしほん也;さだれつ義之よしゆき也。溫柔おんじゅう以成其仁,さだれつ以顯其義。以詩しょしょ風俗ふうぞく所在しょざい圖像ずぞう丹青たんせいりゅうごえちくもと,莫不もりやく以居ただしころせ以成仁者じんしゃ也。わかぶんはくおうりょうはははくこう、杞植つま,魯之しゅうとはり高行たかゆきまもるくんれいぬしわらわなつこうぶんやすしおんなあるだきしん以含さだある蹈忠而踐よし存亡そんぼうえきしん盛衰せいすいあらためぶし,其修めいあきら既往きおう,徽音でん於不くちまたきゅう乎!あるゆう王公おうこう大人おとなこれ偶,肆情於淫へきぞく,雖衣繡衣,しょくちんぜんすわ金屋かなやじょうだま輦,不入ふにゅう彤管これしょ沾良ふではた草木くさき以俱落,あずかおうしか鹿しか而同かつ道哉みちやえいげんおもえじつ庶姬はじ也。かんおっといましずかおんなかく勵松筠之みさおあま於玉おり而蘭摧,そく以無ぜっこんいにしえじゅつ其雅こころざし,以纂前代ぜんだいれつおんなくも

らんりょう公主こうしゅ

らんりょう公主こうしゅおもね高祖こうそだいじょ也。姿すがたせい婉順,こう讀書どくしょ高祖こうそ于諸女中じょちゅうとくしょ鍾愛しょうあいはつよめどうおうたてまつこうそつてきかわ東柳ひがしやなぎじゅつねんじゅうはちしょ姊並おごとうとしゅどく折節おりふし遵於婦道ふどうことしゅうとしゅうと甚謹,ぐうゆう疾病しっぺい,必親たてまつやく高祖こうそ聞之だいえつよしじゅつややちょうぐうはつすすむおうひろよく以主はい其妃おとうとしょう瑒,高祖こうそはつもととげてきじゅつすすむおういんえつ。及述用事ようじわたるあく高祖こうそすんでくずれじゅつ徙嶺ひょう。煬帝れいおもあずかじゅつはなれぜっはたあらためよめ公主こうしゅ以死ちかいふくあさ謁,上表じょうひょう請免ぬしごうあずかじゅつどう徙。みかどだいいか曰:「天下てんかあに男子だんしほしあずかじゅつどう徙耶?」しゅ曰:「先帝せんてい以妾てき於柳こん其有ざいわらわとうしたがえすわねがい陛下へいかこごめほうさるおん。」みかどしたがえおもいきどお而卒,ねんさんじゅう臨終りんじゅう上表じょうひょう曰:「むかしどもはじかみちかいちょぜん,鄎媯不言ふげんでんかおる往誥。わらわ雖負ざい,竊慕古人こじんなますんでとくしたがえおっと乞葬于柳。」みかどらんいよいよいか,竟不哭,乃葬ぬし于洪瀆川,おく甚薄。朝野ちょうやきず

南陽なんよう公主こうしゅしゃ,煬帝長女ちょうじょ也。美風びふう有志ゆうしぶし造次ぞうじ必以れいとしじゅうよんよめ于許こくおおやけ宇文うぶんじゅつ及,以謹肅聞。及述びょう且卒,おも調しらべ飲食いんしょくたてまつうえせい以此しょう。及宇文化ぶんか及殺ぎゃくしゅずいいたり聊城,而化及為竇建德けんとくしょはい及自ずみ北西ほくせいだいとうときずいだい衣冠いかんなみざい其所,建德けんとく引見いんけん,莫不惶懼しつつねただ主神しゅしんしょく自若じじゃく建德けんとく與語よごしゅひねこくやぶいえほろび不能ふのうほう怨雪はじなみだみつるえりこえ輟,情理じょうりきりいたり建德けんとく及觀聽者ちょうしゃ莫不為之ためゆきどうよう隕涕,鹹肅然しゅくぜんけい焉。及建德けんとく誅化及,ぬしゆういちめい禪師ぜんじねんじゅうさい建德けんとくたけ賁郎はた於士きよしいいぬし曰:「宇文うぶん躬行きゅうこうころせぎゃくにん神所こうどころようこんしょうぞくめつ其家,公主こうしゅ之子ゆきこほうとうしたがえすわわか不能ふのう割愛かつあいまた聽留。」しゅ泣曰:「たけ賁既ずいしつしん,此事なん須見すみとい!」建德けんとく竟殺しゅひろ建德けんとくそぎかみためあま。及建德けんとくはいはたかえり西京にしぎょうふくあずか及遇於東おひがししたしゅあずかあい及就たて於戶がい,請複ため夫妻ふさいしゅこばめ曰:「わがあずかきみかたきこん不能ふのうしゅくんしゃただしはかりごとぎゃくこれにち,察君あずかみみ。」いんあずかつげぜっ,訶令そく及固請之,おもいか曰:「必欲就死,しょう也。」及見其言きり不可ふかこごめ,乃拜辭はいじ而去。

じょうじょうおうつとむ

じょうじょうおうつとむしゃ河東かわとうやなぎおんな也。ちちだん,循州刺史しし姿すがた端麗たんれいねんじゅうあまり,以良合法ごうほうしょう,娉以ためいく而恪はいおさむ婦道ふどうこといよいよけい。煬帝嗣位,つとむふく徙邊,みかどれい使者ししゃころせ于道。つとむあずか訣,曰:「わかおうわらわちかいどくせい。」於是相對そうたい慟哭どうこくつとむすんでかん斂訖,いい使者ししゃ曰:「わらわちかいあずか楊氏どうあなわかこうとくべつうめきみめぐみ也。」とげなでかんごう慟,けい而卒。しゃ莫不為之ためゆき涕流。

華陽かようおう楷妃

華陽かようおう楷妃しゃ河南かなんもとじょ也。ちちがんせい明敏めいびんゆうみきじんことぶきちゅうため黃門こうもんさむらいろうふうりゅう涸縣こう。煬帝嗣位,すわあずかやなぎじゅつれんごと除名じょめいためみん,徙南海なんかい後會こうかい赦,かえ長安ながやす有人ゆうじん譖岩逃歸にげかえおさむ而殺ゆう姿すがたしょくせい婉順,はつ以選ためいく而楷かそけはいごと楷逾謹,まい楷有ゆう懼之しょく,輒陳義理ぎり以慰さとし,楷甚けい焉。及江みだれ,楷遇宇文うぶん及之ぎゃく,以妃たまもの其党もとたちたけいたるはつ以宗ぞくれいおけこれべつしゃいんよい而逼ちかい不屈ふくつたけいたるいか,撻之ひゃくあまり辭色じしょくわたる厲。いん甓自毀其めん血淚けつるい交下,たけいたるしゃくいい其徒曰:「わが不能ふのう早死はやじに,致令はたおかせはずかしめわがこれざい也。」いんしょく而卒。

○譙國夫人ふじん

譙國夫人ふじんしゃこうすずかあらいじょ也。ため南越なんごし首領しゅりょうまたがよりどころ山洞やまほら部落ぶらくじゅうあまりまんいえ夫人ふじんおさな賢明けんめい籌略,ざい父母ちちははなで循部眾,のう行軍こうぐんよう壓服あっぷくしょえつまいすすむ親族しんぞくためぜんゆかり信義しんぎゆい於本きょうえつじんぞくこうあい攻擊こうげき夫人ふじんけいみなみやなしゅう刺史ししてい,恃其富強ふきょう侵掠しんりゃくはたぐんみねひょう夫人ふじんしょぶんまわし諫,ゆかり怨隙とめいき海南かいなん、儋耳しゃせんあまりほらはり大同だいどうはつしゅう刺史しし馮融聞夫じん有志ゆうしぎょうため其子だかりょう太守たいしゅたから娉以ためつまとおるほんきたつばめ苗裔びょうえいはつ,馮弘なげ高麗こうらい也,とおる大父おおぶぎょうさんひゃくにん浮海そういんとめ於新かいぎょう及融,さんせいため守牧もりまき他鄉たきょう羈旅,號令ごうれいくだりいたり夫人ふじん誡約ほんむね使つかいしたがえみんれいまいきょうたからさんけつ訟,しゅ領有りょうゆうはんほうしゃ,雖是親族しんぞくところしゃたて此政れいゆうじょにん莫敢違。ぐうこうけいはん廣州こうしゅうとくしょう徵兵ちょうへい援台。高州たかす刺史しし遷仕よりどころだい皋口,召寶。たからよく往,夫人ふじんどめ曰:「刺史ししごう太守たいしゅ,必欲いつわりくんどもためはんみみ。」たから曰:「なに以知?」夫人ふじん曰:「刺史しし召援だい,乃稱ゆうやましへい聚眾,而後喚君。いましゃわか往,必留しつおいくんへい眾。此意ねがい且無ぎょう,以觀其勢。」數日すうじつ,遷仕はてはんしゅそちもりひらとりこりつへいにゅう灨石。たから知之ともゆき,遽告,夫人ふじん曰:「ひらとりこ驍將ぎょうしょう也,りょうへいにゅう灨石,そくあずかかんへいしょうこばめかえ。遷仕ざいしゅう無能むのうため也。若君わかぎみ往,必有せん鬥。むべ使つかいいつわり,卑辭あつれいくも敢出,ほし往參。かれ聞之,必無ぼうおもんばか。於是わがしょうせん余人よにん擔雜ぶつ,唱言輸賧,とくいたり柵下さくしたぞく必可。」たからしたがえこれ,遷仕はて大喜だいぎ,覘夫じん眾皆擔物,設備せつび夫人ふじんげき大捷たいしょう。遷仕とげはし于寧夫人ふじんそうへいあずか長城ちょうじょうこうひね霸先かい于灨せきかえいいたから曰:「ひねとくだいかしこごくとく眾心。かん此人必能平のっぺいぞくきみむべあつ資之すけゆき。」

及寶そつみねひょう大亂たいらん夫人ふじんふところしゅうひゃくえつすうしゅう晏然。いたりちんひさしていねん,其子ぼくねんきゅうさいのこそちしょ首領しゅりょうあさ于丹おこりはい陽春ようしゅんぐんもりこう廣州こうしゅう刺史ししおう謀反ぼうほん,召僕至高しこうやすさそえあずかためらんぼく使つかいつげ夫人ふじん夫人ふじん曰:「わがためちゅうさだけいこんりょうだい不能ふのう惜汝,輒負國家こっか。」とげはつへいこばめさかいそち百越酋長迎章昭達。內外逼之,紇徒つぶせぼく以夫じんこうふうしんこう加平かへい越中えっちゅうろうはた轉石てんせきりゅう太守たいしゅみことのり使ぶしさつ夫人ふじんためちゅうろうはたいし龍太りゅうた夫人ふじん,賚繡幰油からまやすしゃいちじょうきゅう鼓吹こすい一部いちぶなみ麾幢旌節,其鹵簿一如いちにょ刺史しし至德しとくちゅうぼくそつこうぐうひねこくほろびみねみなみゆうしょすうぐんどもたてまつ夫人ふじんごうため聖母せいぼさかいやすみん

高祖こうそそうかん韋洸やすなでみねがいちんすすむじょ璒以みなみやすしこばめもりこういたりみね逡巡しゅんじゅん敢進。はつ夫人ふじん以扶みなみさいつえけんじ于陳ぬしいたり此,すすむおうひろひねおものこ夫人ふじんしょさとし以國ほろびれい其歸なみ以犀つえ及兵為信ためのぶ夫人ふじんつえけんひねほろびしゅう首領しゅりょうすうせん盡日じんじつ慟哭どうこく其孫たましいそち眾迎こうにゅういたり廣州こうしゅうみねみなみ悉定。おもてたましいためどうさんつかささつ夫人ふじんためそうやすしぐん夫人ふじんいくばん禺人おうなかせんはん首領しゅりょうみなおうかこえこう於州じょうしんへいたむろ衡嶺。夫人ふじんまご暄帥すくいこう。暄與ぎゃくとうちんふつさとしもとしょうともぜんおそとめすすむ夫人ふじん知之ともゆきだいいか使つかい暄,けい於州ごくまたまご盎出討佛さとしせんかつこれすすむへいいたり南海なんかいあずか鹿しかねがいぐんかいきょうはいなかせん夫人ふじんおやかぶとじょうかいちょうにしきかさりょう彀騎,まもるみことのり使裴矩じゅんなでしょしゅう,其蒼梧そうご首領しゅりょうちんひろしおかしゅう馮岑おうはり鄧馬あたまふじしゅうひかりりゃくしゅう龐靖とうみならいさん謁。かえれいみつる部落ぶらくみねひょうとげじょう高祖こうそことはい盎為高州たかす刺史しし,仍赦暄,はいしゅう刺史しし追贈ついぞうたからため廣州こうしゅうそうかん、譙國こうさつ夫人ふじんため譙國夫人ふじん。以宋やすし邑回授僕わらわあらい。仍開譙國夫人ふじん幕府ばくふおけちょう以下いかかんぞくきゅう印章いんしょう,聽發部落ぶらくろくしゅう兵馬へいばわか有機ゆうききゅう便宜べんぎ行事ぎょうじくだ敕書曰:「ちん撫育ぶいく蒼生そうせいじょうひとし父母ちちははよく使率土そっと清淨せいじょうちょう庶安らく。而王なかせんとう輒相聚結,擾亂じょうらんかれみんしょ以遣往誅翦,ため百姓ひゃくしょうじょがいおっと人情にんじょうざいたてまつくにふか識正とげ令孫れいそん盎斬ふつさとし,竟破ぐんぞく,甚有大功たいこうこんたまもの夫人ふじんぶつせんだん。暄不しん愆,まことあい罪責ざいせき,以夫人ふじんりつ此誠こうとく原免はるめん夫人ふじんよろし訓導くんどう子孫しそんあつしたかしれいきょう遵奉じゅんぽうあさ,以副ちんしん。」皇后こうごう以首かざり及宴ふくいちかさねたまもの夫人ふじんなみもり于金篋,なみはりちん賜物たまものかくぞう於一每歲まいさい大會たいかいみなひね於庭,以示子孫しそん,曰:「なんじとうむべつき赤心せきしんこう天子てんしわがことさんだいぬしただよういちこうしんこん賜物たまものそん,此忠孝ちゅうこうむくい也,ねがいなんじみな思念しねん。」

どきばんしゅうそうかんちょう訥貪しいたげしょ俚獠ゆうほろび叛。夫人ふじんちょうちょうとおるじょうふうごとろんやすなでむべなみげん訥罪じょう不可ふか以招ふところとおじんうえ推訥,とく其贓まかなえ,竟致於法。くだ敕委夫人ふじん招慰ほろび叛。夫人ふじんおや詔書しょうしょ自稱じしょう使者ししゃこよみじゅうしゅうせんじゅつ上意じょういさとししょ俚獠,しょいたりみなくだ高祖こうそ嘉之よしゆきたまもの夫人ふじん臨振けん沐邑,いちせんひゃくおくぼくためいわしゅうそうかん平原ひらばらぐんおおやけじんことぶきはつそつ,賻物いちせんだんおくりなためまことけい夫人ふじん

てい善果ぜんかはは

てい善果ぜんかははしゃ清河きよかわちぇじょ也。としじゅうさんてきていまことなま善果ぜんか。而誠討尉迥,力戰りきせん於陣。ははねんじゅう而寡,ちち彥穆ほしだつ其志,ははだき善果ぜんかいい彥穆曰:「婦人ふじんさい男子だんし。且鄭くん雖死,さいわいゆう此兒。棄兒すてごため慈,ため無禮ぶれいやすしとうわりみみ截發以明もとしんたがえれいめつ慈,敢聞いのち。」善果ぜんか以父王事おうじねんすうさいはい使ぶし大將軍だいしょうぐん襲爵しゅうしゃく開封かいふうけんこう,邑一せんひらきすめらぎはつしんふう武德ぶとくぐんおおやけとしじゅうよん,授沂しゅう刺史ししてんけいしゅう刺史ししひろため魯郡太守たいしゅ

母性ぼせい賢明けんめいゆう節操せっそうひろしわたるしょ通曉つうぎょうかたまい善果ぜんか聽事,ははつねすわえびすゆか,於鄣察之。聞其剖斷合理ごうりそくだいえつそくたまものすわ相對そうたい談笑だんしょうわか行事ぎょうじまことある妄瞋いかはは乃還どうこうむ而泣,終日しゅうじつしょく善果ぜんかふく於床まえまた敢起。母方ははかたおこりいい曰:「われいかなんじ,乃愧なんじみみわれためなんじたてまつ灑掃,如汝さきくん忠勤ちゅうきん也,在官ざいかんせいつとむ嘗問わたし,以身徇國,つぎ以死,われまたもちなんじふく其此しんなんじすんでねんしょう而孤,われ寡婦かふみみゆう慈無使つかいなんじ不知ふちれいくんなに負荷ふか忠臣ちゅうしんこれぎょう乎?なんじ童子どうじうけたまわかさねちがやいたりかたはくあになんじ致之よこしまやすおもえ此事而妄瞋怒,こころえんおごたのし,墮於こうせい!內則墜爾家風かふうある亡失ぼうしつ官爵かんしゃくそとそく虧天ほう,以取ざいもどわれこれにちまたなにめん目見まみなんじ先人せんじん於地乎?」

ははつね紡績ぼうせき夜分やぶん而寐。善果ぜんか曰:「ふうこう開國かいこくさんひん,秩俸こうあしははなんつとむ如是にょぜよこしま?」こたえ曰:「嗚呼ああなんじねんやめちょうわれいいなんじ天下でんかこん聞此ごとなお也。いたり公事こうじなによしずみ乎?こん此秩俸,乃是天子てんしほうしか先人せんじん徇命也。とう須散贍ろく姻,ためさきくんめぐみ妻子さいし奈何いかんどく擅其,以為富貴ふうき哉!またいと紡織ぼうしょく婦人ふじんつとむうえおうきさきしもいたり大夫たいふつまかくゆうしょせいわか墮業しゃためおごいっわれ不知ふちれい,其可はいめい乎?」はつ寡,便びん禦脂つねふくだいねりせいまた節儉せっけん祭禮さいれい賓客ひんきゃくこと酒肉しゅにく妄陳於前。せいしつ端居はしい嘗輒もんかく。內外姻戚いんせき有吉ありよし凶事きょうじただしあつおくのこみなまい其家。さく及莊えん祿ろくたまもの所得しょとく,雖親ぞくれいのこ,悉不もと入門にゅうもん

善果ぜんか歷任れきにんしゅうぐんただ內自饌,於衙中食ちゅうじきおおやけ廨所きょうみなもと受,悉用修治しゅうじ廨宇及分きゅう僚佐。善果ぜんかまたよし克己こっきごうためきよし吏。煬帝大夫たいふちょう衡勞こうため天下でんかさいせい授光祿ろくきょう。其母そつ善果ぜんかためだいきょうややおごほしいままきよし公平きみひらまこととげ如疇むかし焉。

孝女こうじょおうしゅん

孝女こうじょおうしゅんしゃちょうぐん王子おうじ春之はるゆきじょ也。はるあずか從兄じゅうけいちょう忻不きょうぞくひとしめつさいちょう忻與其妻どう謀殺ぼうさつはるしゅんねんななさいゆういもうとつばらねんさい,璠年さいなみ寄食きしょく親戚しんせきしゅん撫育ぶいくいもうと恩義おんぎ甚篤。而舜かげゆう復仇ふっきゅうしんちょう忻殊不為ふため備。姊妹俱長,親戚しんせきよくよめ,輒拒したがえ。乃密いい其二そのじいもうと曰:「わが兄弟きょうだい,致使ちちかたきふく吾輩わがはい雖是女子じょしなにようせいため我欲がよくどもなんじ報復ほうふくなんじ如何いか?」いもうとみなたれ泣曰:「ただ姊所いのち。」よる,姊妹かくがたな逾牆而入,ころせちょう忻夫つま,以告ちちいんまいけん請罪,姊妹そうためはかりごとくびしゅうけん不能ふのうけつ高祖こうそ聞而よしみ歎,とくげん其罪。

かん覬妻

かん覬妻しゃ洛陽らくよう於氏おんな也,茂德しげのりちちしゅうだいひだり輔。於氏ねんじゅうよんてき於覬。雖生長せいちょうあぶら腴,家門かもんかなえもり,而動遵禮,躬自儉約けんやくそうとう敬之たかゆきとしじゅうはち,覬從ぐん戰沒せんぼつ,於氏あい毀骨りつ,慟感行路こうろまいいたり朝夕ちょうせき奠祭,みなしゅ捧持ほうじ。及免,其父以其幼少ようしょうはたよめちかいこころざしふくれい家人かじんあつし喻,於氏つきよる涕泣ていきゅう,截發ちかい。其父喟然きずかんとげだつ其志焉。よしやしなえおっと孽子たかしため嗣,撫育ぶいくあいどうおのれせい訓導くんどうゆうかたそつのう成立せいりつ孀居やめただあるかえりやすしいたり於親ぞくいえぜっ來往らいおうゆう尊卑そんぴ就省謁者,送迎そうげいみな出戶でとにわ。蔬食布衣ふい聲樂せいがく,以此終身しゅうしん高祖こうそ聞而よしみ歎,しもみことのり褒美ほうびおもて其門閭,長安ながやすちゅうごうため節婦せっぷ闕。おわり於家,ねんななじゅう

りくゆずるはは

りくゆずるははしゃうえとう馮氏おんな也。せい仁愛じんあいゆうははゆずるそく其孽也。じんことぶきちゅうためばんしゅう刺史ししすうゆう聚斂,贓貨おおかみせきため司馬しばしょそううえ使つかい按之みなけん,於是しゅうまい長髮ちょうはつ親臨しんりんといゆずるしょう冤,うえふくれいしょさむらいなで按之,じょう不易ふえきまえ。乃命公卿くぎょうひゃく僚議,鹹曰「ゆずるざいとう」。みことのり其奏。ゆずるはた就刑,馮氏よもぎ頭垢ふけめんまいあさどうすうゆずる曰:「汗馬かんばろう,致位刺史しし不能ふのうつきまことたてまつくに,以答鴻恩こうおん,而反違犯いはん憲章けんしょう,贓貨おおかみせきわかげん司馬しば誣汝,百姓百官不應亦皆誣汝。わかげん至尊しそん憐湣なんじ何故なぜしょくつがえなんじあにまことしんあに孝子たかこまこと不孝ふこうなに以為じん!」於是流涕りゅうてい嗚咽おえつおや盂粥すすむゆずるれいしょくすんで而上ひょうもとめあいじょう甚切,うえ湣然為之ためゆきあらためようけんじ皇后こうごう甚奇其意,致請於上。しょさむらいやなぎ彧進曰:「馮氏はは德之のりゆきいたりゆうかん行路こうろ。如或ころせこれなに以為すすむ?」じょう於是しゅうきょうじょう庶於硃雀もん舍人とねりせんみことのり曰:「馮氏以嫡ははとくそくため范,慈愛じあいみちかんじんしんとくむべ矜免,よう風俗ふうぞくゆずるげん除名じょめいためみん。」ふくみことのり曰:「馮氏たい仁慈じんじ,夙閑れい。孽讓其所せい,往犯憲章けんしょうむべしたがえきょくほう。躬自まい闕,為之ためゆき請命,匍匐ほふくひたすら顙。ちんあい其義,特免とくめん辜。使つかい天下でんか婦人ふじんみな如馮しゃあにねやもん雍睦,風俗ふうぞく和平わへいちんごとよしみ不能ふのうやめむべしめぎよう優賞ゆうしょうようあきら有德うとく賜物たまものひゃくだん。」しゅうしょ命婦みょうぶあずか相識そうしき,以寵これ

りゅうあきらおんな

りゅうあきらおんなしゃ河南かなんちょうまごこれ也。あきらざいしゅうなお公主こうしゅかんいたりばしらこく、彭國こうすうため將帥しょうすいもちたかしあらわあずか高祖こうそゆうきゅう。及受禪じゅぜん,甚親任しんにんこよみひだりたけまもる大將軍だいしょうぐん慶州けいしゅうそうかん。其子居士こじため太子たいしせんうし備身,聚徒にん俠,遵法じゅんぽうすうとくざいうえ以昶まい輒原居士こじてんほしいまままい大言たいげん曰:「男兒だんじようとう辮頭はんばく,籧篨上作じょうさく獠舞。」公卿くぎょう子弟してい膂力りょりょくゆうけんしゃ,輒將いたり,以車くく其頸而棒。殆死のう不屈ふくつしゃしょうため壯士そうししゃく而與交。とう與三よそうひゃくにん,其趫とししゃごうためかつえ鶻隊,武力ぶりょくしゃごうためよもぎてんたいまい韝鷹絏犬,れん道中どうちゅうなぐげきじんしょおかせだつ長安ながやすさと賤,これしゃみな辟易へきえきいたり公卿くぎょうぬし,莫敢與こうしゃ。其女そく居士こじ姊也,まいたれ泣誨いんつとむこん惻。居士こじあらためいたりやぶ家產かさんあきらねんおいたてまつやしなえ甚薄。其女寡居,あいあきら如此,まい甯於,躬勤紡績ぼうせき,以致其甘もろ有人ゆうじんつげ居士こじあずか其徒ゆう長安ながやすじょうのぼり未央みお殿どのもとみなみこうすわぜん後列こうれつたいゆう不遜ふそんまいそうやく曰:「當為とうい一死いっしみみ。」またとき有人ゆうじんげん居士こじ使つかい引突厥令みなみ寇,とう于京おううえいいあきら曰:「今日きょうこととうふく如何いか?」あきらなお舊恩きゅうおん引咎,直前ちょくぜん曰:「黑白くろしろざい至尊しそん。」上大かみおおいかしたあきらごく居士こじとうあずか治之はるゆき甚急。憲司けんじまたそうあきらごとはは不孝ふこう。其女あきら必不まぬかれしょくしゃ數日すうじつまいおや調ちょう飲食いんしょく捧持ほうじまいだい餉其ちち獄卒ごくそつちょう跪以すすむ歔欷きょき嗚咽おえつしゃきず居士こじすわあきら竟賜於家。みことのりひゃく僚臨とき其女ぜっ而復しゃすう矣,公卿くぎょう慰諭。其女げんちち無罪むざいすわ以及於禍。じょう哀切あいせつにんみなにん聞見。とげ布衣ふい蔬食以終其身。上聞じょうぶん而歎曰:「われ聞衰もんおんなきょうもんおとこかたきょ也!」

かねゆうはは

かねゆうははしゃ,臨賀蔣氏おんな也。ゆうつかまつひねためふく將軍しょうぐんひねぬし以士ゆうみねみなみ酋帥,おもんばか反覆はんぷくまいしつ蔣氏於都。及晉おう廣平ひろへい江南こうなん,以士ゆうざいみねひょうよく恩義おんぎ致之,蔣氏臨賀。すんで而同ぐんおそれしげるかねぶんはなとうさくみだれ,舉兵おさむじょうひと召士ゆうゆうはたおう。蔣氏いいゆう曰:「わがぜんざいあげ,備嘗辛苦しんくこん逢聖母子ぼし聚集,ぼつ不能ふのうじょうむくい,焉得ためぎゃく哉!なんじわか禽獸きんじゅう其心,背德はいとく忘義しゃわがとう自殺じさつ於汝まえ。」ゆう於是とげどめ。蔣氏ふくためしょあずかしげとうさとし禍福かふくしげるしたがえひろため官軍かんぐんしょはい上聞じょうぶん蔣氏,甚異ふうため安樂あんらくけんくん

どきいんしゅう寡婦かふえびすしゃ不知ふちなんつま也,甚有志ゆうしぶしためくにぞくしょじゅうとう江南えなみだれ諷諭ふうゆむねとうみなもりけわししたがえ叛逆はんぎゃくふうためみつりょうぐんくん

こう覃氏

こう覃氏しゃ上郡かみごおりがね也。あずか其夫しょういく而夫ねんじゅうはち事後じごしゅうと以孝聞。すうねんあいだしゅうと及伯叔皆しょうつぎ而死,覃氏ひん以葬。於是躬自節儉せっけん晝夜ちゅうや紡績ぼうせき蓄財ちくざいじゅうねん,而葬はちためしゅううらしょけい上聞じょうぶん而賜まいひゃくせきおもて其門閭。

げんつとむこうはは

げんつとむこうははしゃ,范陽おんな也。しょうこう讀書どくしょ造次ぞうじ以禮。盛年せいねん寡居,諸子しょし幼弱ようじゃくいえまずし不能ふのう就學しゅうがくごとおや教授きょうじゅ,勖以義方ぎほうせい以此しょうじんことぶきまつかんおうりょう舉兵はんはた綦良往山ひがしりゃくりょう以務こうためしつ。及良はい,慈州刺史しし上官じょうかんせい簿せきつとむ光之みつゆきえつ而逼以死ちかいせいためじん兇悍,いか甚,以燭しょう其身。こころざしわたるかた,竟不屈ふくつぶし

○裴倫つま

裴倫つま河東かわとうやなぎおんな也,しょう有風ゆうふうくん大業おおわざまつりんため渭源れいぞく薛舉みだれけんじょうためぞくしょおちいりんぐうがいやなぎねんよんじゅうゆうじょ及兒さんにんみな有美ゆみしょくやなぎいい曰:「我輩わがはい遭逢みだれなんじちちやめわがねん不能ふのうぜんなんじわがもんふうゆうもとよし受辱於群ぞくわがはたあずかなんじとうどう如何いか?」其女とうみなたれ泣曰:「ただははしょいのち。」やなぎとげとう于井,其女及婦しょうつぎ而下,みなおも于井ちゅう

ちょうもと楷妻

ちょうもと楷妻しゃ清河きよかわちぇじょ也。ちち儦,ざい文學ぶんがくでん》。いえゆうもとはん子女しじょみな遵禮もと楷父ためぼくしゃ家富いえとみ於財,じゅう其門もちあつれい以聘もと楷甚けいちぇ,雖在えんわたし妄言ぼうげんわらいしんとめようふくどうあい禮儀れいぎ及之はん也,もと楷隨いたり河北かほくはたかえり長安ながやすいたり滏口,ぐうぬすめおさむかすめもと楷僅以身めんちぇためぞくしょかかわぞく請以ためつまちぇいいぞく曰:「わが大夫たいふおんなためぼくしゃつま今日きょうやぶほろび即死そくしためぞくおわり不能ふのう。」ぐんぞく毀裂其衣,形體けいたい悉露,ばく於床うえはた淩之。ちぇ懼為しょはずかしめいつわり曰:「こんちからやめこごめとう處分しょぶん相違そうい,請解ばく。」ぞく遽釋ちぇいんちょころもぞく佩刀はかせ,倚樹而立じりつ曰:「よくころせわがつとむがたなのこわか覓死,らいしょう逼!」ぞくだいいからん射殺しゃさつもと楷後とくころせつましゃささえかい,以祭ちぇひつぎ

ろん[编辑]

ふみしん曰:おっとしょう婦人ふじんとくみな以柔じゅんためさき,斯乃舉其中庸ちゅうよう臻其きょくしゃ也。いたり於明識遠貞心ていしんたかしぶしこころざし不可ふかだつただよし所在しょざいこうまたなんせい而無哉!らんりょうしゅしつ邁寒まつ南陽なんようしゅしん逾匪せきあらいおうな孝女こうじょちゅうたけしちぇ、馮ははまことこんあし使義勇ぎゆう慚其こころざしれつらんだましゃ其貞よしじょうじょう華陽かようこれ,裴倫、もと楷之逢艱阻,こと乖好あい甘心かんしんどうあな,顛沛靡它,こころざし勵冰しもげん逾皎,雖《えいどもはじかみちかい,《つてじゅつはくひめもり,其將ふくなん以加焉!