芳賀はがゆい

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芳賀はがゆい(はが ゆい)は、伊集院いじゅういんひかりのオールナイトニッポン企画きかく誕生たんじょうした架空かくうアイドルバーチャルアイドル)。伊集院いじゅういんひかりがプロデュースした。

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

架空かくうのアイドル[編集へんしゅう]

1989ねん11月の『伊集院いじゅういんひかりのオールナイトニッポン』(ニッポン放送にっぽんほうそう)の企画きかく誕生たんじょうよく1990ねん芸能げいのう活動かつどうをし、その消息しょうそく不明ふめいとされている。活動かつどう内容ないようラジオパーソナリティ水着みずぎグラビア歌手かしゅなど。フィクション存在そんざいではあるが、様々さまざま人物じんぶつ芳賀はがゆいを担当たんとうして芸能げいのう活動かつどうおこない、あたかも実在じつざいするかのようにあつかわれた。実体じったい芳賀はがゆいに共通きょうつうするのは、ポニーテール髪型かみがたかおさないことのみ。

伊集院いじゅういんひかり発案はつあん[編集へんしゅう]

発端ほったん伊集院いじゅういんひかりが1989ねん11月1にち、ニッポン放送ほうそう以下いかLF)のオールナイトニッポン(以下いかANN)ではっした、映画えいが監督かんとく大島おおしまなぎさってアイドルにけるべき名前なまえだよな」というむね発言はつげん。ここから枝葉えだはひろがっていった。翌週よくしゅうにはリスナーからの反響はんきょうのハガキがおおせられ、「はがゆい(歯痒はがゆい)って言葉ことばあるじゃない、これもアイドルの名前なまえだね」「“はがゆい”です、ポリスターレコードから『初恋はつこい千羽鶴せんばづる』でデビューした…ちがうな」などと発想はっそうさらふくらみ、どんなデビューきょくであるべきかが募集ぼしゅうされると、さら意味いみあくノリしたハガキがおくられてきた(なかにはジャケット写真しゃしんふう真面目まじめにふざけたイラストをえがいたものなどもあったという。)。これらの反響はんきょうけて、ついに架空かくうのアイドルを設定せっていするコーナーが派生はせいした。

どう番組ばんぐみ人気にんきだった『おべんとつけてどこいくの?(おべどこ)のコーナー』にせられていた、男性だんせいおもわずむねキュン現在げんざいちかい)してしまう『可愛かわいらしい仕草しぐさ言葉ことば嫌味いやみなく自然しぜんにしてくれそうな16さい前後ぜんこうおんな』、そして当時とうじの『伊集院いじゅういん理想りそうおんな容姿ようしポニーテール似合にあい、すこで、やや小柄こがら)』を主軸しゅじくえたうえで、リスナーがその雛形ひながた人格じんかく加味かみしていき、芳賀はがゆいの人物じんぶつぞう背景はいけい徐々じょじょ出来上できあがっていった(アイデアやイラストなど、せられたハガキの一部いちぶのち発売はつばいされた写真しゃしんしゅう掲載けいさいされている)。

1990ねん2がつ握手あくしゅかい現実げんじつはじめてリンクし、CD・ビデオ・写真しゃしんしゅう発売はつばいなどをて、伊集院いじゅういんひかり担当たんとうどう番組ばんぐみ終了しゅうりょうとも企画きかく終了しゅうりょうした。バーチャルアイドル先駆さきがけと紹介しょうかいされることがある。芳賀はが特徴とくちょうとしては、外見がいけん複数ふくすう人物じんぶつ担当たんとうしたというてんげられる。これはラジオの最大さいだい欠点けってんである「映像えいぞうつたえられない」というてんぎゃく利用りようし、リスナーにビジュアルイメージをゆだねるという戦略せんりゃく結果けっかである。

ベールにつつまれた素顔すがお[編集へんしゅう]

芳賀はがゆいは理想りそうのアイドルぞうとして様々さまざまなプロフィールが付加ふかされ、理想りそうぞうまもるために素顔すがお公開こうかいしない方針ほうしんをとり、また実体じったいともな活動かつどうには複数ふくすう人間にんげん用意よういする(たとえばサインかいでは同時どうじさんにんあらわれ、なか一人ひとり外国がいこくじんであった)など、純化じゅんかされた偶像ぐうぞうであった。メディアに露出ろしゅつするさい素顔すがお公開こうかいしないことから、「覆面ふくめんアイドル」や「確認かくにんアイドル」としょうされた。

企画きかく誕生たんじょう進行しんこう[編集へんしゅう]

芳賀はがゆい企画きかく誕生たんじょうした直接ちょくせつ発端ほったん先述せんじゅつした伊集院いじゅういんひかり発言はつげんであったが、この企画きかくいたリスナーふく関係かんけいしゃ土壌どじょうには、おニャンクラブなど当時とうじのアイドル量産りょうさん路線ろせんたいする不満ふまんがあったとわれている。「トイレにいかない」などの既存きそん清純せいじゅんアイドルぞう固持こじし、現実げんじつ人間にんげんとアイドルぞうとの乖離かいりすすんでいたなか、「それだけ現実げんじつはなれたものをのぞむならば、架空かくうのアイドルをつくげてしまえ」というかんがえがまれたのである。

企画きかく進行しんこうは、当初とうしょはパーソナリティの伊集院いじゅういんひかりとリスナーたち中心ちゅうしんで、リスナーのかんがえた芳賀はがゆいのプロフィールを番組ばんぐみのコーナーで紹介しょうかいし、選考せんこうして公式こうしきのものとしていった。

芸能人げいのうじんである伊集院いじゅういんと、一般人いっぱんじんであるリスナーの自分じぶんたち一緒いっしょに『アイドル』をつくげているという連帯れんたいかんおなじ『一人ひとりおんな』をつくげているのにリスナーそれぞれがちがおんな想像そうぞうしたり空想くうそうする妙味みょうみ途中とちゅうからは芳賀はがゆいというキャラクターをつくっているのではなく、さも実在じつざいしているかのようなかたくちとなった。そのCBSソニーがCDデビューのリリースもと名乗なのりをげ、商業しょうぎょうめんでの進行しんこう現実げんじつとなり、世間せけん徐々じょじょ話題わだいになっていくと「本当ほんとう自分じぶんたちつくげた架空かくうの・・」と、悪戯いたずら成功せいこうした子供こどものような達成たっせいかんおぼえる。秘密ひみつ共有きょうゆうしているような高揚こうようかんが『芳賀はがゆいプロジェクト』の最大さいだい武器ぶきにして成功せいこう原動力げんどうりょくとなったのである。実際じっさいにCDが発売はつばいされ、マスメディアげられる機会きかいえた一方いっぽうで、伊集院いじゅういんひかりをはじめとしたスタッフおよびファンクラブからえらばれた一部いちぶのリスナーが企画きかく会議かいぎをし、イベントを次々つぎつぎ開催かいさいするようになった。これは商業しょうぎょうベースにせてしまった以上いじょうあらがえないオトナの事情じじょうたいする、ささやかなアンチテーゼでもあった。企画きかく肥大ひだいとも徐々じょじょ関係かんけいしゃえ、リスナーには関与かんよ出来できない箇所かしょえてきたが、伊集院いじゅういんひかり企画きかく中心ちゅうしん一貫いっかんしてし、「芳賀はがゆいは伊集院いじゅういんひかりのANNとそのリスナーのもの」と、そのじくがぶれることはかった。かれのリスナーを大事だいじにする姿勢しせいからリスナーたちにも出来できかぎりの裁量さいりょうあたえていた。

企画きかく終焉しゅうえん活動かつどう終了しゅうりょう[編集へんしゅう]

マスメディアでの露出ろしゅつえ、周囲しゅういねつびてきたのと反比例はんぴれいするように『芳賀はがゆいプロジェクト』は徐々じょじょ平静へいせいさをみせ、熱気ねっきましはじめていた。これ以上いじょうげることも、また、リスナーのからはなれることも不本意ふほんいであるとの意見いけんおおく、「ひとときのまつりのような『芳賀はがゆいプロジェクト』で完結かんけつさせたい」とする意見いけん圧倒的あっとうてきであった。それらの意思いしんで、その終焉しゅうえんむかえるためのアイディアも、それまでとおりリスナーから募集ぼしゅうし、企画きかく終了しゅうりょうけてうごしていた。そして、芳賀はがゆいは芸能げいのう活動かつどう休業きゅうぎょうし、留学りゅうがくするというものになった[1]

アイドルといえばキョンキョンさま」という伊集院いじゅういん友人ゆうじん言葉ことばがきっかけとなり、『なんてったってアイドル』にあやかって、スキャンダルのひとつもあったほうがリアリティーがていいのでは?というはなしすすんだ。写真しゃしん週刊しゅうかんFRIDAY』に『伊集院いじゅういんひかりとの密会みっかい現場げんば』とされるツーショット写真しゃしんを、おあそ企画きかくとして掲載けいさいしてもらった(記事きじ末尾まつびにもフィクションであるむね記載きさいされた)。

エピローグしい」ということで、『確認かくにんアイドルを見送みおくる、確認かくにんイベント』を最後さいごのイベントとし、大団円だいだんえんむかえようというあんた。しかし、芳賀はがゆいが留学りゅうがくするのは10がつということに決定けっていしており、9月で終了しゅうりょうする番組ばんぐみとしては、伊集院いじゅういんはもとより、スタッフも現場げんばわない、その模様もよう放送ほうそうする予定よていもない非公式ひこうしきなイベントであるむね明言めいげんし、「それでも終焉しゅうえん自分じぶん見届みとどけたいひとあつまって」とげた。

1990ねん9がつ伊集院いじゅういんはANNの担当たんとう降板こうばん、それにともない『芳賀はがゆいプロジェクト』もまくじた。

1990ねん10がつ11にち1325ふん羽田はたはつ中華航空ちゅうかこうくう17便びんにて台湾たいわん留学りゅうがくする[注釈ちゅうしゃく 1]芳賀はがゆいを見送みおくるため、30にん前後ぜんこうのファンがあつまった。しかし番組ばんぐみめられたとおり『しんなかで「ゆいちゃん、頑張がんばれ」や「ふ〜ん・・」とおもうだけ』の趣旨しゅしまもった、じつしずかなイベントであった。飛行機ひこうきかっておもおもいにしんなか声援せいえんおくり、なかには『星空ほしぞらのパスポート』をつぶやくようにうたったり、そっとひともいた。もちろんその飛行機ひこうき関係かんけいしゃだれ一人ひとり搭乗とうじょうしていない。

後日ごじつだんとして、リスナーがあつまっている現場げんばわないと明言めいげんしていた伊集院いじゅういんとスタッフすうめいが、羽田空港はねだくうこうのラウンジで飛行機ひこうき見送みおくっていたという目撃もくげき情報じょうほう一部いちぶであった。しかしリスナーのあいだでは「『確認かくにん情報じょうほう』としておくほうが、『確認かくにんアイドル』の終焉しゅうえんのエピソードに相応ふさわしい」としている。

1995ねん伊集院いじゅういんTBSラジオの『深夜しんや馬鹿力ばかぢから』に移動いどうした当初とうしょ類似るいじした企画きかくぶたあたま麗香れいか」が放送ほうそうされている。

プロフィール[編集へんしゅう]

以下いか偶像ぐうぞうとしての架空かくう設定せっていである。ゆえ身体しんたい特徴とくちょうなどは実体じったい担当たんとうした人物じんぶつとはことなる。

  • 本名ほんみょう樋口ひぐち麻紀子まきこ(ひぐち まきこ)。
  • 1974ねん4がつ15にち兵庫ひょうごけん神戸こうべまれ、1さいときから国分寺こくぶんじうつむ。
  • デビュー当時とうじ15さい中学ちゅうがく3年生ねんせい)、芸能げいのう活動かつどうちゅうに16さい高校こうこう1年生ねんせい)になる。
  • 身長しんちょう158cm、体重たいじゅう44kg、B78 W58 H80、血液けつえきがたOがた
  • 実家じっかは「HIGUCHIベーカリー」というパンで、家族かぞく構成こうせいちちははあね(17さい)、おとうと(10さい)。ペットはねこのチャ太郎たろう

活動かつどう履歴りれき[編集へんしゅう]

  • 1989ねん - 「だい1かいミス・ポニーテール・コンテスト」(架空かくうのコンテスト)に応募おうぼ書類しょるいえた写真しゃしんちち撮影さつえいしたものである。書類しょるい審査しんさ通過つうか
  • 同年どうねん10がつ - 日本にっぽん青年せいねんかんおこなわれた最終さいしゅう選考せんこう大会たいかいでグランプリ獲得かくとくのち芸名げいめいを「芳賀はがゆい」とする。
  • 1990ねん初頭しょとう - 「YUI'S BAKERY」というファンクラブ発足ほっそくする。
  • 同年どうねん2がつ11にち - LF銀河ぎんがスタジオで、ファンやく2,000にんあつめて握手あくしゅかい開催かいさいのみ露出ろしゅつ)。
  • 同年どうねん2がつ16にち - LFのANN1で、『芳賀はがゆいのオールナイトニッポン放送ほうそう[注釈ちゅうしゃく 2]
  • 同年どうねん6がつ10日とおか - 「芳賀はがゆいテレフォン」という、毎週まいしゅう内容ないようわるテレフォンサービス開始かいし
  • 同年どうねん6がつ23にち - 銀座ぎんざSOMIDOホールで、シークレットライブと「だい2かいミス・ポニーテール・コンテスト」開催かいさい
  • 同年どうねん6がつ30にち - LFのANN1で、度目どめの『芳賀はがゆいのオールナイトニッポン』放送ほうそう
  • 同年どうねん7がつ1にち - CD『星空ほしぞらのパスポート』発売はつばい発売はつばい記念きねん即売そくばいかいで2まんまいる(3にん芳賀はがゆい登場とうじょう[1]
  • 同年どうねん8がつ1にち - ビデオ『はがゆい伝説でんせつ発売はつばい
  • 同年どうねん8がつ - LFで毎週まいしゅう月曜げつよう午前ごぜん430ふんから『芳賀はがゆいの星空ほしぞらのパスポート』放送ほうそう。1かい30ふんぜん4かい
  • 同年どうねん9がつ6にち - LFのANN1で『伊集院いじゅういんひかり芳賀はがゆいのオールナイトニッポン』放送ほうそう休業きゅうぎょう留学りゅうがく発表はっぴょう
  • 同年どうねん9がつ13にち - 写真しゃしんしゅう『う・そ・つ・き』発売はつばい三省堂さんせいどう書店しょてん神田かんだ本店ほんてんげん神保じんぼうまち本店ほんてん)で発売はつばい記念きねんサインかい開催かいさい(またも3にん芳賀はがゆい登場とうじょう[1]。なお、このサインかいにはNHK取材しゅざいており、関東かんとうローカルながら当日とうじつの『首都しゅとけんネットワーク』と『NC845』で、参加さんかしゃのインタビューとイベントの様子ようす放映ほうえいされた。
  • 同年どうねん10がつ8にち - 銀座ぎんざ音楽おんがくさい授賞じゅしょうしきでライブ(5にん芳賀はがゆい登場とうじょう)。
  • 同年どうねん12がつ31にち - 新春しんしゅんゆめ花火はなび会場かいじょうの「芳賀はがゆいの部屋へや」ブースで、伊集院いじゅういんらとともにトークショー開催かいさい公式こうしきイベントとしては最後さいご

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

  • だい28かい(1990年度ねんどギャラクシーしょうラジオ部門ぶもん奨励しょうれいしょう放送ほうそう批評ひひょう懇談こんだんかい主催しゅさい
    • オールナイトニッポンスペシャル『芳賀はがゆいのオールナイトニッポン』にたいして。
  • 銀座ぎんざ音楽おんがくさい特別とくべつしょうニッポン放送にっぽんほうそう主催しゅさい
    • シングル『星空ほしぞらのパスポート』にたいして。
  • 1991ねんマーケティングエクセレンス 日本にっぽん最優秀さいゆうしゅう企画きかく(MCEI主催しゅさい
    • 企画きかく全般ぜんぱんたいして。日本にっぽん代表だいひょうとして世界せかい大会たいかいにもエントリー。

作品さくひんリスト[編集へんしゅう]

いずれも現在げんざいでは入手にゅうしゅ困難こんなんとなっている。

シングルCD[編集へんしゅう]

星空ほしぞらのパスポート
1990ねん7がつ1にち発売はつばいCBSソニー
当初とうしょは1990ねん3がつ21にち発売はつばいされる予定よていだったが、3ヶ月かげつ以上いじょう延期えんきされた。延期えんき経緯けいい伊集院いじゅういんひかりのANN終了しゅうりょう半年はんとしびたこととも関係かんけいしているといわれる。
作家さっかじんはCBSソニーのプロデューサー河合かわいマイケル人脈じんみゃくによる。
オリコンはつ登場とうじょう67(2しゅう51)。発売はつばい集計しゅうけいが2しゅうかれてしまい、順位じゅんいはぱっとしなかった。5まんまいれたといわれる。
収録しゅうろくきょく
星空ほしぞらのパスポート』
作詞さくし奥田おくだ民生たみお作曲さっきょくなまぶく生方うぶかたのりこう福田ふくだ裕彦ひろひこのユニット)、編曲へんきょく小西こにしやすし、ミックス:森岡もりおか徹也てつや
なまぶくの『酸素さんそでルルル』というきょくをリメイクしてつくられた。
どういちトラックないに"帰宅きたくミックス"(ミキサー:宮崎みやざき"D.M.X"いずみ)を収録しゅうろく当時とうじのCDプレイヤーにあったインデックス(位置決いちぎ標識ひょうしき)であたま出来できた。途中とちゅうで「ギャグオペラ歌手かしゅ」であった伊集院いじゅういんひかりのギャグ「おそれやまのイタコ」がける。
『…きです』 - カップリング
作詞さくし伊集院いじゅういんひかり作曲さっきょく編曲へんきょく小西こにしやすし、ミックス:森岡もりおか徹也てつや
青春せいしゅんをテーマにしたうたで、その青臭あおくさくこっずかしい歌詞かしは、作詞さくしした伊集院いじゅういんにとってトラウマきゅうしたい過去かこになっていたが、過去かこ番組ばんぐみテープを発掘はっくつしたのをに『伊集院いじゅういんひかり 深夜しんや馬鹿力ばかぢから』(2011ねん9がつ5にち)でオンエアされた。終盤しゅうばん台詞せりふ部分ぶぶんとくずかしいらしく、リリース当時とうじはオンエアのさいかくしとして、台詞せりふ部分ぶぶん直後ちょくごに「いかりや長介ちょうすけ」とかぶせたこともあった(2011ねんのオンエアではそこにいたまえにフェイドアウト)。
コンピレーションアルバム『はだか王様おうさま王様おうさまのアイデア 小西こにしやすし仕事しごと1987-1994 (ソニー・ミュージックへん)』(帰宅きたくミックスをのぞく2きょく)、『テクノマジック歌謡かようきょく』(星空ほしぞらのパスポートのみ)に収録しゅうろく

ビデオ[編集へんしゅう]

はがゆい伝説でんせつ
1990ねん8がつ1にち発売はつばい(CBSソニー)
イメージビデオ。シークレットライブや関係かんけいしゃのインタビューも収録しゅうろくされている。

写真しゃしんしゅう[編集へんしゅう]

う・そ・つ・き
1990ねん9がつ13にち発行はっこうニッポン放送にっぽんほうそう出版しゅっぱんISBN 459400637-X
2週間しゅうかん限定げんてい発売はつばいされた。各種かくしゅ写真しゃしん以外いがいにエッセイもっており、企画きかく全容ぜんようかえ内容ないようにもなっている。撮影さつえい斉藤さいとう清貴きよたか

芳賀はがゆいを担当たんとうした人物じんぶつ・エピソード[編集へんしゅう]

伊集院いじゅういんひかり自分じぶんのリサイタルではなしていたところによると、芳賀はがゆいをえんじたのはけい57にんなかにはAV女優じょゆうもいたという[2]

“パーソナリティよう”と“歌声うたごえよう”と“写真しゃしんしゅうよう”のそれぞれの担当たんとうしゃ存在そんざいし、パーソナリティようには可愛かわいかんじの声優せいゆうを、歌声うたごえようには当時とうじ20だいのプロのコーラスのひと[注釈ちゅうしゃく 3][3]を、写真しゃしんしゅうようには、オーディションですうにんえらんだなかからそのときスケジュールのいているひとてもらった、と関係かんけいしゃかしたことがある。上述じょうじゅつ活動かつどう履歴りれきこう)で1990ねん7がつ1にちに『星空ほしぞらのパスポート』発売はつばい記念きねん即売そくばいかい登場とうじょうした3にん芳賀はがゆいは写真しゃしんしゅうよう担当たんとうしゃだったという[4]

イメージビデオ『はがゆい伝説でんせつ』には銀座ぎんざSOMIDOホールおこなわれたシークレットライブの模様もよう収録しゅうろくされている。 収録しゅうろくにはエキシビションとして「だい2かいミス・ポニーテール・コンテスト」(架空かくうのコンテスト)を同時どうじ開催かいさいし、200にん以上いじょう観客かんきゃく(リスナー)を動員どういんしてげ、その熱気ねっきらぬうちにビデオ撮影さつえいをするながれであった。観客かんきゃく事前じぜん参加さんか希望きぼうしゃをハガキで応募おうぼし、当選とうせんしゃには入場にゅうじょうけんとともに「星空ほしぞらのパスポート」のきょくコールをするためのコールひょう送付そうふされていた。

ゆいをえんじる女性じょせいは、きょくわせてけを披露ひろうする必要ひつようがあり、数日すうじつまえからダンスレッスンをけていた。しかし、けをおぼえるのが非常ひじょう苦手にがてで、間違まちがわずに出来できたのはかぞえるほどだったという。伊集院いじゅういんやスタッフもいちそのったが、見学けんがくしていた伊集院いじゅういんたちのほうがすうかいただけで、さき完璧かんぺきおぼえてしまったと後日ごじつラジオで暴露ばくろした。

ちなみに「だい2かいミス・ポニーテール・コンテスト」の最終さいしゅう選考せんこう参加さんかした女性じょせい半数はんすう番組ばんぐみスタッフが事前じぜん出場しゅつじょう依頼いらいした女性じょせいリスナー。また、モデル事務所じむしょから「コンテストに出場しゅつじょうする」とだけつたえられて“芳賀はがゆいプロジェクト”の真意しんいらずに参加さんかした女性じょせいすうにんおり、司会しかいつとめた伊集院いじゅういん質問しつもんにふざけてこたえる女性じょせいリスナーと対照たいしょうてき本気ほんき参戦さんせんしていた。優勝ゆうしょうしたのはモデル事務所じむしょ所属しょぞく女性じょせいであったが、出来できレースだとかり憤慨ふんがいさらに、優勝ゆうしょうだい芳賀はがゆいとしてデビューできるなどの特典とくてんあたえられるわけではない、あくまでおあそ企画きかく一端いったんだとり、舞台裏ぶたいうらきながらスタッフに抗議こうぎしている姿すがたがあった。

影響えいきょう[編集へんしゅう]

  • 芳賀はがゆいの現象げんしょうは、1980年代ねんだい日本にっぽんえがいたノンフィクション『speed tribes』(暴走ぼうそうぞくとうつうじて日本にっぽん国外こくがいにもつたえられ、ウィリアム・ギブスンサイバーパンク小説しょうせつ『あいどる』に影響えいきょうあたえたとわれる[5][6]。『あいどる』には投影とうえいうららというのバーチャルアイドルが登場とうじょうする。
  • 芸能げいのうプロダクションホリプロほり義貴よしたかは、当時とうじニッポン放送にっぽんほうそう勤務きんむで、芳賀はがゆいの企画きかく途中とちゅうからかかわっており、このときの経験けいけんがホリプロにうつったのちがけたはつの3DCGによるバーチャルアイドル、「伊達だて杏子きょうこ」にかされたという[7]
  • 芳賀はがゆい人気にんきにあやかり、アイドル情報じょうほうの『BOMB!』1990ねん10がつごうでは「芳賀はがゆか」という架空かくうのアイドルが登場とうじょうした。名前なまえは「がゆい」の博多はかたべんがゆか」に由来ゆらいし、1980ねん〜1990ねん同誌どうし巻頭かんとうかざったアイドル70にんのデータを分析ぶんせきしプロフィールを設定せっていした[8]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1990ねん当時とうじ手近てぢか羽田はたから発着はっちゃくしていた国際線こくさいせん台湾たいわん便びんのみであった。
  2. ^ どう時間じかんたいのレギュラー番組ばんぐみである『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』を休止きゅうしして放送ほうそう
  3. ^ はだか王様おうさま王様おうさまのアイデア』ライナーノーツによると、はにわちゃんのボーカル・柴崎しばざきゆかりがうたっていた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c プレヤード (2011ねん9がつ8にち). “バーチャルアイドルいまむかし ~江口えぐちあい芳賀はがゆい~”. 2017ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  2. ^ 毎日新聞まいにちしんぶん東京とうきょうばん朝刊ちょうかん 1990ねん12月27にち 22ぺーじ 『90ふゆ蜃気楼しんきろう/6 まぼろしのアイドル「裏切うらぎらないから…」』
  3. ^ 柴崎しばざきゆかり(しばさきゆかり)の解説かいせつ - goo人名じんめい事典じてん”. goo辞書じしょ. 2021ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  4. ^ サンケイスポーツ2007ねん10がつ20にちづけ芸能げいのうめん『「ビタースウィートサンバ」が青春せいしゅんだった 23』より
  5. ^ 『ウィリアム・ギブスン』いろどりりゅうしゃ、1997ねん、24ぺーじぺーじISBN 4-88202-486-1 
  6. ^ ウィリアム・ギブスン「解説かいせつ」『あいどる』角川書店かどかわしょてん、1997ねん、294-295ぺーじぺーじISBN 4-04-791275-1 
  7. ^ 日本にっぽんはつのCGアイドル わたしは「DK96」16さい 来月らいげつデビュー”. 読売新聞よみうりしんぶん (読売新聞社よみうりしんぶんしゃ): p. 5. (1996ねん4がつ13にち) 
  8. ^ 子供こどもたちはいま だい15 アイドルはどこへ(4)」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』1990ねん9がつ20にちづけ夕刊ゆうかん、18ぺーじ