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資治通鑑/卷010 - 維基文庫,自由的圖書館 とべいたり內容

どおりかん/まき010

維基文庫ぶんこ自由じゆうてき圖書館としょかん
 まききゅう かん紀一きいち どおりかん
まきじゅう かん
まき十一といち かんさん 


おこりきょう圉作噩,つきちょ雍閹しげる,凡ねん

ふとしだか皇帝こうてい上之うえの

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こうみかどさんねんちょうとりおおやけもとまえよんねん

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1 ふゆじゅうがつかんしんちょうみみ以兵すうまんひがしげきちょうちょうおう及成やすくんひね餘聞よぶん,聚兵陘口,ごうじゅうまん

こうたけしくんひだりしゃせつ成安なりやすくん曰:「かんしんちょうみみじょうかち而去國遠くにとお,其鋒不可ふかとうしん聞『千里せんり饋糧,ゆうひだるしょくきこり爨,宿やど飽。』今井いまい陘之どうくるまかた軌,とくなりれつぎょうすうひゃく,其勢糧食りょうしょく必在其後。ねがい足下あしもとかりしんへいさんまんにんしたがえあいだぜっ輜重しちょう足下あしもと深溝ふかみぞだかるい勿與せんかれぜんとく退すさかえしょかすめいたりじゅうにち,而兩將之まさゆきあたま致於麾下きかそく必為しょとりこ矣。」成安なりやすくん自稱じしょう義兵ぎへい不用ふよういつわりはかりごと奇計きけい,曰:「かんしんへいしょう而疲,如此避而げきのり諸侯しょこういいわれおびえ而輕らいわが矣。」

かんしん使人間にんげん其不ようこうたけしくんさくのり大喜だいぎ,乃敢引兵とげいたり陘口さんじゅうとめしゃ夜半やはんつてはつせんけいせんにんにんもちいちあかのぼりしたがえ間道かんどう萆山而望ちょうぐん。誡曰:「ちょうわがはし,必空かべ逐我;わかやましにゅうちょうかべ,拔趙のぼりたてかんあかのぼり。」れい其裨しょうでん餐,曰:「今日きょうやぶちょう會食かいしょく。」しょしょうみな莫信,佯應曰:「だく。」しん曰:「ちょうやめさきよりどころ便びんためかべ;且彼未見みけんわれ大將たいしょう旗鼓きこ肯擊まえぎょうおそれわれいたり阻險而還也。」乃使まんにん先行せんこう背水はいすいひねちょうぐん望見ぼうけん而大わらいひらだんしんけん大將たいしょう旗鼓きこつづみゆき出井いずい陘口;ちょうひらくかべげき大戰たいせん良久よしひさ。於是しんじあずかちょうみみ佯棄走水はしりみずうえぐん水上すいじょうぐんひらきいれふくやましせんちょうはてそらかべそうかんはた,逐信、みみしんじみみやめ入水じゅすいじょうぐんぐんみなことたたかえ不可ふかはいしん所出しょしゅつへい千騎共候趙空壁逐利,のりはせにゅうちょうかべみな拔趙たてかんあかのぼりせんちょうぐんやめ不能ふのうとくしんとうほしかえかべかべみなかんあかのぼり而大おどろき,以為かんみなやめちょう王將おうしょう矣,へいとげみだれ遁走とんそうちょうすすむ雖斬不能ふのうきん也。於是かんへい夾擊きょうげき大破たいはちょうぐん成安なりやすくん泜水じょう,禽趙おう歇。しょしょうこうくびとりこ,畢賀,いんといしん曰:「兵法ひょうほう:『みぎばい山陵さんりょうぜんひだり水澤すいたく。』いましゃ將軍しょうぐんれいしんとうはん背水はいすいひね,曰『やぶちょう會食かいしょく』,しんとう不服ふふくしか竟以しょう,此何じゅつ也?」しん曰:「此在兵法ひょうほう,顧諸くん察耳。兵法ひょうほう曰『おちいこれ死地しち而後せいおけほろび而後そん』?且信とくもと拊循大夫たいふ也,此所謂いわゆるじん而戰』,其勢おけ死地しち使つかい人人ひとびとためせんこん生地きじみなはしやすしなおとく而用乎?!」しょしょうみなふく,曰:「よししんしょ及也。」

しんじつの生得しょうとくこうたけしくんしゃ千金せんきんゆうばく致麾しゃしんかい其縛,東鄉とうごうすわ師事しじとい曰:「ぼくほしきたおさむつばめひがしだいひとしなにわか而有いさお?」こうたけしくんしゃ曰:「しん敗亡はいぼうとりこなんそく以權大事だいじ乎?」しん曰:「ぼく聞之,百里奚居虞而虞亡,ざいしん而秦霸;於虞而智於秦也,もちいあずか不用ふよう,聽與聽也。まことれい成安なりやすくん聽足けいわか信者しんじゃまたやめため禽矣。以不用足ようたししんとくさむらいみみいまぼくこころけいねがい足下あしもと勿辭。」こうたけしくん曰:「こん將軍しょうぐんわたる西河にしかわとりこおう,禽夏せつひがし下井しもい陘,おわりあさ而破ちょうじゅうまん眾,誅成やすくん名聞みょうもんうみ內,ふるえ天下でんか農夫のうふ莫不輟耕しゃく耒,ころも俞衣甘食あましょくかたぶけみみ待命たいめいしゃ,此將ぐん所長しょちょう也。しか而眾ろうそつやめ,其實なんようこん將軍しょうぐんよく舉倦敝之へいとみつばめけんじょうしたよくせんおさむ不拔ふばつじょうぜいこごめ;曠日持久じきゅう糧食りょうしょくたん竭。つばめすんで不服ふふくひとし必距さかい以自きょうつばめひとしあい而不のりりゅうこうこれけんゆうしょぶん也,此將ぐんしょたん也。善用ぜんようへいしゃ以短げきちょう而以ちょうげきたん。」かんしん曰:「しかのりなんよし?」こうたけしくんたい曰:「方今ほうこんため將軍しょうぐんけい,莫如按甲きゅうへい鎮撫ちんぶちょうみんひゃく內,うししゅいたり,以饗大夫たいふきたくびつばめ,而後辨士べんしたてまつ咫尺しせきこれしょ,暴其所長しょちょう於燕,つばめ必不敢不聽從ちょうじゅうつばめやめしたがえ而東臨齊,雖有智者ちしゃまた不知ふちためひとしけい矣。如是にょぜのり天下でんかごとみな也。へい固有こゆうさきごえ而後しゃ,此之いい也。」かんしん曰:「よし!」したがえ其策,はつ使つかい使つばめつばめしたがえふう而靡;使つかいほうかん,且請以張みみおうちょうかんおうもとすわえすう使つかいへい渡河とかげきちょうちょうみみかんしん往來おうらいすくいちょうよしぎょうじょうちょうしろ邑,はつへいまいかん


2 きのえいぬみそにちゆうしょく


3 十一月じゅういちがつみずのとみそにちゆうしょく


4 ずいなんいたりきゅう,九江太宰主之,さんにちとくずいなんせつ太宰だざい曰:「おうなに,必以すわえためきょう,以漢ためじゃく也。此臣所以ゆえんため使使つかいなんとくげん而是,大王だいおうしょよく聞也;ごと而非,使つかいなんとう十人伏斧質九江市,そく以明おうばいかん而與すわえ也。」太宰だざい乃言おうおうこれずいなん曰:「かんおう使臣ししんけいしんしょ大王だいおう御者ぎょしゃ,竊怪大王だいおうあずかすわえなんおや也。」きゅうおう曰:「寡人北鄉きたごう臣事しんじ。」ずいなん曰:「大王だいおうあずかこうおう俱列ため諸侯しょこう北鄉きたごう臣事しんじこれしゃ,必以すわえためきょう以托こく也。こうおうひとしまけばんきずけため士卒しそつさき大王だいおうむべ悉九眾,將之まさゆきためすわえぜんほこさきこん乃發よんせんにん以助すわえおっと北面ほくめん臣事しんじじんしゃかたわか乎?かんおうにゅう彭城,こうおうひとし也。大王だいおうむべ悉九江之兵渡淮,にちよる會戰かいせん彭城大王だいおう乃撫まんにん眾,いちにんわたり淮者,たれ拱而かん其孰しょうおっとたくこく於人しゃかたわか乎?大王だいおうつつみ空名くうめい以鄉すわえ而欲あつたくしん竊為大王だいおう也!しか而大おうすわえしゃ,以漢ためじゃく也。おっとすわえへい雖強,天下てんかまけ以不義之よしゆきめい,以其盟約めいやく而殺みかど也。かんおうおさむ諸侯しょこうかえ守成しゅせい皋、滎陽,したしょくかんあわ深溝ふかみぞかべるいふんそつもり徼乘ふさがすわえじん深入ふかいり敵國てきこくはちきゅうひゃく老弱ろうじゃくてんかて千里せんりそとかん堅守けんしゅ不動ふどうすわえしんそくとくおさむ退すさのり不能ふのうほどけ曰楚へい不足ふそく恃也。使つかいすわえかちかんのり諸侯しょこう危懼きく而相すくいおっとすわえつよてきあし以致天下でんかへいみみすわえ如漢,其勢えき也。こん大王だいおうあずか萬全之漢而自托於危亡之楚,しん竊為大王だいおう惑之!しん以九江之兵足以亡楚也;大王だいおうはつへい而倍すわえこうおう必留;とめすうがつかん天下てんか萬全ばんぜんしん請與大王だいおうひさげけん而歸かんかんおう必裂而封大王だいおうまたきょう九江必大王有也。」きゅうおう曰:「請奉いのち。」かげもとほとりすわえあずかかん敢洩也。

すわえ使者ししゃざいきゅうしゃでんしゃぽうきゅうせめぬのはつへいずいなん直入なおいりすわすわえ使者ししゃじょう,曰:「九江王已歸漢,すわえなん以得はつへい?」ぬの愕然がくぜんすわえ使者ししゃおこりなにいんせつぬの曰:「ことやめ構,とげころせすわえ使者ししゃ使つかい,而疾走しっそうかんなみりょく。」ぬの曰:「如使しゃきょう。」於是ころせすわえ使者ししゃいんおこりへい而攻すわえ

すわえ使こうごえりゅう且攻きゅうすうがつりゅう且破きゅうぐんぬのよく引兵はしかんおそれすわえへいころせこれ,乃間ぎょうあずかなに俱歸かん十二月じゅうにがつきゅうこうおういたるかんかんおうかたうずくまゆか洗足せんそく,召布いれぬのだいいか,悔來,よく自殺じさつ;及出就舍,とばり飲食いんしょくしたがえかんみな如漢おうぬのまた大喜だいぎもち。於是乃使じんいれきゅうすわえやめ使こうはくおさむきゅうへいつきころせぬの妻子さいしぬの使者ししゃ頗得故人こじんこうしんはた眾數せんにんかんかんえききゅうおうへいあずか俱屯なり皋。

すわえすうおかせだつかん甬道,かんぐんとぼししょくかんおうあずか酈食其謀橈楚けんしょく其曰:「むかし桀,ふう其後於杞;おう紂,ふう其後於宋。こんしんしつとく棄義,おかせ諸侯しょこうめつ社稷しゃしょく使つかい立錐りっすい陛下へいかまことのうふくりつろく國之くにゆき,此其君臣くんしん、百姓必皆戴陛下之德,莫不きょうふう慕義,ねがいためしんわらわ德義とくぎやめくだり陛下へいか南鄉なんごうしょう霸,すわえ必斂おくみ而朝。」かんおう曰:「よしおもむき刻印こくいん先生せんせいいんぎょう佩之矣。」しょく其未ぎょうちょうりょうしたがえ外來がいらい謁。かんおうかたしょく,曰:「子房しぼうまえきゃく有為ゆういわがけい橈楚けんしゃ。」以酈せいつげりょう,曰:「なに如?」りょう曰:「だれため陛下へいか此計しゃ陛下へいかごと矣!」かんおう曰:「なに哉?」たい曰:「しん請借ぜんはしため大王だいおう籌之。むかしたけふう桀、紂之後者こうしゃのうせい其死せいいのち也;こん陛下へいかのうせいこうせき死命しめい乎?其不可ふか一也かずやたけおうにゅういんおもてしょうよう閭,しゃくこれしゅうふうはかこん陛下へいかのう乎?其不可ふか也。はつきょきょうあわ鹿しかだいぜに,以賜貧窮ひんきゅうこん陛下へいかのう乎?其不可ふか三也みつやいんごとやめ畢,偃革ためのきたおせ干戈かんかしめせ天下でんかふく用兵ようへいこん陛下へいかのう乎?其不可ふかよん也。きゅううま華山かざんしめせ無為むいこん陛下へいかのう乎?其不可ふか也。うしももりんかげ,以示ふく輸積,こん陛下へいかのう乎?其不可ふかろく也。天下てんかゆうはなれ親戚しんせき,棄墳故舊こきゅうしたがえ陛下へいかゆうしゃほし日夜にちやもち咫尺しせきこんふくりつろく國之くにゆき天下てんかゆうかくごと其主,したがえ親戚しんせきはん故舊こきゅう墳墓ふんぼ陛下へいかあずかだれ天下てんか乎?其不可ふかなな也。且夫すわえただきょう,六國立者復橈而從之,陛下へいか焉得而臣?其不可ふかはち也。まことようきゃくはかりごと陛下へいかごと矣!」かんおう輟食,吐哺,ののし曰:「豎儒いくはい公事こうじ!」れいおもむき銷印。

荀悅ろん曰:おっとりつさく決勝けっしょうじゅつ,其要有三ゆうぞういち曰形,曰勢,さん曰情。かたちしゃげん其大體得たいとくしつ數也かずやぜいしゃげん其臨むべ進退しんたい也;じょうしゃげん其心こころざし可否かひじつ也。さくどうこととう而功ことしゃさんじゅつ不同ふどう也。
はつちょうみみひねあまりせつちんわたる以復ろくこくためじゅとう;酈生またせつかんおう所以ゆえんせつしゃどう得失とくしつことしゃちんわたるおこり天下てんかみなよくほろびはた;而楚、かんこれぶんゆう所定しょていこん天下てんか未必みひつよくほろびこう也。だてろくこく,於陳わたる所謂いわゆるおおおのれとう而益しんてき也;且陳わたるのうせん天下でんか也,所謂いわゆる其有以與於人,ぎょうきょめぐみ而獲じつぶく也。だてろくこく,於漢おう所謂いわゆるわりおのれゆう而以てきしつらえ虛名きょめい而受じつわざわい也。此同ごと而異がたしゃ也。
及宋まちしんちょう斃,あずかむかし卞莊とげとらどうせつしゃ也。ほどこせ戰國せんごくとき,鄰國しょうおさむ臨時りんじきゅうのり可也かなり戰國せんごくだて,其日ひさ矣,いちせん勝敗しょうはい必以存亡そんぼう也;其勢のうきゅう於亡敵國てきこく也;すすむじょう退すさたもてるいりょくまちうけたまわてき斃,其勢しか也。こんすわえちょうしょおこり,其與しんぜい並立へいりつ安危あんき呼吸こきゅうなりへんしん則定のりさだいさお退すさのり受禍。此同ごと而異ぜいしゃ也。
ちょうこれやくかんしんぐん於泜すいうえ而趙不能ふのうはい。彭城なんかんおうせん於睢すいうえ士卒しそつみな赴入睢水而楚へい大勝たいしょうなにそくちょうへい出國しゅっこくむかえせん而進,なん而退,ふところ內顧しんだしけいかんしんぐんざい水上すいじょう士卒しそつ必死ひっしゆうしん,此信所以ゆえん勝也かつやかんおう深入ふかいり敵國てきこくおけさけだかかい士卒しそついっせんこころかたすわえ以強だい而喪其國士卒しそつみなゆう憤激ふんげきすくいはい赴亡きゅう,以決一旦いったんこれめいじ,此漢所以ゆえんはい也。且韓しんせん精兵せいびょう以守,而趙以內顧之おさむ項羽こううせん精兵せいびょう以攻,而漢以怠惰之そつおう,此同ごと而異じょうしゃ也。
曰:けん不可ふかしつらえへん不可ふかさきあずかとき遷移せんいおうぶつ變化へんかしつらえさく也。

5 かんおういい陳平ちんぺい曰:「天下てんか紛紛ふんぷん何時いつてい乎?」陳平ちんぺい曰:「こうおうこつ鯁之しんちち、鍾離昧、りゅう且、しゅういんぞくすうにんみみ大王だいおうまことのう捐數まんきんきんぎょう反間はんかんあいだ君臣くんしん,以疑其心。こうおうためじんしん讒,必內しょう誅,かんいん舉兵而攻やぶすわえ必矣。」かんおう曰:「よし!」乃出黃金おうごんよんまんきん與平よへいほしいまま所為しょい不問ふもん出入でいりひらた以金たて反間はんかん於楚ぐん宣言せんげん:「しょしょう鍾離昧等ためこう王將おうしょういさお矣,しか而終とく裂地きれじ而王,ほしあずかかんためいち,以滅こう而分おう其地。」こうおうはて不信ふしん鍾離昧等。

なつよんがつすわえかこえかんおう於滎きゅうかんおう請和,わり滎陽以西いせいしゃためかんちちすすむはねきゅうおさむ滎陽;かんおう患之。項羽こうう使使いたりかん陳平ちんぺい使ためふとしろう。舉進,すわえ使そく佯驚曰:「われ以為ちち使,乃項おう使。」ふく持去もちささら以惡くさしんすわえ使すわえ使以報こうおうこうおうはてだいうたぐちちちちほしきゅうおさむ滎陽じょうこうおう不信ふしん肯聽。ちち聞項おううたぐこれ,乃怒曰:「天下てんか事大じだいてい矣,君王くんのう為之ためゆきねがい請骸こつ!」いたり彭城,疽發而死。

五月ごがつ將軍しょうぐんきのしんげん於漢おう曰:「こときゅう矣!しん請誑すわえおう以間。」於是陳平ちんぺいよる女子じょし東門ひがしもんせん餘人よにんすわえいん而四めんげききの信乃しのじょうおうしゃひだり纛,曰:「食盡しょくじんかんおうくだすわえ。」すわえみなよびまんさいこれ城東じょうとうかん。以故かんおうあずかすうじゅう出西しゅつさいもん遁去,れいかんおうしんじあずかしゅう苛、ひょうもみこうもり滎陽。はねきのしんとい:「かんおう安在あんざい?」曰:「やめ矣。」はねしょうころせしんしゅう苛、もみおおやけしょういい曰:「はん國之くにゆきおうなんあずかもりじょう。」いんころせひょう

かんおう滎陽,いたりなり皋,いれせきおさむへいよくふくひがしながえせいせつかんおう曰:「かんあずかすわえしょう距滎すうさいかんつねこまねがい君王くんのうたけせきこうおう必引へいみなみはしおうふかしかべ勿戰,れい滎陽、なり皋間且得休息きゅうそく使つかいかんしんとうとくやす輯河きたちょうれんつばめひとし君王くんのう乃復はし滎陽。如此,のりすわえしょ備者ちからぶんかんとく休息きゅうそくふくあずかこれせんやぶこれ必矣!」かんおうしたがえ其計,ぐんあてあいだあずか黥布ぎょうおさむへいはね聞漢おうざいあてはて引兵みなみかんおうけんかべあずかせん

かんおうはい彭城,かい而西也,彭越みなほろび其所下城げじょうどくしょう其兵きたきょ河上かわかみつね往來おうらいためかんゆうへいげきすわえぜっ其後かてこれがつ,彭越わたり睢,あずかこうごえ、薛公せん邳,やぶころせ薛公。はね乃使おわりこう守成しゅせい皋,而自ひがしげき彭越。かんおう引兵きた擊破げきはおわりこうふくぐんなり皋。

六月ろくがつやめやぶはし彭越,聞漢ふくぐんなり皋,乃引へい西にし拔滎じょう生得しょうとくしゅう苛。はねいい苛:「ためわがはた,以公ためじょう將軍しょうぐんふうさんまん。」しゅう苛罵曰:「わか趨降かんこんためとりこ矣;わかかんおうてき也!」はね烹周苛,なみころせもみこう而虜かんおうしんとげかこえなり皋。かんおう逃,どくあずか公共こうきょうしゃなり皋玉もんきた渡河とか宿やどしょうおさむたけつたえしゃ。晨,自稱じしょうかん使はせにゅうちょうかべちょうみみかんしんおこりそく其臥內,だつ其印以麾召諸はたえきおけこれしんじみみおこり,乃知かんおうらいだいおどろきかんおうすんでだつ兩人りょうにんぐんそくれいちょうみみ徇行,備守ちょうはいかんしんため相國しょうこくおさむちょうへい未發みはつしゃげきひとししょしょうややややとくなり皋從かんおうすわえ拔成皋,よく西にしかん使つかいへい距之鞏,れい其不とく西にし


6 あきなながつゆうほし孛於大角おおずみ


7 臨江おう敖薨,じょう嗣。


8 かんおうとくかんしんぐんふくだいはちがつ,引兵臨河,南鄉なんごうぐんしょうおさむたけよくふくあずかすわえせんろうちゅうていただしせつとめかんおう使つかいだかるいふか塹勿與せんかんおう聽其けい使つかい將軍しょうぐんりゅう賈、たがね將卒しょうそつまんにんすうひゃく白馬はくばにゅうすわえ彭越,しょうすわえせき聚,以破其業,以給こうおうぐんしょく而已。すわえへいげきりゅう賈,賈輒けんかべ肯與せん,而與彭越しょう


9 彭越おさむ徇梁しも睢陽、そととうじゅうななしろ九月くがつこうおういいだい司馬しば曹咎曰:「謹守成しゅせい皋。そくかんおうよく挑戰ちょうせんまき勿與せん,勿令とくひがし而已。わがじゅうにち必定ひつじょうはりふくしたがえ將軍しょうぐん。」はね引兵ひがしぎょうげきひねとめそと、睢陽とうじょうみな下之したの

かんおうよく捐成皋以東いとうたむろ鞏、らく以距すわえ。酈生曰:「しん聞『てんてんしゃ王事おうじなり』,王者おうじゃ以民ためてん,而民以食ためてんおっと敖倉,天下てんかてん輸久矣,しん聞其乃有ぞうあわ甚多。すわえじん拔滎堅守けんしゅ敖倉,乃引而東,れいてきそつぶん守成しゅせい皋,此乃てん所以ゆえんかん也。方今ほうこんすわええき而漢はん卻,だつ其便,しん竊以ため矣。且兩雄りょうゆう俱立,すわえかんひさしょうけつうみ內搖とろけ農夫のうふしゃく耒,べにおんな天下てんかこころゆう所定しょてい也。ねがい足下あしもときゅうふくしんへいおさむ滎陽,よりどころ敖倉あわふさがなる皋之けわしもりたいゆきみち,距蜚きつねくちまもり白馬はくば,以示諸侯しょこうがたせいいきおいのりてん下知げじしょ矣。」おうしたがえこれ,乃復はかりごと敖倉。しょく其又せつおう曰:「方今ほうこんつばめちょうやめじょうただひとしした諸田もろたそうつよしうみ、岱,阻河、すみみなみきん於楚,にんおおへんいつわり足下あしもと雖遣すうまん以歲がつやぶ也。しん請得たてまつあきらみことのりせつひとしおう使つかいためかん而稱ひがし籓。」じょう曰:「よし!」乃使酈生せつひとしおう曰:「おうとも天下でんかこれしょ乎?」おう曰:「知也ともや天下てんかなんしょ?」酈生曰:「かん。」曰:「先生せんせいなん以言?」曰:「かんおう先入せんにゅう咸陽,こうおうまけやくおうかんちゅうこうおう遷殺みかどかんおう聞之,おこりしょくかんへいげきさんはたせき而責みかどしょおさむ天下でんかへいたて諸侯しょこうこうくだしろそく以侯其將,とくまいないそく以分其士;あずか天下てんかどう其利,ごうえい賢才けんさいみならく為之ためゆきようこうおうゆうばいやくこれめいころせみかどじつ;於人こうしょ,於人つみしょ忘;戰勝せんしょう而不とく其賞,拔城而不とく其封,こう莫得用事ようじ天下でんかほとり賢才けんさい怨之,而莫為之ためゆきよう天下てんかこと於漢おうすわ而策也!おっとかんおうはつしょくかん定三ていぞうはたわたる西河にしかわやぶきた出井いずい陘,誅成やすくん;此非じん力也りきやてんぶく也!いまやめよりどころ敖倉あわふさがなる皋之けわしまもり白馬はくばもりたいゆきばん,距蜚きつねくち天下でんかふくしゃさきほろび矣。おうやましせんしたかんおうひとしこくとく而保也;しか,危亡たて而待也!」さきひとし聞韓しん且東へい使つかいはな無傷むきずかいはたじゅうへいたむろれき以距かん。及納酈生げん使つかいあずかかんたいら,乃罷れきもり戰備せんびあずか酈生たてしゅためらくかんしん引兵ひがし平原へいげん,聞酈しょく其已せつひとしよくどめ辨士べんし蒯徹せつしん曰:「將軍しょうぐん受詔げきひとし,而漢どくはつあいだ使ひとしやすしゆうみことのりとめ將軍しょうぐん乎?なに以得毋行也?且酈せいいちふく軾掉さんすんしたしたひとしななじゅうあまりじょう將軍しょうぐん以數まん眾,さいあまり乃下ちょうじゅうあまりじょうためしょうすうさいはん如一豎儒之功乎?」於是しんしかこれとげ渡河とか

こうみかどよんねんつちのえいぬおおやけもとまえさんねん

[編輯へんしゅう]

1 ふゆじゅうがつしんかさねやぶひとしれきぐんとげいたり臨淄。ひとしおう以酈せいためうりおのれ,乃烹;引兵ひがしはし高密こうみつ使つかい使すわえ請救。橫走よこはしりはくまもり相田あいだひかりはし城陽じょうよう將軍しょうぐんすんでぐん於膠ひがし


2 すわえだい司馬しばとがめ守成しゅせい皋,かんすう挑戰ちょうせんすわえぐん不出ふしゅつ使つかいじんはずかしめこれ數日すうじつとがめいかわたりへい汜水。士卒しそつはんわたりかんげき大破たいはすわえぐんつきすわえこく金玉きんぎょく、貨賂,とがめ及司欣皆剄汜水上すいじょうかんおう引兵渡河とかふくなる皋,ぐんこう,就敖くらしょく

項羽こううはりじゅうあまりじょう,聞成皋破,乃引へいかえかんぐんかたかこえ鍾離昧於滎陽ひがし,聞羽いたりつきはし險阻けんそはねまたぐんこうあずかかんしょうもりすうがつすわえぐんしょくしょうこうおう患之,乃為高祖こうそおけぶとおおやけ其上,つげかんおう曰:「こん不急ふきゅうわれ烹太こう!」かんおう曰:「われあずかはね俱北めん受命じゅめいふところおうやくため兄弟きょうだいわれおうそくわかおきな;必欲烹而おうこうぶんわがいちはいあつもの!」こうおういかよくころせこれこうはく曰:「天下てんかごと可知かち。且為天下でんかしゃ顧家,雖殺無益むえきただえきみみ!」こうおうしたがえこれ

こうおういいかんおう曰:「天下てんか匈匈すうさいしゃ以吾兩人りょうにんみみねがいあずかかんおう挑戰ちょうせんけつ雌雄しゆう,毋徒天下でんかみん父子ふしため也!」かんおうわらいしゃ曰;「われやすし鬥智,不能ふのう鬥力!」こうおうさんれい壯士そうし挑戰ちょうせんかんゆうぜん騎射きしゃしゃろうはん射殺しゃさつこうおうだいいか,乃自かぶと挑戰ちょうせんろうはんよくしゃこうおう瞋目しかこれろうはん敢視,敢發,とげはしかえにゅうかべ敢復かんおう使人間にんげんとい,乃項おう也,かんおうだいおどろき

於是こうおう乃即かんおうそうあずか臨廣たけあいだ而語。はねほしあずかかんおう獨身どくしん挑戰ちょうせんかんおうすう曰:「はねまけやくおうわが於蜀、かんつみいち;矯殺きょうかんむりぐんつみすくいちょうかえむくい,而擅こう諸侯しょこうへいいれせきつみさんしょうしん宮室きゅうしつ始皇帝しこうていづかおさむわたし其財,つみよんころせはたくだ王子おうじ嬰,つみいつわりあなしん子弟していしんやすじゅうまんざいろくおうしょしょう善地ぜんち而徙逐故ぬしつみなな逐義みかど彭城,だつかん王地おうじなみおうはりすわえあずかつみはち使人陰ひとかげころせみかど江南えなつみきゅう為政いせい不平ふへいおうやく不信ふしん天下てんかしょよう大逆無道だいぎゃくむどうつみじゅう也。われ以義へいしたがえ諸侯しょこう誅殘ぞく使つかい刑餘けいよ罪人ざいにんげきこうなに乃與こう挑戰ちょうせん!」はねだいいかふくいしゆみちゅうかんおうかんおうきずむね,乃捫あし曰:「とりこちゅうわれゆび。」かんおうびょうそうちょうりょう強請きょうせいかんおう起行きぎょうろうぐん,以安士卒しそつ,毋令すわえじょうかちかんおう行軍こうぐんやまし甚,いんはせにゅうなり皋。


3 かんしんやめてい臨淄,とげひがしおいひとしおうこうおう使りゅう且將へいごうじゅうまん,以救ひとしあずかひとしおうごうぐん高密こうみつ

きゃくあるせつりゅう且曰:「かんへいどおきゅうせん,其鋒不可ふかとうひとしすわえきょ其地,へいえきはい如深かべれいひとしおう使其信しん招所ほろびじょうほろびじょう聞王ざいすわえらいすくえ,必反かんかんへい千里客居齊地,ひとししろみなはん,其勢所得しょとくしょくせん而降也。」りゅう且曰:「われ平生ひらおともかんしんためじんえきあずかみみ寄食きしょく於漂ははさく;受辱於胯けんじんいさむ不足ふそくかしこ也。且夫すくいひとし不戰ふせん而降われなんこういません而勝ひとしこれはんとく也。」

十一月じゅういちがつひとしすわえあずかかん夾濰すい而陳。かんしんもうかよるれい人為じんいまんあまり囊,滿まんもりすな,壅水上流じょうりゅう;引軍はんわたりげきりゅう且,佯不しょうかえはしりゅう且果曰:「かたしんじおびえ也!」とげついしんしん使じんけつ壅囊,みずだいいたりりゅう且軍ふとはんとくわたり即急そっきゅうげきころせりゅう且,みずひがしぐんはしひとしおうひろほろびしんとげついきたいたりなりとりこひとしおうひろかんしょう灌嬰ついとくひとしまもり相田あいたこうしんいたりはくよこ聞齊おう自立じりつためひとしおうかえげき嬰,嬰敗よこぐん於嬴よこほろびはしはりかえり彭越。嬰進げきひとしはた吸於せんじょう,曹參げきすんで於膠ひがしみなころせこれつきていひとし


4 たてちょうみみためちょうおう


5 かんおうやましいよいよ西入にしいりせきいたりくぬぎふくろうふさがおう欣頭くぬぎとめよんにちふく如軍,ぐんこう


6 かんしん使つかいじんげんかんおう曰:「ひとしにせいつわりおおへん反覆はんぷくくに也;みなみすわえ。請為かりおう以鎮。」かんおうはつしょだいいかののし曰:「われこま於此,旦暮たんぼもちわからいわが,乃欲自立じりつためおう!」ちょうりょう陳平ちんぺい躡漢おうあしいん耳語じご曰:「漢方かんぽう不利ふりやすしのうきん信之のぶゆきおう乎!如因而立じりつぜんぐう使つかいためもりしかへんせい。」かんおうまたさといんふくののし曰:「大丈夫だいじょうぶてい諸侯しょこうそく為真ためざにおうみみなに以假ため!」はるがつちょうりょうみさおしるしりつかんしんためひとしおうせい其兵げきすわえ


7 こうおう聞龍且死,だい懼,使つかい盱台じんわたる往說ひとしおうしん曰:「天下てんかどもはたひさ矣,そうあずか戮力げきしんはたやめやぶけいこうわりふん而王,以休士卒しそつこんかんおう復興ふっこうへい而東,おかせじんこれぶんだつひとやめやぶさんはた,引兵せきおさむ諸侯しょこうへい以東いとうげきすわえ,其意つき吞天しゃ不休ふきゅう,其不知ふちいやあし如是にょぜ甚也!且漢おう不可ふか必,きょこうおう掌握しょうあくちゅうすう矣,こうおう憐而かつしかとくぬげ,輒倍やくふくげきこうおう,其不可ふかおやしん如此。こん足下あしもと雖自以與かんおうためあつ交,為之ためゆき盡力じんりょく用兵ようへい,必終為所しどころ禽矣。足下あしもと所以ゆえんとく須臾しゅゆいたりいましゃ,以項おうなおそん也。當今とうぎん二王におうことけんざい足下あしもと足下あしもとみぎとうすなわちかんおうしょうひだりとうそくこうおうしょうこうおう今日きょうほろびのり足下あしもと足下あしもとあずかこうおうゆうなんはんかんあずかすわえれんさんぶん天下てんかおうこんしゃく此時而自必於かん以擊すわえ,且為智者ちしゃかたわか此乎?!」かんしんしゃ曰:「臣事しんじこうおうかんろうちゅう戟;ごと聽,かく不用ふようばいすわえ而歸かんかんおう授我じょう將軍しょうぐんしるしわがすうまん眾,かいころもころもわが,推食しょくわがげん聽計ようわれとく以至於此。夫人ふじんふかしたしわがわがばい不祥ふしょう;雖死不易ふえきさいわい為信ためのぶしゃこうおう!」

たけわたるやめ,蒯徹天下でんかけんざいしんじ,乃以しょうじんじゅつせつしん曰:「ぼくしょうくんめんふうこうまた不安ふあんしょうくんそむけ不可ふかげん。」かんしん曰:「なにいい也?」蒯徹曰:「天下てんか初發しょはつなん也,ざいほろびはた而已。こんすわえかんぶんそう使つかい天下でんかひと肝膽かんたんぬり父子ふし暴骸こつ中野なかの不可ふかかちすうすわえじんおこり彭城,てん逐北,じょう席捲せっけんふるえ天下でんかしかへいこま於京、さくあいださこ西山にしやま不能ふのうしんしゃさんねん於此矣。かん王將おうしょうすうじゅうまんこれ眾,距鞏、雒,阻山河さんがけんいちにちすうせん尺寸しゃくすんこうおりきたすくい。此所謂いわゆる智勇ちゆう俱困しゃ也。百姓ひゃくしょうやめごく怨望,しょ倚。以臣りょう,其勢天下てんかけんひじりかた不能ふのういき天下でんかわざわい當今とうぎんりょうあるじめいじけん於足足下あしもとためかんのりかんしょうあずかすわえそくすわえしょうまことのう聽臣けい,莫若りょう而俱そんさんぶん天下でんかかなえあし而居,其勢莫敢さきどうおっと以足下之したのけんきよしゆうかぶとへい聚,よりどころつよひとししたがえちょうつばめ空虛くうきょ而制其後,いんみんほっ西鄉さいごうため百姓ひゃくしょう請命,のり天下でんかふうはし而響おう矣,孰敢聽!わりだいじゃくきょう以立諸侯しょこう諸侯しょこうやめりつ天下てんかふく聽,而歸とく於齊おさいあんひとしこれゆうにかわ、泗之ふか拱揖ゆずるのり天下でんか君王くんのうしょうりつ而朝於齊おさい矣。ぶた聞『天與てんよどるはん受其とがめいたりくだりはん受其殃』。ねがい足下あしもと熟慮じゅくりょ!」かんしん曰:「かんおうぐうわが甚厚,われあにごうとし而倍乎!」蒯生曰:「はじめつね山王さんのう成安なりやすくんため布衣ふいあいあずかため刎頸交;そうちょう黶、ひね澤之さわのごとつね山王さんのうころせ成安なりやすくん泜水みなみとうあししょ。此人相にんそうあずか天下てんかいたり歡也,しか而卒しょう禽者,なに也?患生於多よく而人しんなんはか也。こん足下あしもとよくぎょう忠信ちゅうしん以交於漢おう,必不能ふのうかた於二君之相與也,而事多大ただい於張黶、ちんさわしゃしん以為足下あしもと必漢おう危己,またあやま矣!大夫たいふしゅ存亡そんぼうえつ,霸句踐,たてこうなりめい而身死亡しぼう野獸やじゅうつき而獵いぬ烹。おっと交友こうゆうごとのり如張みみあずか成安なりやすくんしゃ也;以忠信ちゅうしんごとのり大夫たいふしゅ於句踐也,此二者足以觀矣!ねがい足下あしもと深慮しんりょ。且臣聞『いさむりゃくふるえぬししゃ危,こうぶた天下でんかしゃしょう』。こん足下あしもと戴震ぬしはさみしょうこうかえりすわえすわえじん不信ふしんかん漢人かんどしんおそれ足下あしもとよくもち是安こりゃす乎?」かんしんしゃ曰:「先生せんせい且休矣,われはたねん。」數日すうじつ,蒯徹ふくせつ曰:「おっと聽者ちょうしゃことこう也;けいしゃこと也;聽過けいしつ而能久安ひさやすしゃ鮮矣!故知こちしゃけつだん也;うたぐしゃことがい也。しんごうりん小計しょうけいのこ天下てんか大數たいすうさとしまこと知之ともゆきけつどる敢行かんこうしゃ百事ひゃくじわざわい也。おっとこうしゃなんなり而易はいしゃなんとく而易しつ也;乎時,再來さいらい!」かんしん猶豫ゆうよにんばいかんまた以功かんおわりだつひとしとげしゃ。蒯徹いん佯狂ようきょうためみこ


8 あきなながつたて黥布ため淮南ワイナンおう


9 はちがつきたむじなつばめじんらい致梟すけかん


10 かんおうれいぐん不幸ふこう死者ししゃ,吏為ころもふすまかん斂,轉送てんそう其家。四方しほう歸心きしん焉。


11 これさい,以中尉ちゅういしゅうあきらため大夫たいふあきら,苛從弟じゅうてい也。


12 項羽こううしょうじょ食盡しょくじんかんしんまたすすむへいげきすわえ患之。かんほうこうせつ請太こうはね乃與かんやく中分なかぶん天下でんかわりひろしみぞ以西いせいためかん以東いとうためすわえ九月くがつすわえかえりふとしおおやけりょ,引兵かい而東かんおうよく西にしちょうりょう陳平ちんぺいせつ曰:「かんゆう天下でんかふとしはん,而諸こうみなすわえへいつかれ食盡しょくじん,此天ほろびこれ也。こんしゃくどるげき,此所謂いわゆるやしなえとらのこ患也。」かんおうしたがえこれ

 まききゅう かえしかいいただき まき十一といち

ほんきたそう作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう領域りょういきいんため作者さくしゃ逝世やめけいとおとお超過ちょうか100ねん

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