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轩辕みかど

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轩辕みかどせいこう孙,ゆうくまこくくんしょう典之のりゆき次子じし也①。其母西にし桥氏おんなめいたからつむ见大电光绕北斗ほくとくるるぼしあきら于郊つけたからかん而有娠。以枢ぼしくだまためいてんくるる。怀じゅうよんがつなま轩辕于寿おか②。

ゆうぐまざい河南かなんしんていけん。   ②ことぶきたかし地名ちめいあるせつざい魯東もんそと


みかどせい而神灵,よう而徇齐①,じゃく而能ごと,长而あつしさとしなり而聪あかり。龙颜かく河目かわめたかし颡,苍色,だいかたはじめがく于项,长于ひめすいみかどねんじゅうしん虑无しょ不通ふつうはつ受国ゆうぐま,袭封くん。以制作せいさく轩冕,乃号轩辕。以土德王とくおう,曰黄みかどとく苍龙,べん乎东かたとく祝融しゅくゆうべん乎南かたとくだいふうじべん乎西かたとくきさきべん北方ほっぽう

 ①徇疾:しゅうあまね敏捷びんしょう


みかどめと西陵せいりょう于大はり,曰嫘,为元なまげん嚣、あきらはつ天下でんか戴已也,养正娱命,やす而顺,为鸿だい①,以一みん也。时,にん使つかい而自赏而劝,其心愉而伪②,其事もと而不饰,谓太清之きよゆきはじめ也。こうしゃおかせほとり,渔者そうがん,抵市预价,闭鄙,しょうたび人相にんそう让以财,そと户不闭,大同だいどうみかど天下でんかじゅうねん,忧念はじむ庶之,竭聪あきら,进智りょく,以营百姓ひゃくしょうおさむ德也とくやこう功德くどく,而务其法きょう。时,げん西陵せいりょうはじめ养蚕为丝。 ①鸿黄:ひろしあら。 ②愉而伪;舒畅而无虚假こけ
乃有てんおい圣以理化りかみかどふく羲氏ぞうほう而用すえしん农所じゅうろくじゅうよん义,みかど乃作八卦はっけ说,谓之はちさくもとめ其重义也。时有しん曹胡づくりころもしんはく馀造しん于则づくりくつみかどいんさくかんむり冕,はじめだいかわへいしょ谓黄みかどたれ衣裳いしょう而天よし以别尊卑そんぴこん男女だんじょ异处而居,ほう乾坤けんこんてんみこと卑之义。みかど见浮かのうかた为舟,そくゆうどもしんさくふねかじしょ谓刳为舟,剡木为楫也。盖取诸涣 ①。涣,也,もの大通だいつう也,所以ゆえん济不どおり也。みかどまた观转よもぎぞう以作车②。

きよしゆびえききよし》。 ②よもぎよもぎそう,其花風吹ふぶき而飄,如輪旋轉せんてん


时有しん出生しゅっしょう泽中,いんめい泽马,いち曰吉こういち曰吉りょうだいふうこく①。ぶん马缟しゅ鬃,じょう寿ことぶきせん岁,以圣じん为政,应而またゆう腾黄兽②,其色じょう如狐,じょうゆう两角,龙翼,いで日本にっぽんこく寿ことぶきせん岁③。みかどとく而乘とげしゅうゆうろくごうしょ谓八翼之龙游天下也。迁徒往来おうらい无常。

だいふうこく:毫州東國とうごく。 	②あがまたしょうじょうみどり。 	③ことぶきせんさいうわぶんためじんじょうことぶきせんさい


みかどはじめきょうじんじょう马,ゆうしん胲作ふくうし以用。《ほんうん:“ところ谓服うしじょう马,引重致远,以取诸随①。”とく随所ずいしょむべ也。ゆうしん雍父はじめさくうすしょ谓“だん为杵,为臼”,以济まんにん诸小过者②,过而どおり也。みかどさく灶以ちょ经,はじめこん铸釜づくりこしき,乃蒸饭而烹粥,以易茹毛饮血へいゆうしん挥始さくゆみしんえびすさくしょ谓“つる为弧, 为矢,,以威天下でんか”,以取诸睽③,乖也,せい顺也。みかどはじめ作屋さくや,筑宫しつ避寒ひかんあつ燥湿谓之宫。宫言处于中也ちゅうやしょ谓“うえ栋下宇,以待风雨”,诸大たけし④,だいしゃたけし也。みかどまたれい筑城邑以きょはじめあらためきょあな处之へいまたじゅう门击柝,以待暴客”,以取诸豫⑤,备不おそれ也。またえきいにしえころもたきぎそう以棺椁,以取诸大过⑥。ゆうふく斋于宫中,于洛水上すいじょうすわげん扈石しつあずかようこうとうない观。ゆるがせゆうだい鸟衔图置于帝まえみかどさい拜受はいじゅ鸟状如鹤,而鸡头、つばめ喙、龟颈、龙形、骈翼、鱼尾。からだしょく三文さんもんなりくびぶんまきいさおぶん曰信义,膺文曰仁さとしてんろう曰:“鸟麟まえ鹿しかきさきへび颈,ゆう龙文,くつせいけいきゅうつと⑦:いちくちつつみいのちこころごうさんみみ聪达,よんした屈伸くっしんさいしょく备,ろくかんむりたんなな、距锐钩。はちおとげき扬,きゅうはら户行。いちめい鸥,其雄曰凤,其雌曰凰,こうろくしゃくあさ鸣曰とう晨,ひる鸣曰うえさちゆう鸣曰归昌, 鸣曰かたつね鸣曰长,みな应律吕。见则天下でんかやす宁。”みかど曰;“鸟遇らん则去きょきゅうえびす矣。于东かた君子くんしくにまたあなやま。”ゆうしん沮诵、苍颉观鸟兽以さく文字もじ,此文字もじはじめ也。

ずいゆびえきずい》。  ②しょうゆびえきしょう》。  ③暌:ゆびえき《睽卦》。	④だいたけしゆびえきだいたけし》。	⑤ゆびえき》。⑥大過たいかゆびえき大過たいか》。   ⑦きゅうつときゅうもりきゅうしゅ吉祥きっしょうてきしるしちょう


みかど修德しゅうとく义,だい天下でんか。乃召てんろう谓之曰:“われ梦两龙挺しろ图出于河,以授。敢问于子。”てんろう对曰:“此河图洛书将じょうてん其授みかど乎,试斋戒观。”みかど乃斋于宫ちゅうころもふく,戴黄冕,驾黄龙之じょう,载交龙之たびあずかてんおい、五圣游于河洛之间,もとめ梦未とくみかどとげ沉壁于河,及大雾さんにちまたいたりみどり妫之いずみゆうだい鲈鱼溯りゅう而至。杀さん牲以醮之①,そく甚雨ななにちななゆう龙负图而于河。みかど谓天おい圣曰:“见河ちゅうしゃ乎?”てんおい圣乃まえ,跪受。其图しょく毕具,しろ图兰かのう而朱ぶん,以授みかど,乃舒视之,めい曰录错图。れい侍臣じしんうつし以示天下でんかみかど曰:“此谓かわ图书:”岁之あき也,みかどすんで见龙风云图书、苍颉ぶんそくせい文字もじはじめだい结绳せい,以作书契,盖取夬②。おっと,决也,决断为事。于是みかどじょうひゃくぶつめいさく八卦はっけ说,谓之はちさくいちごうみかど鸿氏,いちごう归藏,乃名しょせい曰《归藏》书,此《えきはじめ也。みかどたれ衣裳いしょうきさきさく龙衮ふくかく日月じつげつ星辰せいしん于衣じょう以象てんゆう龙衮颂。

 ①醮:祭祀さいし。  	② :ゆびえき》。
 

みかど纳女节为。其后おんな节见大星おおぼし如虹临华なぎさおんな节感而接,‘なましょう皥。みかどまた纳丑おんなごう嫫母,使つかい训人而有淑德しゅくとくそうろくとく颂。また纳费おさむ为夫じん时,庶民しょみんあま其食,よし其服,乐其ぞくやす其居,无羡ほっしん。邻国しょうもち,鸡犬おとしょう闻,いたりろうあい往来おうらい,无求也。ところ谓黄みかど天下でんか使つかいみん,谓之いたり理之まさゆきだい时风鸣条,谓之天下でんか风也;不破ふわ块,谓十日小雨应天下文,じゅう五日一大雨以协运也;以嘉禾为粮,谓木禾也,其穗异常;以醴いずみ为浆,谓泉水せんすい味美あじよし如酒,以养ろう也;以五しば为芳,谓有异草せい于圃,喊芝えいむらさきしばくろしばしば草生くさわみな神仙しんせんじょう药。时有水物みずものよう涌,やま车满,于是とくかん上天じょうてんゆうぼしさち①,谓之异星,かたち态似がつじょつき为光,めい曰景ぼしまたゆうあかかた气与あおかた气相连,あかかた中有ちゅううほしあおかた中有ちゅうういちほし,凡三ぼしまたゆう异草せい于庭,がついちにちせいいちかのういたりじゅうにちせいじゅうかのういたりじゅうろくにちいちかのう落,いたりさんじゅうにち落尽。若月わかつきしょうそく一叶厌而不落,谓之萋荚,以明于月也,また曰历荚。みかどいん铸镜以像,为じゅうめんしん镜,たから镜也。于是,だい挠能さがせぎょうじょううらない北斗ほくと衡所ゆび,乃作甲乙こうおつ十干じっかん以立立子たつこうしじゅうたつ明月めいげつ。以鸟兽配为じゅうたつぞく以成ろくしゅん,谓造甲子きのえね也。みかど观伏羲さんかくなり八卦はっけ合成ごうせいじゅうよん气,そくさく纪历以定ねん也。みかどけいだい挠,いん以为师。いんごとかたはいさんたつたてはじめなかゆう阴阳ほう焉。みかど闻之,乃服ころも,带黄绅,しゅかんむり,斋于宫中,そくゆう凤皇蔽日而至。みかど乃降阶,东面,再拜さいはい稽首曰:“てんくだ丕祜②,敢不承ぶしょういのち。”凤乃とめみかど东园,しゅう梧桐あおぎりまた于阿阁。たけ实不しょく醴泉饮。其饮也,则自鸣舞,おと如笙箫。みかどそく使伶伦往大なつ西にし阮榆こん仑之阴嶰だにさい钟龙たけ其窍あつひとししゃだん两节间七寸七分吹之为黄钟之音,以本いたり理之まさゆきだい天地てんち风气,しょ谓黄みかどのう日月じつげつこれぎょう,调阴阳之气,为じゅう二律吕雄雌各六也。

ぼし黃色おうしょくこうてきほしそくしも文中ぶんちゅうてきけいぼし 	②丕 :大福だいふく

时有おんな娲之きさきよう成氏しげうじぜん知音ちいんりつはじめづくりりつ历,もとおこりひのと①。また冬至とうじいたりほし②。また问天ろうとく天元てんげん日月じつげつ星辰せいしん书,以纪时。ゆうしん隶首ぜん算法さんぽうはじめさくすうちょさん术焉。しん伶伦さく权量。みかどまたとく蚩尤,はじめあきら天文てんもん

もとおこりひのとよりどころこんもと實錄じつろく年譜ねんぷ》。 ②いたりほしみなみほし

みかど获宝かなえ,乃迎推策。于是顺天纪,つくり罗日がつ星辰せいしんさく盖天仪,测玄ぞう,推分ほし,以じゅうはち宿しゅくじゅう①。かくもと为寿ぼしつぎぼうこころ为大つぎ为析つぎうし为星纪之きょ危为げん枵之しつかべ为诹訾之,奎娄为降娄之すばる毕为だいはりつぎ,觜参为实沈之おに为鹑くびつぎほし张为鹑火つぎつばさ轸为鹑尾つぎたて上之うえのほし②,さくうらない日月じつげつ书,此始为观ぞうほう也,みなかわ图而えんじこれ

じゅうはち宿しゅくじゅうはちほしそくしもぶんてきかく、亢、ぼうしんとうとうじゅう古人こじん劃分てきてんいきそくしもぶんてきことぶきぼしつぎ大火たいかつぎとうとう。 	②りつ中外ちゅうがいぼし確認かくにん星宿せいしゅくざいじゅうてき位置いちあるざいじゅうなかあるざいじゅうそと

また使つかい羲和うらないつね仪占がつおに臾区うらないぼしみかどさくうらないこうほううらない书,以明きゅうとがめ焉。みかどゆう茂德しげのりかん真人しんじんらいゆうたまいけ至德しとくしょ致也。ゆうみず兽在囿,げん枵之兽也。《なお书中こううん:“おうしか牛尾うしおおおかみ蹄、一角いっかくかくはしゆうにくしめせ伤物也。おとちゅう钟,文章ぶんしょうあきらあきらしかめす曰麒,おす曰麟。なま于火,ゆう于水はる鸣曰归禾,なつ鸣曰扶幼,あき鸣曰养信。”みかどまたほろむし蝼蛄,ゆうだい如羊しゃだい如牛しゃちゅうめい蚓大如虹しゃ,应土德之のりゆきおう也。ゆう兽名 ,如狮しょくとら,而循つねきんひとあるらい入室にゅうしつにんかしこ而患みかど上奏じょうそう于天,徒之かちの北荒きたあら。以景うん庆、みずうんさちそく以云纪官,かん以云为名。ゆう缙云かん①。于是设官ぶん职,以云いのちかんはる为青うんかんなつ为缙うんかんあき为白うんかんふゆ为黑うんかんみかど以云为师也。みかどおけよんかんれい沮育、苍颉、隶首、あなかぶときょ其职,しゅ图籍也②。またこん苍颉主人しゅじん仪,あなきのえはじめさく盘盂,以代凹尊はい饮之ほおちょ《盘盂へん》,盘盂诫也。みかどさくはば几之ほう,以著经。みかど书,中通なかとおりみかど谓之《 》。 ,だい也。

 ①縉云:あかしょうこれうん。 	②せきまたたたえ版籍はんせき記載きさい土地とちひとよしゆうしょうせき


ゆうしんだまはじめみやつこまた济南じんおおやけだま带①じょうみかどあかりどう图,ゆう复道,うえゆうろう,从西南せいなんいれ,此楼はじめ也。みかど图制,曰合宫,以观其行也。乃立あかりどう议,以观于贤也。时有せんはく于岐山下やましたごう岐伯,ぜん草木くさき药性あじ,为大みかど请主かた药。みかど乃修しん农所尝ひゃくくさあじせい,以理やまししゃさく内外ないがい经》。またゆうかみなり公述こうじゅつ炮炙かたてい药性ぜん恶。ひらた鹊、俞附しんじょう《脉经》,まんせいしょやましみかどあずかひらた鹊论脉法,せん《脉书》上下じょうげ经。みかど问岐はく脉法,またせいもと问》とう书及《うち经》。みかど问少俞针ほう,乃制《针经》,あかりどう图针炙ほう,此药はじめ也。

こうだまたいせいおおやけだまめいたい


みかど天下でんかはじめ中央ちゅうおういろ称号しょうごう①。はつきょゆうぐまくに,曰有ぐまみかどこう战争,とうかみ农氏はちだい,榆罔はじめじょう,诸侯しょうおかせ,以黄みかどしょう中央ちゅうおう四方僭号亦各以方色称②。佥共谋之,边城骇。みかど乃罢だい榭之やくしょう靡丽财,しゅうえびす③,筑营垒。みかど问于くび阳山,れいさいくびやまきむはじめ铸刀づくりいしゆみまた于东海流かいりゅう波山なみやまとく兽,じょう如牛,苍身无角,一足ひとあしのう入水じゅすい,吐水则生风雨,もくこう如日がつ,其音如雷,めい曰夔うしみかどれい杀之,以其がわおかせ而为,击之ごえ闻五ひゃくさとみかどれい军士吹角为龙鸣,此鼓かくはじめ也。于是またれいさく蹴鞠けまり戏以练武

中央ちゅうおういろ黃色おうしょく。 	②かたしょく四方しほういろあかしろあおくろよんしょく。 	③しゅうしゅうずみ


みかどうん:“にちちゅう必 ①,みさおがたな必割。”きょうこごめ竖闻曰:“みかどげん也。”みかどゆう天下でんかじゅうゆうねんゆるがせゆう蚩尤きょうみかどいのち,诸侯ちゅう强暴きょうぼうしゃ也,兄弟きょうだいはちじゅういちにん,并兽じん语,铜头铁额,しょく五谷ごたに,啖沙吞石。不用ふようみかどいのちさくしいたげこれけい,以害はじむ庶。于葛すすきやま发金さく冶,せい为铠かぶと及剑,造立ぞうりゅうへいつえがたな戟大いしゆみとうふるえ天下でんか顺帝いのちみかどほしこれせい诸侯,一十五旬未克敌,思念しねん贤哲以辅はたせい义,乃梦见大风吹天下でんか尘垢,また梦一人执千钧之弩驱羊数万群。觉而おもえ,曰:“风,号令ごうれい执政しゃ也,あかかいきよししゃ也,天下てんかとうゆう风姓めいきさきしゃおっとせん钧之いしゆみちからのう远者也,驱羊すうまんぐん牧人ぼくじん为善しゃ也。岂非ゆうせいりょくめい牧者ぼくしゃ乎。”みかどさく此二梦及前数梦龙神之验,みかどさく释梦书。れい梦求其人,とく风后于海すみとくりょくまき于大泽。そく举风きさき以理みんはつ为侍ちゅうきさきとう为相。举力まき以为しょう。此将相之あいのはじめ也。以大鸿为,于是顺天纪、幽明ゆうめいかず生死せいし说,谓帝谋臣也。みかど问张わか谋敌こと。张若曰:“如力まきのう于推术,ちょ兵法ひょうほうじゅうさんかん可用かよう。”乃习其干戈かんか,以征どるとおるはじめせいさんおおやけ职,以象さんだい②;风后はい上台うわだいてんろうはい中台ちゅうたい圣配下台しもだい

  ① :またさく彗,曬乾。 	②さんだいさんだいほし星座せいざめい


みかど于是取合とりあえおのれしゃよんにん,谓之よんめん而理①。时获たからかなえむかいにち推策②。またとく风胡为将,さく五牙旗及烽火战攻之具,ちょ兵法ひょうほうへんまた以神すめらぎ为将。みかど夫人ふじん费修之子ゆきこ太子たいしこう张罗及弓矢ゆみやづけ大将たいしょう,谓之抚军大元おおもと帅,为王ぜん敌。张若、ちからまき为行军左右さゆう别乘。以容こう为大马,统ろく师,けんてのひら邦国ほうこくきゅうほうまたおけ左右さゆうふと监,监于万国ばんこくしん龙纡しゃゆうゆう义,また为将。みかどこれぎょう也,以师へい为营卫。

よんめん而理:よんしんぶん四方しほう。 	②むかえぎゃく


乃与榆罔あい谋共击蚩ゆう,以玉为兵①。みかどふく冕,驾象车,交ろく龙。ふとしへい太一たいち为御。载交龙之たび,张五きば,引之以定方位ほういみかどこれぎょう也,つねゆう五色云状如金枝玉叶,とめ于帝じょう如葩华之ぞうみかどいんさく华盖②。みかどあずか蚩尤战于涿鹿みかどかつ敌,蚩尤さくひゃくさとだいさんにちみかど军人みな迷惑めいわく,乃令风后ほうつくえさく指南しなん车③,以别四方しほう

 ①以玉ためへい:以玉裝飾そうしょく兵器へいき。 	②はなぶたかさ。 	③ゆび北斗星ほくとせい


みかど战未胜,归太山たいざんおもねむごしか而寐。梦见西にしぬしはは道人どうじん披玄きつね授帝,曰:“太一たいちざいまえてんいちざいきさきとく战胜,战则かつ矣。”みかど觉而おもえこれ悉其そく召风きさきつげ。风后曰:“此天应也。战必かつ矣。おけ坛祈。”みかどこれ以设坛,稽首再拜さいはいはてとく,广さんすん,长いちしゃく青色あおいろ,以血为文。そく佩之,仰天ぎょうてん叹所とし,以精おもえこれ。惑天,だい雾冥めいさんにちさんてんくだいち妇人,にんくび鸟身。みかど见稽くび再拜さいはい而服。妇人曰:“われ玄女げんにょ也,ゆううたぐ问之。”みかど曰:“蚩尤暴人残物ざんぶつしょうよくまん战则まん胜也。”玄女げんにょきょうみかどさん宫秘りゃく五音ごいん权谋、阴阳术。玄女げんにょ传《阴符经》さんひゃくことみかど观之じゅうしゅん,讨伏蚩尤。また授帝《灵宝ぶん》及兵信行のぶゆきみかどふく佩之,灭蚩ゆうまたれい风后えんじかわ图法而为しきよう,创八ひゃくきょくめい曰《遁甲》,以推主客しゅかく胜负术。みかどまたちょじゅうろくかみ历》,推太いちろくみずのえとうほうまたじゅつ六甲阴阳之道,さく《胜负握つくえ图》及兵法要ほうよう诀《みかど兵法ひょうほうさんかん。《かわ图》だし军诀しょう:“みかどとくおうははへいまたゆう军大帅》、《としりつなりかくいちかん、《太一たいちへい历》いちかん、《みかど军新よう诀》いちじゅうかん、《みかどなつうらないへい气》ろくかん。《みかどじゅうはち阵图》かん,《みかど问玄おんな诀》さんかん,《风后きょ诀》じゅうかん、《务成げんへい灾异うらないじゅうよんかん,《おに臾区兵法ひょうほうさんかん、图いちかん。”①

きゅうちゅうしょう:以一兵法書皆本於黃帝,けい後來こうらいぞうおさむゆうみかどなつきさきうらないへいこれるい名目めいもく


みかど于是纳五おんこれさく,以审おさむ战之ごと,复率诸侯さい蚩尤于冀しゅう。蚩尤りつ魑魅すだま魍魉,请风はくあめ师,从天だい风而らいいのち应龙蓄水以攻。みかど请风はくあめ师及天女てんにょはらい,以止于东あらこれきたすみ诸山はじむへい驱应龙以处南极,杀蚩ゆう于凶はじむたにとく复上。其下ひでりしょきょみなあめ。蚩尤乃败于顾いずみとげ杀之于中冀①,其地いんめい绝辔すんでとりこ杀蚩ゆう,乃迁其庶类善しゃ于邹屠乡,其恶しゃ以木械之。みかどれい蚩尤かたち于旗じょう,以厌よこしまさきがけめい蚩尤。杀蚩ゆう于黎やまおか②。掷械于大荒中あらなかそう山之上やまのうえ,其后为枫はやしところ杀蚩ゆうくび异处,みかど悯之,れいそう,其首冢于寿ことぶき张,其肩膂冢ざいやま阳。收得しゅうとく蚩尤へい书《くだり军秘术》いちかん,《蚩尤兵法ひょうほうかん帝都ていと于涿鹿しかじょう

きゅうせつちゅう冀在媯州。 	②前文ぜんぶんせつ:「ころせ蚩尤於凶はじむこく」,此處ここらせつころせ蚩尤於黎やまおか」,ひろ文意ぶんい當為とういとりこ蚩尤於凶はじむこく」、「ころせ蚩尤於黎やまおか」。蚩尤とりこぞう以木かせころせ棄木かせ於野,したぶんせつ其械ためかえではやし


みかどまたあずか榆罔そう天下でんか,榆罔恃神农氏きさきそうみかどはじめ以雕鹗鹰鹯为はた帜,以熊罴 とら为前驱,战于ばんいずみさん战而きさき克之かつゆきみかどまたきた逐獯鬻之えびす。诸侯ゆう从者,みかどみなりつ而征。凡五じゅう战,天下てんかだいじょうみかど以伐叛之こうはじめれい岐伯さく军乐鼓吹こすい、谓之箫铙,以为军之警卫。枫鼓きょく、灵夔ほえ、雕鹗そういし坠崖、壮士そうしいかげんうんしゅ鹭等きょく所以ゆえん扬武德也とくや,谓之凯歌①。

きゅうせつかんだいちょう騫得西域せいいき樂曲がっきょく,乃黃みかど軍樂ぐんがくのこおと


于是,诸侯なりみこと轩辕为天みかど以己とりりつうけたまわかみ农之きさき生土いきどみかど以土とくしょうおう天下でんかごうみかどきょ中央ちゅうおう,临制四方しほうみかどやぶやまどおりどう尝宁きょれい风后负筹书.はくつね剑,だん出流いずるすなゆう归阴うらぎょう万里ばんり一息ひといきはん涿鹿おもねみかどまた试百しん而朝みかど问风きさき:“よくともかわしょ泄。”对曰:“かわ凡有みなはじめ于昆仑之墟。黄河こうが于昆仑山东南脚下きゃっかそく一也かずや。”みかどれい竖亥东极,いたり于西极,とく五亿十选九千八百八步①。南北なんぼくとく亿さんまんいちせんさんひゃく。东尽たい远,西にし穷邠こく,东西とくまんはち千里せんり南北なんぼくとくまんろく千里せんり。《淮南ワイナンうん:“きた极至于南二亿三万三千五百七十里也②。”みかどはじめ野分のわけしゅうれい百郡大臣授德教者,さきれつけいだま于兰がま席上せきじょう使つかいうす杂宝为屑,以沈榆之胶和为泥,以分,别尊卑そんぴくらいあずか华戎异。みかどつくりぎょう天下でんかとくひゃくくにしゃまん

せん萬里ばんりためせん。 	②《淮南ワイナン原文げんぶんためおくさんまんさんせんひゃくななじゅう」。
 

ところ谓首庶物しょぶつ万国ばんこくなり宁,ゆうあお乌子のうしょう地理ちりみかど问之以制经。また问地ろう说五かた利害りがい。时有みず草生くさわ于帝にわめいこごめ轶,佞人ねいじんにゅう则指以佞じん敢进。时外国がいこく有人ゆうじん以神兽来进,めい獬豸,如鹿,一角いっかくおけ于朝,直之なおゆきしん,兽即さわこれきゃくじょうしゃ得道とくどうごえりつおんな娲之きさきはつ为黄みかどづくりりつ历,もとおこりひのといたり此时,みやつこしょう以象凤鸣。もとおんな于广らいきょうみかど以鼓じゅうげん瑟,みかど损之为じゅうげんげんななすんふく羲置きんおんな娲和みかどきん名号みょうごう钟,さくきよしかくろうみかどはじめせいななじょうぎょうじゅう义。くんじんしんちゅうちち慈、こうあにりょうおとうと悌、おっと义、妇听、长惠、よう顺,じゅう义也。みかど制作せいさく乐之はじめ也。东海ゆうさくやま①,さんゆうしん荼郁垒,のうきょうおにみかどせい驱傩れい以象②。みかど以容成子なるこ为乐师,みかどさくうん门》,《大港おおみなと》、《なり乐,乃张乐于ほらにわ野北のぎた门,曰:其奏也,阴阳以之日月じつげつ以之あきらかず风俗也。

きゅうせつ,此山懸やまがたたけさく而度,さくやま。 	②儺:おに

みかどしょうかいかみ灵于西にし山之上やまのうえ,乃驾ぞう车,ろく交龙,毕方并辖,蚩尤居前いまえ①,风伯进扫,あめ师洒どう,风皇くつがえじょう,乃到山大やまだいごう鬼神きじんみかど以号钟之きんそうしんかくおとのぼりこん仑之灵峰,致丰だいこれさい,以诏きさきだい,斯封ぜんはじめ也。时有神人しんじん西王母せいおうぼしゃふとし阴之しらげ天帝てんていおんな人身じんしんとらくびひょうよもぎ头戴胜,颢然白首しらくびぜん啸,石城せきじょうきんだい穴居けっきょすわ于少广山,ゆう三青鸟常取食此神。西王母せいおうぼ羡黄みかどとくじょうしろ鹿しからいけんじ白玉しらたま环。またゆう神人しんじんみなみらいじょうしろ鹿しかけんじみかどとくいたり,秬 乃出。みかど习乐以舞,众神またかんじげんはちしょうまい左右さゆうみかど西山にしやま尝木はてあじ如李,じょう如棠はなあか无核,いんめいすな棠。しょくぐうすいおぼれだてだい于沃じんこく西王母せいおうぼやまめい轩辕だいみかど乃休于冥はくおかこん仑之墟。みかどゆう华胥こく②,复往てんどくこくきょいんめい轩辕こくまた西にしいたり穷山女子じょしこく此,また复游いっ于昆仑宫赤水あかみずきた。及南もち还归,而遗其玄たま使つかいあかりじん离娄もとめ使つかいぞう罔求而得きさき为蒙おんな奇相きそう窃其げんたま,沈海,为神③。みかどじゅん狞,东至うみとう桓山。于海滨得しろ泽神兽,のうごと,达于万物ばんぶつじょうよし问天鬼神きじんことせい气为ぶつ,”ゆうたましい为变しゃ,凡まんいちせんひゃくじゅう种。しろ泽言みかど以图うつし,以示天下でんかみかど乃作ちゅうよこしまぶん以祝みかどしゅうゆうぎょう时,げんにし于道,みかどさい以为祖神そしんれいつぎぶとはは监护于道以时さいよし以嫫姆为かたしょう④。

 ①蚩尤:さとゆび蚩尤。 	②華胥かしょこくふく羲所せいくに。 	③きゅうせつ奇相きそうため水神すいじん。 	④きゅうせつぽうしょうまたさくさまたげ,以其ため嫘祖まもるどくごう

みかど以天下大しもおおじょうみず并臻,乃登ふう泰山たいざんぜん于亭ていやままたぜん丸山まるやま。勒功于乔だけ①,さく畴以さいえんみかど,以观天文てんもん、察地理ちり宫室、せい衣服いふくこう气律,みやつこひゃくこう艺,こう积德。天授てんじゅ舆服、おの 、华盖、はね仪,天神てんじんへいみかどちょ轩舆铭。みかど以事しゅう毕,そく推律以定せい。纪、钟、甄、こえみかどよんなまじゅうとくせいしゃじゅうにんひめとりいのりおのれ、滕、箴、にん、苟、僖、诘、旋、ころもみかどきゅうかくふういちこくもとにし祖生そうげん嚣、あきら,并居帝位ていいげん得道とくどう北方ほっぽう水神すいじんあきらきょじゃくすいおとうとしょうひろしみかどしょう也,みかどおんな节所せいごうきむたかしきさきそく帝位ていいみかどおんなおぼれ于东うみ为鸟,めいせい卫,つね衔西山木やまきせき以堙东海。あきらめとしょくさんおんななま颛顼,きょ帝位ていいごうだか阳氏,みかど嫡孙也。こうつぶせばつ②,あきら少子しょうし也,ふうきた。禺强,みかどたねきょ帝位ていいまた得道とくどうきょ北方ほっぽう,为水しんしょうひろし有子ゆうこななにん,颛顼时以其子有德うとく业,赐姓曼氏。馀不闻。

たかしだけ橋山はしやま。 	②ひらけ拔:きゅうちゅうせつきたぞく以土ためひらけ,以君ためつぶせ。拔乃德之のりゆきくん

みかど以天すんで①,ぶつ用具ようぐ备,乃寻访隐问道もとめせん,冀获长生ひさ视,しょ谓先理代りよ而后登仙とうせんしゃ也。时有宁子为陶ただしゆう神人しんじんいたりきょうほうしょくけむりのうずい上下じょうげ道成みちなりせん,往流すなこれしょしょく飞鱼,暂死ひゃく更生こうせいさくすな头颂》曰:あお蕖灼烁千载舒,万龄暂死饵飞鱼。”ゆう光子こうししゃはちしゃくななすん神仙しんせんしゃ也。ゆうあか将子まさこ舆,しょく五谷ごたに,啖百くさ而长ねんゆうようなりこうぜん补导术,守生もりお养气,谷神やちかみ不死ふしのう使しろ发复くろ,齿落复生。みかど慕其どう,乃造五城十二楼以侯神人。そく访道ゆう华山、くびやま②,东之泰山たいざん,时致物怪もっけ而与神仙しんせんどおりせっ访神じん蓬莱ほうらいかい乃接まん灵于あかりにわきょうちょう仲山なかやまあまいずみかん门、谷口たにぐち③。

したがえ這句おこりいたりぜんへんまつじょいくしょそとだい致是節錄せつろくこうみかどほんぎょう文字もじ。 	②くびやまざい河東かわとうかばばんけん。 	③谷口たにぐちざい長安ながやすあまいずみざいくも


みかど于是さいてん园丘,はたもとめいたりどうそく师事きゅうげん,以地すめらぎ元年がんねん正月しょうがつじょうとら斋于くびやま。复周ゆう以访其道,はた见大隗于いばらやまれいほうあきら为御,あきら 骖乘,张若、
导马,こん 滑稽こっけい从车。而至じょうじょうなな圣俱迷。ぐうまき马童みかど问曰;“为天下若しもわかなに?”童子どうじ曰:“天下でんかなん异牧马,其害马而やめ。”みかどしょうてん师而退。いたり于园おか,其国有こくゆう不死ふし树,しょく其子あずかかのうにんみな不死ふしゆう峦之いずみ,饮之而寿,ゆうきょへびがいじんみかど以雄却逐其蛇,とめいち时而かえしみかどれいさん习服みな寿ことぶきさんひゃく岁。きたいたひろしつつみうえいばらさん,见大隗君①。また见黄盖童,受《かみしば图》ななじゅうかん。适中岱见ちゅう,受九なすこれかたとう崆峒やま②,见广成子なるこ。问至どう,广成こたえみかど退すさ捐天,筑特しつ,藉白茅ちがや,闲居さんがつかた往。さい修身しゅうしんみち,广成乃授以《自然しぜん经》いちかんみかどしゃ帝王ていおうみことたく猳豚ぶんとう鸡山,のぼるおう屋山ややま,开石はこ,发玉きゅうとく《九鼎神丹注诀》。みなみいたるこうとうぐま、湘③,往天台山だいやま,受金えきかみ。东到あお丘山おかやま,见紫先生せんせい,受さんすめらぎないぶん大宇だいう。以劾召万しんみなみしばげん涧,とう圜垄荫建,观ひゃく灵。ところ登降とうこうさい若干じゃっかんしば,饮丹峦之すいみなみいたりあお城山しろやまれい谒中たけじん。乃闲とううん台山だいやま,见宁先生せんせい,受《龙 经》いちかん。问真いち道中どうちゅう丈人たけと丈人たけと曰:“すんでくん海内かいだい,复欲求よっきゅう长生不死ふしまた贪乎!”频相はん复,授道。みかどはい谢讫,东过庐山,ほこら使者ししゃ以次あおじょう丈人たけと。庐山使者ししゃ秩比使つかいしゅ总仙かんみちたけ监司也。またふうせんやまくん九天きゅうてんいのちしゅ生死せいし录。みかど以四岳皆有佐命之山,而南だけとく无辅,乃章ほこらさんてんふと上道じょうとうくんいのち霍山为储くんいのちせんやま为衡だけふく,以成时参政事せいじ以辅みかど造山つくりやま,躬写形象けいしょう以为たけしんがた图。

いばらやまざい翟。だい隗。ざいみつけん。	②崆峒やまあるさくそら同山どうさんそら桐山きりやま。	③ぐま、湘:くま熊山くまやまざい召陵;湘,湘山,ざいえき


みかど往炼せき于缙うんどう。于地炼丹,时有红非むらさきうん见,曰缙うんいんめい缙云やまみかどぞう兵法ひょうほう胜负图,六甲阴阳之书于苗山。みかど合符あいふみず于釜やまとく不死ふしみちたてまつれいふとおつもとくん,受要记修道しゅうどう养生ほう,于玄おんなおんな受还せい补脑术。玄女げんにょ授帝如意にょいかみかたそくぞう崆峒やまみかどせい推步术于やま稽、ちからまきちょたい诊之诀于岐伯、雷公らいこう①,讲占こう于风きさき先生せんせいみかどとく玄女げんにょ授《阴符经》义,のうないごうてんつくえそとあい人事じんじみかどしょ天下でんかみなみ及交趾,きたいたりかそけりょう西にしいたりりゅうすな,东及蟠みかどよく弃天,曰:“われ闻在なだめ天下でんか②,闻理天下でんかわが劳天ひさ矣,はたいき驾于げん圃以かえしわれ矣。”みかどおさむ举封ぜんれい毕,さいくびやま铜,はた铸九鼎于荆山之下,以象太一たいち九州きゅうしゅうかなえかみ质之せい也。よしともきょう存知ぞんちほろびのう轻能じゅうのういき能行よしゆき灼而にえ汲自满,ちゅうせい五味ごみ真神まがみぶつ也。.みかど炼九かなえふく,逮至炼丹なりきさき,以法传于玄子げんご。此道いたりじゅうめい以诫みかど以中经所纪藏于九しこりやま东,ごううけたまわ以文だまくつがえ以盘せき。其书きん简玉みかど贵谶也。みかどまた以所佩灵たから五符真文书金简一通,しげる于委あてやまみかど尝以きん铸器,みなゆう铭,题上古じょうこぶん,以记年月としつきあるゆう词也。时有かおる风至、神人しんじんしゅうなり厌代こころざし③,そくとめかんむり剑佩舄于かなえ极峻处昆仑台じょうたて馆其こん仑山轩辕だい也。时马师皇ぜん马,ゆうどおりしんみょうゆるがせゆう龙下于诞ふく张口。师皇视之,曰:“此龙びょうもとめわが也。”师皇乃引针于龙口上下じょうげ,以牛ちちせんじ甘草かんぞう灌之。龙愈,师皇じょう此龙せんみかど闻之,择日还宅,ますせんにちどくつちのえうまはてゆう龙来,たれえびすひげむかえみかど乃乘龙,あずか友人ゆうじん无为及臣僚等从上しゃななじゅうにんしょうしんとくうえしゃはた龙髯拔眵及帝ゆみしょうしんだき其弓あずか龙髯ごうゆみいんごう鸟号。かなえきさき曰鼎みずうみ。其后ゆうしんひだり彻削为黄みかどぞうりつ诸侯而朝たてまつこれしん追慕ついぼ罔极,ある杖立つえたて庙而さい衣冠いかんおけはか而守,以有乔山冢。みかど曾游处皆ゆうほこらひゃくねんきさき,乔山くずし空室くうしつただ剑舆あか舄在,一旦いったんまたしつみかどきょだい总一ひゃくじゅうねん在位ざいいいちひゃくねんうえせんきさきますてん为太いちくん,其神为轩辕之宿やどざいみなみ宫黄龙之たいぞうきさきらいとおるれつ为五帝之中方君以配天。みかどとく中央ちゅうおうくらい,以主四方しほう。以镇ぼしはい为子,含枢纽之しん为位はいとおる于黄みかど

ちょあかり。	②ざいなだめ自在じざいひろしなだめ。 	③いやだい滿足まんぞくいちだいいちだい


みかど之子ゆきこしょうひろしめい挚字あお阳,ごうきむたかしきょはちじゅういちねんきょく阜,相承そうしょうどもよんひゃくねんみかど孙颛顼,ごうだか阳氏,ははしょくさん所生しょせいゆう圣德,きょ帝位ていいななじゅうはちねんしょうおかみかど喾高からしみかど曾孙也。みかど喾生而神灵,げん其名,きょ帝位ていいななじゅうねん寿ことぶきいちひゃく岁,偃师。みかど尧陶とうみかどげん孙,みかど喾之也,せい祁,勋,兴于ていすえ,以唐こう为帝,在位ざいいななじゅうねん寿ことぶきいちひゃくいちじゅうはち岁,都平みやこたい阳.しゅんゆうおそれみかどきゅうだい孙,せいさるほふ,摄帝さんじゅうねんせいきょじゅうねん寿ことぶきいちひゃくいちじゅう岁,がまばんなつ禹亦みかどげん孙也。せい姒,きょ帝位ていいやす邑,在位ざいいきゅうねん相承そうしょうどもよんひゃくさんじゅうねんいん汤,みかどじゅうななだい孙,せい毫,在位ざいいいちじゅうさんねん相承そうしょうどもろくひゃくじゅうさんねんしゅう发,みかどいちじゅうきゅうだい孙,せいひめきょ帝位ていいろくねん镐京,きさきたいらおう迁洛邑。相承そうしょうどもはちひゃくななじゅうさんねんみかど孙各とくせい于事,みかど推律ていせいしゃじゅうきゅうかくふういちこく,总さんじゅう三氏出黄帝后。《先天せんてん纪》うん:“相承そうしょう,凡一せんひゃくじゅうねん。”①

 ①《世紀せいきためいちせんひゃくじゅうねんひとしよりどころこう